04 王女の外出 -2-
メフィストの手を借りなくてもスノウフレイクのいる泉まで会いに行けるようになるまで三日もかからなかった。
安静に、と指示されていてもじっとしているのが落ち着かなくて、小屋の周りをぐるぐる歩き回ったり、物見台に上ってもくもくと黒雲が立ち上るエルナト山を眺めたりするベアトリスを見て「あんたって体力落ちてても元気なんですね」とメフィストは呆れたように言った。
ある日、メフィストが大きな鞄に、紫色の液体がたっぷり詰まった瓶や枯草の束など、小屋の中に雑然と置かれていたがらくたを押し込んでいるのを見かけた。
「何をしているんだ?」
「日用品が足りなくなってきたんで調達に。婆さんが死ぬ前に調合してた薬と、俺が追加で精製したのを売って、野菜とか牛乳とか分けてもらって来ようかと思いまして」
「薬、ってその枯草か……?」
「ふふん、ただの枯草じゃないんだな、これが。【魔女の薬】はそれなりに価値あるんですよねえ」
得意げなメフィストのようすが気になったので、一緒に行っていいか尋ねると「つまんないですよ」といつになく渋った。
「買い出し……いや、調達に行く、って言っても森のすぐ近くの、なーんもないド田舎の村なんで。王都の市場なんかとは比べものになりませんよ。王女殿下の気に入るようなものなんてないと思いますけど」
「行ってみたい」
困惑するメフィストを食い入るように見つめ、ベアトリスが力強く主張を続けたところ折れたのはもちろんメフィストだった。
「……わかりました、わかりましたから。その仔犬みたいな瞳でこっち見ないでもらえますかねえ? それから……ちょいと変装でもしましょうか。あんた目立ちますから」
メフィストはごそごそとクローゼットから女性ものの服を取り出してきた。淡い紫のショールと、灰色の飾り気のないドレスだ。試しに袖を通してみたのだが、サイズが合わなかった。服の持ち主は小柄な女性だったようで、ベアトリスには丈が短すぎるのだ。
着替えが終わった、と小屋の外で待っていたメフィストを呼ぶ。すると頭をがしがし掻きながらベアトリスを眺め、考え込んでしまった。
「……うーん、村で古着でも貰えないか訊いてみましょうかね。倒れたときにあんたが着てたのは血まみれなうえにぼろぼろだし、婆さんのだとさすがにちっさすぎるよなあ」
焔のように明るい赤髪を隠すようにベアトリスの頭にショールを巻き付けると、メフィストがさっと手を取った。
「もう手を引いてもらわなくても転ばないが」
「いやいや、迷ったら大変じゃないですか」
村までの道を知らないのは確かだが、ベアトリスは子供ではない。
過保護すぎるのではないか、とメフィストに何度か訴えたのだが聞く耳を持たなかった。近頃通ってなかったからな、とぼやきながらメフィストは背の高い草を搔き分けながら歩きだした。
天を覆うように木々の枝葉が伸びているが、碧を通した陽光がゆらゆらと足もとに影を描いている。最初はただ「暗い森」としか思わなかったが、過ごす時間が増えるにつれて認識が変わりつつある。エルナト山から舞い落ちる灰は黒い雪のようで、幻想的だ。おそらく此処が【黒雪の森】と呼ばれる由来でもあるのだろう。
「……悪くないところでしょう?」
「おまえ、心が読めるのか」
さすが悪魔なだけあるな、と感心していると「まだ言ってたのかよ」とメフィストは嘆息した。
調査部隊が発見した何者かが通行した痕跡、というのはやはりメフィストが作った道だったようだ。
案内どおり進んだおかげで、昼前には森に隣接する村までたどり着いた。そういえばなんとなく見覚えがある――どうやら、【黒雪の森】へ入る前にベアトリスたち調査部隊が情報収集もかねて立ち寄った場所のようだ。念のためショールを引っ張り上げ、口元まで覆い隠す。
「おーい、メフィスト!」
顔なじみらしき住民が気付いて手を振っているのを見て、メフィストの表情が緩んだ。
「久しぶりじゃないか。別嬪さん連れてどうしたんだい?」
「ああ――こいつはうちの居候でね。村に来てみたい、って言うから連れてきたんですよ」
話しているうちにわらわらと人が集まって来た。戸惑っていると、農具を担いだ男がベアトリスの顔を見上げた。
「それにしてもでっけーな。並んで立つとおまえら同じくらいの背丈じゃねえか? このあたりでこんな背の高い女見たことねえぞ……メフィストのコレかい?」
「やだなヤコブのおっさん、そんな、じじいみたいなこと言っちゃって……あ、もとからじじいでしたね」
「うっせえな!」
どっと大きな笑いが起こる。村に住んでいるわけでもないのに、メフィストは彼らに好かれているらしい。
会話に入ることもできずぼうっと眺めていると、いきなりぐいと肩を引き寄せられた。メフィストが纏う、甘みと苦みが混じりあった独特の香りにあてられ、くらくらした。
「あのなあ、『アリス』はあんまりこういうノリ、慣れてないんですから、あんまり冷やかさないでくださいよ? ……いま頑張って、口説いてるとこなんですから」
口笛を吹いたり手を打ち鳴らしたりしてはやし立てる村人の視線から隠すようにベアトリスを自ら着ていた外套でくるんだ。
中から「アリスってなんだ」とくぐもった声で尋ねれば「偽名です」とメフィストは悪びれもなく言い切った。王女殿下、なんて人前で呼べるわけないでしょ。ひそひそと会話を交わしているあいだも鼻腔をくすぐるにおいに、ベアトリスはどぎまぎした。
「あぁ、アリス……俺のスウィートハニー! あんたのためにカッコいいとこ見せてやりますよぉ!」
これも村人の注意を惹くためのパフォーマンスだったようで、ベアトリスがメフィストの外套から解放されたときには先ほどの倍ほどの村人が周囲に立っていた。ちょっとしたお祭りか何かのように盛り上がっている。
小声で「話、合わせてくださいよ」と耳打ちされたので、視線を合わせ「任せろ」と頷く。
「メフィストは、そうだな……料理がすごく上手いぞ。それからすぐに手を握ろうとするんだ」
このすけべやろう! メフィストは飛んで来た野次をぱっぱと手で払いのけるような仕草をした。
「……あぁとにかくそういうわけなんで。彼女にいいとこ見せたいですし早速始めさせてもらいますかねえ――ジェシカんとこのチビ、最近寒くなって来たし咳が酷いんじゃないですか? そんなときにはコレ! 黒林檎の蜜漬け……魔女のレシピどおりに作ってるから、効き目は保証しますよぉ」
メフィストはジェシカと呼ばれた女を手招きすると小瓶を渡し、引き換えにかご一杯の野菜を受け取る。
集まった村人たちに、鞄いっぱいに詰め込んできた謎の液体やら枯草の束やらを次々に手渡し、欲しい日用品を交渉して手に入れていく。あっという間に持参した物品はなくなり、交換を終えてしまった。
手に入れたのは食材関係が多かったが、その中にはベアトリスの丈に合いそうな衣服もあった。男物ではあったが大して問題はないだろう。人の波が引くと先ほど咳止めの薬を受け取ったジェシカが、小さな男の子の手を引いて近づいてきた。
「ねえメフィスト――『魔女』さん、気の毒だったねえ」
「どうも。長生きだったからなあ、いくらなんでも寿命ですよ。ジェシカが気にしてくれていまごろ喜んでると思いますよ」
ひねた物言いではあったが、メフィストの声音には近しい相手に向ける親愛の情が滲んでいるような気がした。「魔女」はメフィストにとって大切な相手だったのだろう。
「だといいけどねえ……それに視察だか何だかに来てたベアトリス王女様も、この森で亡くなったって言うじゃないか。どうにも不幸が続いてるからさ、この村で今夜、『花流し』をするんだ。そうだ、あんたたちもおいでよ」
とうの王女は目の前にいるのだが――メフィストが意味ありげな視線をこちらに向けてきたが、ベアトリスは表情を変えなかった。
「……花流し、とはなんだ?」
「おや、お姉さん知らないのかい? このあたりじゃ有名な風習なんだよ」
ジェシカが、ねえ、と傍らの息子に話しかけると「うん」と首を縦に振る。
「いっぱい! お花流すの!」
「そうか、流すのか」
屈んで視線を合わせると男の子はもじもじしながら母親の背後に回り込んで隠れてしまう。
「もう、恥ずかしがっちゃって。『夜香花』って、このあたりにしか咲かない花があるんだけどね。その名のとおり夜に花が開くんだよ」
「ふむ、そんな花があるのか。植物図譜では見たことがないが」
想像を膨らませていたベアトリスに、男の子が「いいにおいなの!」と叫んだ。
「そうか、いいにおいなのか。メフィストもいいにおいがするぞ」
「は……? あんた子供相手に何を張り合ってるんですか」
見せつけてくれるね、とジェシカはくすくす笑っている。
「この子の言うとおり、『夜香花』はそれはもう、甘くて、強い香りを放つんだ。昼間は見つけにくいけど、夜になれば森の中にも沢山生えてるのがわかるはずさ……ほら、死者の国、っていうのは流れる川の果てにあるっていうだろ? 『夜香花』をみんなで流してやって、死者の魂が迷わずに冥界にたどり着けるように願いを込める風習だよ」
別れぎわ、男の子からそっと手渡された花は萎れていたが、微かに甘い残り香があった。
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