07   王女の方針

「王都に行ってみようと思うんだ」


 街道脇の木陰で馬を休ませているとき放たれたベアトリスの一言に、メフィストは口に含んでいた水を勢いよく噴き出した。

「あ、あんた……いまなんて言いました……?」

「とりあえず王都のようすを見てみたいと、そう言った」

 

 村でメフィストが騎乗するための馬を借り受け、旅支度を整えた二人が【黒雪の森】を発って二日ほど経過した頃である。


 グリティア王国の領土は南端にある王都を起点に扇形に拡がるような地形となっている。【黒雪の森】がある北部地域はイェーツ辺境伯領であり、隣国であるフィーレント神聖帝国の侵攻に対する防衛の拠点となっていた。


 多くの街道が交わるシュルーガ平原を南下するルートを取っていたため、王国南西部に向かっていることは察していただろうが、ベアトリスの告白にメフィストはぎょっとしていた。目的地の見当はついていたとしても実際に告げられてしまうと困惑を隠しきれないらしく、眉をひくつかせている。


「まさかとは思いますが……名乗りを上げるつもりなんですか? 自分は生きてるって。城に戻って殺そうとした人間を処罰するつもりです?」

「いや、そのつもりはないが」

「じゃあどうしてそんな危険な真似をっ」

 メフィストは頭を抱えた。


「今頃、王都では私の葬儀が行われている頃だろう」

「……あの、ベアトリス王女殿下ご本人を前にしては非常に言いにくいんですが、あんたが死んだとされてからだいぶ経ってると思いますけどねえ」


 メフィストの指摘にベアトリスは淡々と答えた。

「王族が死んだ場合、フィーレント聖教の教典に基づいて行われる細かなしきたりがあるんだ――そのひとつとして、死後、百日にわたって魂送りだの清身の儀だのを行う、というものがある。生まれてすぐに死んだ私の異母弟、ダーレンのときもそうだった」

 国王が妾妃の侍女に手をつけて産ませた子供ではあったが、大々的な葬送が行われたはずだ。当時八歳だったベアトリスもよく憶えていた。

 森でメフィストの手厚い看護を受けて休養していたのはおよそ二月と半、とするとまだ間に合うはずだ。


「仮にいま私の魂送りの儀式の最中だとして……本葬、一番大きな葬送の儀式までにはいくらか余裕があると思う。それに私の場合、私本人の死体は存在しないわけだから、身近なものを棺に安置しているだけだろう。腐敗する心配もない」

「どっかの誰かを身代わりに仕立て上げて偽の死体をでっちあげてるかもしれませんけどね」

「……それは考えていなかった」

「そんなことだろうと思いましたけども、ええ」


 ベアトリスのすっとぼけた回答にメフィストは脱力していたが「それなら」とすぐに頭を高速回転させた。

「わかりました、何考えているのかはわかんないですけどわかりました。ですがそのショールだけでは変装として心もとないですかねえ……」

 ベアトリス王女といえば、翡翠の瞳と燃える焔のような髪色だ。【火焔の姫騎士】の名の由来ともなっているこの髪を極力目立たないようにしなくては――恩人であるメフィストの考えは尊重するべきだ。ベアトリスは頷いた。


「よし髪を切ろう」

「待て待て待て」

「ああすまない、短髪にすれば印象が変わると思ったんだが。いっそ剃ってしまった方がいいか?」

「思い切りが良すぎるんですよあんたは!」

 太腿のベルトに挟んでいた短剣を抜いたベアトリスをメフィストは両手を上げて制止した。


「そう簡単には切らせませんよ、その髪は……せっかく綺麗なんですから」

「丁寧に手入れをしてくれているものな……」

 負傷後のベアトリスの面倒を甲斐甲斐しく見ていたメフィストは、ほぼ傷がふさがりつつある現在も彼女の髪を梳き手製のオイルを塗って仕上げ、さらには見栄えよく結い上げるなどの管理をしていた。あんたが自分でやろうとしないからでしょ⁉ と声高に指摘されたが聞こえない振りをする。


「じゃあどうするというんだ」

 むうとベアトリスは唇を尖らせた。

「これも気が進まないですけど、どうしても王都に乗り込むつもりならこれを使います」

 すこし傾ければ茶色の小瓶の中で、とろみのある液体がのっそりと動く。これは染髪剤です、とメフィストが誇らしげに言った。


「とりあえず黒とかどうです? 黒髪に翠眼も悪かないかなーなんて、俺は思うわけですよ」

「おまえの鞄にはなんでも入ってるんだな……」

「ほんとはもっといろいろ持ち出したかったんですけどねえ、あんたが夜逃げしようとするから焦ってたんです」

 メフィストは恨みがましくベアトリスを見遣った。


 メフィストは携行していた水で軽くベアトリスの髪を洗うと、真珠の粒、三つ分ほどを掌に取って延ばしたものを髪になじませる。しばらく時間をおいてから染料を洗い流した。


「おお……」

 すっと差し出された手鏡には、鴉の濡羽色の髪の見知らぬ女が映っていた。

「すごいなメフィスト!」

「時間が経てば色は薄くなっていきますから、もとの赤髪に戻りますよ……まあ一週間ぐらいは保つんじゃないですかね――あんたが好きだっていうから、夜香花の花びらと根をすり潰したものに秘密の成分を混ぜて作ったんですよ」


 髪に塗ってもらっているあいだ「甘い香りがする」と思ったのはそのためだったらしい。すごいを連発していたベアトリスを前に「大したことは何もしてないですからね」と言いながらふいと視線を逸らした。


「もう王都まで一日もかかりませんから、くれぐれも目立つ行動は控えてくださいよ」

「わかっている」

 力強く頷いたベアトリスを見ながらほんとかなあ、とメフィストは独りごちた。

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