なってみせましょう!旦那様の理想のお飾り夫人に!
水月蓮葵
第1話
アヴィニール国の首都・クラシェイウェル。
商人が商売するための通り――通称、商人街通り。その通りの角にあるのは二階建てのレトロな一軒家。
「フェリーチェ」と看板に書かれたお店はこじんまりとしている。
狭い、という印象は何故か持たせず、人と対面していても窮屈に感じない。
ほど良い距離感を持てる広さで、なんと言っても雰囲気が明るくて、心地よい場所。
スーッと息を吸えば、香り高い木材の匂いが
凝り固まった身体が和らぐ感覚に何度も深く息を吐いて、吸ってを繰り返す。
嗅ぎ慣れたこの香りが好きだから、飽きることもない。
壁にかかっている時計のカチカチ、と音を刻む音。
時計から出ている振り子がゆらゆらと揺れて、時を教える音――私の好きな響きが広がる。
「ああ、今日もなんて素敵な一日なんだろう……!」
ポカポカとあたたかくなる感覚にゆっくり
店の出入り口には背丈の高い生き生きとした観葉植物。行儀よく、窓際に三つ仲良く並ぶ小物入れ。
その中に入っている色とりどりのガラス玉は太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
お客様のいないカウンターでひとり、椅子に座ってこの景色を眺めるのがこれもまた好き。
幸せの空間に口角が自然と上がると、カランカラン――と、もうひとつ好きな音が鳴った。
「い、いらっしゃいませ!」
緩めていた背筋を伸ばして、笑顔を向ける。
そこには黒いフードを深く被り、顔を隠した客人が静かに立っていた。
「――人払いを」
耳心地のよい凛としていて、どこか甘さのある声が短く響く。
「わかりました。今、店を閉めますのでこちらの部屋でお待ちください」
庶民の店で人払いなんてただ事じゃない。
普通なら、慌てるかもしれない。でも、この店はそれが日常だからこそ、驚きはない。
どんな厄介事を持ってきたんだろう、と緊張はする。それでも相手は恐らくやんごとなきお方。
フードで顔は見えなくても、佇まいや服装からして明らかだ。
お客様の身分で差別するつもりはないけれど、失礼をして逆鱗に触れれば、この身など簡単にどうとでもなってしまう。
いつも以上に慎重に丁寧に――と心がけて、
いわゆる、厄介事を聞くための応接室だ。
「ああ」
素直に応じてくださるお客様がソファに座るのを見届け、扉を閉じると急ぎ足で店の出入り口へと向かう。
こっそり、表の扉にかかっている札をオープンからクローズに変えて、鍵をかけた。
「よしっ」
これでお店に用事があったとしてもお客様は入ってこれないし、やんごとなきお方に安心してご依頼いただける。
「……あ!」
お茶の準備をしなきゃ、と慌てつつ、でも、焦らずに店の奥へと急ぎ足でその場を離れた。
◇◇◇
「失礼いたします」
コンコンコン、とノックをして応接室へ入ると、まだフードを被ったままのお客様がいた。目は見えないけれど、ジッとこちらを見ているような感覚はある。
黒いフードだからか、不審者にも見えるのは、私だけの秘密にしておこう。
「――お待たせしました」
「こちらこそ、急な訪問で申し訳ない」
ティーセットを乗せている木製のトレーをテーブルに置き、ティーポットからティーカップにお茶を注げば、柔らかい花の香りが広がる。
素敵な香りに緊張していた心が少し解きほぐれるとタイミング良くカップに適した量のお茶が満たされた。
そっとカップを差し出せば、お客様は目深にかぶったフードを脱ぐ。
フードが黒という事もあって、際立つ白銀の髪に端正な顔立ち。そして、引き込まれるほど魅力的な深い青色の瞳が顕になる。
遠くから見かけたことがあるから、彼がどんな家柄の人なのかは知っている。依頼しにこの店へ来る女性たちがこぞって、結ばれたいと仰るお相手の方。
そんな人が来訪するなんて思いもしなかった――というより、この店との縁がなさそうな人が訪れたことに、目を見開いた。
「い、いえ……あ、こちらは当店のハーブティーです。お口に合えばいいんですけど」
ハッと我に返ったことを誤魔化すようにお茶を勧める。
貴族様は庶民を見下している人が少なからず、いる。ううん、比較的多いかもしれない。鼻で笑う人もいれば、いい顔をしておいて、お茶には手を付けない人もいる。
まるで、強制するように言ってしまったのでは――と少し後悔を募らせた瞬間、彼は何の迷いもなく、お茶に口を付けた。
「……うまいな」
こんな貴族様もいるんだ、とちょっぴり嬉しくなって、今日がまたさらに素敵になる。
「それでどんなご依頼でしょうか?」
「――アリシア・キャンベルは君か?」
お客様を笑顔にするために、と仕事のやる気が湧いてくる。
嬉しさの余り、満面の笑みで首を傾げると、疑問は疑問で返された。
「……お客様、庶民は姓を持ちません」
アヴィニール国は自然豊かで良い国とされている。
庶民の中でさほど貧富の差はないから、他にも問題はあったとしても良い方なのかもしれない。けれど、庶民に姓はない。姓を持つのは貴族のみ。
どういう意図が合ってこのようなことを聞いているのか分からず、困惑していると彼はただじっと見つめてきた。
真意を探るようなその目は、なんとなく居心地が悪い。
確かに私の名前はアリシアだ。それは否定しない。
男爵だった父は人が良すぎたために騙され、あれよあれよといううちに領地も家も奪われて、爵位を失った。
だから、今はもうキャンベルじゃない。
「君に頼みがある」
「あのぉ……、認めたわけじゃあないんですけれども」
肯定も否定もしていないのに、何故か確信があるような声が鼓膜を揺らす。こちらの話に耳を貸さずにどんどん進めるから、瞬きの回数が増える。
慌てて制止しようとしたら、次の瞬間、とんでもないワードが飛んできた。
「私と結婚して欲しい」
女性の憧れの的であるウィリアム・ローレンス公爵様の口からこんな言葉が出てくるなんて――と、開いた口が塞がらない。
「……は?」
出てきたのは、なんとも間抜けな声だった。
―――――――――――――――――――――
改稿 2024.07.07
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