第13話
ガタガタ、と揺れる馬車の中は気が気じゃあなかった。
目の前に座っている旦那様をちらり、と盗み見る。終始無言で外を見ている姿は何とも絵になるけれど、空気が重い。
執念深い令嬢がいるパーティーに行かなきゃいけないのだから、当然と言えば当然だ。それに私も――貴族に出戻っての初陣だから、緊張がすごい。
ドッドッドッ、と早まる鼓動に耳を澄ませていると、ヒヒーンという鳴き声と共に動きが止まった。
少ししてから扉が開かれ、彼は真っ先に降りて手を差し出す。
まるで、書上げ木の役者のようにスマートで、感嘆してしまう。
この人に恋した人が私の立場だったら、叫びあげるんじゃあないかしら――なんて、考えるけれど、それは品がない。貴族の意地を発揮して、何が何でもしないかもしれない。
うっとり表情を浮かべて手を握るだけかも。
「どうした?」
「い、いえ……ありがとうございます」
なかなか手を取ろうとしない私を不思議そうに見つめられ、ハッと我に返った。
呆けてる場合じゃあない、と慌てて手を取って馬車から降りると彼から腕を差し出される。
女性が苦手――もしくは、嫌い? そうなのに随分と鳴れていることに驚きつつも、腕に手を乗せた。
気を抜いたら、食われるような肉食動物のような人たちがいるはず――ここは言わば、敵陣。
静かに息を吐くと上から声がかかった。
「……大丈夫か?」
ふと視線を上げれば、どことなく心配そうな視線がこちらを向いている。なんだかんだ人を気遣うこの人は根から冷たいわけじゃあないんでしょう。
まるで、わざと突き放すようにしている感じはするけれど、今は置いておこう。
「ええ、行きましょう! 戦場に……!」
旦那様にふさわしいお飾り夫人としての初仕事。
気を引き締める私に、「その表現はどうなんだ」と言いたげな視線が隣から感じる。けれど、そんなものは無視して、光り輝くパーティー会場へと向かった。
きらびやかな会場に優雅な演奏が流れ、紳士淑女はワインに食事に、と舌鼓を打ちながら、談話を楽しんでいる。
爵位が上の者から声をかけるのがルールだからか、誰も声をかけようとはしない。でも、ちらちらとこちらに視線を送ってくる人たちは感じ取れた。
きっと独身貴族と謳われていた旦那様が結婚するなんて思っていなかったからだろう。だからこそ、相手は誰だという詮索や負けた悔しさに悪意をぶつける目が多い。
「アンダーソン伯爵」
「これはこれは! ローレンス公爵!」
旦那様にとって様々な感情の視線をぶつけられるのは慣れっこなのでしょう。気にも留めずに迷いのない足取りで進んでは、ふくよかな男性に声をかけた。
誰かと話していたアンダーソン伯爵――このパーティーの主催者はこちらをチラッと見て、嬉々として近寄ってくる。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ来てくださり、ありがとうございます。もしかして、こちらの方が――」
穏やかな笑みを浮かべる旦那様はいつもより声音が少し高い。声の高さにも驚いたけれど、仏頂面の彼が愛想を振りまいていることに衝撃を受けた。
これも貴族の処世術なのかもしれない――と感心しているとアンダーソン伯爵の視線が刺さる。まるで、早く紹介して欲しいと言わんばかりだ。
会話に挟むわけにもいかず、旦那様に目配せすれば、バチッと合う。ふっと表情を緩めて、私を彼に紹介した。
「ああ、妻のアリシアです」
「なんとなんと! 美しい方ですなぁ! 流石公爵の御心を射止めただけありますな」
旦那様の言葉に合わせて、にこりと笑みを返す。淑女らしさは分からないけれど、大人しく品の良い嫁アピールは出来たかしら――と内心ドキドキだ。
私の心中に気づくこともなくアンダーソン伯爵はなんとも否定も肯定もしづらいことを言ってくれる。
「ええ、まあ」
「!」
まだ序盤も序盤で追い込まれてないか、と不安になるけれど、私の心配はご無用だった。
彼は予想外にも腰に手を回して、ピタッと密着度を高めて頷く。
「こんな風に挨拶するなんて、聞いてませんよ! 旦那様!?」と、心の中で訴えてみても、伝わるわけもなく。
ただ綺麗な笑みを浮かべてこちらを見る彼に合わせて、微笑むしかなかった。
「いやぁ、新婚はお熱いですなぁ。ぜひとも我が家のパーティーを楽しんでいってください」
アンダーソン伯爵はハンカチーフで汗を拭きながら、顔を赤くさせる。
彼の言葉の通り、新婚らしく見えているのであれば、滑り出しは上々だと安心していいのかもしれない。
主催者ということもあって、伯爵は忙しいらしい。そそくさとまた別の誰かの元へと行ってしまった。
きっと、私がいることで旦那様に憧れる令嬢たちへの抑止力になれているのか、様子を伺われている。
見世物のようで居心地が悪いけれど、「新婚夫婦らしく」を嫌そうにしていた彼が、頑張っている姿に声をかけずにはいられなかった。
「……旦那様、大丈夫ですか?」
「君は心配しすぎだ」
こそっと、声をかけると彼はどことなく、呆れたように――でも、紳士の笑みを絶やすことなく、頷く。
プロの貴族意識を目の当たりにして、心の中で賞賛していると流れていた音楽が変わった。
「踊るか」
ふぅ、と短く息を吐いて手を差し出す旦那様。
そこまでやる必要はない気が――と思ったけれど、これは令嬢たちへの無言のアピールなのかもしれない。
「……特訓の成果をお見せしますわ」
「察しろ」と言わんばかりの雰囲気と目の奥の冷ややかさに、お断りしたい気持ちでいっぱいになる。でも、これが彼のお飾り妻になるということならば、仕方ない。
手を重ねて、挑発的に言ってのけてみた。
旦那様のことだから、軽く受け流すだろうと思っていたけれど――
「ああ、見せてもらおう」
不敵な笑みを浮かべて、ダンスホールへと誘われてしまった。
予想外の反応に戸惑っていると、ワルツーー三拍子でとてもリズムが取りやすい曲が始まる。
「……視線、とっても痛いですね」
「そうか?」
ダンスに集中したいけれど、そっちの方が気になってしまって、ぽろっと口から零れていた。でも、彼にとってはどうってことないらしい。
何食わぬ顔して、上手に引っ張ってくれる。
貴族だった頃、ダンスもしてこなかったらから、まともに踊るのはこれが初めて。
ステップとか覚えてはいたけれど、きっと、旦那様がお上手なんでしょう。
考えることなく、身を任せているだけで上手に踊らせてもらっていた。
「私……今、とても壁の花になりたい気分です」
ふわりふわり、と軽やかに舞える楽しさを覚えつつも、出てくるのは本音。
楽しさよりも視線の痛みの方が勝っていたからこそ、なんだけれど。
「それはもったいないだろう」
「あら、旦那様って意外とダンスがお好きなの?」
「いや、いつも断ってる」
私の気持ちを察してくれているのか、いないのか。なんだか読めない彼は、またらしからぬことを言う。
ダンスより読書――否、仕事の方が好きそうなイメージが崩されそうだったけれど、違うらしい。
「だったら、どうしてもったいないなんて――」
「こんなに綺麗な壁の花はもったいないだろう」
小首をひねる私に、さらりと何でもないように告げてターンした。
驚きの余りに躓きそうになる足を、頑張って上げてついていく。ちらりと、顔を盗み見ても、彼は素知らぬ顔だ。
「……ひとつ聞きますけど、旦那様って天然タラシだったりしませんよね?」
この間も今も、さらりととんでもない爆弾を投下する。
眉根を寄せてしまいそうになるのをなんとか堪えて、笑顔の仮面をつけるけれど、実は――なんてことがあるんじゃないか、と確認せずにはいられなかった。
「女性は苦手だ」
「……読めない人ですね」
またターンをして、質問に答えてくれるけれど、矛盾が生じている気がしてならない。
苦手なのに、そんなことを口から出せるのは――ああ、演じているからか、と納得してみる。でも、あんなに念押ししていた人がこんなことを何ともなさそうに言うのかしら、と疑問は晴れない。
結論が出ることはなく、ポツリと零れ落としていた。
「それは君もだろう……それより」
「はい?」
「名前で呼んでくれ。怪しまれる」
ピクッと彼の方眉が不機嫌そうに動いて、反論されるけれど、それはさほど重要じゃないらしい。
何か言いたげなそれに顔を見上げれば、深い青と交差する。
ずっと旦那様と呼んでいて、慣れてしまった――というのが正直ある。けれど、指摘されて初めて気が付いた。
新婚夫婦らしく、適度にイチャイチャするという打ち合わせだったのに名前を呼ばないのは、確かにおかしい。
家族以外で男性の名前を呼ぶことはあまりな――いいえ、ある。あったわ。お客様の名前は普通に呼んでいたもの。
でも、なんかそれとは違う感覚で、気恥ずかしさがあった。
「――ウ、ウィリアム、様?」
「ああ」
怪しまれると言われれば、言わざるを得ない訳で。
ごくり、と固唾を飲んでおずおずと呼んでみる。
うわぁ、呼んでしまったあ! という羞恥が心の中で暴れているけれど、彼はどこか満足気に頷いていた。
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改稿 2024.07.07
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