天罰が下る時

 サカイが宿屋の裏口を見ていると、頭巾を被ったコロルゥトが出てきて空に向かい手を振った。

 その瞬間、薄雲のかかる夕空から雷が宿屋に落ちてきて、商業区全体を貫く轟音を響かせる。その音を聞いて、人々がどんどん集まってきた。

 サカイは、少し離れたところにいる宿屋の従業員に顔を向けた。彼らは、落雷で燃え始めた宿屋を狼狽うろたえながら見つめている。その中の一人が、宿屋に戻ろうとするのをサカイは駆け寄って止める。


「もう間に合わねぇ」

「そんな……!」


 木でできた宿屋だ。火が回るのが早い。サカイならともかく、普通の地ノ人ちのびとが飛び込むのは無理だ。


「さっきの音聞いたか?」

「落雷だよ!」

「宿屋が燃えてる!」


 集まってきた人々がそれぞれに騒ぎ立てる声が、通りを埋めつくしていく。

 念のため宿屋の他の場所も出来る限り調べたが、そこに薬はなかった。地下への入り口が隠されていたことを考えると、薬の隠し場所として宿屋は利用されていただけに違いない。そう結論づけたコロルゥトから、この件に関係ない従業員は救うように言われ、サカイは彼らを外に誘導していた。石を投げたことを利用し、その犯人を見たと言うことで、彼らの気をどうにかひくことができた。

 その間に、コロルゥトは地下に火をつけると言っていたが、まさか雷まで落とすとは。

 『天ノ人あまのびとは、我らを天から常に見下ろし、我らに恵みの雨と恵みの陽を時にあたえ、時に我らを苦しめる荒天を与えん』という伝承通り、天ノ人は本当に天候を操ることができるが、コロルゥトがここまでするとはサカイもさすがに少し驚いた。

 サカイは騒ぎの中、コロルゥトがどこにいったのか辺りを見渡した。天ノ血あまのちの匂いを感じ、そちらを見ると、コロルゥトと思われる影が、宿屋とは反対方向に消えていく。その足は素早く、誰かを追っているようにうかがえる。サカイもすぐにその姿を追う。宿屋のことで頭がいっぱいなのだろう、従業員たちが追ってくる気配はなかった。

 コロルゥトは入り組んだ裏道の奥で足を止めた。サカイが身を隠しながら奥の方を目で追うと、やはりコロルゥトとは別に誰かがいる。


「な、何だお前は? 私の後を追って」


 その地ノ人の男は生地の良い上着を羽織っていて、見たところ商人のようだ。その顔は酷く慌てていて、もしかするとくだんの商人なのかもしれない。

 商人が「おい!」といきなり叫んだかと思うと、道の両脇に佇む壁を越え、屈強な男二人が突然現れた。

 しかし、コロルゥトは予期していたのか、抜いた剣でその男たちを素早く切り捨てると、剣の血を拭うこともせず商人に近づいた。その拍子に、コロルゥトの頭巾がとれ、彼の白い肌と薄い髪色が顕になる。


「あ、天ノ人……? なぜだ! お前たちは人に危害を加えないはずだろう! ま、まさか、薬を隠していた宿に雷を落としたのもお、お前かっ?」 


 商人は、コロルゥトから離れながら声を震わせ荒げた。その目が、転がっている部下を見つめる。どう見ても二人はすでに事切れている。


「多くの天ノ人はそうですね。でも、僕のように、許されている者もいるのですよ」

「何を」

「何事も行き過ぎてはいけません。崩れた調和を調節するために、僕のような天ノ人はいるのです」


 コロルゥトは懐から取り出したものを地面に向かって投げつけた。それは、焼け焦げた何かのようだ。


「薬は全て燃やしました。後はあなたが、これから先も薬を作らないと約束をしてください。これ以上、天ノ血を使った薬による犠牲者を増やさないと」

「あ、天ノ人なら知っているだろう! お前たちの血にどれだけの価値があるのか! だが、多くの人間は血の毒を恐れ、飲もうとしない。だから、私が薬に変えて」

「なるほど、あなたの考えはよくよくわかりました。――神が与えて下さったこの血を汚すとは。冒涜者が」


 それは、今日コロルゥトが放った中で一番冷たい声だった。どんな感情も含まれていないかのようにただ冷たい。


「死を持って詫びなさい」


 見事な剣技だった。真っ直ぐ、商人の体に当たった剣撃は、あっけなく彼の体を切り裂いた。血が舞い、商人の体は地に倒れ伏す。

 コロルゥトは動かなくなった商人を眺めてから、何事もなかったように商人のまとっていた上着を取ると、剣に付いた血を拭き始めた。


「ここまでやる必要はあったのか」


 サカイはその背に問いかけた。コロルゥトは彼がいることに気づいていたのだろう。驚くことなく言葉を返す。


「たしかに、他の天ノ人はこのような行いを忌避するでしょう。でも、僕はそうは感じません。そもそも、だからこそ、僕は他の天ノ人があまりやりたがらない調節役をやっているのです」


 剣を元に戻すと、コロルゥトは商人の顔を隠すように上着をかけた。


「思うに、地にもあなたのような者が必要ですし、天にも僕のような変わり者が必要なのですよ。でなければ、神は僕たちのような存在があることを許しはしないでしょう?」

「神、ね。俺のことは許してねぇと思うけどな。俺はあんたとは違う。本当の意味で変わり者なんだからよ」

「そんなこと仰らないで下さい。あなたにいつも天ノ人は助けていただいているのですから。申し訳ないとも思っています。力がないから、僕たちはあなたを頼るしかない」


 コロルゥトは話しながら、珍しく悲しげに顔を歪めた。


「仕方がないことではあるのですが。僕らが力を持てば、過ちを繰り返してしまいますから」

「過ち……お前は一体をしてるんだ?」

「さぁてね」


 コロルゥトの声が、柔らかなものに戻る。


「さてと。僕からあなたに頼みたいことはもうありません」

「なら、あんたの依頼はこれで終わりだな」

「ええ、ありがとうございました。さようなら、いずれいずれまた会いましょう」

「そのいずれが、何十年も先であることを祈ってるよ」


 コロルゥトはその返事に気分を悪くすることもなく、くすくす笑うと立ち去っていった。

 残されたサカイは、深く息を吐いてから商人たちを眺めた。ここまでやれば、たしかにしばらくの間同じことをやろうとする者は現れないだろう。クラージュは人の多い都市だ。怪しい薬を売っていた商人が、不審な死を遂げたことなどすぐに広まる。宿屋のことと合わせ、天から裁きが下ったと騒ぎになるに違いない。

 だが、宿屋にいた無関係の従業員はこれからどうしていくのだろう。事件について何も知らないのだから、唐突に宿屋が燃え、加えて宿屋の所有者が殺されたことを知れば、自分も殺されるのではと思い恐ろしいだろう。そのうえで仕事も失ったことになる。

 コロルゥトはそこを考えていない。地で生きるというのかどういうものなのか、本当の意味で分かっていない。あくまで、彼が動くのは天ノ人のためなのだ。

 血のことを抜きにしても、やはり天ノ人と地ノ人には隔たりがある。サカイが地ノ人と天ノ人、どちらとも関わるたびに思うことだった。

 気を取り直すように深く息を吸ってから、サカイは、誰かに見つかる前にその場を離れた。

 表の道に出ることなく細い道を歩き続ける。商業区から離れ居住区に入り、そのままジビキの店を目指した。

 ジビキの店に近づく度に、喧騒は収まっていく。やがて、サカイがジビキの店の前まで戻って来る頃には、周囲には静かな空気が流れるのみになった。

 サカイは店の前に立つと、決められた回数分扉を叩いた。間を置かずに扉が開けられ、ジビキが姿を現す。

 「待ってたぜ」とサカイを招き入れつつ、ジビキは私室に続く扉を指した。その手には、上物と思われる酒瓶が握られている。二人は私室に入り、そこにある小さな机に向かい合って座った。


「そんで、薬の調査はどうだった?」


 置かれたさかずきに酒を注ぎながら、ジビキはまずそう尋ねてきた。


「さすがは情報屋だな」

「はっ、裏で正体が怪しい薬があると言われてたからな。天ノ人さんも『商業区で起きた事案』と言ってたから、その件じゃないかと思ったまでよ。建物ごと燃やしちまうとは、お前さんの言う通り、怖い天ノ人もいたもんだ」


 さすがの情報の早さだった。もしかしたら、コロルゥトから伝え聞いただけのサカイよりも、この件について詳しいかもしれない。


「本当は分かってるんだろう。俺のことも」


 サカイは酒をつぎながら、零すように言った。ジビキは、一瞬驚いたのか目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべてみせる。


「そりゃま、情報屋だからな。けど、お前さんも必要以上に隠してるわけでもねぇだろう? 正直、お前さんの見た目は目立つぜ」

「こうして生まれた以上、隠すも何もねぇ」

 

 サカイは薄紫色の髪に手を触れる。


「だったら、何であんなに嫌がったんだ? 本名がバレることを」

「あまりにもからな。嫌いなんだよ、自分の名前。『サカイ』がちょうどいいんだ。この名を名乗りすぎて、『サカイ』こそが本当の名前のような気もしてる」

「はは、ったく、お前さんらしい」

「うるせぇ」


 サカイは返しながら、酒を一口飲んだ。ジビキもそれにつられたのか、一口、二口と飲む。


「おい、飲みすぎるなよ。また、あんたの愚痴を聞かされるはめになるのはゴメンだ」

「おう、わかってるよ。お前さんこそ酔わねぇからって、いっぱい飲むなよ。せっかくの良い酒なんだからよ」


 他愛のない会話を続けながらも、二人の飲む手は止まらない。

 この晩酌が終わったら、今度こそ傭兵の仕事を提供してもらおうか。そんなことを考えながら、サカイは酒をまた一口飲む。

 そこで、ふと、この前ニトウェに言われたことを思い出した。少しでも意味があるのならば、自分の生き方をやめるわけにはいかない。なら、サカイに少しでもできることがあるならばそれをしたほうがいいはずだ。

 サカイは思いつくと、従業員を募っている宿屋がクラージュにないのか、ジビキに尋ねるために杯を置いた。








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