第6話
時刻は5時23分。校門前の広場で、僕は1人立っていた。
それなりにいい時間なのもあり、多くの生徒が僕を通り過ぎていく。友達と楽しそうに出ていく生徒もいれば、プリント片手にぶつぶつと呟きながら出ていく生徒もいる。僕はただ、それを端で眺めている。
帰りたくない、というのが正直な感想だった。
理由はまあ、猿でもわかるだろう。
「どうしようかな……」音が口元で溶けた。
カラオケ……は、この時間帯だと高いか。1人だと尚更だ。そもそも、別に楽しく歌いたいような気分でもない。
かと言って、自己陶酔して失恋ソングに明け暮れるなんてのはもっと気持ち悪い。そもそも僕は失恋をしたのではない。正しく、出来たわけではない。
何か新しい思考のきっかけが得られないかと、地球に棲みつく人間のように、また生徒の会話を少しずつ盗み聞きさせてもらうことにした。
「髙橋が「九里先生の講義「このあとマクドで勉強会「レポートの提出期限いつ「図書室が……」
いろんな会話の中に、一つ有用なものを見つけた。というより、それは僕が見落としていた穴を埋めてくれるものだった。
図書室。そう、図書室だ。
普段は5時で閉まるから、すっかり失念していた。テスト10日前に差し掛かってる今日は、夜9時まで開いているのだ。
閉館までは、そこで時間を潰そう。
けれど……そのあとは、どうしよう。
今、当てつけみたいに時間を潰したとしても、いずれ家には帰らないといけない。
僕の家は、間違いなくあのマンションにあるのだ。君たち夫婦が住んでいる805号室の隣の、804号室が僕の家なのだ。
過去も未来も、すべてが煩わしかった。
もう早く図書室に行って、読書に埋没してしまおう。
けれど、速度は努めてゆっくりと。
悶々としたまま、生徒の流れとさかさまに、図書室に向かう。
*
「げ」
安寧の地だったはずの図書館。
僕の口をついて出たのはそんな音だった。
振り返り、やっぱりそのまま退室しようと出入り口を目指す。
「まあ待ってくれよ」
すぐに出ようと学生証を鞄から出すのに手間取っている間に「げ」の原因に捕まってしまった。入室の後に学生証を鞄に直したのが失敗だった。
細くて長い指が僕の手首を締め上げている。ひんやりとした体温が徐々に移ってくる。
こんなことになるくらいなら図書館に来るんじゃなくて素直に帰っておけばよかった、とすら思う。
「……突っ立っていたら、他の生徒の邪魔になるかもしれないですし、一回離して下さい」
「そうしたら逃げるだろ、君は。そもそも今図書室に他の生徒はいないしね。なぜなら私がいるから」
「何したんですか……」
「何もしてないよ。私は生徒の当然の権利として静かに図書室を利用していただけさ」
私以外が、勝手に出ていっただけ──あっけらかんとそう答えたのは、僕のもう1人の友達である4回生の小野先輩だった。
この人は、学校中から嫌われている……というと誤解が強いが、それでも学校中から避けられている、くらいには知名度と存在感がある。
超がつくくらい美人なこの先輩が避けられているのが最初は信じられなかった(僕にとる態度を見れば避けられるのもある種当然のように思えるが、これは僕だけにしているらしい)
だから昔、大瀬に何か知っているか、と尋ねたことがある。大瀬は「詳しくは知らないけれど、小野先輩が1回生の頃に起こした事件の確執がいまだに埋まっていなくて、それで避けられているらしい」と教えてくれた。
本人にも尋ねたことがある。曰く、「正しいことをしただけ。それで嫌われるのは仕方ないし、怖くもない」だ、そうだ。
要するに、よく分からないということだった。けれど、友達がこれ以上いない僕は、他に尋ねることもできないのだった。
「まあ、なんにせよ一旦移動しようか。立って話すのは疲れる。長くなりそうだしね」
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