03  王女の外出 -1-

 外、出てみます? と言われたのは小屋の中を歩きまわれるようになった頃だった。


 メフィストと名乗った男はベアトリスの回復力に目を瞠りながらも「頼みますからまだじっとしていてくださいよ」と釘を刺していた。落ち着きのないベアトリスのようすに、傷が開く、とひやひやしていたらしい。


 それでも、ベアトリスが窓の外を見ていたり、部屋の中を行ったり来たりとうずうずしていたものだから、渋々ながら許可が出たのだった。


 木々が鬱蒼と茂る暗い森。その印象こそ変わらないが初めて来たときとは違って見える。


「手、貸してください。眩暈はないですか? ふらふらする?」

 慣れた手つきでベアトリスを支え、ゆっくりですよ、と促しながらメフィストは導いた。躓きやすい木の根を避けながら小屋の外をぐるりと一周する。


 魔女の小屋――勝手にベアトリスがそう思っているだけだが――は、周囲の木々に隠されるようにしてぽつんと建っていた。その存在を知っていなければ見つけるのは容易ではないだろう。


 そんなことを考えながら歩いていると、見慣れないものが目に入った。


「……黒い、雪?」

 ふわりと風に舞っているそれに、手を伸ばす。掌に乗った黒雪は体温で溶けることはなかった。

「あー、それ灰ですね……」


 黒い結晶を指でつぶすと、さらに細かい粉になった。そのまま風に乗って飛ばされていく。

 メフィストは、一歩ずつですからね、と念を押しながらベアトリスを誘導し、小屋の裏手まで連れて行く。

 そこには外壁に寄り添うように木製の階段がそなえつけられていた。屋根まで上れるようだ。


「しっかり掴まっててくださいよっ、と」

 ベアトリスを背負って、メフィストは階段を上がっていった。屋根とおなじくらいの高さまで来ると手すりを掴んで立ち止まる。

「狭いし滑りやすいんで、降りずにそのままでいてください」


 見えますか、と声をかけられ、ベアトリスはメフィストの背から顔を覗かせた。


「北西に見えるのがエルナト山です。フィーレント教では聖なる山とか言って崇めてるみたいですけど、地元民にとってはただの火山ですね。あそこの火口から時々、火山灰……『黒雪』が飛んでくるってわけです」

「……耳にしたことはあるが、あれがそうなんだな」


 森の向こうに、朱黒い峰が連なる山影が見えた。

 エルナト山はフィーレント神聖帝国からもほど近い国境ぎわに位置する活火山だ。いまはグリティア王国の北端イェーツ辺境伯領内にあるが、戦争のたびに領土の取り合いが続き、属する国や名称も都度変更されてきた。


 騎士団の任務で付近に赴くことはあっても足を踏み入れたことはなかった。王立研究院から派遣された教師による地理の授業を思い出しながら、ベアトリスが相槌を打つと「ま、そんなもんですよね」とメフィストは苦笑した。


「温泉が湧いてるわけでもないですし、べつに観光地ってわけでもないですから。武具に使われる質のいい鉱石が取れるんで、流通含めて北部の辺境伯領でまとめて管理してますよ。しょっちゅう許可なしで山に入る違法採掘者が出るから、登山道の入り口に兵士立てないといけないんですよねえ」


 知ったこっちゃないですけど、と呟きながらメフィストはベアトリスを背負い直した。


 地上に戻りメフィストの背から降りる直前で、森の中に鋭い嘶きが響きわたった。

 そういえば、とメフィストはベアトリスをちらっと振り返る。

「もう一か所、案内しておきたいところあるんですけど」


 ベアトリスを背負ったまま、メフィストが足早に歩き始めたので待ったをかけた。

「もう負ぶってもらわなくても大丈夫だ。自分で歩けるぞ」

「だめです。見てください、でかい樹の根っこで凸凹がひどいでしょ? このへん、足元悪いんです。転んだら危ないでしょうが」

「私は訓練された騎士だし何度だって大雨でぬかるんだ道や岩だらけの悪路を……」

「いーえ、いまのあんたは怪我人です。か弱いお嬢さんです……って、王女殿下に『お嬢さん』なんて軽口叩いたら不敬罪に問われちゃいますかね」

「べつに……気にしていないが」

「そいつはよかった」


 本調子ではない自覚はあるので素直に引き下がったものの、なんとなくもやついたので首に回した腕を使って、ぎゅうぎゅう絞めてやった――まるで堪えたようすはなかったが。


 メフィストは木々の合間を縫うように歩いていく。どこに連れて行くのか尋ねるよりも早く、目的地に着いたようだった。

 背の高い木々に囲まれ、隠されているような場所に小さな泉が湧き出ている。

 そこに一頭の馬が樹に繋がれているのが目に入った。


「……スノウフレイク?」


 ベアトリスを見ると葦毛の馬が興奮したように前足を上げる。

 そこにいたのは王都から黒雪の森までベアトリスを乗せてくれた愛馬スノウフレイクだった。森の入り口で別れたはずなのだが――どうしてここに。


「おまえ、生きていたのか……!」

 ライル達に殺されたのでは、と心配していたのだが、主人の異変を察知し隙を突いて森の中へと逃げたのかもしれない。スノウフレイクの黒い眼がじっとベアトリスを見つめている。


「あ、やっぱり殿下の馬でした? 言われてみれば、このへんの田舎馬らしくない高貴な雰囲気、漂ってますし……こいつ、俺があんた担いで小屋まで戻る最中に、体当たりしてきたんですよ。そんなに悪人面してます、俺?」

「スノウフレイクまでおまえの世話になっていたんだな――ありがとう」

 メフィストの背を下りたベアトリスが近寄ると、なつっこく顔を摺り寄せてきた。


「いままで会いに来てやれなくてすまなかった。また私を乗せてくれるか? はは……そうか」

 優しく鼻筋を撫でてやると満足そうに目を細めた。それを見ていたメフィストはスノウフレイクの首をこつんと叩く。


「こいつ、最初は気性荒かったんですけど、ここのところ干草とか人参とか持ってくと心配そうに俺を見るんです。ご主人様が無事か気になってたんですかねえ」

「賢い子だから……それにしてもずいぶん仲良くなったみたいだな。私以外には馴れなくて従者がよく困っていたのだが」

「へーえ。もし殿下の馬じゃなかったなら、いずれ食ってやるつもりでしたけど……なーんて、いでっ、噛むな! おまえっ冗談だよ、餌運んでやった恩忘れんなよ!」


 ふん、と鼻を鳴らしたスノウフレイクからじりじりと距離を取ったメフィストを見て、思わず吹き出してしまった。


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