白砂と化す
ヴェントには、血を飲んでいない者が多く残っており、サカイたちが男の遺言を伝えると村人たちは泣きながらも、必ず森の中に迎えに行き埋葬すると答えた。
サカイが例の
ヴェント近くの森で野宿することも考えたが、早く隣村に行きたいというセァラの願いもあり、二人は隣村にそのまま向かった。
その村は、サカイたちが着く頃には大分日が暮れていたこともあり、端からみるとすでに廃村であるかのように見えた。
「……これは」
村の様子が明らかになるにつれて、セァラはその白い顔をさらに白くさせていく。
粗末な家が建ち並ぶ村の中で、村人たちがそこここに倒れている。ピクリとも動かない体はすでに死んでいることがわかる。わずかに残る動いている者も、呻き声を上げるばかりで、その命は尽きかけているようだった。
無傷で倒れている者が多いが、中には心臓に致命傷を受けて亡くなっている者もいる。呻き声をあげている者たちの声をよく聞くと「血が」「くれ」というものであることにサカイは気づき、息を深く吐いた。
「どうやら、この村の奴は
「血に乾き死ぬのは、どんな死よりも辛い死に方だと聞いたことがある」
「ああ、何せ、体の中にある天ノ血のせいで、血の乾きでどんなに苦しくてもなかなか死ねない。それこそ死んだほうがマシらしい、な」
「先ほどの彼らも、いずれはこうなる運命だったのか」
目の前の光景を
「俺に殺されるのとどっちが幸せなのか、なんて考えてねぇだろうな、あんた」
強く諌めるような口調だった。
「言っておくが、どっちも救われねぇよ。天ノ血を飲んだ時から、定められた苦しみなんだから」
言い切ると、セァラの答えを待つことなく、サカイは村の中でも一際大きな建物に近づいていく。
倉庫と思われるその建物は、木材や穀物など様々なものが乱雑に置かれているのが、少し開いた扉からうかがえる。天ノ血の匂いが、その建物から流れていることにサカイは気づいていた。
「誰かいるか!」
倉庫の中に向かって試しに叫んでみると、布が擦れるような音がわずかに返ってきた。サカイは確認を求めるようにセァラに目を向ける。セァラは肩をすくめながら、音が聞こえた方向へ進むように指し示した。
倉庫の中は進めば進むほど薄暗く、荷物の山も高くなり、埃っぽい空気がまとわりつく。やがて、荷物の山がひらけてきた辺りで、足を止めた。
白い服を着た白い肌の女性が、壁に固定されるような形で捕らえられている。その隣には白い布が横たわるように置かれている。女性は目を閉じていたが、二人の接近に気づくと、ゆっくりと目を開けた。
「セァラ……?」
明らかに天ノ人だとわかるその女性は、セァラを見るなり、その名を呼んだ。
「ニトウェ!」
セァラは女性に駆け寄る。
「セァラ、申し訳ないわ……。私が、連絡役の勤めを果たせなかったばかりに、あなたが地上に降りてくるなんて」
「気にするな、他の天ノ人にも止められたが、あなたが心配でたまらなかったのだ」
「ありがとう」
サカイは二人の話を聞きながら、ニトウェの縄を外し、彼女の拘束を解放した。
ニトウェはサカイに意味ありげな視線を向けると、何度か咳をして喉の調子を整えた。それから彼女が口にしたのは、サカイへの感謝の言葉だった。
「セァラがあなたに依頼をしたのね。ありがとう、サカイ」
その言葉にサカイは眉をひそめつつ、彼女の顔を改めて眺める。
「もしかして、俺たちは会ったことがあるのか? ……言われてみりゃ、見たことがある顔のような気もするが」
「ええ、三十年ほど前に、ね。私はあなたに依頼をしたことがある」
「サカイはあなたの名前を聞いても、覚えがあるとは言わなかったが」
セァラに言われて、面倒くさそうにサカイは頭をかいた。
「言ったろ、お前らの名前は相変わらず舌を噛みそうだと。そもそも覚えにくいんだわ」
「前も言っていたわね。言いにくい名前だから覚える気がおきないと。あなたは変わらないのね」
微笑みながら、ニトウェはゆっくりと立ち上がった。己の体の状態を確かめるように、少し動かしてから、そばに落ちている白い布に触れる。
それはただの白い布ではなく、衣服のようで、ニトウェが布を動かすと、中に隠れていた白い砂のかたまりがサラサラと姿を表した。それを見たセァラとサカイの顔が硬くなる。
「もう一人いたのか」
「ええ」
サカイの問いに、ニトウェはゆっくりと頷いた。
「私と同じ連絡役。私より早く捕らえられていたから、衰弱が進んでいた。亡くなったのは二日前」
ニトウェは白い砂を労るように撫でる。
「血が枯れたんだな」
「えぇ。私も永く生きているけれど、同胞の死を初めて直接見たわ」
そう、天ノ人にも死は存在する。それは、天ノ人の体内にある血が完全に失われた時に起こり、血を失った天ノ人の体は音もなく崩れ落ち、白砂と化す。彼らの遺体は残らない。
「悪いな、助けてやれなかった」
「あなたは悪くないわ。それに悲しいけれど」
不意に、セァラが懐から小さな布袋を取り出した。ニトウェは頷き、その袋の中に砂を一掴み入れた。遺体が存在せず遺砂しか残らない天ノ人は地上で死ぬと、このようにして、一掴みの砂を天に持ち帰ってそこで葬送するのだという。
「悲しいけれど、これが、
ニトウェは初めて見たと言ったが、サカイは天ノ人が天ノ血が枯れることで死ぬのを何度か見たことがある。その度に、彼らはこうして言う。地ノ人を恨むこともなく、これは昔から続く天と地の隔たり、その一つにしか過ぎないと。
「俺は、その隔たりを少しでも減らすために、お前らの依頼を受けているんだけどな……ちっとも埋まりはしねえ」
「でも、あなたは、セァラの依頼を受けてくれた。そうして、私を見つけてくれたのでしょう。埋まっているようには見えないのかもしれない。でも、見えないだけで、あなたのしていることは少しでも意味のあるものなのだと私は思うわ」
サカイは何かを言おうとして、言葉にはせず口を閉じ直した。外から漂う風が、冷たいものに変わりつつあることが感じられる。外には夜が迫っているのだろう。
「サカイ、私からも礼を言わせてくれ。ニトウェにまた会うことが出来た、ありがとう。そのうえで、もう一つ良いだろうか」
「何だ」
「この村の者には彼らを弔う者さえいない。できるのなら、弔ってやりたいのだが」
「どれだけ時間がかかると思ってる」
「ニトウェも無事に見つかった。それに、私たちには時間がある。そうだろう?」
サカイは「はっ」と息を短く吐いた。乾いた笑いのようにも聞こえる。
「そうだな、俺たちには時間がある。皮肉で言っているわけじゃねえのが、あんたのすごいところだな」
「え?」
「いいぜ。弔ってやろうじゃねえか」
そう、サカイには時間がある。だからこそ、この時間が続く限り、隔たりをなくすために、地ノ人からも天ノ人からも依頼を受け、生きていく。そう決めたのは他ならぬサカイ自身だ。だから、二人は正しい。
これくらいのことで、この生き方を悔やんでいる暇はサカイにはない。この生き方をすると決めた、はるか昔の自分に申し訳がたたなくなるではないか。
頭を切り替えるように、サカイは息を一つ吸うと、まずは大地を掘る道具がないか倉庫内を探し始めた。今日はサカイにとって長い夜になりそうだった。
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