最終話 屑石《チャクル》は金剛石を抱く

 聖白母ベヤザンネの部屋でシロップ漬けケーキシェケルパールを平らげた後、チャクルは神殿タプナークの庭を目指した。

 エルマシュはそこにいるはずだと、すれ違った人間の女の子が教えてくれたのだ。


 雪花石膏アラバスタで造られた神殿も、庭園にはさすがに花のいろどりと草葉の緑が溢れていた。


「エルマシュ──」


 どこからか聞こえる水のせせらぎの音を聞きながら、チャクルは陽光に髪を煌めかせる、綺麗な同族のもとへと駆け寄った。

 チャクルの軽い足音を聞きつけたのだろう、木陰に横になっていたエルマシュは顔を揚げ、輝く金剛石の目で彼女を捉えた。


聖白母ベヤザンネとの話は終わったか。すごい方だっただろう」

「うん。すごかった」


 短い形容に万感を込めながら、チャクルはエルマシュの傍らに腰を下ろした。


「とても綺麗で、強い方。石や魔力ギュチのことじゃなくて、御心が……」


 エルマシュとバイラムが、口を揃えてあの方に会わせたがってたのがよく分かった。


 玉胎晶精ターシュ・ラヒム聖白母ベヤザンネの姿を見れば、心酔せずにはいられないだろう。守られ愛でられ、生み出す貴石の美しさだけによって価値を計られるものだと信じ込まされていた世界が、根底から覆るのだから。


(屑石かどうかなんて、小さいことだったんだ)


 百の言葉を重ねるよりも、白い聖母のお姿をひと目見るほうが早いから。だから、ふたりともあの御方のことを詳しく教えてくれなかったのだ。


「ああ、俺にもよく分かる」


 チャクルの言葉に、エルマシュは頷いた。そして、聖白母ベヤザンネが先ほど見せたような、どこか遠くを見る眼差しをした。


「俺がカランルクラルの宮殿を逃れた後も、たぶん、お前と同じお話を聞かせてもらったんだ。……これでも、ご主人様に逆らったのは大それたことなんじゃ、とか考えたんだがな。石を取られて殺されるのが嫌だ、なんて我が儘なんじゃないかと──だが、を見ればバカバカしくなるってもんだ」

「そうだね。……ほかのみんなにも、会っていただきたかったな……」


 エルマシュが宮殿に乗り込んでくれたのは、そういうことだったのだろう。

 美しいけれど閉ざされたあの場所が世界のすべてではないと、玉胎晶精ターシュ・ラヒムの同胞に教えたかったのだ。


「ああ。ほかの奴らも連れ出したかったんだが。すまなかった」

「ううん! だって……あれは、カランルクラル様がなさったことだから」


 エルマシュは太陽のような輝かしい目をかげらせて俯いた。慌てて首を振って、彼を覗き込みながら──チャクルは、一抹の安堵も覚えていた。


 こんなに強くて綺麗なエルマシュも、彼女と同じような悩みを抱いていたらしいと分かったから。

 カランルクラル様に傷を負わせたことを、恐れたこともあったのだろう。宮殿を出た当時なら、魔神シェイタン魔力ギュチは彼を強く酔わせていたのだろうから。


 みんなのことを気にしているらしいエルマシュを励まそうと、チャクルはわざとらしいほど明るい声を上げた。


「あのね、聖白母ベヤザンネ様は──えっと、シャファクアレヴ様? このお城のもとの主の御方がまだお好きなんだって。何があってもお気持ちが変わらないって、素敵だよね……」

「……そこも、もう聞いたのか」


 チャクルのうっとりとした声に何を感じたのか、エルマシュは警戒した面持ちで身体を起こした。


(知ってたなら、なんで思い違いだとか言ったの……?)


 想いを軽く扱われたようで、そこは少し面白くなかったけれど。でも、だからといって嫌いになったりはしない。チャクルの想いも変わらないと、これから証明していけば良いのだから。


「うん。あと、神殿タプナークにいても良いって! ねえ、エルマシュはいつもは何をしてるの? もう教えてくれても良いでしょ?」


 彼が何をしているのか。チャクルも一緒にいて良いのか。


 これまで、エルマシュははっきりとした答えをくれなかった。でも、ほかならぬ聖白母ベヤザンネのお許しがあったのだから、もう、はぐらかしたりはさせないのだ。


 エルマシュに迫るチャクルの目は、きっと彼の金剛石さながらに輝いていただろう。そのに屈してか、エルマシュは小さく溜息を吐いた。


「人間の依頼に従って、した魔性イブリスを探る。必要なら人間の国や話の分かる魔神シェイタンとも協力して解決を図る。どうしても話し合いで済まないなら、使もする──って感じだな」

「人間の国……!」


 カランルクラル様以外の魔神シェイタンも気になるけれど、もっと気になるのは人間がどんな暮らしをしているか、のほうだった。


(人間の街は、お城はどんな風なんだろう。何を食べてるの? 魔性イブリスとは、争うだけじゃないってこと?)


 尽きない疑問をぶつけようと身を乗り出すチャクルを、エルマシュは奇妙なものを見る目つきでしげしげと眺めた。形の良い唇がそっと動く。


「……俺がいて、聖白母ベヤザンネを見ていても、俺は玉胎晶精ターシュ・ラヒムを弱いと思い込んでたようだな」

「エルマシュ?」


 大きな掌が、チャクルの頬を包んだ。

 とても綺麗な宝石に対するかのような扱いがなれなくて、くすぐったくて。身をよじるのに、エルマシュは離してくれないし、目を逸らしてもくれなかった。


「それこそ、魔力ギュチとは関係ないところの話だ。──お前は、強いな。かくまうよりも、鍛えたほうが良いんだろう」

「鍛える?」


 太陽のような眩しい眼差しに見つめられて、焦がされるような思いをしながら、チャクルは鸚鵡オウム返しに呟いた。彼は今、何と言っただろう。


(匿うよりも、って──それは、一緒に行っても良いってこと!?)


 喜びと期待に、チャクルの唇が自然と笑みを形作った。彼女の思いを正しく読み取ってくれたのかどうか、エルマシュははっきりと頷いて答える。


「まだまだ世間知らずだからな。まずは、の常識を身につけること、から始めないとな。料理とか裁縫とか。人間とのやり取りのし方や、旅するに当たっての知識とか。ここにも人間が大勢いただろう? あの子たちに混ざって勉強だ」

「なるほど……」

「俺もやったことだ。最初は苦労するだろうが──」

「大丈夫。頑張る!」


 言われた内容については、もっともなことだから納得できる。でも、一番大切なところを確かめないといけない。


「エルマシュは? どこかに行っちゃう?」

「俺も当分は神殿ここに留まるから安心しろ」


 鋭く問い詰めると、エルマシュは苦笑した。それから、掌を上に動かして、チャクルの頭を撫でた──そして、すぐに軽く眉を寄せて険しい表情を見せる。


「そもそも、カランルクラルの宮殿に潜入した後は、ほとぼりが冷めるまで身を隠すつもりだったし。……俺の石とお前の石と、ついで価値が出てしまったかもしれないからな。なおさら、見つかるわけにはいかなくなったからな。責任は取る。お前は、守る」


 そうだ──毒薔薇のゼヒルギュルは、黒金剛石を内包したチャクルの水晶を見て、目を輝かせていた。


『カランルクラル様──これで御目が、揃います……』


 闇の御方の両の目は、エルマシュがえぐったままだ。

 魔神シェイタンの義眼になり得る美しさと力を兼ね備えた石は、これまではエルマシュの黒金剛石だけ、だったのだろうけれど──


(私の石にもそんな価値が、あるの……!?)


 水晶は水晶なのに、と思うべきか。

 でも、水晶の玉胎晶精ターシュ・ラヒムの石を砕いた上で、金剛石が馴染むかどうか、なんて試した者はいないだろう。

 地上にほかにも存在しない、といえば確かに唯一無二の宝玉──なのだろうか。カランルクラル様に知られたら、狙われてしまうくらいの?


 エルマシュの言葉に、不安と恐怖はある。でも、それよりも強く、込み上げる思いがあった。


「エルマシュとつい、って……嬉しいかも……」

「呑気だな!? 魔神シェイタンの居城に揃って飾られても嬉しいか!?」


 エルマシュが目を見開いた表情がおかしくて、チャクルはつい、笑ってしまう。


「それは、嫌だけど。この石は──私の、だもん」


 はっきりと首を振って。そうしてエルマシュを安心させてあげてから、チャクルは長衣アンタリの上から彼女の水晶をそっと掌で抑えた。


(この石も、この思いも……!)


 誰に与えられたのでも、植えつけられたのでもない、彼女自身のもの。だから決して渡したくない。大切に抱きしめていくと、決めたのだ。


 チャクルは、今こそ自分の足で自分の生を歩き始めた。できることなら、これから進む道がエルマシュと一緒であると良い。それが、彼女の心からの願いだった。




      * * *


 「世界を変える運命の恋」コンテスト応募作として、ここまでで一区切り・いったん完結とさせていただきます。


 本編未登場の魔神シェイタン玉胎晶精ターシュ・ラヒムの設定も色々考えているので、長編化するとしたらチャクルとエルマシュ(とバイラム)がトラブルを引き受けては解決していく連作短編の形式になると思います。たまには闇の御方カランルクラルの追手をかわしたりしつつ、人と魔性イブリス、弱者と強者の関係を変えていったりするのではないかと! ほかの公募等に向けた執筆もあり、いつ頃とはお約束できないのですが、いずれ続きをお見せできると良いです。


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【連載版】 屑石は金剛石を抱く 悠井すみれ @Veilchen

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