15.5 とある「悪魔」のモノローグ

 俺は頑張ることが苦手だった。頑張っても意味がないと知っていたからだ。


 前妻の息子である優秀な兄がいて、俺は後妻から生まれた次男。年が十以上も離れてたこともあるが周りの評価はまず兄ありきで、誰も俺のことなど見ていなかった。

 ガキの頃はこっち見ろってわめいたりしたもんだが、年を取ればそういうのも落ち着いた。両親が事故で死に、若くして兄が辺境伯を継承したのもその頃だったか。


 お利口さんだった俺は、もうしゃあねえんだな、ってわかってしまった。

 逆立ちしたって兄貴のように人の上に立つ器量は手に入らないし、周りも端から期待してなかったんだから、まあいいや、ってな。

 勉強もうちの家門が力を入れてる武術訓練も全部放り出して可愛いメイドにちょっかいかけたり、賭博場に出入りしたりの屑の手本みたいな奴。それが俺、フィン・デル・イェーツだった。


 早くに父母を亡くした弟を哀れに思ったのか、本人もさみしかったのか、兄からはくどくど説教されたり、遠乗りとか狩りとかいわゆる貴族的なお遊びに誘われたり……馴れ馴れしく構い倒されたりしてうざかった。何もかも煩わしくて、俺は成人したのを機に王都の騎士団に入ることにした。ガラじゃないってのは百も承知だ。


 父である前イェーツ辺境伯の財産は兄がすべて相続し、弟である俺には財産は与えられない――いわゆる限嗣相続げんしそうぞくってやつだ。別に不公平だなんだと文句を言う気はない。この国のルールだし、何を言ったところで仕方がない。

 いまは俺を猫可愛がりしてるバカ兄貴も、自分の子供でも生まれれば関心は当然そっちに行くだろうし、このまま居候してても冷遇されるのは目に見えてた。


 だから食い扶持は自分で稼ぐ必要があったってわけだ――手ごろな貴族令嬢を引っ掛けて婿に入るにしても、見目だけじゃなくてある程度の実績を備えてこそだ。つまり箔をつけなきゃならない、ってこと。


 兄は領地内の教会で牧師になる伝手を探してくれたらしいが、フィーレントの教えをくそ真面目に説くなんて俺に出来るはずもない。それくらいなら若いうちに自分と似た境遇の連中と王都で遊ぶのもいいか、ってことにした。


 良家の次男、三男なんてどこも似たようなもんだから、十八歳ですぐに王都に出ると俺と似たような屑が山ほどいた。高い志を持って騎士団に入ったのもいるにはいたけど、俺がつるんでいたのはもちろん前者の方だ。任務でグリティア各地を巡るたびに女の子の品定めをしてるような阿呆ども。


 俺が入隊したのは王立第三騎士団なんていう、底辺の掃きだめみたいなとこだった。平民も多く所属している一番格が低い騎士団だと誰もが知っている。

 向上心のあるやつは上位の第二、エリートの第一を目指したりするが、上昇志向のあるようなやつはそもそも第三に配属されない。入団試験の点がギリギリか、ほぼアウトだったが親類縁者の爵位を見てとりあえず保留で入れるところだからだ。


 訓練もサボりがちなやつらが多く、実戦ではほぼ役に立たないとされていたから補給部隊とか後方支援を中心にやらされていた。俺みたいな新人もダメだし、上に立つ隊長クラスの連中もくそだった。給金を目当てに入った平民に仕事のほとんどを押し付けて、カードで時間をつぶしているような有様だ。


「なあ知ってるか、今度ベアトリス王女がうちの騎士団の視察に来るらしいぞ」

 各部隊長が慌ただしく書類を暖炉に突っ込んでいるのを横目に、同僚が俺に耳打ちする。

「あー……道理で。帳簿とか、表に出したらやばい不正の証拠とかを消してるんだな、さいてーじゃん」

「お前、他人事みたいに言ってるけど、王女って第一騎士団の団長だぞ。いいとこ見せればエリート部隊に取り立ててもらえるかもしれないぞ」

「いやいや、俺ですよ? 体力もない、剣術、槍術、盾、すべてにおいてからっきしの俺が王女殿下に気に入られる要素なんてどこにあるっていうんです?」

「強いて言えば、顔、だな」

「言い方ぁ……」


 けたけた笑いながらも、普段はサボりがちな剣術練習の参加率がしばらく異様に高かったのは「王女」効果だろう。

 数日後、仰々しいようすで隊長たちが訓練場の入り口付近に集合していた。ぺこぺこしながら話をしているが此処からではよく聞き取れない。俺たちは何事もなかったかのように訓練を続けていたが、誰もがそわそわしていた。


「ああ……そうだな、承知した。感謝する」

 凛とした声音が耳朶を打つ。

 うっかりよそ見をして、打ち合いをしていた団員の一撃を頭に喰らった。兜をつけていなかったら痛いだけでは済まなかったかもしれない。

 でも、その価値はあった。


 陽光を浴びて煌めく髪は焔の色。湖の底みたいに青と緑の境目みたいな神秘的な色味の瞳。すらりと長い手足は野生の獣のようにしなやかで美しく、細身だが均整の取れた体格をしている。

 王女は、副官らしいいかにも貴族然とした男――胸糞悪いほどに美形だ――を連れて、第三騎士団の訓練場に入って来た。


「あー、あんな美男子がそばにいるならお前程度の優男なんて眼中にないだろうな」

「うるさいよ」

 ぼそぼそ話しかけてきた同僚を小突いているうちに、ベアトリス王女は俺たち訓練兵の前に立った。隊長に指示される前に騎士団員がさっと整列する。

 なんでも第三騎士団の中から、数名引き抜きをするつもりらしい。まあ俺には関係のない話だ、そうは思いながらも浮足立っていた。もしかすると、あの美女のお眼鏡にかなうかもしれない。そんな妄想が膨らんでいたのは俺だけじゃない。

 まあ、ほのかな期待は儚く散ってしまったわけだけど。


「くっそー!」

 一、二、三……頭の中でカウントしながら素振りする。

 選ばれないことぐらい端からわかっていた。努力も何もしてこなかったのに、どうして王女殿下の目に留まることなんてある。それなのに、鬱憤を晴らすように俺は誰もいない訓練場で剣を振り続けていた。

 選ばれたのはよく雑用を押し付けていた平民のひとりで、剣術はさほどだが動きが機敏で弓術に長けていた。練習も休まず、毎日せっせと鍛錬を続けていた。

 なんでこんなことしてるんだろうな、と自分でも思う。

 やめだやめ、とつるんでいた連中はさっさと遊びに出掛けたし、他の者は仲間の出世を祝いに飲みに行った。遊び仲間からはいまさらなんだよと馬鹿にされたが、俺にだって此処でこうしている理由を説明できない。

 ただ俺は――彼女の美しい剣技が焼き付いて離れないのだ。

 実践訓練の手本として、副官と打ち合った瞬間、苛烈な焔がベアトリス王女の瞳に宿ったのが見えた。激しく斬り合うなかでも放つ光は眩く、燃え盛る太陽を目にしているようだった。自分で再現できるはずがないのに、身体が俺に訴えかけている。あれをもう一度、見たい、と。


「姿勢を正せ」

「は?」

 そのとき、涼やかな声が夕日に染まる修練場に響いた。雑魚しかいない第三騎士団にはひどく場違いな――凛とした女の声だ。

「集中しろ。そうだ、背筋を伸ばすんだ。私の声に合わせて振れ、イチっ! 補給部隊とはいえ自分の身ぐらいは守れなくては。戦場では一瞬で死ぬ」


 背後から欠けられた「一、二!」の声に合わせて踏み込み剣を振り出す。

 ついには息が切れ、へたりこんだ俺の前にすっと影が差した――正直目を疑った。白銀の鎧をまとった美女が立っている。

 ベアトリス・クレア・グレイス。第一騎士団長にしてこの国の王女様だった。


「え……」

「精が出るな。見上げた根性だが無理な姿勢での鍛錬は怪我のもと、気をつけなさい」


 俺は絶句した――王女は想像をはるかに超えて威圧感があった。なによりかなりの長身だ。さして背が低い方ではない俺とほぼ目線の高さが同じ。それに顔は美術品のように整っていて、かつ無表情ぎみだからちょっと怖い。

 とはいえ、俺はひとなつっこい方ではあったから恐れ多くも王女殿下に「ど、どうでした俺の剣は」なんて聞いてしまった。

「熟達しているとは言えないな」

「はは、そりゃそーですよねえ……」

 話しながらも王女は、ちらちらベンチに置いてあった俺の荷物の方を見ていた――サンドイッチが入ったバスケットである。遊びすぎて金がなかったので、近頃は市場で食材を買って作るしかなかった。休み時間を潰し視察前に悪あがきの練習をし昼を食べ損ねたので、まだ手つかずで残っている。

「あの、殿下もしかして腹が……」

「減っていない」

 言いながらぐきゅるるる、と野良犬の鳴き声みたいな音が至近距離で聞こえた。王女の顔色は変わらなかった。

「えーと、そこにあるの、俺の昼飯で……」

 そうか、と平坦な口調で呟いていたが視線はバスケットに固定されていた。

「……余ってて、お口には合わないとは思うんですがよろしけ――」

「いいのか⁉」

 食い気味に殿下が飛びついてきた。よほど腹が減っていたらしい、嗅覚も鋭いのだろう。俺に話しかけてきたのは、サンドイッチが目当てだったのではという気さえしてくる。


「なんだかなあ……」

 訓練場の隅っこに置かれたベンチで、王女殿下と並んで座って俺が作ったサンドイッチを彼女が食べ、否、貪り食っているのをぼんやり見ていた。ていうかこれどういう状況? だんだん頭が混乱してくる。

「――おまえの作る料理は美味い。このサンドイッチも、付け合わせの漬物ピクルスもだ。野菜の水気でパンが台無しになることもなく、見事に調和している。マスタード、塩漬け肉、野菜……どれひとつとっても特別な材料を使っているようにも見えないのに、まるで魔法だな」

 ひとくちひとくちを噛みしめながらベアトリス王女は感嘆の声を上げた。

「さすがにそれは言いすぎじゃ……」

 王女は大きく首を振った。言葉選びといい、動作ひとつひとつが小さな子供のようにも見える。

「行軍中において、唯一と言っていい愉しみは食事だ。おまえの腕があれば限られた食材しかなくとも皆の士気を上げることが出来るだろう。すごく……すごいと思う」

 思わず噴き出した俺を、見てきょとんと首を傾げる。まるで小さな女の子の相手をしているようだった。一国の王女様にそんなことを言えば不敬なので口を噤み、代わりに冗談へとすり替える。

「だけどさあ、料理が上手かろうが取り立ててくれるわけじゃないでしょ?」

「……それだけでは難しいな。だが、惜しい……」

 真剣に悩み始めたので「大丈夫です、ここが合ってますんで」と慌てて告げた。王女がじっと俺を見つめる。美しい翡翠と目が合ってどきりとした。

「おまえも、他の皆も貴重な人材だ。後方支援部隊でも危険はついてまわる――どうか日ごろの訓練も怠らず、取り組んでもらえたら嬉しい」

「あ……」

 このひとは、本当に純粋なひとなのだろう。

 彼女の隣にいるだけで薄っぺらで嘘と虚栄で塗れた自分が恥ずかしくなるほどに、存在自体が宝石のように輝いている。生まれ持っての資質、兄と同じ上に立つ者のみに与えられた閃光のような煌めきが見えた。


「団長!」

 離れたところから副官が王女を呼ぶ。最後までにこりともしなかったが、軽く手を振ってから俺に背を向ける。

 そして何事もなかったように訓練場を後にするのを、俺は立ち尽くして見送った。慌てて戻って来て、やっぱりおまえが必要だ、と言ってくれる。そんな夢みたいなことは当然のように起きやしなかった。


「……ああもう、やってやる、やってやりますよ!」

 いつかあのひとに認められるような人間になろう。向いてないと分かっていた騎士団はさっさと退団し、俺は故郷近くの【黒雪の森】で隠居暮らしをしているババアのもとで治療術について学び始めた。古くから神秘の森と呼ばれるこの地は希少な薬草も多く、最初は足腰が弱った婆さんの代わりに薬草を取って来るばかりだったが、そのうちは医者の真似事もできるようになった。


「……よかった、と思いますよ。ようやくあんたのためになることが出来た」

 穏やかに眠るベアトリスの呼吸を聞きながら、俺は静かに息を吐いた。

 虫の息で倒れていた彼女を見た時、心臓が止まるかと思った。あの美しい宝石が、粉々に砕かれて光が消えようとしている瞬間を目の当たりにして、恐怖のあまり血が凍りそうだった。

「騎士だったら、あんたを守れなかった。【悪魔】の俺だから、あんたを救うことが出来たのだとしたら、俺の人生もそう悪くはなかったってことですから」


 森の褥に抱かれて眠るベアトリスの額に、【悪魔】はそっと口づけを落とした。

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アリス革命~姫騎士は悪魔の輪舞曲を踊るか?~ 鳴瀬憂 @u_naruse

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