第16話

 初デートはプロ野球観戦だった。

 ちなみに言っておくと、僕たちはべつにプロ野球を普段から見ているだとか、ファンだとか、そういうのではない。

 成り行き、というやつだった。

 クラスで別に仲は良くなくてもそれなりに話すやつがプロ野球観戦のチケットを当てて、僕にノリで押し付けてきて。

 それを持った状態で君とばったり会って。

 なんとなく話しているうちに2人で行こうという話になって(チケットは1人分しかなかったからちょうど空いていた隣の席をネットで買い足した)

 初めて2人で出かけるから、それが初デートの場所になってしまった……それだけだ。

 でも、そういうところをおざなりにする僕の態度も、あるいはずっとまずかったのかもしれない。


 そんなわけで。僕たちは知りもしないプロ野球球団の応援に来ていた。

 かっとばせーの後に続く知らないおっさんの名前。それを知らないおっさんたちが大合唱している。

 客席の熱力がリアルにまで届きうるみたいに暑くて、ひたすらに圧倒されていた。

 いや、ほんとになんでこんなところ来たんだろう。


「やっぱり、なんか熱狂的だね。ちょっとこころ細いかも」


 この時になると君の敬語は外れていた。

 というより、付き合い始めてすぐくらいのころに、付き合っているのに敬語はおかしいと君が言って意図して外したのだ。

 僕はべつに君が好きな方を選べばいいと思っていたから、その時は特に何も言わなかったのだけど。


「そう……だな。僕たちはこの空間だと異物というか……」


 異物というか……なんだ。異物でしかないだろ。

 周りは熱狂的でうるさくて、静かに(とは言っても爆音の中で隣に聞こえる程度には声を張り上げて)会話する僕たちは本当に異物でしかなかった。目の前の光景に何の価値も感じていないのは僕たちだけだった。

 周りが正しくて、僕たちがおかしい。そんな現実が少し煩わしかったりもした。いや、ほんとになんで来たんだ。


「応援……とかは分からないよね。まあ雰囲気で楽しめばいっか」


 そう言う君に、あはは、と僕は曖昧に笑った。雰囲気で楽しむ、というのが苦手だったから。

 苦手、というより出来ないと言った方が正しいかもしれない。

 楽しさが分からないことは、楽しめない。楽しんではいけない。僕にとってはこれがずっと当たり前だった。

 そんな煮え切らない僕に君は拳ひとつぶん距離を詰めてきて、


「手とか、繋ぐ? やっぱり心細いし……」

「いやいや! 大丈夫、無理しなくて。そういうのはちゃんと好きに──」

「まあ、そうだよね。でも、だから、なんだけど。加藤くんは、そうですよね……」


 そうして君は、所在なさげに寂しく手を閉まった。

 僕はそれをただ見ていた。大きな感情はなく、楽観的に、あるいはむしろ軽蔑するように。

 好きになるまでそういうことをしない、といった誓いを崇拝しながら。



 僕が悪いのは今になってからだけど、理解している。理解したつもりになっている。精一杯考えた。

 これはほんのひとつのエピソードだけど(だからといって軽視するつもりはないけれど)他にもこういうことがいっぱいあった。些細なことから、大きなことまで。

 君はひょっとすると、恋人関係というものに結構乗り気だったのかもしれない。僕が嫌った、まやかしのような嘘を君は求めていたのかもしれない。元より、そういう人間だったのかもしれない。どうしてか、昔の僕は絶対にそんなことはないと決めつけていたけれど。

 全て仮定だけど、今になってはそう思う。

 それは別に悪いことじゃない。むしろ一般的には喜ばれるようなことで。

 仮に悪いものがあるとしたら──それは僕だろう。一般から外れた気持ち悪い価値観を押し付けて、それを良しとしない君に対して心のどこかで見切りをつけた。自分から近づいておきながら、だ。

 最後まで嫌いにはならなかった。けれど、恋人として好きにもなることもできなかった。

 ついぞ君の望みは何一つ叶えてやれなかった。あの時の僕は、間違いなく君に自分の望みを押し付けていたのに。

 そんなことばかりしていたから、うだうだと続く意味のない延長線に、君はこのあと終止符を打った。

 それは苦しかっただろうか。せいせいしただろうか。なんとも思わなかっただろうか。

 もうどちらでもいいけれど、やっぱり全部僕のせいじゃないか。

 ほんとうに、救えない。絶対に、救われてはいけない。

 すべて手遅れになってから、そんなことを思う。

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