薄桃の天ノ人

 現れた天ノ人あまのびとの男を見て、ジビキはパンと手を叩いた。


「こいつだよ!」


 サカイは目の前の男を見ることもなく、


「俺は他に用があるから帰るわ」


 そう告げると、その横を通り抜けて帰ろうとしたが、当然のごとく天ノ人はサカイを引き止める。


「サカイ、あなたは天と地の隔たりを埋めるために我らの願いを叶えているのでしょう。どうかどうか、僕の依頼を受けてはくれませんか」

「あんたも懲りねぇな。俺がこんだけ避けてるってのに、いつも色んな手を使って俺に依頼を受けさせようとしやがって」

「僕の手には余るからこそ、いつもあなたに助力を頼んでいるのですよ。お願いします」

「他の調節役に頼め」

生憎あいにく、この地域で動ける天ノ人は今、僕しかいないのです。ね、だから頼みます」


 天ノ人は、ジビキに笑みを向けた。


「あなたはサカイの友人でしょう。どうか、説得してくださいませんか」

「そう言われてもな。こいつ、頑固な時は頑固だぞ」

「ええ、よく存じ上げております。長い長い付き合いですので」

「ところで、お前さんの名前は? この前聞き忘れたんだが」

「これはこれは失礼を。チ=コロルゥトと申します」


 コロルゥトはもう一度頭を下げた。


「コロ……、天ノ人さんの名前は変わってんなぁ。そうだ、あと一つ聞きたかったんだが、どうやって、このジビキの店を突きとめた? この店にたどり着くのはそんなに簡単なことじゃないはずだ」

「僕たちには僕たちなりのやり方がありましてね。天ノ人からすれば、そう難しいことではありません」

「はは、なるほどな。俺の情報の集め方と同じで、お前さんもやり方を教えてはくれねぇということか」


 ジビキは曖昧にされたことを残念がる様子はない。楽しそうに話を続ける。


「ふふ。ジビキさん。そういうあなたの名前は、通称ですね?」

「ああ、そうだ。なんでも知ってるの情報屋『ジビキ』ってな。先代から受け継いだ名だ。表にはできねぇ情報も扱ってるからな、本名なんざ名乗れねぇのよ」


 ジビキの説明に何度か頷いてから、コロルゥトは思い出したように小さく声を漏らした。


「そういえば、『サカイ』もそうですね」

「それは俺も知ってるぜ。流れ者の傭兵には、それなりにあることだ。珍しくはねぇ」

「あなたはなぜ、彼がサカイと名乗っているのか気になったりはしませんか? 本当の名前を知りたくはないですか?」

「おい!」


 サカイはコロルゥトをにらんだ。対して、コロルゥトは怪しげに笑みを返すだけ。


「知りたいとは思わねえ。この仕事で食ってるとわかるが、本当に、人には色々あるからよ」

「では、あなたがそうでも、僕が言いたいので教えて差し上げます」


 今度のサカイは睨むだけでなく、コロルゥトを止めるように彼に迫った。


「本当の名前を言ってほしくないのなら、口で言ってはいかがですか、サカイ」

「お前な……!」

「こうしましょう。サカイ、あなたが協力してくれるのなら、お望み通り黙ってあげます」


 それを聞いて、サカイは舌打ちをする。


「だから、お前は嫌いなんだよ」

「それはそれはよく存じ上げています。それで? どうされますか」


 サカイは苛立たしげに拳を握ると、


「ジビキ。今回の情報料はどのくらいだ」


 事態を見守っていたジビキに話を振った。ジビキには、天ノ人からの仕事の情報を提供してくれた場合でも、情報料を払うことにしている。


「ああ、別にいい。天ノ人さん自らここに来ちまったしな。この人の頼み事が終わったら、俺の晩酌に付き合ってくれればそれでいいぜ」

「ありがとよ」


 ジビキに頭を下げ、サカイは改めてコロルゥトに鋭い目を向ける。


「早く要件を言え。すぐに終わらせてやる」

「これはこれは頼もしいお言葉ですね。では、まずはこの店から出ましょうか」

「先に行け。別に逃げたりしねぇからよ」


 にこやかに首肯すると、コロルゥトは先に店から出ていった。


「ジビキ。一つ覚えていてくれ」

「ああ? 何だ」

「あいつは調整役だ。天ノ人で、俺らと変わらない格好をして武器を持ち歩いてれば、ほぼ間違いなくそうだ」

「調整? なんのだ」


 サカイはそれには答えずに、ジビキに要点のみを伝える。


「天ノ人は普通地ノ人ちのびとを傷つけない。だからこそ、天ノ人は地ノ人に襲われるわけだがな。でも調整役は違う」

「まあ、確かに、珍しく武器を持ってるわけだもんな」

「あいつらは神から許されている」


 サカイの声はいよいよ真剣さを強めており、ジビキはその様子に眉をひそめた。いったい、何を伝えようとしているのか、見極めようとしているのが伝わってくる。


「調整役は唯一、地ノ人を殺すことが許されている天ノ人だ。特に、コロルゥトあいつには気を許さない方がいい。傍目にはそう見えないが、天ノ人の中でも珍しく、あいつは平然とそういうことができる奴なんだ」

「なあ、サカイ」


 重い口調で、ジビキは言葉を紡ぐ。


「俺のことを思って忠告してくれるのはありがたいが、そんな事言われると、余計気になっちまうだろうが。なんで、お前さんがそんなこと知ってるんだってよ」

「俺はただの変わり者だよ。この先も、これからも。少なくとも今はそのつもりだ」


 そこまで言うと、サカイはようやくいつもの軽い笑みを浮かべ、ジビキが座る書斎机の後ろにある小さな扉を指差した。その向こうは、ジビキの私室になっていて、二人はよくそこで酒を酌み交わしている。


「うまい酒を用意して待っててくれ。今日中に終わらせる」


 言い置くと、サカイは勢いよく入口の扉を開けて店から出ていく。その背で、三つ編みにされた薄紫色の髪がふわりと揺れた。

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