【連載版】 屑石は金剛石を抱く

悠井すみれ

序章 出会いと旅立ち

第1話 玉胎晶精《ターシュ・ラヒム》は貴石を生む

 玉胎晶精ターシュ・ラヒムは、地上に数多いる魔性イブリスの種族の中でももっともか弱い小魔ペリのひとつ。いっぽうで、もっとも美しい種のひとつでもある。


 玉胎晶精ターシュ・ラヒムは、その名の通りに体内で宝石を育むことができる。真珠貝が真珠を宿すのにも似ているけれど、玉胎晶精ターシュ・ラヒムが宿す宝石は小指の先ほどの小さなものとは限らない。


 魔力ギュチを注げば注ぐだけ、玉胎晶精ターシュ・ラヒムが宿す宝石は育つのだ。玉胎晶精ターシュ・ラヒムの数を揃えた上で適切な管理を行えば、煉瓦レンガのように同じ大きさの宝石塊を量産することもできる。人も魔神シェイタンも、そうやって絢爛な宮殿や神殿を造っては己の権勢を誇示するものだ。


 とある国の玉座の間は、見上げるほどの紅玉の列柱で支えられているとか。それぞれが繋ぎ目のない一塊の巨大な紅玉から掘り出された列柱は、もちろん、同じ数の玉胎晶精ターシュ・ラヒムが生み出した。自身の何倍も何十倍もの質量を抱えた彼ら彼女は、最後には身動き取れなくなっていただろう。石材ならぬする時には、命を摘まれただろう。けれど、誰も恐れたり嘆いたりはしなかったはずだ。


 玉胎晶精ターシュ・ラヒムにとっては、より美しくより大きな宝石を生み出すことが何よりの喜びであり誇りなのだから。


 ほとんどの玉胎晶精ターシュ・ラヒムは人の王侯や力ある魔神シェイタンに庇護されて生きる。主の望む色や形や大きさの宝石を育んで、尊ばれるのを喜びとする。狩られ食われて終わることが多い小魔ペリの中では、幸福な種族と言えるだろう。


      * * *


 柔らかな寝台の上で、温かな寝具に包まって。チャクルは真剣に悩んでいた。


(眠い……もう少し寝たい……でも、お腹が空いた……!)


 何時に何をしなければいけない、という決まりはチャクルたちにはない。

 月が沈むまでおしゃべりをしても良いし、太陽が中天に上るまで寝室にこもっていても良い。空腹を覚えたなら、広間に行けばいつでも菓子が山のように積んである。


蜂蜜アセルを染み込ませたケーキ……胡麻の練り菓子ヘルヴァ……ザクロの甘露煮ホシャプ……)


 思い浮かべると、やっぱり起きよう、という気分になった。寝具から出ている頬に感じる空気はひんやりとしているから、まだ「みんな」は起きていないのではないかと思うから。


「よいしょ、っと」


 少し気合を入れて寝台から抜け出すと、チャクルは伸びをしながら寝間着を脱ぎ捨てた。


 身支度を整えるために必要なものは、部屋の中にいつでも用意されている。顔を洗うための水は、冷たく澄んだものがかめに汲まれて。髪を梳くための櫛は、細やかな花の模様が彩る銀細工。


 清潔な下着ギョムレクも、きちんと畳んだものが枕元に。その上に重ねる長衣アンタリは、薄絹に刺繍を施した軽く美しいもの。

 着替えを終えて、鏡の中に映るチャクルの姿は、というと──


(うーん、普通)


 美しい調度や衣装に比べると、とても平凡なものなのだけれど。


 顔かたちは並みの人間の少女ていど。白に近い色の銀髪も、金の瞳も、人間にはない輝かしい色ではあるらしい。でも、チャクルよりももっと美しい「みんな」も同じ色を纏っているのだから何の慰めにもならないだろう。


 何より、長衣アンタリの開いた胸もとから覗くのは、鈍い輝きを放つ水晶の結晶だった。それも、さほど大きくもない。


「やっぱり、ある日急に育ってたりはしないよね……」


 チャクルの胸もとを飾る水晶は、首飾りを垂らしたようにも見えるだろう。でも、鎖や紐から下がっているわけではない。

 「それ」はチャクルの心臓に埋め込まれた水晶の欠片から育ったものだ。触れれば皮膚の一部のような感覚もあるし、ほのかな温もりもある。


 チャクルは、か弱くも美しい玉胎晶精ターシュ・ラヒムのひとり。宝石を生みだす特性ゆえに、魔神シェイタンの中でも強く美しい闇の王、カランルクラル様の宮殿で養われているのだ。


水晶わたしなんかを宮殿に置いてくださるんだから、慈悲深い御方よね……)


 呼吸と共に微かに上下する水晶をそっと撫でながら。チャクルはしみじみとした溜息で鏡を曇らせた。


 彼女がほかの「みんな」が起きる前に広間に行きたい理由が、その水晶だった。


 玉胎晶精ターシュ・ラヒムは、宿す貴石の価値によって厳然とした序列に分けられる。貴石を身体にとどめておける者、さらに大きく育てることができる者は希少だから、それだけ尊ばれるということだ。


(私だって、金剛石──は贅沢かもしれないけど! 紅玉や青玉、緑柱石を宿したかったのに)


 その序列で言うと、ありきたりな水晶は一番下だ。ほかの「みんな」と顔を合わせると、闇の王の宮殿には相応しくない屑石の癖に、という視線が痛いこともあるのだ。


(で、でも。石の種類よりも、魔力ギュチの質のほうが大事なはずだし……!)


 玉胎晶精ターシュ・ラヒムの宝石は、主が注ぐ魔力ギュチによって成長する。

 そして、その魔力ギュチは、母体から切り離された後もその石に残り続け、建物や武具や宝飾を彩ると同時に、守護し力を与える魔具にもなる。


 宝石の質を高める道に終わりはなくて、貴石を宿せる玉胎晶精ターシュ・ラヒムを集めた後は、いかに混じりけのない、かつ強力な魔力ギュチを注いでいくか、という話になっていく。

 そしてチャクルは、生まれてからというもの、カランルクラル様の魔力ギュチだけをいただいている。あの御方が、何の意味もなくそんなことをするはずがない。


(だから──私にだって何か価値があるはず!)


 彼女自身よりも主を信じて、チャクルは拳を握って頷いた。


 カランルクラル様は、強い魔神シェイタンであるだけでなく、美しい御方。しかも、屑石しか抱けないチャクルにもその純黒の魔力ギュチを注いでくださる優しい御方。


 あの御方の考えが何であろうと、彼女が生み出す石は、愛する主を飾るためだけに使われるだろう。


(とても名誉なこと。素晴らしいことよ)


 石を捧げるその時に、彼女の心臓がともに抉り出されるとしても。そんなことは、ささいなことのはずだった。

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