月が照らす夜
神官たちは聖女も連れて行こうとしていたが、サカイが聖女に近づいているのに気づくと、自分たちだけで帰り支度を始めだした。
彼らと違い、サカイが近づいても、聖女は離れようとはしない。ただずっと瓶を握りしめている。
「まだ
「……はい」
「そしたら、瓶をもらってもいいか?」
サカイは静かに手を差し出した。
「でも、わたし、聖女なのに。役目を果たせませんでした」
彼女はまだ状況に追いつけていないようだった。
「しなくていいんだ、何も。儀式は中止なんだから」
「でも、お母さんとお父さんが立派だって言ってくれたのに」
「あんたは死にたくなかったんだろ? もう死ななくていいんだよ」
「でも」
コロルゥトが近づいてくる気配があった。サカイが振り返ると、すでに神官たちの姿は遠くに消えている。ここに残っているのは三人だけらしい。
「あなたは死にたいのですか」
コロルゥトには、サカイのような優しさはなかった。
「死にたいならそうすればいい。僕が殺しましょうか、どうしてもそうなりたいと言うのなら、許されない儀式のために命を捨てればよろしい」
「いや!」
少女はコロルゥトの冷たい声に叫ぶと、サカイに抱きついてきた。サカイは受け止めながら、彼女が片手に掴んでいた瓶をどうにか引き取った。
サカイはコロルゥトを睨んでから、少女に優しく声をかける。
「怖いんだな、親に怒られないか」
「うん、家に入れてもらえないかも」
「一緒に帰ろう、ここにいる
「本当ですか?」
少女を引き剥がすと、サカイは屈み込み、目を合わせて笑ってみせた。
「だから、これだけは約束してくれ。絶対に天ノ血には関わるな。少しでも関われば、苦しむことになるんだ」
「サカイさんは、苦しいんですか?」
少女は、先ほどの神官たちとの話を覚えていたらしい。ほんの一瞬、どう答えるべきかサカイは迷った。
「俺みたいにはなるなよ」
「はい、わかりました」
「いい子だ」
サカイは身を起こすと、コロルゥトの方に顔を向けた。
「少しだけ待ってくれ。こいつと話すことがある」
少女が
「さっきは助かった。俺の嘘に乗ってくれて」
「こちらこそ助かりました。上手く話を進められましたし、あなたの言った通り、教会にいた者を殺さなくて正解でした。ここにいた者たちは多少冷静なようでしたから、蜂起することはないはずです」
「でも、それと儀式を今後も続けないことは別だろう」
「ここまで警告をしたのです。止めると思いますよ。それに、この地に恵みの雨を授ければ自ずと理解することでしょう。神は儀式の中止を喜んでいるのだ、と」
「だといいが」
大人しく待っている少女を見ながら、サカイは言葉を返す。
サカイも、今の生き方を百年近く貫いているが、それを急に止めれるかと言われれば易くはない。同じように、百年続いたこの町の儀式がすぐに終わるとは思えない。
それに、どんな理由であれ、この町の
「もちろん、しばらくの間他の天ノ人とともにこの地を見守ります。ついでに、この地に残る天ノ血も破棄します」
「そりゃいい。そうしろ」
そこで、コロルゥトがサカイの目線を追って少女を見た。
「おそらく、元々は本当に生贄だったのでしょうね」
「あっ?」
「記録役に、この町に関する過去の記録を調べさせましてね。それによれば、最初に罪を犯したのは女。そして、贄となる聖女も女性。これは偶然ではないそうです」
「まさか」
コロルゥトは首肯した。その顔には変わらず笑みが浮かんでいる。
「百十二年前、罪を犯した女を殺した時、この町の天災は止んだ。それに習い、始めは、女性を生贄にしていたのだと思います。しかし、当時の神官たちも今の者たちと同じように、行っていることの重さに耐えられなかったのでしょう」
「生贄ではなく、聖女と呼ぶようになったのか」
「そして、形だけの儀式を行うようになった。哀れなことですね。自らのしていることから目を逸らそうとするとは。表面だけ変えたところで、行いの本質は変わらないというのに」
話しながら、コロルゥトは首を傾げる。
「僕にはよくわかりません。そうまでして、何かに縋ろうとするという地ノ人の心が」
「短い生だからこそ、だろうな。天ノ血を求める奴らがこの世から消えないのと、同じだよ」
「そう、ですか」
そこでサカイは思い出したように尋ねる。
「そういや、何で窓
「あなたなら大丈夫だろうと、最初は高をくくっていましてね。余裕がなかったんですよ。気を引いて止めるしかなかった」
「そりゃどうも」
硝子を斧で壊していたあたり、元より教会を壊すつもりで用意していたような気もするが、追及しても面倒なだけだ。サカイは短くお礼を返すにとどめた。
「僕ら天ノ人にも死があるのです。あなたにも死はある。そのことを忘れないで下さい。あなたが死ぬと悲しむ方がいるんです。まさかまさか、お忘れではないですよね?」
サカイはその言葉に目を細めた。痛いところを突かれたような、そんな表情。こういうことを平気で言ってくるから、コロルゥトのことが嫌いなのだ。
「元気なのか、あの人は」
「あなたのことを常に案じているそうですよ」
「そうか」
サカイは天を仰いで、息を大きく吸った。
「もう少し付き合ってもらっていいか? あの子を無事に家まで帰す。天ノ人が共にいれば親も周りの奴らも話を聞いてくれるだろ」
「僕は問題ありませんが、あなたがそこまでする義理があるのですか? 少なくとも今宵の儀式は止めれたのに」
「俺はあの子の護衛だ。家に帰るまで見届けるのが仕事だよ」
落ち着いた中で改めて見上げると、雲一つない月明かりが綺麗な夜だった。
この町の天ノ教がこれから先どうなるのかは分からないが、失われるはずだった一つの命を救うことはできた。それだけは事実だ。願わくば、この命が健やかに生きていけるような、そんな教えに変わっていけばいい。
夜空を十分に眺めてから、サカイは少女に向かって手を振った。気づいた少女が駆けてきて、サカイの後ろにつく。
サカイを先頭に、少女を挟むようにして、三人は儀式の場から離れていった。後にはただ、穏やかな月夜だけが残っていた。
天ノ血―傭兵サカイは依頼とともに永遠を生きる― 泡沫 希生 @uta-hope
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