第3話 庭師《バーチヴァン》は密命を帯びる
宝石がモザイク模様を描く
(なんて、お美しい)
たとえ深い傷を負ったお顔を闇色の
玉座の間には、
深く頭を垂れると、ゼヒルギュルの真紅の髪が床に広がった。美しい主の掌中に弄ばれる想像を巡らせれば、そのまま崩れ落ちそうな思いだけれど──そこは堪えて、彼女は声を甘く上ずらせた。
「お庭の掃除はつつがなく終わっております。花も木々も、いっそう色鮮やかに──」
「そうか」
短く答える主の声は、不機嫌そのもの。もちろん、尖った声に切りつけられる心地も甘美なものだけれど、不機嫌の理由に思いを馳せると、深く激しい憤りが込み上げてくる。
「《
ゼヒルギュルは、闇の御方の宮殿の庭師だ。美しい花々が常に咲き乱れる庭園を整えておくのが彼女の務め。
嵐や陽射しから植栽を守るべく水や風を操ることもあれば、庭を荒らす虫を追い払うこともある。そして、虫の中には主を狙うほかの
先ほど、この宮殿は招かれざる客、あるいは虫の来訪を受けた。
宮殿の主が出向くまでもない
ただ──よりによって、闇の御方がちょうどお疲れの時に、というのは不審なことだ。
「
うんざりとした声音で、主はゼヒルギュルの推測を肯定してくださった。
ほんの数日前のこと、闇の御方の宮殿は、その主人と因縁のある《
かつて御目を損なわれた雪辱を果たすべく、ゼヒルギュルたち側近は遠ざけて、おひとりだけで戦うことを選ばれたのだ。誇り高い
結果は──思った通りにとは、いかなかったようだけれど。御身体だけでなく、矜持までも深く傷つけられたであろう主を思うと、ゼヒルギュルの心も引き裂かれるように痛んだ。
(私が傍にいれば……!)
後悔に歯噛みしながら、ゼヒルギュルはより深く平伏した。主を守れなかった罪を詫びるなら、地に伏すどころか地中に埋まりたい。庭の草花の肥料になってしまいたい。
「そもそも《
「下がれと命じたのは私だからそれは良い」
ゼヒルギュルの言葉を遮って、かり、と硬い音が響いたのは、主の白い歯が宝石の欠片を
《
(とはいえ、御目が戻るのはいつになることか……)
主の欠けるところのない美貌を、早くまた見たいのに。良質の
ゼヒルギュルは力ある
「──庭が落ち着いたなら、お前に命じることがある」
「はい。何なりと……!」
だから、物憂げな御声をいただいて、ゼヒルギュルは声を弾ませた。囁き声のような衣擦れの音が、主が身体を起こして彼女へと身を乗り出してくださったのを教える。
「《
「御意。必ず、仰せの通りに……!」
目の前に落ちた主の影に口づけしながら、ゼヒルギュルは勢い込んで頷いた。
* * *
玉座の間を辞したゼヒルギュルは、宮殿の中に幾つかある尖塔を目指した。
塔の上階を目指して石段を登りながら、ゼヒルギュルは主の命令を噛み締めていた。
(《
それはつまり、察しろ、ということだろうと彼女は理解した。二度も主に屈辱を舐めさせた存在について、あの御方にわざわざ語らせるなど、僕としてはあってはならないことだろう。
(言葉にされずとも分かります。そして、決して口に出したりはいたしません)
主が沈黙する理由は何か。あえては言わない本当の望みは何か。察することもできないほど、ゼヒルギュルは愚かではない。
《
もちろん、金剛石を宿せる
そして、今回の襲撃だ。
ひとりだけ連れ去られた
そこから導き出されるのは、冒涜的な結論だ。
《
主の美貌を損なっただけでは飽き足らず、二度までも深い傷を負わせた。
せっかく育ったほかの貴石たちまで失われることになったし、屑石とはいえ同族を惑わせて主を裏切らせた。
(カランルクラル様の寵愛をあれほど受けておきながら……!)
許せない、と思う。金剛石だろうと何だろうと、粉々にして宙に撒いてやりたい。でも──それをしてはならない。主の意を、正しく汲まなければならない。
(《
重要なのは、黒金剛石はいまだ健在だということ。屑石の娘と一緒にいると思われると言うこと。
主の目になり得る至高の宝玉を、一刻も早く届けて差し上げなければ。時期を違えて宮殿から去った
(石さえ無事なら、手足は折っても
残酷な想像に高揚すると、ふわ、と甘い香りが零れた。そして、真紅の花弁がゼヒルギュルの髪から舞い落ちる。──違う。彼女の髪が、先から花弁へと変じ、さらに寄り集まって燃えるような蝶の
花弁の翅を羽ばたかせて、ゼヒルギュルは塔の窓から軽やかに宙に躍り出た。
遠目には巨大な真紅の蝶にも見えるだろうか。翅を形作るのが無数の花弁だと気付くのは、同じく空を飛ぶ鳥くらいだろう。まあ、その前に彼女の香りにあてられて地に墜ちるかもしれないが。
ゼヒルギュルは、毒花の
そして、色鮮やかな花弁と妙なる芳香だけでなく、毒も茨も備えている。
(街道を塞ぐ邪魔な人間をみんな始末したら──立っていられる
そして、逃げた
軽やかな笑い声と毒の香りを撒きながら、ひらひらと、ふわふわと。紅い花弁の蝶は、風に乗って空を翔けた。
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