第4話 災厄《フェラケト》は襲来する

 玉胎晶精ターシュ・ラヒムのための広間には、いつも通りに甘い香りと眩い輝きが満ちていた。でも、美しい宝石を抱いた子たちの、軽やかで賑やかな話し声は、今はしない。


 響くのは、チャクルのひび割れ掠れた呟きだけだ。


「……みんな……?」


 チャクルの目の前に広がる煌めきの、なんて絢爛なことだろう。


 イルディスの青、クルムズの赤、イェシュルの翠──それ以外の子たちも、みんな。屑石チャクルが羨み、それでも見蕩れた貴石、闇の御方カランルクラル様のになるべく大切に育てられてきた石たちが一堂に会していた。


 ただし、誰もが無残に砕け散って。

 綺麗な顔やすらりとした手足は無傷でも、心臓に抱いた石を砕かれれば玉胎晶精ターシュ・ラヒムは生きていられない。


(なんて、ひどい)


 チャクルの目から涙がこぼれて、みんなの驚きと恐怖の表情が歪んだ。その視界も極彩色の輝きに彩られているのは、なんて皮肉で残酷なことだろう。


 圧倒的な魔力ギュチが、みんなの心臓の石を押し潰したのだと、ひと目で分かった。

 生きた証を残せないのは、玉胎晶精ターシュ・ラヒムにとって最大の屈辱。

 みんな、これ以上ない絶望を味わわせられて殺された。

 チャクルだけが、助かった。いつも通り仲間外れで庭に出ていたから。


(そうだ、これをやったのは……!?)


 嫌な予感が、当たってしまったのを悟って、チャクルはよろめいた。


 《災厄フェラケト》──カランルクラル様を傷つけた悪しき魔神シェイタンが、あの御方が美貌と御力を取り戻す前に奇襲したのだろう。玉胎晶精ターシュ・ラヒムたちが無残に砕かれていたのがその証拠だ。


 屑石チャクルだけが生き残ってしまったなんて、申し訳なくてとてもカランルクラル様に顔向けできないけれど。「みんな」に背を向けるのはとても悲しくて、ひとりきりで行動するのはとても怖いことだけれど。でも──やらなければ。


「カランルクラル様! 大変です! みんなが──」


 チャクルの弱々しい足音が、震える声が、回廊の高い天井に虚しく響く。広く壮麗な宮殿が、やけに静かなのが不吉だった。

 闇の御方のお傍には、常に美しくも恐ろしい魔性イブリスの側近が控えているはずなのに。どうして今日に限って誰も姿が見えないのだろう。


(誰か、どこか──)


 息を切らせて、首を巡らせた時──チャクルの腕が、後ろから強く引かれた。


「きゃ──」


 喘ぎながら振り向けば、力強いまばゆさに射抜かれる。

 そこには、太陽を直視するような光を宿した目が、チャクルを見下ろして輝いていた。


「まだいたのか。広間にはいなかったが──お前も玉胎晶精ターシュ・ラヒムだな」


 腕を捕らえた相手の顔をはっきりと捉えるまでに、何度も瞬きしないといけなかった。それほどに、その存在は美しく眩しかったから。


 髪も目も、何色、とは言い表せない色をしている。とにかく眩しくきらきらしている、としか。

 襟の高い上衣カフタンから覗く首筋や、チャクルを捕らえる手は灼けたあかがねの色──だから、肩に背に流れ、うねる髪の輝きがいっそう映える。

 気配を感じさせずに忍び寄ったことからも分かる、ヒョウのようにしなやかな手足を持つ男。獲物を爪にかけた肉食獣のように、獰猛な笑みを浮かべた男。


(なんて、綺麗……)


 闇の御方カランルクラル様の静謐な美とは正反対なのに、一瞬でも見蕩れさせられてしまうのは、眩しい男は容姿と同じく眩しい魔力ギュチを纏っているからだ。か弱い小魔ペリは、力の気配に敏感だから。


 でも、に対してそんなことを思ってしまうのは、一生の不覚。あってはならない屈辱、みんなとカランルクラル様に対する裏切りだ。


「《災厄フェラケト》……っ!?」


 気圧され、ひれ伏したくなる衝動を堪えて、チャクルはどうにか叫んだ。怒りと、憎しみを込めて。


「あ? 俺の呼び名か? たいそうな言われようだな」


 その男が苦笑したのは、惚けているとしか思えなかった。この容姿に、この力。何より、宮殿の惨状──みんなの、欠片。こんなことをするのは《災厄フェラケト》以外にあり得ない。すべて仕業しわざなのだ。


「わ、我が君様を傷つけたんだから《災厄フェラケト》でしょ! みんな、も……っ、なんで……!」


 涙がぽろぽろと頬を伝うのが。自由なほうの手で《災厄フェラケト》の胸を叩いても微動だにしないのが、悔しかった。相手が怒ることさえせず、きらきらと金色の輝きをまき散らしながら首を傾げるだけなのも。


「やってないことで責められてもな」

「嘘っ、だって──」

「あー、あの根暗野郎の綺麗なお顔をのは確かだけどな。を手にかけたりするもんか」

「ねく──」


 この上なく尊く美しい御方に対する、何という非礼、何という冒涜ぼうとく


 怒りのあまりに絶句したチャクルの耳に──遠くから、高い悲鳴が聞こえる。とてもよく知る、玉胎晶精ターシュ・ラヒムの仲間の声だ。


「アイセル──」

「……あっちか」


 チャクルがその子の名を呟くのと、《災厄フェラケト》が低く唸ったのはほぼ同時だった。


(……こいつはここにいるのに、なんで?)


 頭に過ぎった疑問を、ふわりとした浮遊感が吹き飛ばしていった。《災厄フェラケト》が、チャクルを抱えて走り出したのだ。声がしたほうに向かって、風のようにはやく。


「何するの! 放して!」

「俺も連れ歩きたくはないんだよ! だが、目を離してたら後味悪いだろうが!」


 抗議の声も、応じる声も、壁や床や天井の華麗な装飾と一緒くたに溶けて後ろに飛んで行った。

 そうして辿り着いたのは、宮殿の中心、精緻な装飾の円蓋ドームを戴く玉座の間だった。そこに漆黒の影が佇んでいるのを見て、チャクルの目の前が真っ暗になる。


(カランルクラル様……逃げて……)


 愛する主がひとりきりでいる時に、《災厄フェラケト》に見つかってしまうなんて。せめて盾になるべく、たくましい腕の拘束から逃れようと、もがこうとしたのだけれど──


「──来たか。の悲鳴にはやはり敏感だな」


 いつも通り、こごった闇の魔力ギュチで傷ついた御目を隠して、カランルクラル様は美しい唇をそれは嬉しそうに笑ませていた。それに、何と仰っただろう。


(同族……悲鳴……?)


 訳が分からず瞬いて──チャクルは、見てしまう。カランルクラル様のおみ足が踏みつける、細い身体、捩じれた手足。さっき悲鳴を上げた、アイセルだ。育てる石は、月長石。神秘的な色のその貴石は、アイセルの胸で無残にひび割れている。


「お前の姿を見たと、使い魔ハベルジが伝えて来たから。同族をつもりだったのだろう? 我が魔力ギュチの結晶を盗まれると厄介だから、先手を打たせてもらったよ──私の愛しい金剛石エルマシュ


 熱っぽく囁くと、カランルクラル様は一歩、チャクルたちのほうへ踏み出した。アイセルの月長石を、無造作に踏み砕きながら。

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