第2部エピローグ

EP2 今日もどこかで浄化している

 泥のような眠りから意識が浮上する。

 四肢は未だ粘度の高い闇に絡め取られたように重い。

 夢かうつつかの状態で視た幻影で、息まで詰まっていた。


 カーテンのない窓から差し込む光は弱々しい。まもなく日の出の様相だ。十二月上旬のこの時期だと、午前六時半すぎといったところか。

 寝袋の中で、ようやく身じろぎする。指先が冷えているし、硬いフローリングのせいで背中も痛む。


 身体の隅から隅まで氷みたいだ。電気毛布のタイマーは切れており、寝袋の中に残った熱は怖気おぞけを誤魔化すには至らない。深呼吸で肺に入れた空気も、ずいぶんひんやりしている。

 今回のような吹き抜けのメゾネットだと、温かい空気は全て上に逃げてしまう。築七年と新しめで機密性の高い物件だが、冷える時は冷える。


 横向きに寝返りを打ったところで。

 涅槃仏みたいなポーズの有瀬ありせくんと目が合った。そうだ、昨夜は寝袋を隣に並べて就寝したんだった。


「おはよー弐千佳にちかさん」

「おはよ……いつから起きてたの?」

「えー? 三十分くらい前ー?」


 そんなにか。

 有瀬くんが大あくびする。寝不足らしい。

 私は寝袋から這い出して身を起こし、しかしすぐさま眩暈にやられて、抱えた膝に突っ伏した。


「はぁ、きっつ……今回もきっつ……」

「結構うなされてたよ。だいじょぶ?」

「どうにかね」


 体温の高い大きな手で背中をさすられる。強張っていた肩から力が抜け、渦巻くような気持ち悪さもすうっと解けていく。


「もうちょい寝とく?」

「……もう起きる」


 室内には、炊き立てのごはんの匂いが漂っていた。先ほど微睡まどろみの中で炊飯器の電子音を聞いた気もする。


「俺、今からおにぎり作りますね。何か腹に入れた方がいっすよ」


 有瀬くんがキッチンで作業する間、私は顔を洗って庭先でタバコを一本吸った。


 ここは一年半ほど前に幼い子供が虐待死した物件だ。家のあちこちで子供の声や足音がするという心霊現象が起きる。

 私たちは一昨日から現場入りしている。いつものように二晩続けて念の記憶を覗き、地縛霊の未練も見えてきたところだった。


 居間のフローリングに向かい合わせで座り、山と積まれたおにぎりを食べながら情報交換をする。


「昨日視たのは、床下収納庫に閉じ込められてた記憶がメインだったけど。今日は風呂場にいた」

「熱湯かけられたっていう? それが直接の死因になったんだっけ。ほんと信じらんねえっすよね、人間のやることじゃねえよ」

「やっぱり、怖いとか痛いとか哀しいとかの感情がダイレクトに来るんだよね。最後まで母親に助けを求めてたのに、かなわなかった。大きい怪物みたいに見えたのは母親の彼氏だね」

「よくニュースでも見るパターンすよね。なんでそんなDV男と付き合っちゃうんだろ」

「敢えてシングルマザー狙いの男もいるみたいだよ。特に娘を連れてるお母さん。自分の支配下に置ける存在が欲しいっていう心理で」

「えー……サイテー」


 概要だけでも嫌な事件だったのに、被害者の子供の感情を直に受け取ってしまうと、冷静さを保つのも一苦労だ。

 例え一線引いて客観視したとしても、今度はやるせなさで心が千々に乱れる。

 除霊態勢に入る前に、精神を平らにせねばならない。


「俺の方は、ちょっと楽しいっぽい感じの思い出? 誰かと一緒に風呂場で十まで数えてんの。誰だったんかな、男の人に思えたけど。すげえ断片的で結局よく分かんなかった」

「でも一応、ちゃんと記憶を視られたんだ。良かった」


 実はまた芙美ふみに頼んで、霊符を少し書き換えてもらっていた。より一層、有瀬くんの気が馴染みやすいように。

 おかげで、私が負の念の幻影を視るのと同時に、彼はポジティブな向きの記憶の残滓を覗けるようになった。

 つまり、一晩のうちに得られる情報が増えたのである。

 そのためには、気を通じさせやすいように隣同士で寝る必要があるわけだけど。


「男の人っていうと、本当のお父さんと過ごした記憶だったのかな」

「その思い出があるから、この家に居着いてるのかもしんないっすね」


 霊の未練が正の向きの感情からくるものの場合、私より有瀬くんの方がキャッチしやすい。

 原因をより早く、より正確に捉えられるようになり、適切な解決策を選びやすくなった。


「片やどこにでもある幸せなお風呂タイム、片や熱湯を浴びせられた理不尽か」

「おんなじ風呂場なのに、思い出の温度差えぐいっすね。お湯の温度差もだけど」

「そうか、だから浴槽のお湯が突然冷水になったりするのかも」

「あーなるほどね、昨夜とかマジ風邪引くかと思ったわー」

「この物件の中でも風呂場の念がいちばん濃いし」

「お風呂は楽しい場所であるべき!」

「じゃあ風呂場にテリトリーを構築するのがいいかな。でもそうすると私の除霊前のシャワーが微妙だな。あんまり場を濡らしたくない」

「濡れてると霊的になんかあるんすか」

「……単に術を使う時に服が濡れそうで嫌だなってだけ」


 有瀬くんは心得たとばかりに深く頷く。


「最初から全裸なら濡れても大丈夫っすよ」

「何を言っている」


 いくつかの準備を経て。

 結局、私がシャワーを浴びた後に拭き掃除を行ってから、除霊作業に入ることになった。

 冬場なのに浴室の窓は全開。乾ききっていない私の髪も冷えて、一つ二つとくしゃみをしながら浴槽を磨く。

 正直だるい。何やってるんだろう私。せっかく気を整えても、これでテンション下がったら本末転倒なのでは。


「弐千佳さん、風邪引くし休んでていっすよ」

「私が濡らしたところなんだから、そういうわけには。というか、なんかごめん。余計な仕事増やして」

「えー、ぜんぜんー?」


 有瀬くんは機嫌良く掃除を進めていく。


「つーか、除霊の直前に改めて場を清めるのはアリかもしんないっすね。幽霊の子にとっては重要な場所なんでしょ。俺もちょっと気合い入るし」


 にぃっと八重歯が覗く。

 なぜだか、ほわっと気持ちが浮き上がる。


「……ふふ」

「んっ? 何なに?」

「いや何でもない」

「えー?」


 仕上げに、浴室の四方の壁に霊符を貼る。狭い空間が私の気で満たされる。


「準備は?」

「いつでもおっけー!」


 柄を短く縮めたフローリングワイパーと風呂用おもちゃをしっかり握る、我がアシスタント。

 私も寝覚めはどん底みたいだったけど、今やすっかり落ち着いている。

 大丈夫、私は一人じゃない。

 この場に留まる哀しい魂を、必ず救う。


「行くよ、有瀬くん」

「はい、弐千佳さん」


 私は浴室の中央に立ち、腕を水平に広げて、掌を壁に向けた。

 前後左右の霊符が反応し、この部屋を改めて境界線で切り取っていく。

 そして私は胸の前で両手を組み合わせた。

 ぱちん。気が爆ぜる。


コウ



 ■



 人の思いは、場所に根付く。

 事故物件に染み付いた幽霊の念を祓い、住み良い部屋へと原状回復させる。

 それを専門にする霊能者を、界隈ではこう呼ぶ。

 『霊的特殊清掃人』と。


 今日も私たちは地縛霊の記憶を辿り、どうにもならない未練のくびきを断ち切るのだ。



—ゴーストハウス・スイーパーズ 第2部・了—

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ゴーストハウス・スイーパーズ 陽澄すずめ @cool_apple_moon

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