02   王女の蘇生

 すぐ近くで鳥のさえずりが聞こえた。

 それと、いままで嗅いだことのないような不思議な香。スパイシーで、どこか甘く、妙に懐かしい。無意識のうちに起き上がろうとして激痛が走った。


「わっ、もう起きたのか? すげー体力だな……。でもほら、傷が痛むでしょ。もう少し横になっているといいすよ」


 顔をしかめたまま目を開けると、桃色の髪の男が目に入る。

 染めてでもいるのか目が痛くなるようなピンクだ。意識しないではいられない存在感を放っている。


「あのー、大丈夫です? 俺の手、見えます? 何本に見えます?」


 ひらひらと目の前で手を振られ、じっと男の顔を見つめていたことに気付いた。それでも何故だか視線を外すことがかなわない。

 髪色のせいで軽薄な印象がぬぐい切れないが、悪くない顔立ちだ。美男子と呼ばれる部類ではないが人好きがする柔らかな風貌をしている。

 紫眼の双眸は知的にも感じるし、身近にいた同僚騎士たちのような精悍さはなくとも、舞踏会で強制的に踊らされた貴族の坊ちゃん方のように、なよなよとしているわけでもない。皮肉げにゆがめられた口許は仄かな色気を漂わせてもいた。


「……悪いんですけど、ちょっと、傷の具合を確かめていいですか?」

 ぼうっとした心地のまま思わず承諾したが、触れられそうになると、ぞくと悪寒が走った。


 そうだ、った。

 自分は、ライルに、唯一無二と信じていた友に殺されかけたのだ。


 貫かれた胸に目を向けると手当の痕跡があった。包帯にじわりと血が滲んでいる。ベアトリスの怯えたような反応を見て、男はすぐに手を引っ込める。


「それにしても、災難でしたねえ。俺が通りかからなかったら、あんた間違いなく死んでましたよ」


 男の声に重なるようにして、暖炉の火がぱちと爆ぜる。

 呆けている場合じゃない、ベアトリスははっとした。

 手足をろくに動かせない以上、他の感覚を研ぎ澄ませ。戦場で培った経験がいまさらながら突き動かす。

 警戒するようにベアトリスは素早く視線を動かした。


 自分がいるのは簡素な山小屋のようだ。

 天井の四隅から交差するように掛けられた紐には、びっしりと変色した草や葉、植物の根らしきものが干されていた。室内にふわりと漂う甘く酩酊するような独特な香りの発生源は、それかもしれない。

 部屋の床には足の踏み場もないほどに本が積まれ、塔を築いている。どれも古書と呼べそうなほどに年季が入ったもののようだった。


 まるで子供向けのおとぎ話に出てくる「魔女の家」のようだ、そう思ったところでベアトリスはひとつの結論を導き出した。


「おい悪魔」

「ん……? あの、それもしかして俺のことですか」


 男は自らに指をさしてみせた。

 城の書庫で見かけた書物によれば、古来より魔女は、フィーレント聖教の教えを破り、堕落へと誘う悪魔に贄を捧げて力を得ていた者を指す。それにより人知を超えた秘術を使うことが出来たという。


 瀕死のベアトリスを救ったのも、そういった類の能力に違いない。この山小屋が魔女の棲み処だとして、この男は誰か。

 夜な夜な「魔女」は悪魔と交わり、自らの力を高める。そして「悪魔」はひどく魅力的な容姿をした男または女の姿をしているとも書かれていた。


 男はしばらく沈黙した。ちら、と宙を見てから腕組みして唸り始めた。


「は……あぁ、まあ、そう、ですかね? うーん、言われてみればそんなもんかもしれねえですけど。あのですね、此処はその、俺の知り合いの家なんすけど……家主が死んじまったから、片付けてるわけでして」

「その家主が件の魔女か……実在していたとはな」

「はは……」


 男は乾いた笑いをこぼした。


「もしかして『黒雪の森には魔女が棲んでいる』ってやつ? あんた、意外と迷信深いところがあるんすね。天下無敵の【火焔の姫騎士】ともあろうお方が」


 肩をすくめた男が、じろりとベアトリスに値踏みするような眸を向ける。


「私が誰なのか知っていて助けてくれたのだな、おまえは」

「殿下のことを知らないグリティア国民はいないでしょうよ……それにしても、あー、めんどくせーことになっちまったかなぁ」


 がしがしと頭を掻きむしりながら男は嫌そうに眉をひそめる。


「言っときますけど、詳しい説明なんざ聞きたかないんで。一部始終見てましたし……恨まないでください、俺は高貴な方々のいさかいに関与する気はなかったんだ」


 ベアトリスは目を伏せ、首を横に振った。


「恨むどころか私はおまえに恩義を感じている。何か望みはないか? 私に出来ることであれば、なんでも叶えられるように努めよう」

 腕組みしながら落ち着きなく部屋を歩き回っていた男がようやく足を止めた。


「な、なんでも……」


 ごくりと唾を呑む音が聞こえた。

 ああ、とベアトリスは力強く頷く。


「それはその、ちょっとえっちなこととかも? ……あっ、ごめんなさいっ、嘘です!」

「善処しよう」

「……え、善処してくれるんだ……いや、要らないですって。あんたは俺が契約とか偉そうなこと言ったのを気にしているのかもしれねえけど、それはそういう約束とかがあった方が気力も湧くかと思っただけで」


 早口で男が言い始めたがベアトリスはいや、と強く否定した。

「それでは私の気が済まない」

「あんた、律義通り越してくそ真面目すね……人生なんて肩の力抜いて楽しんだもの勝ちですよ?」

 呆れたように男は息を吐いた。


「さっきも言ったとおり、こっちは知人が死んだばかりでね。目の前で死なれるのは気分が悪いってだけです」

「理由はどうでもいい。おまえが誰であろうと構わない。私が重んじるのは事実だ」


 制止の声を無視して、ベアトリスはゆっくりと身体を起こした。痛くないわけではないが、まだ動く。

 心臓はベアトリスを叱咤するように強く鼓動し続けている。


「いずれにせよ、いまここで私が生きているのは、おまえのおかげだということは変わらない、だろう?」


 かすかに唇に力を入れる。ぎこちなくはあるが、いまできる精一杯の笑みを浮かべてみせると男もつられて笑った。


「なるほどなあ。男前だな、あんた」

「世辞は要らない。どうせ王女としての評価だろう」

「まあまあ、単純に俺が気に入ったって話なだけですよ。自己評価低すぎじゃないすか?」


 ベアトリスの額をとん、と長い指が突く。実験器具が散乱したテーブルから椅子を引き寄せ、男はベッドの脇に座った。


 紫水晶の眸に覗き込まれ、思わずたじろいでしまう。


「俺があんたに望むのは傷が癒えるまでおとなしくしてることです。せっかく助けたのにすぐに野垂れ死なれたくないんでね」

「だが」

「じゃあこれが俺のひとつめの『お願い』です」


 凄みのある笑みを向けられびくっとする。思わず頷いていた。

「他のお願いは随時追加させてもらうとして……さ、せっかく起き上がれたんだから水飲んで。ゆっくり寝ててください」


 次に起きたときは何か食べさせてあげますからね――思いのほか穏やかな声音に誘われ、ベアトリスは眠りに落ちていった。

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