友を探して

 森を流れる塵一つない流水に、ほんの少し赤が混じったかと思うとすぐに消え失せ、溶けていく。サカイは小川からさかずきを引き上げ洗うのをやめると、取り出した布で拭き始めた。


「つまり、あんたはある天ノ人あまのびとを探してほしいわけだ」

「ああ、私一人での捜索も試みたのだが」

天ノ血あまのちに狂った奴らにでも追いかけ回されたか」

「そうだ」


 袋の中に杯をしまうと、サカイはセァラに向き合った。ここは、森の中でも入り口近い場所で陽光も差し込んでいるが、水音以外は風が葉を撫でる音しか聞こえず、この辺りでも森の中は静寂に包まれている。

 サカイが今回のように、地ノ人ちのびとが寄り付かない場所で、天ノ人の依頼を待つのは、天ノ人と落ち着いて話すためだった。血を求めて、地ノ人が天ノ人を襲うことはけっして少なくない。そのために、天ノ人は地に降り立つ時、表立って行動すること自体そもそも多くはなかった。


「この辺りの地域は、二年ほど前に罹ったら確実に死ぬ病が流行ったらしくてな。自分が最期にはどうなるのか分かっていながら、天ノ血に手を出した奴らがそれなりにいるらしい」

「同胞が何人か襲われた話を聞いてはいた。だが、あれほどとは思わず」

「個人差はあるだろうが、そろそろ正気を失う奴が出てくる頃合いだ。そういう奴らは、ま、もってあと数ヶ月ってところだろ」


 軽い口調で語られるサカイの話に、セァラは眉をひそめる。


「何だ? 襲われているのはあんたらだっていうのに、地ノ人の心配か?」

「分からない。なぜ、最後には血に狂い、血への乾きで死ぬと分かっていながら、私たちの血を求めるのか」

「天ノ人は大体の奴がそう言うね。多分、それこそ一生分かんねぇんだと思うぜ。長い生を持つ奴には、ね」


 サカイはどこか自嘲気味た笑みを浮かべる。


「ほんの数十年しか生きれねぇのに、病や怪我や老化で苦しむ、時には苦しむだけじゃなくて、寿命より早く死ぬ……もしかすると寿命より早く死ぬ地ノ人の方が多いかもしんねぇ。だからな、何とかして少しでも長く生きてぇと思うのは、地ノ人にとって普通のことなんだと思うぜ」

「最期に至るのが、あの惨状だとしてもか」

「じゃなかったら、地ノ人が天ノ人を襲うことなんか、とっくの昔になくなってるだろうよ。天ノ血がもたらす奇跡と絶望。それこそが、昔から続く天と地の隔たりだろうが」


 地ノ人の寿命は短いが、天ノ人はそれよりもはるかに長く生き、老いもせず、病や怪我では死なない。その血は天ノ血と呼ばれ、地ノ人もその血を一口飲みさえすれば、同じような不死性を得ることができる。

 ただ、その代償はあまりにも大きい。結局、天ノ血を一口飲んだ地ノ人は時間が経つと天ノ血を再び飲まずにはいられなくなり、その頻度がどんどん短くなり、やがてどれだけ飲んでも衝動が抑えられなくなって、長くても数年で血に乾き死ぬことになる。どうしても生きたくてする行いが、結局は地ノ人の命を奪うことになるのだ。

 それでも、死ぬはずだった者を一定の期間、天ノ血が生かしてくれるのは紛れもない事実であり、天ノ血を求める地ノ人は後を立たない。この地域で起こっているのも、そういった事案の中の一つにすぎなかった。


「で、あんたの探し人はどんな奴なんだ」

「名は、レ=ニトウェ」

「これまた面倒くせぇ名前だな。そんなのより、見た目とかの情報を寄越よこせ」

「薄黄緑の髪を肩ほどで切りそろえた、薄い黄色の目をした女だ。服装は、私とそう変わらない。一月ほど前に、この辺りの地上に降り立ち、戻る予定の日になっても戻らなかった」

「地ノ人に襲われる可能性もあるのに、あんたらもよく懲りずに地上に降りてくるもんだ」


 サカイの言葉に、セァラは「仕方のないことなのだ」と、首を横に小さく振る。


「私たちにはやらねばならぬことがある。私自身は地上に降りてくるのは初めてだが、定期的に地上に降りてこなければならない同胞もいるのだ」

「知ってるよ、それくらいは。地ノ人には理解できねぇような崇高な役割があんたらにあるって話だろ? 『白雲より生まれいづる天ノ人は、我らを天から常に見下ろし、我らに恵みの雨と恵みの陽を時に与え、時に我らを苦しめる荒天を与えん。すなわちそれは神の命によるものなり』」


 すらすらと発せられたそれは、地ノ人に伝わる伝承で、地ノ人なら幼い頃に必ず周りの大人から聞かされるものだ。

 セァラは、サカイに問いかけられたことに対して、合っているともそうでないとも答えずに、ただ沈黙を貫いている。その様子に、面倒くさそうに息を吐いてから、サカイは場の空気を改めるように真剣な眼差しをセァラに向けた。サカイの瞳は森の色をそのまま映しているかのように、深い緑色をしている。


「まぁ、とにかく、あんたに一つ覚悟してほしいのは、最悪の結果となっている可能性がある、ということだな」

「ニトウェはもう、生きてはいないと?」

「あんたらは確かに病にもならねぇし傷はすぐに癒えるし、寿命もねぇ。だけど、あんたらにも『死』がないわけじゃない。それはあんたもよく分かってるだろ」

「この世に、終わりがないものはないからな。だが、そうか」


 セァラの声がほんの少しかすれる。


「私は、私の友にもう会えないのかもしれないのか。不思議なものだ。そんな日が来るなど露にも思っていなかった」

「そりゃ、あんたが永遠に生きられる命を持つからこそ、だな。この森を出る前に忠告しとくが、地ノ人は清廉なあんたらとはちげぇよ。何としてでも日々を生きようとしている。それこそ、どんなことをしてでも生きようする奴もいる」


 サカイは森の入口に目を向ける。


「依頼を受けた以上、あんたのことは守る気でいるが、あんたも気を引き締めてくれ」

「承知している」

「なら良かった、んじゃ、行くか」


 真剣な表情を緩め、微笑を浮かべるとサカイは森の入口を指さした。


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