第4話 泉亭《チェシメ》に旅人は集う
翌朝──出発する際に、宿の
「あれだけ出したのを、全部食べてくれるなんてねえ。次の宿までお腹が空くといけないから持って行きなさい。部屋代もたっぷりもらったんだから、遠慮しないで」
「え──えっと、あの。ありがとうございます……!」
エルマシュのほうをちらりと窺うと、笑顔で頷いていた。だからもらって良いのだろうと判断して、チャクルはパンの包みを受け取った。ずしりとした重みと、香ばしいパンの香りに胸が弾む。
パンに合うのは果物の
「こんなに細くて綺麗な子たちがあんなに食べられるのか、心配だったけどねえ。花嫁衣装を買いに行くんでしょう? お嫁に行った先でもお腹いっぱい食べさせてもらえると良いけど──」
「そ、そうですね……」
女将がぐいと顔を近づけたので、チャクルは慌てて目を伏せた。
輝く色の髪は
(私とエルマシュじゃ、綺麗さが全然違うのに……)
同じ
カランルクラル様は、エルマシュにはきっと惜しみなく
「変な男には渡さないから大丈夫だ。世話になったな、女将さん」
「そうねえ、良いお兄さんがいれば安心ねえ」
チャクルが首を捻る間に、エルマシュは卒なく会話を成立させていた。彼は、人間とのやり取りにもう慣れているのだろうか。
(兄妹に見えるんだ……)
建前の設定が怪しまれていないこと、エルマシュと同列の存在だと思われていることに安堵すべきなのだろうけれど──なんだか、面白くないような気分がしてしまうのはどうしてだろう。
笑顔で手を振る女将に、手を振り返して歩き始めながら。チャクルは何だかよく分からない感情がお腹の中で渦巻くのを感じていた。
* * *
複雑な想いについては、それはそれとして。
青空の下で歩きながら、広々とした景色を眺めながらという解放感も手伝っているだろう。
(
これまで、甘いものばかりを食べていたのがもったいないと思うくらい、多様な味覚の多様な刺激はチャクルを夢中にさせた。
平パンの欠片まで綺麗にな舐め取ったところで──チャクルは、ふと気付いてしまった。
(……でも、肉を食べ続けたら、私はどうなるんだろう?)
だから、食べものから
(この石は、誰のためのものになるの? 牛や羊に捧げるのは変、だよね……? もう食べちゃったし)
自ら生み出した石を敬愛する主のもとに役立ててもらう。それもまた、
(エルマシュは……こんなの要らないだろうし)
「疲れたか?」
「ううん。大丈夫」
別に、休憩をねだろうとしたわけではないのだけれど。
エルマシュは強がりだと思ったのか、宥めるような笑みを浮かべてチャクルの背に手を添えてくれた。力強く背を押されて、ぐんと大きく足を踏み出す感覚はちょっと面白かった。
「昼前に
「
「旅人が休息できるよう、湧き水が絶えないように整えた給水所、だな。街と街の中間に位置するから宿はないが、ちょっとした市が立ったりはする」
外の世界には本当に色々なものがあるらしい。常に
チャクルは、今ひとつ腑に落ちてない表情を浮かべていたのだろう。エルマシュは苦笑すると、彼女の頭をぽんと撫でた。
「人間が設置することもあるが、この先にあるのは
「じゃあ──」
「俺が忍び込む日時も、あらかじめ伝えておいたんだ。仲間を連れ出せるかも、ってことも併せて、な。追手がかかるのも承知の上だから、逃げる足の手配も頼んでいる」
「あ、だから馬なんだ……」
着替えや食料だけでなく、エルマシュは本当に準備が良かったらしい。確かに、数多の下僕を従える
(それだけ仲間を助けたかった、ってこと……?)
チャクルは、宮殿での暮らしには心から満足していた。命をかけて石を生み出す運命にも。でも、カランルクラル様の御心ひとつで砕かれるていどの存在だと知ってしまった。
だから、外に出られて良かった、のだろう。
(でも、エルマシュがそこまでする理由って……?)
彼にとっても危険なことで、
「もう少しだから、頑張れ。俺の分のパンも食うか?」
「い、いいって! 大丈夫、頑張れる……!」
どうやら、エルマシュにはよほど食い意地が張っていると思われてしまったらしい。決して間違いではないだけに恥ずかしくて、チャクルは慌てて首を振った。
* * *
石を積んで作られた屋根の下、
(土が入ったりしないし、ちゃんと流れるようになってるんだ……!)
旅人の憩いの場所になっているというのは、間違いないようだった。
(食べ物のお店も出てる……!)
焼いているのは牛だろうか、羊だろうか。良い香りの煙が立ち上るところに、人が集まっているのを見つけてチャクルは覗き込もうとした。
でも、低い声が間近から呼び掛けてくるほうが、早い。
「──エルマシュ。来たか」
「ああ。待たせたな」
チャクルたちの傍に、いつの間にか足もとまで届く
(
個体差はあっても、人間は基本的には
だからたぶん、この男も衣服に仕込んだ文字で
「今にも
と、男の黒い目がチャクルを捉えた。道行く旅人や商人、宿の女将もそうだったけれど、人間の髪も目も、ほとんど一様に黒や茶色だ。たまに赤っぽいのが混ざるくらい。とても地味な種族だと思う。
(顔を覚えるの、大変かも……)
失礼なことを考えて心配になるチャクルを余所に、エルマシュは
「ひとりだけだが、どうにか連れ出せた。チャクルって娘だ。──チャクル、こいつは
「よろしく、チャクル。
バイラムが右手を差し出したので、チャクルは首を傾げた。助けを求めてエルマシュを見ると、同じように返せ、と手ぶりで示された。
「……よろしくお願いします」
人間と触れ合うのは少し怖かったけれど、バイラムのほうこそ怖いだろう。
(人間も温かいんだ……)
また新たな発見をしつつ、チャクルがしげしげと掌を見つめている間に、もうバイラムは近くの木に繋がれた馬のほうに向かっていた。
「さて、急ごうか。
街道の賑わいは、チャクルも見てきた。人の行き来が多いのは、良いことではないかと思うのに。人間の
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