第17話
「う〜ん、私から話し出してなんだけど、思ったより良い思い出なかったね」
明け透けにそう言い放った君は、やっぱり特に大きなものを抱えていなかった。すんなりそんなことを言えてしまうことが、何よりの証明だった。
君にとってはあくまで、ただの過去で。通り過ぎたもので。ひとつの話題に過ぎなかった。
なんとなく、心のどこかでだんだん察してはきていたのだ。
僕たちはこの痛みを共有している、なんて甘い幻想を僕は持っていたけど、現実はそうではないことを。
僕は気持ちの悪い後悔に閉じ込められていて、君はそんなことなくずっと先に行っている。
そのすれ違いはたまらなく悔しくて寂しいけど、それを寂しく思うこと自体がすでに何より重い罪だった。
「良い思い出……そうだな、僕は悪い思い出も同時になかったと思うけど」
「たしかに! 良い悪いとかないよね。あくまで普通っていうか。思い出ってこんなものかな?」
「わからない……僕は思い出を話した経験があんまりないからさ」
「私もかも」君は笑う「もう11時半かぁ、結構話したね」
もう2時間も経っていたのか。全然意識になかった。
けれど、2時間しか経っていないのか。そんなことも同時に思う。たった2時間ぽっちでで思い出を話し切ってしまったのは、少し寂しい気もしたから。
まあ、思い出話の相場というものがわからないから何も言えないのだけど。
過去を話したくなるほどに親しくなった人間は、やっぱり君が初めてだった。さっき確認した通りに。
だからこそ……というところも、色々あるのだろうけど。
「この後は、どうする?」
「この後って? あー、思い出話の続き?」
たぶん、言葉にしなくてもできなくても意味は伝わっている。
僕たちはこの後もしばらく交際に似た何かを続けたわけだけど、この後が何を指すかは明確だから。
この後──それは別れだ。
ちょうど一昨日夢で見た、僕がフラれた時の思い出。
あの時の君はあんまりにも正しくて、今の僕にはちょっと耐えられそうになかった。
それなのに僕は君にこんな形で答えを委ねることしかできない。
自分の弱さに辟易とするのすらもう飽きてきた。戒めと罰で誰かと許しを乞いたくなるほどに。
それでもやめれていないあたり、相当重症かもしれない。
「まあ、別れた話は……うーん」しばらく色々考えてから「話さなくてもたぶん、忘れてない、よね……」
ありがとう。と言いかけた自分を止めた。
しかし言いぶり的に君は、思い出すために思い出話をしたのだろうか。
でも考えてみると、それは確かに現実的な理由かもしれなかった。
久しぶりに会った僕という人間の形をたしかに思い出すために、直接的ではなく過去から探ったと考えられる。これはこれ以上なく納得できる理由でもあるかもしれない。
後悔というラベルを貼って大事に記憶していた僕の方がおかしいのだ。
まあ、なんにせよ過去から辿れないほどに僕はひねて変わってしまったのだけど。
それでも何か思うところはあっただろうか。
それこそ何か思うところはあっただろうか。
「思い出話ついでに聞きたいんだけど、べつにこれは恨みとかじゃないんだけど」
「あぁ、まあ、やっぱりそっか」
「うん」
少しの沈黙。君は空っぽのグラスを手慰みに傾けながら言う。
「けっきょく、加藤くんはどうしたかったの? 私に、何をして欲しかったの?」
「それは……」
口どもる。時間が止まって、代わりに思考が加速する。意味もないのに。
僕はきっと、僕たちが何をしても、何をしなくても幸せでいられる関係を望んでいたんだ。
そんなものどこにもありはしないのに。名前すら存在しないのに。
でも、仕方ないじゃないかとも思う。こうやって開き直って捻くれて拗ねていたい。そんなことが許されないのは分かっている。
分かっているけど。
ほんとうにわからないのだ。だから透き通るように綺麗な理想を重ねて重ねて、いつか現実が見えなくなっていた。
そもそもの話だ。
鳥の唄も、花のにおいも、雨上がりの虹も、空の青さも。僕にはまったく、わからないのだ。
好きだとか愛だとか恋だとかそういうものが、僕にはまったく、カケラも、わからないのだから──
隣に元カノが越してきた。子供を連れて。 カナラ @nakatakanahei
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