第5話 金剛石《エルマシュ》は輝く

「……こいつらは、てめえを慕っていたんじゃないのか」


 低く唸りながら、《災厄フェラケト》が腕に力を込めた。チャクルも含まれているのだろうか。どうして守るようなことをするのか、さっぱり分からない。


(我が君様の敵なのに? みんなを壊したのは、こいつじゃ、ないの? 金剛石エルマシュって……?)


 愛しい御方の御言葉と、憎い「敵」の言葉が、頭の中で同時にぐるぐると回る。


 金剛石を宿せる玉胎晶精ターシュ・ラヒムはごく稀だ。闇の御方カランルクラル様の宮殿にもいないくらいに。《災厄フェラケト》──としか思えない男──は、たしかに眩しくてとても綺麗だけど。


「どれほど魔力ギュチを注いでも、我がに相応しい石を捧げられぬ役立たずだ。お前が帰って来たなら、もう要らぬ」


 地に散らばったアイセルの月長石の欠片が、チャクルの目にも胸にも刺さる。


 貴石を抱いた子たちを、カランルクラル様はあんなに愛しげに抱き締めたり口づけたりしていたのに。ついさっき、闇の御方はみんなをまとめて屑石と蔑んだ。では──イルディスやクルムズ、ほかの子たちを砕いたのも?


(嘘、ですよね……?)


 がたがたと震え始めたチャクルを、《災厄フェラケト》があやすように抱き締めた。敵だと思っていた男の手は優しいのに、愛し敬った主の笑みは、冷たくて鋭くて恐ろしい。


「半端な石を育てようとしたのは無駄だった。やはりお前しか考えられぬ。ほかの魔神シェイタンに横取りされなくて良かった──大人しくお前の石を差し出せば許してやろう」

「結局殺すんじゃねえか! 俺は、もう一発ぶん殴りに来たんだよ!」


 蕩けるように囁くカランルクラル様に、《災厄フェラケト》は噛みつくような剣幕で応じた。と、同時にふたつの強大な魔力ギュチが膨れ上がり、ぶつかり合い、弾ける。


「ひゃ──」


 カランルクラル様は闇を鞭のように繰って《災厄フェラケト》──金剛石エルマシュ? ──を絡めようとする。

 エルマシュは、迫る闇を金色の矢で射ち落とす。絢爛な魔力ギュチの嵐に巻き込まれて、チャクルの全感覚がぐちゃぐちゃになる。


玉胎晶精ターシュ・ラヒムが、どうして魔神シェイタンと渡り合えるの!?)


 貴石を生み出すだけの、か弱い小魔ペリのはずなのに。強者に庇護されなければ、生きていけない存在のはずなのに。


 心の中で混乱して泣きわめく間に、闇の魔力ギュチはチャクルにも掠めて、髪がちぎれ頬に細かな傷が増えていく。──彼女を抱えているせいで、エルマシュは徐々に押されているのだ。


「足手まといは放り捨てれば良かろうに」


 カランルクラル様が、軽やかに笑う。強い魔神シェイタンは、力を振るうのが楽しいのだろうか。この御方がこれほど楽しそうなところを、チャクルは見たことがなかった。


 玉胎晶精ターシュ・ラヒムは愛でられるだけの存在だから──だから、本当の感情の起伏を、見せてはくださらなかったのだろうか。


「これ以上、目の前でて堪るかよ」


 断ち切られた輝く髪のひと房を宙に撒いて煌めかせながら。エルマシュは憤然と答えた。


(……怒ってるの? みんなのために……?)


 魔力ギュチの嵐が渦巻く中、口に出して尋ねる勇気も余裕もない。でも、あえて問うまでもなく、エルマシュはきっ、とカランルクラル様を睨むことで答えてくれた。


「仲間のことをとか言ったな。玉胎晶精ターシュ・ラヒムはどこまでもモノ扱いか。魔力ギュチを与えて庇護していれば、最後には殺しても良いってか。──そんな考えだから、俺はあんたにそむいたんだ!」


 エルマシュの咆哮は、隙になってしまった。首元を狙う闇の鞭を、彼は辛うじてのけぞって避ける。それでも上衣カフタンが破られて、はだけた胸もとに、彼の石が露になる。


 あかがね色の腕に抱えられたまま、チャクルは目を見開いて感嘆の吐息を漏らした。


(本当だ、金剛石……それも、真っ黒の!)


 まばゆいのに、どこまでも混じりけのない闇の色の石。金剛石の中でも特に希少な、貴石中の貴石。そうだ、闇の御方カランルクラル様がご自身のに、と望むなら、黒以外の色はあり得なかった。


(カランルクラル様は、黒金剛石の玉胎晶精ターシュ・ラヒムを手に入れて──大切に育てたはず。御目に嵌めようと思うくらいに。そこまで望まれて、どうしてあんなこと……!?)


 か弱いはずの小魔ペリがどうやって、よりも、なぜ、という疑問が勝った。より美しい石を生み出すのが玉胎晶精ターシュ・ラヒムの幸福であり名誉なはずなのに。


「弱者が強者に仕えるのは世のことわりであろうに」


 目を見開いたチャクルのことなんて、誰も気にかけはしないだろうけれど──カランルクラル様も、不思議そうに首を傾げている。


「だったら目を抉られた時点で諦めろ。あの時、あんたは俺に負けた」


 鼻を鳴らして嘲ったエルマシュは、チャクルの推測を肯定してくれた。みんなが《災厄フェラケト》と呼んでいたのは、カランルクラル様にひどい傷を負わせたのは、やはり彼のことだったのだ。


(……でも、違う。私たちにとって《災厄フェラケト》だったのは──)


 チャクルの頭の中で考えがまとまる前に、闇の魔力ギュチの鞭に、無数の棘が生じた。カランルクラル様の整った唇がわななき、呪いのような怒りの声を紡ぎ出す。


「盗んだ力で何をおごるか……!」

「あんたが喜んでくれたんだろうが。今さら返せとは言わないな?」


 無数の光の矢が、迫りくる闇のいばらを射抜き、砕く。漆黒と黄金の煌めきに目が眩みながら、いつかのカランルクラル様の御言葉を思い出していた。


『かつて、お前のように成長が遅い子がいたが、見事な石を育てたものだった』


 あれは、このエルマシュのことだったのだ。玉胎晶精ターシュ・ラヒムは、注がれた魔力ギュチで体内の貴石を育てる種族。


 でも、魔力ギュチが石を育てるのに回らなかったら──もしかしたら自分のものにできる、とか? エルマシュは、賜った力を使って主に逆らった、のだろうか。


(じゃあ……私も……?)


 カランルクラル様の御力をいただきながら、チャクルの石はとてもみすぼらしかった。ほかの子たちに無駄だと嗤われたあの魔力ギュチが、チャクルの中に留まっているのだとしたら。


 思いついたのとほぼ同時──チャクルは、右手の指先が熱くなるのを感じた。炎がにあるような。熱くて痛いから、放り投げたい。けれど、そうしたら辺りを焼き尽くしてしまいそうな気がする。


(これが、魔力ギュチ……?)


 突如、その場に現れた熱の塊に、強くて綺麗なふたりも気付いたようだった。


、なのか……!?」

屑石チャクルにしてはよくやった。金剛石エルマシュを足止めせよ」


 エルマシュは焦った表情でチャクルを見下ろし、カランルクラル様は嬉しそうに彼女に命じる。


 エルマシュの腕にぶら下げられたまま、チャクルは考えた。

 足手まといを庇ってくれた、初対面の同族。

 長年慈しんで育ててくれた──でも、みんなを壊したカランルクラル様。


(どっち……!?)


 でも、悩んだのは本当に一瞬だけだ。選ぶべきはどちらか──さっき、もう気付いていた。


(《災厄フェラケト》は、貴方……!)


 チャクルが熱の塊は、カランルクラル様の御顔にあやまたず命中した。


「裏切るのか! この私を……!?」


 カランルクラル様の御目を覆っていた闇の魔力ギュチが砕けて、無残な傷痕が露になる。美しいはずの御顔が憤怒に醜く歪むのが眼前に迫る。エルマシュが、隙を逃さず距離を詰めたのだ。


「足元すくわれて、ざまあないな?」

「貴様ら──」


 チャクルを抱えていないほうのエルマシュの手が、黄金の爪を纏ってカランルクラル様を狙う。御目を抉った傷を、さらに深く刻もうと。でも、カランルクラル様が闇色の短剣を作り出すほうが、早い。


(いけない……)


 チャクルは、身体を捩ってエルマシュの腕から抜け出した。両手を広げて──闇の切っ先に、我が身を晒す。


 色々なことが同時に起きて、同時に感じられた。振り下ろされる黄金の爪が描く、眩い軌跡。目が痛むほどの輝き。


屑石チャクルの分際で……!」


 カランルクラル様の、悔しそうな御声。それから──


「お前、なんで──」


 闇の鞭が力を失い消える中、エルマシュは狼狽えた声を上げた。


 チャクルの身体をもう一度、今度は両腕で抱き締めた──その瞬間、彼女の身体の中心に埋め込まれた水晶が、ひび割れて砕ける音がした。

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