境ノ子

 サカイはシキャナに一歩近づいた。


「私は今、我々の血が不当に扱われているという情報を追っている。その件で、場合によっては、地ノ人ちのびとと戦わなければならないかもしれない。でも、私にはそんな力はない。そんなとき、仲間からあなたのことを教えられたのだ」

「気のせいか? 似たことを何度か手伝った覚えがあるんだが」

「そう、何時いつの世にもあることだ。悲しいが」


 ウィルの方を指し示し、サカイは今の状況を伝える。


「とりあえず今、俺には先客がいる。こいつを目的地に送った後、あんたからの依頼を受ける、ということでいいか?」

「問題ない。ただ、私も行動を共にしていいだろうか。あなたといた方が安全だと思うから。もちろん、この血を今捧げても構わない」


 サカイは考えるように腕を組んだ。深緑の目がウィルの方へ動いてから、シキャナの方へ揺れる。

 黙ったまま、サカイは己の腰に差している剣に触れた。触れただけで抜きはしないが、シキャナにはそれで通じた。


「容れ物ならば、ここに」


 彼女が身につけた鞄から取り出したのは、小瓶だった。


「場所を変えなくてもいいのか」


 シキャナが遠慮がちに聞いてくる。ウィルのことを気にしているのだろう。

 「構わねぇ」と答えると、サカイは剣を抜いて彼女に渡した。その代わりとして小瓶を受け取る。


「元々、疑いをかけられてるからな。こうなっちまったら仕方ない」


 サカイの意思が間違いないことを知り、彼女はそのまま剣に自らの手首を押し付けた。

 手首から滴る赤い血を、サカイは小瓶の口で受け止めた。ウィルが戸惑いの声を小さく漏らす。

 小瓶に血が溜まっていくにつれ、サカイが感じる天ノ血の匂いが濃厚なものに変化していく。中身が十分に溜まった頃、シキャナの傷は癒え、それを待っていたかのようにサカイは瓶を顔に近づけた。


「待つんだ!」


 ウィルの制止する声を聞き、答える代わりに瓶を掲げてみせる。小瓶を口元に近づけると、サカイは天ノ血あまのちを一気に飲み干した。


「なんてことを。今は無事でも君はいずれは」


 ウィルの言葉をサカイは引き継ぐ。


「苦しんで、血に乾きながら死ぬ」

「知っていて、なぜ!」

「普通ならそうなる。でも俺は普通じゃない。俺は変わり者だから狂わねぇよ。あんたに危害を加えることにはならねぇから安心しな」

「何を……」


 混乱しているウィルの様子に、サカイは目を細める。


「ま、とにかく、俺のことより今はあんた自身のことを心配することだ。商隊に合流できるかどうか分からねぇんだからよ」

「何を馬鹿な。血を飲んだ者は、もっても数年で」

「だから言ってるだろう。俺は変わり者だってな」


 ウィルは考えるように頭を傾ける。その口が、変わり者、変わり者、と何度か動く。やがて何かを思い出したのか、勢いよく一歩を踏み出した。


「君の髪色、天ノ人あまのびとのように薄い色だ。珍しいとは思っていたが、まさか!」


 記憶をたぐり寄せるように、ウィルは眉間にしわを寄せる。


「以前、天ノ血に関する書物を読んだことがある。天ノ人と地ノ人、その間に子が生まれることがあると。だが、その子は育つことなく死ぬのだと。……ああ、なら違うのか。そもそも」


 浮かびかけた考えを否定し、改めて考え始めているウィルを、サカイは静かに眺めた。正直戸惑っていた。

 人前で傷を負うことで、サカイが天ノ血を飲んでいることに気づかれたことは今までもある。だが、まさか、答えにたどり着く地ノ人がいるとは。

 天ノ人と地ノ人の血を巡る関係は昔から続く呪いのようなもの。だからこそ、書物にについての記録が残っていてもおかしくはないが、サカイが面と向かって答えを言われるのはこれが初めてのことだった。

 この場合、どうするべきなのか。五十年も生きたとサカイは思っていたが、そんなことはない。気づいていないだけでまだまだ経験していないことがあるものだ。

 悩んだ末、サカイは初めて自分のことを話しても構わない。そう思った。今なら、いや、今しかないのではないかと。気づかれてしまったことを無理やりに否定しても意味はない。

 サカイは左手に瓶を持ち直すと、シキャナから剣を受け取り鞘に戻した。


「なるほど、確かにあんたは天ノ血に詳しいらしい」


 サカイは言いながら焚き火に近づき、その近くに腰を下ろした。

 シキャナもそれにならうように、近くの木に寄りかかるようにして座る。彼女なりに何かを察してくれたらしい。ウィルはサカイの言葉を待っているのか、立ったまま動こうとしない。

 落ち着いた声で、サカイはこう告げた。


「そうだ、俺は境ノ子さかいのこだよ」

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