08   王女の実力

「無茶すぎるだろ……」

 メフィストはぐったりしたようすで、酒場のカウンターに突っ伏していた。

「何がだ」

「何が、ってあんた全部ですよっ! 少しは動けるようになったからって、自分の葬式見物に行こう、って悪趣味にもほどがありますからね」



 あっさり素性がばれてしまい騒ぎになるのではと懸念していたのだが、城下町には思っていたよりもすんなり入ることが出来た。まったくと言っていいほどに気にもかけられなかったと言ってもいい。門をくぐってすぐにその理由が判明した。


『み、みなさーん押さないでくださいっ、王女殿下の献花台への列はこちら、現在の最後尾は中央広場噴水の北です。白百合を広場の生花店で販売していますから、そちらで一本ご購入願います。ああっご婦人、横入りは禁止ですよ、順番を守ってくださーい!』


 王都パラディオンは王国各地から物見遊山でやってきた者たちで大騒ぎだった。

 ベアトリス王女の献花台への待機列に誘導する声もあれば「スリが横行しているので気を付けてください」と警告する警ら隊の声もそこかしこに響き渡っていた。ちょうど百日目の本葬の日だったらしく、王都の民衆の熱狂は最高潮に達していた。


 それを、少し高いところに登って眺めてみようじゃないか、というベアトリスの唐突な無茶振りに応えるべく、メフィストは鐘楼の鐘撞番の男に急激な眠気に襲われるお茶さしいれを振る舞った。


 高所からの絶景を堪能したベアトリスは、その後、何の未練もないとばかりに塔を下りてしまった。

 そんなベアトリスのようすに違和感をおぼえたのか、すぐに王都を離れようとしていたのをメフィストが「せっかくですし、一息入れて飯でも食いましょうよ」と引き留めたのだ。

 そしていまに至るわけだが――。


「ていうかほんとにこの店で良かったんですか? もうちょいと雰囲気のいい、落ち着いたレストランとかあるでしょう」


 此処にしよう、とベアトリスが選んだのがこの酒場だった。さすがに治安が悪い地域は避けていたが、周りも品のいい客ばかりではない。先ほどからも背後のテーブルでは飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。


 メフィストがこの店での食事を許可したのはこの酒場がちょうど宿屋も兼ねていて、厩にスノウフレイクとメフィストが借りてきた馬を預けらて都合がよかった、というのもある。そうすれば宿探しで街中を不用意にうろつく必要もない。


 きょろきょろと店内を見回そうとしたベアトリスの頭をメフィストは、ぐい、と正面に戻す。棚に並んだ酒瓶のラベルを眺めているだけでも面白く、ベアトリスの好奇心は尽きなかった。


「一度こういう店に行ってみたかったんだ。部下が訓練後に連れ立って飲みに行っていたのを羨ましいな、と思っていて」

「ちょっ、そんなとこ来て殿下……じゃなかった、アリスの知り合いに合ったらどうするんです⁉」


 王都こそ、偽名で押し通さなければならない――慌てて言い直したメフィストをちらと眺めながら、麦酒の入った杯を傾ける。


 王女の象徴とも言える赤髪を黒に染め、若干きつめの化粧を施したベアトリスを【火焔の姫騎士】と思う者はいないだろう。

 元がいいのでもっと薄い方が似合うんですけどね、とメフィストは不服そうな顔をしていたがベアトリス自身は別の自分になったような気がしてわくわくしている。


「責めてるとかじゃないんですよ? 何もかもあんたは考えることが突飛っていうか」

「大丈夫だ、多分。この騒ぎだ……騎士団の皆も休み返上で任務に就いているだろう」

「そう見えてもねえ……抜け目なくサボりに来るやつもいるんですよ」

 そうなのか、とベアトリスは目を丸くする。


「エリート部隊ならともかく第二、第三騎士団ぐらいの連中は程度が低いのも混じってるんです」

「視察に赴いたことがあるが、そうは見えなかったぞ」

「……そらあんたが来てたらどんな不真面目な輩も張り切りますって」


 そういえば、とベアトリスの頭の中にある映像が浮かんだ――夕焼け色に染まる修練場のベンチで、ムラサキトマト、厚切りのベーコンに玉子……これでもかとたっぷり具が挟まれたパンに勢いよくかぶりつき――歯を立てた瞬間、ジューシーな肉汁と、みずみずしい果汁が口の中で混ざり合う至福。


「……サンドイッチ」

「は?」

「美味しかったんだ。視察のときに団員が振る舞ってくれたのが……考えたらお腹が空いてきた」

「すげー食い意地……」

「メフィストが作ってくれるサンドイッチも私は好きだ。あのとき食べたものと負けず劣らずの一品だぞ? 私が保証しよう」

「そりゃそーでしょうけどねっ」

 メフィストはなみなみと注がれた麦酒を勢いよく呷った。


「なあメフィスト、とりあえず席について飲み物はもらったが、どうやって料理を持って来てもらえばいいんだろう……」

「あんた、俺の使い方を覚えてきましたねえ……わかりました、わかりましたよ! おい店主、こっちに何かつまみを作ってくれ! 大盛で頼む」

 あいよ、と威勢のいい返事が返ってきた。


 ちびちびと酒を飲んでいるうちに料理が目の前に「おまちどお」と提供される。

「おお……これは、なんだ?」

「伝統的なつまみですねえ。シュルーガ芋をマッシュしたものにイェーツチーズを掛けてこんがり焼いたグラタン、でこっちは腸詰のグリルに酢漬けのニンジンと、揚げパンペルシュウに生ハム。で、野菜スティックと……あー、もう一杯飲みたくなってきちまう」


 説明を聞いているだけで口の中が未知の美食との遭遇にてんやわんやになっていた。そわそわしながら盛り合わせとメフィストの顔を見比べる。「待て、なんて言ってませんからどうぞ」と皮肉っぽく言われ、ベアトリスは握りしめたスプーンでグラタンを掬い取った。


「~~~っ!」

「わかりやすくていいな、あんたは……」

「美味い! こんなに熱々で、とろとろして、まろやかだ……チーズは食事の合間に出されるものだと思っていたが、こんな調理法があるのか」

「こういう庶民が愉しむ料理は食べ慣れてないですかね。こっちの揚げパンも塩味が効いた生ハムと絡めて食べると美味いんですよ」


 酒と食事を楽しみながら酔いがゆっくりと回っていく。なるほど、だから訓練終わりに騎士たちは仲間と連れ立って出かけていたのか、とようやく腑に落ちた。確かに最高の気分だ。

 それなのに、この多幸感に水を差すものがある。


「……見られてますね」

「ああ、そのようだ。怪しまれているのか?」


 呆れたようにメフィストはベアトリスを見遣る――そして、背後にいる彼女に視線を向けている連中を。二人が居るのはカウンター席の隅で、壁際に隠すようにベアトリスを座らせていた。それにも関わらず、凛とした佇まいやはっきりとした声に自然と注目が集まっている。


 後ろにあるテーブル席にいる男たちがちらちらと此方を見ては下卑た笑い声を上げているのが厄介だ――メフィストは不機嫌そうに頬杖をついた。


「違いますよ。あんたがイイ女だからです」

「メフィスト。私はその手の冗談を好かない」

「冗談じゃないんですけどね。アリスにはそのあたりの危機感が足りてな……」

 メフィストが何か言いかけたとき、ベアトリスの肩が叩かれた。


「おねーさんっ♪ 可愛いねえ、俺らと一緒に酒飲まねえ?」

 酒臭い息がうなじに当たって気持ちが悪い。顔をしかめると、けたけた男たちは笑った。細身の金髪の男、体格のいい赤ら顔の男、頬に傷がある男、長髪の男――全部で四人。


「連れがいる。放っておいてくれ」

「なんだ、このひょろっちい兄ちゃんかい? 髪はやたら派手な優男じゃねえか。あんたみたいな美人にはもったいない……」

「ああ、私にはもったいないくらいのいい男だ。それにおまえたちよりもこいつは強いぞ」

「はぁ⁉ ちょっとあんた何喧嘩吹っ掛けてるんですか、俺は武闘派じゃないんですって」

 そうか、とベアトリスは頷いて席を立った。


「仕方がない。少し相手をしてやろう」

「アリス!」


 私を誰だと思ってるんだ、言いながらベアトリスはメフィストを振り返った。翡翠の瞳がきらきらと輝いている。

「生き生きしてんなあ……」

「近頃、身体がなまってしまっている。ちょうど運動したいと思ったところだ」

「――ま、酔っ払い相手に心配はしてませんけど……怪我直ったばっかなんだから無理しないでくださいねえ」


 ベアトリスは酔客に向き直り、ドアの外を指さした。

「表に出てくれないか、物を壊したら店に迷惑だ」

「なに? さっそくお外で遊んでくれるって? 綺麗な顔してとんだ好き者じゃねえか!」

 男たちを無視して、店主、とベアトリスは呼びかけた。


「な、なあ。あんた悪いこと言わねえから逃げた方が……」

「柄の長いものを貸してくれないか。ああ、そこにある箒がいいな」

 戸惑いながらも渡された箒を片手にベアトリスは酒場の外に出た。店の前の通りを歩いていた通行人たちに少し下がってくれ、と声をかける。


「よし」

 重みを確かめるようにベアトリスは軽く箒を振った。それを見て男たちはげらげら笑っている。

「さっきから何してんだ、姉ちゃん。箒に乗って空飛んで逃げるつもりかよ、魔女みたいになぁ」


 ひゅ、と風を切る音がした。

 素早く回転させた箒の柄が金髪男の後頭部に直撃する――うめき声を上げながら男はその場に倒れた。

「まずはひとり」


 呆気に取られていた隣の長髪男の足を箒で掃く様に引っ掛けバランスを崩す。

 そこにすかさず手刀を叩き込み、腹を押さえながら地面に転がる長髪男の姿を醒めた目で見下ろす。

「ふたり」


「てめえ、女と思ってなめてればふざけやがって!」

 拳を振り上げ向かってきた大柄な男を一瞥する。その前に――くるりと回転し、背後から忍び寄って来ていた傷のある男を勢いよく箒で殴りつける。

 ばき、と箒の柄が真っ二つに折れたので、邪魔だとばかりに地面に放り投げる。

「ひ……」

 傷のある男がベアトリスの剣幕に怯んだところに膝蹴りを食らわせた。


「背後を取るのは作戦としては悪くない。だが気づかれないようにすみやかに行うのが鉄則だ」

 遠巻きに眺めていた人々が手を打ち鳴らし、口笛を吹いて囃し立てる。

 すかさず眼前に迫っていた正面の大男を見据える。


 大きく振りかぶり、繰り出された拳をかすかにしゃがんで躱す。その隙をついて急所――股間に鋭い蹴りを叩きこんだ。


 夜の王都パラディオンに、大男の悲痛な叫びがこだました。


「瞬殺、でしたね……ちょっと気の毒だけど、手ぇ出していい相手かどうかは見極めた方が今後のためだぜ、あんたら」


 地面に倒れた男たちの中でまだ意識がある者が、怯えた眼でベアトリスを見るので、メフィストが代わりに近づいていって話しかけた。


「ひ、ひぃ……す、すみませんっ、すみませんでした!」

「ほれ」

「……へ?」

「もう、帰んだろ? 飲み代置いてきな。代わりに店主に渡してやるから」

 

 自分と仲間たちの懐から財布を取り出すと「これで勘弁してください」と押し付けるように渡す。桶一杯の水をぶっかけて意識を取り戻した男たちは互いに支え合いながら、逃げるように店の前から姿を消してしまった。


「すまない、箒が折れてしまった」

「いや、それは構わねえが……」

「おーい、おっちゃん。迷惑代も兼ねた飲み代ってことでこれもらったぜ」


 メフィストが男たちから徴収した財布を押し付けると、店主は目を見開いた。

「おっと、こりゃ驚いた……よーし、こっちの勇ましい姉さんのおごりだ、みんな一杯飲んでいきな!」


 夜の酒場に、大きな歓声と杯をぶつけて乾杯し合う陽気な歌声が響き渡った。

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