第11話

 まず思ったのは、いつから立っていたんだ、ということだった。

 今の詳しい時間はわからないけれど、経験上9時半前後だろう。

 色んな仮定が思い浮かんだけれど、それはどれも信憑性の薄いもので、まったく絞ることができなかった。何も思いついてないのと一緒だ。


 次に、服装に目がついた。

 それは、なんとなく柔らかい印象を受けた。いや、それは本当に柔らかいと思ったとかではなく、柔らかいだとかでもなく、単に雑誌やSNSで頻出している表現だからそう思っただけなのかもしれないけれど。

 兎も角、そういう風な服装だった。たしかに似合っているけど馴染みのない、服装だった。


「こんな遅くにごめんね。ちょっとだけ、ううん。一瞬だけ、大丈夫?」


 口火を切ったのは君からだった。

 実際、それは助かった。さっきからの僕の思考は、半ば現実逃避に近いものだったから。

 前に進むためのことが考えられない。


「大丈夫、だけど……」

「…………」

「…………」


 どうして、とは訊けなかった。

 だからだろう。また、重苦しい沈黙が辺りを支配したのは。違うな、本質的な問題は、お互いまだ距離感が掴めていないからか。

 "まだ"距離感が掴めていない、か、"いつか"掴める気でいるのか、僕は。お花畑な自分の脳を戒めたい。

 とりあえず、次は僕が何か言葉を発さないといけない。


「……暑くなかった?」

「ううん。そんなでもなかったよ。今日は風が冷たいから。それに、これがあるし」


 そういってずいぶん窮屈そうに掲げたのは(ここら辺は子供をだっこしている関係で腕の可動域がすくないからだ)流行り物の小型扇風機だった。キャンパス内でも、使っている人をよく見かける。

 だからこそ、意外だった。

 君はこういう流行り物が嫌いなタイプの人間だったはずだ。流されて自分の好きが見えなくなることを嫌っていた、はずだ……。

 これも、変化なのだろうけれど。

 でも、人はここまで変わるのだろうか? もしかしたら、別人なんじゃないか?

 そんな思考すら湧いて出る。

 話し方だって違う。趣味だって違う。キャラクターと呼べるようなラッピングが──いや、ラッピングに限らず中身すらも全て置き換わっているように感じた。

 だけど、何度目を凝らしても、僕の目の前に立っているのは、高校時代に2年間付き合っていた、松山香織──今は佐藤香織、その人なのだった。

 ──それに、変化というのなら僕も人のことを言える立場でもないしな。


「なんていうか、久しぶり? 3年ぶり、だよね」

「久しぶり、だな。本当に……」

「こうして話すの、何か懐かしいね」

「そうだな」


 そんなわけはなかった。そんなのは君も分かっているはずだ。

 だって、こんなにも違う。2人とも。

 違和感ばかりが積もっていって、懐かしさなんてカケラもない。

 だからここで「まったく懐かしくなんてないだろ。お互い色々変わってしまって、別人みたいで」なんて言ったら大ウケだろう。その一瞬だけは、夢のように、昔の2人に戻って笑い合えるかもしれない。

 だけど一瞬だけだ。その一瞬で、すべてが終わってしまう。何も後には残らない。まさしく、夢のように。

 僕たちがこの先また2人で話すことは無くなるだろうし、ピリピリとした緊張が日常につきまとうことになるだろう。

 それは何よりも避けたかった。

 どうしてこんなに雁字搦めなんだろうな、僕たちは。仮にすべてのわだかまりが無くなったとしても、僕たちは友達にはなれないだろうな。元々、始まりがそうであったように。

 そうだ。僕たちは友達になれなかったから、恋人になったのだ。


「そういや、どうしてこんな時間に、こんなところに?」

「寝かしつけっていうか、ちょっとだけ散歩。さっき、やっと寝てくれたんだ、この子。それでちょっと部屋に入る前に風に当たっていたら、あなたがきたから」


 それは腑に落ちる説明だった。けれど、


「でも、危ないだろ、そんな……女性と赤ん坊だけで夜の街を散歩なんて……」


 君は驚いた顔をしている。

 いや、確かにこんな押し付けがましい心配は気持ち悪かったか。最近流行りのハラスメントというやつだろうか。申し訳ない気持ちが足から湧き上がってきた。

 怯えながら君の顔を見てみると、今度は笑っていた。メイクの印象の違いはあるけれど、笑顔というのは、あまり変わらないのかもしれない。そんなことを思った。


「そういうところは、やっぱり変わってないんだね」


 「大丈夫だよ、すぐ近くまでだったから。携帯もあるし、最悪交番の場所も、覚えてるし」君は付け加える。

 そして、


「明日の朝」

「え?」

「明日の朝、時間ある?」


 明日の朝は……普通に講義がある。けれど、別に1回2回サボっても大きな問題はない。テスト前だから教授が何やら重要なことを言うかもしれないけれど、それは後日大瀬にでも聞けばいいだろう。

 だとしたら、誘いを断るほどでもなければ、わざわざ別の時間を指定するほどのことでも、ないだろう。


「ある、けど」

「色々、話したいこともあって」

「……そうか、色々」

「うん。それが今日の本題」

「というか、それくらいを伝えるだけなら電話で良かったんじゃ……」

「私、携帯変えちゃったからさ。番号、わからなくて」


 なるほど。確かに、3年もあったんだ。

 機種変更くらいするだろう。その時に昔の知人の電話番号を失ってしまうことも、まあ、あるだろう。

 時の流れを感じる。そういうことだった。


「時間は、9時くらいからで大丈夫かな? 場所は……どうしよう。私まだこの辺りの飲食店とか知らなくて……」

「それは、じゃあ僕が決めるよ。なんだかんだここには3年住んでいるし」

「ほんとう? ありがとう」

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