第3話 屑石《チャクル》はひとり愁う

 チャクルが魔力ギュチを注いでもらえる順番は、いつも一番最後だ。それも、ほかの子たちのように褒めていただけることはなく、カランルクラル様はチャクルを見下ろして首を傾げられるのだ。


「お前はやはり、成長が遅い。私の魔力ギュチを拒むかのようだ」


 今日も、同じく。カランルクラル様は、チャクルへべた白い手を宙にさ迷わせて呟いた。

 ようやく御前に進み出ることができた喜びもしぼんでしまった。チャクルは身体を縮めて俯いた。


「も、申し訳ございません……」


 カランルクラル様は、責めている訳ではない。純粋に不思議に思われているだけのようで──だからこそ、より辛くて悲しい。肩を流れる御髪おぐしの艶やかさに、ただ見蕩れることができたら良かったのに。


 ほかの玉胎晶精ターシュ・ラヒムたちの嘲笑も、ちくちくとチャクルに突き刺さる。


「チャクルに御方様の御力は、もったいないです!」

屑石チャクルに務まるのは、庭に敷く砂利くらいでは?」


 みんな、あわよくばチャクルの分の魔力ギュチたまわりたいのだ。その分より美しく大きく石を育てて、カランルクラル様のとして捧げたいのだ。


 それは、青玉イルディスの深い青でも紅玉クルムズの燃える赤でも、何なら左右で色を違えても、闇の御方の美貌を惹き立てるに違いない。

 御目を損なわれた主のご尊顔を復活させるのが自分の石であったなら、おかしくなるほどの歓喜に満たされるだろう。競争相手を蹴落したいのは、当たり前だ。


(でも、みんな寄ってたかって……)


 屑石の身で口答えなんてできなかった。できるのは、縋るような目でカランルクラル様を見上げることだけだ。闇の御方が、たかだか小魔ペリの小娘を慮る必要はまったくないのだけれど──


「かつて、お前のように成長が遅い子がいたが、見事な石を育てたものだった。何が起きるか、分からないものだから──」


 カランルクラル様の端正な口元が苦笑に綻んだ、かと思うと、その指先がチャクルの額に触れて、魔力ギュチが注がれる。ほかの綺麗な子のように抱き締めたり口づけたりはしてもらえなくても、さほど美しくも貴重でもない屑石に対して何という光栄、何という恩寵だろう。


(私の水晶が、綺麗に育ってくれますように。我が君様の御力を秘めた、守り石になってくれますように……!)


 美しい御方の魔力ギュチが、心臓に宿った水晶を通して全身を巡る。何度味わっても決して慣れない、芳醇な美酒に酔うような酩酊感に目眩がする。


(本当に……どうして私の石は成長が遅いの?)


 胸もとを押さえて俯くチャクルには構わず、カランルクラル様は玉胎晶精ターシュ・ラヒムたちを見渡した。


「皆の健やかな健康を願っている。また、宮殿の外には出ぬように。──《災厄フェラケト》は、いつまた襲って来るから分からないのだから」


 カランルクラル様の声を潜めた囁きに、魔力ギュチに蕩けていた玉胎晶精ターシュ・ラヒムたちも背筋を正した。


 《災厄フェラケト》──カランルクラル様の御目を損なった、悪しき魔神シェイタンのことだ。確かに、闇の御方が新たなを育てようとしていると知られたら、邪魔しに来るかもしれない。

 玉胎晶精ターシュ・ラヒムはか弱い種族、そんな奴に見つかったら抗う術はない。


(我が君様に石を捧げられずに砕かれるなんて……!)


 無為に命を散らせることは、抱く石の貴賤に関わらず、玉胎晶精ターシュ・ラヒムがもっとも恐れること。だからチャクルもほかの子たちも、カランルクラル様の御言葉に心から頷いた。


      * * *


 災厄フェラケトを招かぬよう、主の言いつけに背かぬよう、チャクルは闇の御方の宮殿を出ることはない。けれど、ほかの子たちと一緒に過ごすということでも、ない。絢爛な貴石を抱えた子たちは、屑石には優しくないのだ。


 噴水セビールの飛沫が美しい波紋を描く泉の水面に足を泳がせながら、チャクルは少々むくれていた。


(お庭にも綺麗なものがいっぱいあるから良いもん……!)


 美しいものを見て育った玉胎晶精ターシュ・ラヒムは美しい石を育てる、という。


 迷信かもしれないけど、できることがあるならやっておきたいのが小魔ペリの心というものだ。だからほかの子たちは、宮殿内に数多ある宝飾品を眺めては、我も続け、と思うのだ。


 ううん、続いてはいけないかもしれない。調度やら彫刻やら、宮殿を彩る宝石の多くは、カランルクラル様のになれなかった玉胎晶精ターシュ・ラヒムの石だから。魔神シェイタンの身体の一部になり得るほどの貴石は、たやすく生み出せるものではないのだという。


 だからより正確には、宮殿を彩る宝石よりもずっともっと美しく、と念じているのだろう、みんな。


(宝石も綺麗だけど……太陽の光、花弁、噴水の飛沫──どれも素敵じゃない?)


 混ぜてもらえない屑石チャクルの、負け惜しみなのかもしれないけれど。心臓と一体化して胸に嵌った水晶の結晶を撫でながら、チャクルは思う。


 一秒ごとに色も形も変える自然のものたちは、宝石が放つ光に劣らず美しい。


 屑石だから、貴石の輝きに気後れしているわけではなくて。素朴な愛らしさに勝手に肩入れしているわけではなくて。本当に、心からの思いだった。


(私が見たものが私の石に宿って、我が君様に使っていただけたら……!)


 カランルクラル様のは高望みだとしても、衣装の裾やくつの爪先の飾りで良い。何なら誰かに揶揄されたように、庭の砂利石として踏まれるだけでも。チャクルが綺麗だと思ったもので、あの御方の神々しさを、ほんの少しだけでも増すことができたなら。それだけで、彼女は幸せだろうに。


「砂利石だって、ここでは宝石ばかりだけれど、ね……」


 チャクルの爪先がかき回す泉の水の中、万華鏡のような煌めきが躍っている。


 玉胎晶精ターシュ・ラヒムが抱く宝石の形を整え、心臓の結晶に魔力ギュチを集中させるため。時に身体の各所に芽生える小さな結晶は、その都度ていねいに取り除かれるのだ。

 そんな宝石の欠片は、こうして泉の底に振り撒かれることもあるし、宮殿の床や壁面を彩るモザイクに使われることもある。


 美しく希少な宝石は、しばしば硬度も高いもの。泉の底には、チャクルの水晶の欠片もいくらかは沈んでいるはずだけど、ほかの貴石とぶつかり合ううちに砂粒のように小さく砕かれているだろう。


 小さく溜息を吐いたチャクルの視界が、ふとかげった。顔を上げれば、大きな鴉が翼を広げて、壮麗な宮殿の中心に輝く円蓋ドームの窓に吸い込まれていくところだった。

 鴉が飛び込んだのは、宮殿の主の御座所。魔神シェイタンの強大な魔力ギュチが濃く漂う場所に迷わず入っていくのは、もちろんただの鳥ではない。


「カランルクラル様の、使い魔ハベルジ……」


 チャクルの主は、下僕や崇拝者と同じくらいに敵も多い。

 魔神シェイタン同士で争ったり、思い上がった人間が挑んできたりすることもあるとか。だから御目を傷つけられたことは絶対に秘密にしなければならないし、御力を慕って従う人の街や村は、守ってやらなければならないし──だから、偵察の使い魔ハベルジが飛び交うのはいつものことのはずだった。


『《災厄フェラケト》は、いつまた襲って来るから分からないのだから』


 けれど、先ほど賜ったお言葉が蘇って、チャクルは嫌な予感に襲われた。

 そっと泉から足を引き抜くと、用意していた布で水気を拭い、宮殿の中へと急ぐ。


(私が襲われても、カランルクラル様は悲しまないと思うけど……!)


 それでも、ほかのみんなといれば安心だろう。臆病な屑石だと嗤われたって構わない。

 なんだかんだで、ずっと一緒に育った同族なのだから。本気で嫌い合っているわけではない──呆れながらでも、チャクルを宥めてくれると思いたかった。

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