第9話 神殿《タプナーク》は白く聳《そび》える
外の世界で見聞きするすべてを噛み締めながら進むうち、一行はやがてとある谷間に辿り着いた。
水は、きっと太古の昔に
「すごい──」
とはいえ、チャクルが溜息を漏らしたのはその谷間の
空の青にも木々の緑にもよく映える、純白の建造物──その、一点の汚れもない清らかな美しさに目を奪われたのだ。
(これが、
カランルクラル様の宮殿のように、絢爛な宝石に彩られているわけではない、白一色の建物ではあるのだけれど。
わずかな雲の流れや太陽の移動によって影の落ち方が変わることで、辛うじて見える装飾は、まるで白い建物全体に銀糸で細かな刺繍を施したかのよう。
離れたところから望むだけでも壮大なレース模様を見るようで圧倒される。そして、近づけば、彫刻が織りなす物語がはっきりと浮かび上がって見る者の心を動かすのだろう。
これほどの建造物を築くことができるのは、よほど力がある存在だろう。
チャクルが緊張に顔を強張らせる中、エルマシュとバイラムは手綱を操って白い建物に近付いていく。城門を潜る時、積み上げられた石材から微かに
「この
「ああ、そうだ」
長年に渡って
(でも……まさか、この規模のお城が、全部……!?)
大きく見開いたチャクルの目に次々と入るのは、遠くから思い描いた通りの精緻な彫刻。生きているかのように鮮やかな、草や花や動物、妖精たち。
そのどれもが目に痛いほど白く眩く、そして
費やされた命と時間と
「おっと。落ちるなよ」
神殿を見上げて、身体の均衡を崩しそうになったチャクルを、エルマシュがしっかり支えてくれた。彼女の反応を、バイラムも目を細めて見守っている。
「
誇らしげな彼に案内される形で、チャクルは巨大な白亜の城に招き入れられた。
* * *
外観と同じく
「
「
真白い石の貝や魚の彫刻に囲まれながら、髪も肌も磨かれながら、チャクルは彼女たちの不可解な言葉におののいた。彼女は綺麗ではないから過分な賞賛だし、何より──
(
ゼヒルギュルの断末魔の声が、耳に蘇ってしまったのだ。
『どうせ砕かれて、
エルマシュがそんなことをするはずはない、と思って忘れようとしていたのだけれど。
エルマシュに大丈夫だと言って欲しいけれど、彼が
だから、あれよあれよという間に、チャクルは
「この廊下を行った先でお待ちだから」
「これを差し上げてね?」
「は、はい……」
さらには銀の盆に乗った
震える手で銀の盆を捧げ持ち、目に痛いほど白い廊下を進むことしばし──チャクルは、小さな部屋に辿り着いた。この神殿が宮殿なら、主が寛ぐであろう最奥の居間だ。
(入って良い、んだよね……?)
盆をどうにか片手で支えて入出したチャクルを、高く澄んだ声が迎えた。
「チャクルね……? 無事に会えて良かった! 迎えに行きたいところだったのだけど、ほら、私は動けないから……」
「え──」
部屋の奥に
纏うのは、神殿の素材と同じく白い
同じ部屋にいてさえなお、柔らかな布地ではないのだとは信じられないくらいの、繊細な
「貴女は──貴女、が……?」
目の前にいる少女は、生きながら
この少女は、
それも、どれだけ長く生きているか想像もつかない。
同族の偉大な
「あの。まさか。この神殿は、みんな、貴女の……?」
「そう……と言えば、そう、かしら? どこからどこまでが私なのか、もうよく分からないのだけれど。このお城を作った
「
悲鳴のように叫ぶと、チャクルはその場にひれ伏した。辛うじて銀盆を投げ出さず、床に置いたのは、偉業と言って良かっただろう。
抱く石の貴賤なんて関係ない。この壮麗な神殿をたったひとりで生み出した存在を、崇め敬わずにはいられない。
口の悪いエルマシュも、人間のバイラムも同じなのだろう。この神殿、この御方の姿を見れば、
偉大なる白い聖母は、けれどいたいけな少女のように溜息を零した。
「……大げさに呼ばれてしまっているのよ。ちょっと珍しい
「え。でも」
「私も甘いものが好きなの。ここからでは手を伸ばせないから。お願い?」
恐る恐る顔を上げれば、
その名の通り、
(この御方も、お菓子を食べるんだ……!)
驚きと感動を同時に覚えながら、チャクルはよろよろと立ち上がり、盆を持ち上げた。
「は、はい」
「一緒に食べましょう。座って?」
「──
シロップが零れないように素早く舐め取る技はチャクルにも覚えがあるものだった。似た色の髪や目よりも、こんな仕草を目の当たりにすることのほうが、同族なのだと確信できた。
ようやく口を開いても良いかもしれない、と思えたから、チャクルはおずおずと問いかけた。
「お話……と、いうのは──」
「主のいない
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