第4話

 閉じたカーテンの隙間がうすく明るくなってきて、朝日が昇ってきたことがわかる。僕はまだ布団の上にいた。

 思考を止める方法なんてわからなくて、その間にはいろんなことが頭によぎった。

 過去の後悔、未来への絶望。けれど、何より僕を苦しめたのは、結局今この状況だった。

 ずっと、はやくこんなところから逃げ出したい気持ちと、一歩も動きたくない気持ちがせめぎ合っている。

 というより、本当は逃げ出したいのに、恐怖で一歩も動けないと言った方が正しいのかもしれない。

 叶うなら、誰かに遠くまで運び出して欲しかった。誰かに終わらせて欲しかった。

 そんなことあり得ないことくらい分かっているのだけど、そうでもしないと動けない程度には追い込まれていたから。追い込んでいたから。

 そうして、スマホが鳴った。


「はあっ?」


 好きな曲が流れ始めた。着信音だ。

 思ってもみなかった僕以外の存在に、一瞬思考が停止する。

 あるいは、ずっと停止していた思考が動き出したとも言えるかもしれない。


「…………」


 僕は気の合わない人間がずいぶん増えたのもあって、友達と呼べるほど話す人間はほとんどいない。というより、今はもう2人しかいない。

 そしてその2人も、積極的に電話をかけてくるようなタイプじゃない。

 だとすれば。君──松山が、この電話の主だという可能性も、十分に考えられた。

 気持ちの悪い妄想だけれど、だからといって切って捨てるほどの確率ではない……と、思う。

 君とはこういう時、決まって電話で話をしてきたから。

 過去のことを思い出しそうになる。慌てて、もし君が電話の主なら……と、色んな想像で追いやった。もっと嫌な想像が広がった。

 どっちにしろ気持ちの悪い被害妄想でしかないじゃないか。自分を笑ってやる気力すら僕にはなかった。

 いや、そもそも君と決まったわけでもないのに、なに変なことばかり考えているんだ僕は。

 思考の間にも、ずいぶんと曲が進んでしまっている。

 恐る恐る、スマホを裏返した。


「なんだ……大瀬かよ……」


 過去の恋人ではなかった。2人しかいない友達の1人だった。

 君じゃなくて救われたと思ったのと同時に、なぜこんな時間にこのタイミングでと、腹立たしい気持ちも湧いてでた。ほんの少し落胆したのも、あったかもしれない。

 なんにせよ、このまま放置しておくわけにはいかない。大瀬との電話なら、そんなに悩む必要もないわけだし。


「もしもし。おはよう」

『おはよ……って寝てたか? これ』

「いや、起きてた」

『おお、そうかそうか、なら良かった。本題なんだけど、ちょっと今日大学でレポート見せてほしくてさ、授業ないんだけど、英語2の』

「それは分かったけど……なんでこんな時間に電話してきたんだよ、珍しい」

『なんでこの時間って、普通にこの後二度寝するからだけど。俺2限からだし』

「馬鹿野郎」


 人に馬鹿野郎と言えるほど僕は偉い人間じゃない。

 そんな思考を見抜かれたのか、


『さては不機嫌だな? 嫌なことでもあった?』

「っ……」

『あら、本当に何かあったっぽい。話したくなさそうだしこの話はパスで』

「別に、嫌なことがあったわけじゃないし、話したくないってわけでもないよ」


 ここだけは意地だった。

 大瀬には申し訳ないけれど、否定しておかないと、僕が許せなかった。

 嫌なことにはしたくない。


『あ、そう? じゃあまた今度気が向いた時にでも話してくれよ』

「それはまぁ……うん。気が向いた時に」

『おう。んじゃレポートは昼、食堂で待ってるから。その時なったらまたDMする。ありがとう〜』


 電話が切れた。


「はああ……」


 なんだコイツ、と、思わなくもない。むしろそれは頻繁に思ってすらいる。

 ただ、悪いやつじゃない……と言ってしまうと、万能の免罪符みたいになってしまって嫌なのだけれど、本当の意味で悪いやつじゃないのだ。

 例えば僕が同じような状況になったとしても、同じように対応してくれるだろう。

 分け与えるものと、分け与えられるものが一致しているやつなのだ。だから、悪いやつじゃない。


 なにより、大瀬は変わらない。誰に対しても、自分に対しても、どんな時でも、ずっと。自分を保ったまま存在している。

 僕が落ち込んでいる時でも、絶対に同情したりなんかしない。普段と変わらない態度で話す、そんな奴だ。

 それが気に食わないという人もいるのだけど、変わらないというのは、どんなことよりも凄いことだと僕は思うのだ。

 どれだけ願っても、すぐに悪い方向に変わってしまう僕からすれば、変わらない人間というだけで畏敬の対象だった。

 暗闇の中では指針にさえなってくれる、そんな気すらしていた。

 本人にそんな自覚はないのだろうけど。


 いつの間にか消えていたスマホの画面をつける。時刻は7時ぴったり。

 カーテンの隙間から覗く光は、暖かなものになっている。


「ちょっと早いけど、大学、行くか……」


 なんにせよ、僕は動く理由を得た。動けるようになった。

 誰かが、僕を遠くまで運んでくれたのだ。

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