第6話 内包物《イツェルメ》は絆を結ぶ

 頬を鎖骨を首筋を、指や掌で撫でられる感覚がくすぐったくて、チャクルは身動ぎした。濃密な魔力ギュチ玉胎晶精ターシュ・ラヒムに注ぐときのやり方だ。


(カランルクラル様……?)


 いつも、こうして丁寧に愛しげに触れて欲しいと願っていた。綺麗な貴石の子たちにするみたいに、屑石チャクルにも御心を向けてくださったなら、と。

 ようやく叶ったというなら、嬉しい、けれど──


(……あれ?)


 違和感に気付いてしまって、チャクルは身じろぎした。

 闇の御方の指先は、どこまでも繊細で滑らかなはず。なのに、今、チャクルに触れる手はどうも硬い気がする。それに、煌びやかな混沌が、彼女の頭をかき乱す。あまりに絢爛で、まるで悪い夢のような。


 《災厄フェラケト》。みんなの欠片。とても綺麗で──眩しい金色。光。真っ黒なのに輝く金剛石エルマシュ。闇と金の交錯。


(私……!)


 エルマシュを庇ってカランルクラル様の刃を受けた。心臓に抱いた水晶が砕ける音を、確かに聞いた。玉胎晶精ターシュ・ラヒムにとって、それは死を意味するはずなのに。


(──どうして……?)


 驚いた勢いで目が開いた。つまり、チャクルはまだ生きている。

 背中に感じるのは、ごつごつとした固い地面。一応は何か敷物の上に寝かされているけれど、馴染んだ自室の柔らかな寝台の心地良さにはほど遠い。

 視界の端に映るのも、精緻なモザイク細工ではなくて無骨な岩肌で──どこかの洞窟に寝かされている、らしい。

 そして、金剛石の眩い目に見下ろされて、褐色の指で撫でまわされている。


「……確かに水晶は内包物が多い石だが──」


 瞬きするチャクルに悪戯っぽく微笑んで、エルマシュは囁いた。


金剛石おれの欠片が馴染むとは、思ってもなかった。駄目元だったんだが」

「──え?」


 慌てて胸もとに視線をやると、チャクルの水晶には、やはり無数のひびが入っていた。ただし、漆黒の輝きが罅割れを埋めて、透明な石をひとつの結晶としてどうにか繋ぎ止めている。


 黒い──稲妻、蜘蛛の巣、幾何学文様アラベスク。見る角度を変えるごとに、黒金剛石が描く模様も表情を変えて、自分の石ではないかのように綺麗。


 エルマシュが、彼の石を砕いて罅割れを埋めてくれたのだ。カランルクラル様があんなにも切望した、貴重な漆黒の金剛石を、水晶なんてつまらない石のために!


「助けて、くれたの? なんで?」

「こっちの台詞だぞ。あいつを慕ってたんだろうに」


 意識を失う前にも、なぜ、と聞かれたような。でも、そんなことはチャクルにだってわからない。


「さあ……身体が、勝手に動いただけだから」


 理由の欠片のようなものなら、気付いているけれど。

 ずっと育てていただいた御方、その美しさにこよなく憧れた御方を、チャクルは《災厄フェラケト》だと思ってしまったからだ。


「よく覚えてないの」


 でも、それを口に出すのはまだ怖いから、曖昧に首を振ってはぐらかす。それに、何よりもまずエルマシュに御礼を言わないと。


「えっ、と……ありがとう」


 まだ上手く動かない舌でどうにか言った後で、先ほどの戦いで長衣アンタリがかなり破れていることに気付く。


 そもそもが胸もとの開いた意匠だったし、闇の御方の宮殿では、みんな似たような格好だったのだけれど。それでも急に恥ずかしくなって、チャクルはもぞもぞと起き上がると両腕で身体を隠した。


(あれ、いつから……っていうか、どれくらい!?)


 チャクルの水晶が金剛石に馴染むのに、どれだけかかったのだろう。どれだけ、彼女はエルマシュに肌を晒していたのだろう。やけに頬が熱いし、胸が痛い。心臓の石がおかしいのかと、胸を押さえて俯くと──


「気の迷いだ」


 眩しい目が、真剣な色を浮かべて彼女を覗き込んでいた。


玉胎晶精ターシュ・ラヒムは、魔力ギュチをくれる相手に懐く。まして、俺のはそもそもカランルクラルのだった訳だし。……だから、気にするな」

「無理!」


 気遣われた気配は感じつつ、チャクルは間髪入れずに叫んだ。抱き締められた。魔力ギュチを注がれた。心臓と一体化した石に、彼の欠片を受け入れた。心臓が動く度に、金剛石エルマシュが彼女の中で煌めくのだ。耐えられそうにない。


 でも、眩しい存在は屑石の羞恥なんて構ってくれなかった。エルマシュは、ぽん、とチャクルの肩に手を置いた。宥めるつもりなら、逆効果だというのに!


「……無理でも我慢してくれ。しばらく同行するんだから」

「なんで!?」


 よりいっそうの大声で叫ぶと、エルマシュは顔をぎゅっと顰めた。


「なんでって……根暗野郎カランルクラルは執念深いぞ。小魔ペリに裏切られてしてやられて、放っておくと思うか? 魔神シェイタンが、あれで滅びるとでも?」


 チャクルが黙り込んだのは、エルマシュと一緒に過ごすという想像が恥ずかしかったからだ。

 カランルクラル様を遠くから見つめるだけでも胸が苦しかったのに。この太陽みたいな存在と、ふたりきりだなんて。朝も昼も、この眩しさに接しなければならないなんて。


 でも、エルマシュのほうは恐怖や不安のせいだ、と思ったのかもしれない。肩に置かれていた手がチャクルの頭へと移動して、乱れているであろう髪をそっと梳く。


魔力ギュチの使い方も教えてやるよ。でも、生きられるように」


 はっきり言って止めて欲しかった。心臓がどきどきして、くっついたばかりの水晶がはじけ飛んでしまいそうだから。でも──外、と聞けば心が浮き立った。


 首を振って、エルマシュの手を振りほどいて──少しだけ、距離を取りながら、チャクルは口を開いた。


「私、ね。玉胎晶精ターシュ・ラヒムの中では変な子だったの」

「ん?」

「たぶん、知ってると思うけど……みんな、綺麗なものを見るのが好きでしょ? 前にいた子たちの宝石とか、カランルクラル……様の宮殿に集められた色んなものを見れば、自分の石も綺麗になるって信じてた」

「まあ……そうだな。そうだった」


 眉を顰めつつ頷いたエルマシュにも、きっと「みんな」がいたんだろう。一緒に育った同族たち。今は、宝石だけを残して闇の御方の宮殿の装飾になっている。


(みんなの石は……どうなるのかな……)


 胸に過ぎった悲しさと苦しさを押し殺して、チャクルは無理矢理に笑顔を作った。そうしないと、エルマシュも辛いだろうから。そんなことは、望んではいないから。


「でも、私は空や太陽や花も好きだったの。宝石じゃなくても、きらきらしていなくても綺麗、って。私が、ただの水晶だからかもしれないけど! でも、そういうのもつまらないものじゃないと思うから……宮殿がすべてじゃないんじゃないかって気がしてたから……だから、って嬉しい、かも。だから、えっと……ありが、とう?」


 言っているうちに、自分でも何がなんだか分からなくなってしまった。聞かされているエルマシュは、なおさらだろう。


(だって、初めて会ったばかりなのにね……)


 そんな気がしないのは、きっとチャクルのほうだけだ。

 心臓の結晶に、たっぷりと魔力ギュチをもらってしまったから、勝手にいるだけ。教えられたばかりの玉胎晶精ターシュ・ラヒムの習性は、言われてみればとても納得がいく。仲間たちの誰もが、カランルクラル様をこの上なく愛していたのは、たぶんそういうことだった。


(だから、気の迷いだって……釘を刺したんだよね?)


 カランルクラル様が仰った通り、か弱く世間知らずのチャクルは、道中でも足手まといになるに違いないから。それでも、同族だからと連れて行ってくれるだけでも感謝しなければいけないのだろうに。


 まして、おかしな感情を抱いたままでは迷惑この上ないだろう。思い違い、思い上がりが居たたまれなくて、チャクルは俯いて膝を抱えた。でも──


「それだけ喋れるなら大丈夫そうだな。人間に混ざっての旅になるが──頑張ってくれよ」


 頭上に感じるエルマシュの声も気配も、ずいぶん柔らかくて穏やかだった。しかも、またもぽん、と頭に掌を置かれる。勘違いさせられると、困るのに。


「うん……よろしく」


 恐る恐る顔を上げると、間近に見るエルマシュの笑みが眩しかった。太陽に目が焼かれる思いだけど──いつかは慣れるだろうか。胸の水晶を疼かせるこの思いも、収まるだろうか。


(収まらないと、良いんだけど……?)


 そう思ってしまうのは、玉胎晶精ターシュ・ラヒムの習性に過ぎないのかどうか。旅するうちに、確かめたかった。


      * * *


 ひび割れた屑石チャクルは、こうして漆黒の金剛石エルマシュと旅立つことになった。


 魔神シェイタンの一角、闇の王のカランルクラルが、か弱い小魔ペリ玉胎晶精ターシュ・ラヒムに遅れを取ったという噂が人と魔性イブリスの世界を騒がせるのは、もう少し後のことになる。

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