第13話

パート13


「ん? 松山?」

「……どちら様ですか?」

「どちら様って、クラスメイトじゃん」


 街の本屋で、出逢った。


「……すみません。記憶になくて」

「あーそっか。急に話しかけてごめんね。僕は加藤って言います」

「加藤さん、ですか。女子の方は、政治的都合である程度覚えましたけど。男子の方はさっぱりで……すみません」

「気持ちはめっちゃわかるなー」


 異性の名前は同性に比べるとあんまり分からないよな。

 かくいう僕も女子の名前は半分も覚えていなかった。

 覚えているのは可愛い子と、そして松山さんみたいな目立っている子だ。

 まあ、松山さんの場合は目立つと言っても、悪目立ちの方だけど。


「そういや、松山さんもこんな本読むんだな」

「……悪いですか?」

「いや、全く。僕もこれ買いに来たんだし」


 そう言って取り出したのは、一冊の文庫本。

 ライト文芸に分類される、淡い恋愛を描いた作品だった。

 ちなみに全く売れてない。ひとつだけ凸になっている平積みを見てさっきは悲しくなったものだ。

 この作者、毎回面白い作品を書くんだけどなぁ。まだ代表作といえるものすらなかった。

 出版社がなんとなく期待しているのは感じるものの、売り上げがついてきていない……そんな印象。


「……なるほど。趣味が良いですね」

「だろ? お互い様だけどな」

「加藤くんは、良いですよね。夜空先生の書く作品の主人公みたいで」


 夏空先生、というのは作者のペンネームだ。

 そして夏空先生は毎回明るい男主人公を書く。

 けれど……


「僕はむしろ、松山さんの方がっぽいと思うけどな。軸を、持っているところとか」

「……ありがとうございます。そんなことない、とは言いません。少なからず影響されたところはあるので」

「なるほど、良い返事だ」


 それは下手に謙遜されるよりよっぽど気持ち良かった。

 それはまさしく、地面に強く根差した軸を持つ人間の返事だった。

 僕なら笑って誤魔化してしまう。


「明日、その本の感想会しようぜ」

「あっ、明日ですか!?」

「ダメ?」

「いえ、意外に加藤くんは読書スピードも早いのだと驚いて……いや、私も明日には読み終わっているのですが……だから、なんと言いますか、それはもう、是非」

「というか、そもそもの話、学校で話しかけて良い?」

「? 別に良いですけど」


 不思議そうな顔をする松山さん。

 いや、いつも話しかけるなオーラ全開なんだけどなぁ、とは言えなかった。

 なんにせよ。


「松山、おはよう!」

「……おはようございます。加藤くん」


 そうして。僕たちは毎朝とまではいかないまでも、目が合えば挨拶をする程度の仲になったのだ。



 しかしまあ、改めて。

 君と話しながら昔を思い返していると、今との違いがよくわかる。

 すごい変化だ。

 お互い、言葉遣いすら違う。いや、君の敬語に関しては時期に外れるのだけれど。それでも初対面の相手には敬語を使うような人間だったということだ。どちらにせよ、だ。敬語をやめてからの君と、今の君でも全然違う。

 だから、何も知らない人に昔の僕たちと今の僕たちを見せて、別人と言ったなら何の疑いもなく信じてしまうだろう。

 実際、別人なのかもしれない、僕たちはもう。そんなことすら思った。

 君はあんなに俯いているような人間ではなくなったし、僕はあんなに社交的ではなくなった。

 どちらが異常でどちらが本当なのかを議論するつもりはないけれど。

 相手に対して馴染みが深いのは、やっぱり過去の方だった。それは君も同じだろう。同じであってほしい。


「……いやぁ、やっぱりすごく恥ずかしいね、これ」

「そうだな、だいぶ恥ずかしい。昔の僕は、なんというか、浅くて……」


 別に、今が深いという意味ではないのだけど。

 仮に僕が今深いとするのなら、それは沼にハマって抜け出せなくなっているだけだろう。


「私もあんな暗い感じで、気取ってるのかって感じで、嫌な感じだったよね」

「……そうかもしれないな」

「黒歴史〜〜〜!」


 そうか。君はあれが、黒歴史なのか。

 かくいう僕も黒歴史とは言わないまでも似たように感じているのだけれど。

 ただのクラスメイトにあんなふうに人に話しかけるなんて、今では考えられない。


 でも、やっぱり。

 君はそういうふうなことを言う人間じゃ、なかったよなぁ。

 何かあったんだろうか。

 まあ、別に何もなくてもいいんだけど。

 現に僕がそうだ。君と同じくらいには変化している……と、思うけれど。そこに特別な出来事はなかった。

 本当にただ、なんとなくやっていた虚な明るさに突然疲れて、辞めてしまって。

 それが身体にすごく馴染んで、ずっとそのままでいる──それだけなのだ。

 君もそうなのか?


 いや。

 そこまで考えて、思い至る。

 あるじゃないか、君には大きな出来事が。

 結婚という、大きな出来事が。

 君は結婚、したんだもんな。子供だっている。

 それが変化の直接的な理由かどうかは分からないけれど……でも、少しは関係しているだろうな。


「ふう、ちょっと落ち着いた」君はワインを少し飲んで「じゃあ、続き話す? 大丈夫? いける?」

「……大丈夫。続き行こう」


 過去に戻り、時代は進む。

 傷は、少しずつ近づいてきている。開かれている。

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