第17話


 ――カランカラン、という音。

 鳴るはずのないそれに驚いて、バッと振り返る。


 何故なら、この店――「フェリーチェ」は休業中。

 表には「CLOSE」の看板がぶら下がっているはずなのに、客が来たからだ。


 鍵を閉め忘れたのか、と内心慌てつつも、リオンは笑顔を取り繕う。



「すみません! しばらく休業――」



 スモークグリーンのフードを被った客人が店を入った途端、フードを取り外すと一本に結われた薄水色の髪に滑らかそうな白い肌――そして、太陽のごとく輝く金の瞳が露わになる。


 リオンはその造形に身に覚えがあったのか、息を飲んだ。



「やあ、友よ。久しいな」

「――……護衛は」

「あんなの鬱陶しいだけなんだから、連れてくるわけがないだろ」



 にっこりと柔らかく笑みを浮かべ、片手を上げる客人にリオンは頬を引き攣らせて、肩をワナワナと揺らす。静かに、深く息を吐き出し、スッと細めて問うと返ってくるのは、あっけらかんとした答えだ。



「おっ、まえな……王太子がこんなところに来るなよ」

「そんなことを言うくらいなら、敬語のひとつを使って欲しいものだな」

「使うなって言ったのは誰だよ」



 ガクンッと頭を思いきり落とし、片手で顔面を覆う。

 心底信じられないと言わんばかりに、吐き出すそれに客人――否、皇太子はやれやれと首を横に振った。反応を見て楽しんでいるような素振りに、リオンは眉間に眉根を寄せる。



「僕だ。なあにお前と僕の仲だ。気にするな」

「頭が痛い」

「はっはっはっ!」



 皇太子が街へ護衛もなしに出歩いているなんて、前代未聞だ。いや、お忍びという文化はあるだろうが、たった一人で――というのは、彼の護衛たちからすれば、肝が冷える話だ。だが、当の本人は気にすることなく、腰に手を上げる。


 ズキズキと痛むのか、こめかみにそっと手を添えるリオンの顔色は良くはないというのに、王太子は悪戯が成功した子供のように笑った。



「それでどうしたんだ」

「アレを試した」



 胸に溜まる悪い気を追い出すように息を吐き出すリオンは頭を横に振り、本題を急かすと王太子は口角を上げたまま、目を細める。

 ピクッと微かに眉を動かして前を見据えるが、金色の瞳に濁りはない。むしろ、愉快そうな温度が帯びていた。

 聞きたくない――リオンの率直な思いはそれに限る。だが、店主として聞かない訳にもいかなかった。



「――……で、結果は?」

「ウィリアム以外は全くだ」

「上々だな」



 ごくり、と固唾を飲み込んで問いかければ、王太子は残念そうに目を閉じる。

 それはリオンにとっては朗報だ。ホッと肩の力が抜ける。



「欲を言うなら、ウィリアムにもバレないようにしてほしいところだけどな」

「無茶を言わないでくれ」



 面白味がないのか、王太子は不服そうだ。眉根を寄せ、こてん、と小首を倒してリオンを見つめている。けれど、その注文は受ける気にはなれないのか、ため息を吐き出した。


 ひとしきり笑うと王太子は懐から空を切り取ったようなガラス玉だ。それをグイッと前に突き出す。



「これは不要になった」

「なんでまた……お前が依頼したんだからそのまま持ってろよ」

「それだと私が女性にモテなくなる」



 あっけらかんとして言われ、リオンは眉根をひそめる。

 その品は、前に彼から言われた無茶な依頼の一つだ。それをあっさり返品されるのは複雑なのだろう。

 突き返すように、シッシッと手で払えば、神妙な顔をして王太子は意志の強さを見せた。


 一本に束ねている長髪は淡い水色をしており、やわらかい目元に瞳は太陽のような金色。そして、端整な顔立ち――とくれば、女性は放っておかないだろう。しかもそれが、この国の第一王子とくれば、更に憧れる女性は多い。

 遠回しにちやほやされたいと言っているようにも聞こえるそれにリオンは眉間のシワを深く刻む。



「……頭痛い」

「そういえば、また依頼したい。ちょいと駆けにはなるんだが……」



 本日二度目になる頭痛を訴えるが、王太子は気にしていないらしい。話題を逸らすようにニヤリと笑う。

 これはよろしくない――と、本能が言っている。彼がこういう表情になる時は決まって、無茶苦茶な依頼になると相場が決まっているからだ。



「なんだ、その恐ろしいワードは……妹もいない今、無茶な依頼はやめてくれよ」



 リオンは頬を引きつかせて、冷や汗をたらりと流しながら、忠告する。それが意味を成すのか否か、分かったもんじゃない。けれど、言わずにはいられない。

 今、この店は主軸だったアリシアがいない。しかも、しばらくは大丈夫と言ってしまったのだから、出来る限り頼らずにいたいという兄の思いもあるだろう。けれど、この王太子はそんな都合などお構いなしだ。



「神とやらをダマしてみないか?」



 眼光を光らせて、告げるそれは、理解しがたい。



「――――は?」



 何度も反芻させてみるが、やはりおぞましいことを言っているという事しか分からず、ぽかんと開いた口から出たのは、情けない声だった。


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なってみせましょう!旦那様の理想のお飾り夫人に! 水月蓮葵 @Waterdrag0n

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