14   王女の決断

「報告を」

 硬い声音でイェーツ辺境伯が口火を切った。

 執務室内の円卓には緊張した面持ちの辺境伯、妻のピオニー、数名の重鎮らがそろっていた。血縁者であるメフィストはともかく、客人にすぎないベアトリスがこの場にいることを不審に思っているようで、遠慮のない視線が向けられている。

 躊躇いながらも、辺境伯が配備している騎士団―黒狼―の団長が声を張り上げた。


「はっ。イェーツ辺境伯領内エルナト山北部において、侵入者あり。武力により占拠されたものと考えられます。入山者を管理している兵士や鉱山夫の多くは……殺害され、【黒雪の森】にて遺体が発見されたとのこと。先日の森林火災の後、近隣地域へと派遣していた団員から連絡が入りました」

「人質が取られている可能性もあるな。何か相手側から書状などは来ているのか」

「いえ……代わりに、右腕を切断された領民が送り返され……辺境伯に『聖山エルナトは我ら【フィーレント正教団】が奪還した』、そう伝えるよう命じられたそうです」

 ざわりと室内全体が波立ち揺らいだのが目に見えるようだった。

 【フィーレント正教団】はグリティア王国を含む広義のフィーレント教を信仰する諸国よりも、さらに狭い教義を重んじる信者が結成したフィーレント神聖帝国内の組織だ。薄っぺらだ、と他国の信仰を非難し、信者を先導して近隣国への「布教」と称した侵攻、略奪を行う過激な集団だが、帝国側は黙認していた。それどころか、その動きを扇動し支援しているとも言われている。


「……早急にその者の治療を」

「既に手配済です。医師が対応しております」


 発言することさえも躊躇われる重い空気が部屋に満ちていた。

 北部防衛の要であるイェーツ領において、古くから近隣諸国――とりわけ、フィーレント神聖帝国との小競り合いが多発していた。フィーレント教の聖地と言われている神山とされるエルナト山をめぐり、何度も侵攻が繰り返されてきた歴史もある。一時的にエルナト山周辺地域を占拠され、帝国領の扱いを受けたという屈辱を北部イェーツ辺境伯領に居住する民は忘れていない。

 また近年採掘がさかんになった豊富な鉱山資源にも目を付けているのだろう。帝国は【教団】を使って本格的にグリティアへの侵略を再開したのだ――かつて結ばれた平和協定を破棄する事態にもなりうる。

 戦争の火種はもう爆ぜる寸前のところまで来ていた。


「帝国に抗議したところで、教団が勝手にやったことと知らぬ存ぜずを繰り返す。卑怯な奴らだ!」

「急ぎ、王都に応戦の許可を取られねば――ですが王も、第一王子殿下も積極的な介入を避けるでしょう。支援はまず無理なのでは」

「ですがエルナト山を起点にイェーツ領への侵略がすぐにでも始まるやも……一刻の猶予もございません!」

 ざわめきの中で蠢く様々な思惑が、浮かび上がっては沈みを繰り返す。険しい顔で黙考するイェーツ辺境伯の顔色をたえず窺っていた――ただひとりを除いて。


 ベアトリスが、議論の合間を縫うようにして発言した。

「私に任せてくれないだろうか」

「――何?」

 渋面をさらに強張らせていた騎士団長がベアトリスを食い入るように見て、息を呑んだ。

「……貴女は、いや、まさかそんな」

「王家の許可、と言ったな。よかろう、私が応戦を許可する。人質を解放させ、エルナト山を【教団】から奪還することを最優先に動くがよい」

「先ほどから何を言ってるんだ、ただの小娘ごときが――ひっ」

 不満げに鼻息を荒くした者も、椅子を引いて立ち上がったベアトリスが放った威圧感に委縮して声を失う。


「――我が名はベアトリス・クレア・グレイス。グリティア王国第一王女といえばわかるか?」

 

「な……貴様、不敬にもほどがあるぞ、亡くなった王族の名を騙るなど……」

 わなわなと震えながら、重鎮の一人が指差し叫ぶ。唯一、ベアトリスの顔を思い出した騎士団長のみが茫然と、戦神のごときその威容を仰ぎ見ていた。

「死の国より舞い戻ったのだ、此処にいる悪魔の手によってな」

 ちら、と隣に座っていたメフィストを見遣ると、肩を竦めた。

「はあ。この方が言ってることは全部ほんとですよ。俺が悪魔だっていうのは話盛ってるだけですけど……俺は知ってます。殿下はやる、と言ったらやる。いくら反対しようがもう止められない――どうする、兄貴?」

 イェーツ辺境伯が、メフィストを一瞥する。何も言わず、立ち上がりベアトリスの前に跪いた。


「は。必要なものは速やかに用意いたしましょう。必要な人員は私の方で見繕いましょうか」

「辺境伯! この恥知らずの戯言を真に受けるというのですか」

 イェーツ辺境伯の鋭いまなざしが反対を申し出た者を射抜いた。

「――貴公には他に何か為すべきことが見えているというのだろうな? 申してみよ」

 しどろもどろになった男が沈黙する。ベアトリスが睥睨すると、家臣たちは居心地悪そうに視線を逸らした。

「さて同行を願う人員だが、大体の見当はつけている――大切な辺境伯の部下を借り受けるのだ。無傷で返すと誓おう」

「……よろしくお願いいたします。王女殿下」

 騎士団長も辺境伯に倣い、ベアトリスの前に跪く。慌てて他の者たちも続いた。

「ベアトリス王女殿下、グリティアの至宝――火焔の姫騎士に栄光あれ!」

 王立騎士団長を称える言葉を皆が唱和する。かつてとおなじ光景を醒めた目でベアトリスは見下ろしていた。


「亡霊のような私にも出来ることがある――ありがたいことだな」

 ぽつりとつぶやいたベアトリスを、メフィストは痛みを堪えるような眸で見つめていた。

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