三 境ノ子

数十年前のこと

 白日の下、盗賊の一人が短剣を構えて突進してきた。サカイも向かいうつように駆け出すと、すれ違いざまに攻撃をよけ、手にした剣で盗賊の肩を斬りつける。

 盗賊は声を上げ短剣を落とした。その隙をついて、サカイは相手の上半身を断つように剣を走らせる。真っ赤な血が草の上に降りかかり、盗賊の体がその上に倒れこむ。ビシャッと血が派手に跳ねた。

 同じような戦いの光景が、サカイの周りで幾つも展開されている。ここは高地にある街道で、舗装された道の周りは草で覆われているが、その緑は今、赤で汚されようとしていた。


 サカイは他の傭兵とともに、小さな商隊の護衛についていた。

 この街道はその下に林がすり鉢状に広がっているが、林が広がる反対側には街道を見下ろせる高台もある。街道からは林も高台の様子も窺いにくいために、この地域ではそれなりに知られた難所だった。

 ここを通る旅人や商隊が何度も盗賊の被害にあっており、今回の商隊もそのためにサカイたちを雇った。

 仕事を受けた際、このような場所をそもそも通らなければよいのではないかとサカイが聞いたところ、この街道は大都市クラージュと彼らが目指す地方都市を結ぶ街道の中で、唯一荷馬車でも通れる道幅があるのだという。

 馬車を諦め、徒歩で行けば安全な道はあるにはあるが、商隊としてはクラージュで手に入れた珍しい品を、速くかつ多く、地方の小さな都市に運べた方が効率がはるかに良い。

 特に、今回は春の季節ならではの品を多く仕入れている。その中には、運送が速ければ速いほど値が張る新鮮さが売りの物もあるため、危険と利益を天秤にかけ、商隊はこの道を通ることに決めたのだった。


「ったく、案の定かよ!」


 違う盗賊を相手にしながらサカイは吐き捨てる。

 街道の中間地点を過ぎた頃、盗賊たちが奇襲をかけてきたのだ。サカイたちが気づくのと、二台ある馬車の内の一台が攻撃されたのが同時だった。

 こちらの傭兵がサカイもいれて五人に対し、相手は三十人は超えている。多すぎる。無事な荷馬車を守るだけで手一杯だ。攻撃された馬車は馬が足をやられているようだから、動かすことは難しい。

 このまま防戦するか、一台は諦めて置いていくか。決断が迫られている。盗賊たちの目的は品物なのだから、一台を置いて逃げればそれ以上は追ってこない可能性が高い。

 何より数の不利を考えれば、戦いは長引くほどサカイたちにとって悪い方向に傾く。

 サカイたちは出立の前に、まとめ役となる傭兵を話し合って決め、ある程度作戦も話し合っていた。この場合は、とサカイが考え始めた時だった。


「一は捨てる!」


 不意にまとめ役の傭兵が叫ぶのが聞こえた。

 その意味は、一台の馬車は捨てもう一台のみを守って逃げる。話し合いで決めた通り、動けない馬車の近くにいた商人たちが素早く、無事な馬車に向かって移動し始めた。

 サカイは相手をしていた盗賊の剣をはねのけると、その腹に向かって蹴りを食らわせる。地面に倒れたのを見届けてから、移動を始めた商人たちの防衛に向かおうとした。

 盗賊側もサカイたちの動きに気づき、無事な馬車の方も足止めしようと、人出をそちらに集めようとしている。可能ならばどちらの馬車も欲しいのだろう。

 商人が一人また一人と、動ける馬車の中に入っていく。馬車を動かす準備も仲間が始めている。

 サカイはその時、ある商人が動けない馬車から離れていないのに気づいた。出立前、サカイにも気さくに話しかけてくれた、薬草を扱う商人だ。


「おい! あんた急げ!」

「待ってくれ。これを取らないと」

「最悪荷物は置いていくと話し合っただろうが!」


 そこでサカイは言葉を切る。その商人の後ろに、盗賊が一人迫っているのが見えたからだ。


「屈め!」


 叫びに応えるように、商人は屈む。盗賊の剣が空を切る。

 サカイは全力で駆けつけ、再び斬りかかろうとしている盗賊に向かって剣を振った。

 盗賊はサカイの剣先をどうにかよけた。そのままサカイを狙うように構え直し、剣を振り上げてくる。しかし、不意に笑ったかと思うと腕の動きを止めて、サカイの横で屈んでいる商人を素早く蹴り飛ばした。


「な!」


 サカイはとっさに商人の腕を掴み、商人が街道下の林に落ちるのを防いだ。不安定な体勢を支えるために、右手の剣を地面に刺す。

 商人は片手に小さな皮袋を持っているらしく、自分の体を自力で上手く支えることができないようだ。この期に及んでも荷物を優先するとは。サカイは呆れつつもその手を離すようなことはしない。

 他の盗賊たちもサカイの方に寄ってくる。大方、サカイとこの商人を捕らえて、商隊との取引材料にでもしようというのだろう。珍しい話ではない。

 サカイは、追い詰められたような焦った顔をわざと浮かべた。こちらに少しでも敵を引き付けられれば、馬車が逃げられるはずだ。


「坊っちゃん、どうした? まだまだこんな闘いには慣れてねえか?」


 坊っちゃん――サカイのことを見た目通りの若く不慣れな傭兵だと、嘲笑っているつもりだろうが、サカイはすでに五十年は生きている。このような窮した場面は幾度も通り抜けてきた。

 それでも、サカイは「坊っちゃん」を演じ、商人のことを気にしながらゆっくりと剣を納めてみせる。商人を掴んでいる手に、空いた右手を重ねる。サカイの視界の端で他の仲間たちが馬車を走らせ始めた。


「いいのか! お前ら、仲間が死ぬぜ!」


 寄ってきた盗賊の一人が、走り始めた馬車に向かって声を荒げると、他の盗賊たちもつられて馬車の方に視線を向けた。サカイが諦めたものだと思いこんでいるらしい。

 事前の打ち合わせで、このような状況に陥った場合、人数が多い方の安全を優先すると決めている。故にあの馬車が止まることはないが、だからといって、サカイには商人を見捨てる気はなかった。

 盗賊たちの気が逸れたのを見るやいなや、サカイは商人をどうにか引き上げ、その体を守るように抱えると地面を強く蹴った。


「歯を強く噛め!」


 サカイの言葉とともに、二人は下に広がる林に向かって勢いよく滑り始めた。

 何やら盗賊の怒号が聞こえたが、それもすぐに消え、サカイの耳に届くのは自らが勢いよく滑り落ちる音だけになる。

 サカイが下敷きになるように落ちているため、サカイの体には商人の体重と落ちる衝撃の両方が襲いかかった。

 肋骨か背骨か、衝撃と圧迫でどこかの骨が何度か折れたようだった。折れたところでサカイの傷はすぐに癒えるものの、その度に激痛が走る。

 やがて、サカイの視界が暗くなった。林の中まで落ちてきたらしい。すると、


「くうっ!!」


 サカイの背にすさまじい衝撃が走った。幹に背を叩きつけたようだ。今度は、サカイの耳にもはっきりと背骨が折れた音が聞こえた。

 サカイはそのままじっとして、痛みに耐えてから、ようやく己の体が止まっていることを認識した。同時に、三つ編みをしていたはずの髪がほどけていることに気づく。滑り落ちる時に髪が切れてしまったらしい。


「おい、あんた、生きてるか?」


 声をかけても商人は答えない。ここまでしたのだから、生きていてくれないと困るのだが。

 サカイはゆっくり上半身を起こし、商人の体を離した。商人は丸くなったまま動かないものの、その手は変わらず皮袋を強く掴んでいる。

 サカイが顔を確認すると、商人は放心している様子で、いきなりのことで頭が追いついていないだけのようだ。


「あの衝撃でも、荷物を離さないとはな。よっぽど大事なのかそれ」


 改めて声をかけたところ、商人は身じろぎして何度か瞬きをした。

 自らの荷物を確かめてからサカイを見つめる。こうして改めて顔を合わせると、商人は四十代ほどに見える。真面目そうな男だった。


「おい、おっさん。怪我はないか?」

「き、君は大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。じゃなかったらあんたに声を掛ける余裕なんてねぇだろ」

「だが、君はさっき骨を折らなかったか? 太い骨を折ったような、そんな鈍い音が確かに聞こえたんだが」


 サカイはそれを聞いて、立ち上がった。考えるように薄紫の髪に触れ、髪に指を通して状態を確かめる。髪は幾分か短くなったくらいで済んだようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る