第19話


「――何をしている」

「っ、こ、公爵様!?」



 すっぽり身体が包まれている感覚にそっと上を見上げれば、抱きしめるように立っていたのは旦那様だった。

 険しい顔――というよりも、カナリア嬢を睨む目はとても鋭い。そのせいか、彼女の声は上擦っていた。



「まあ、お話は終わったのですか?」

「……君はこの状況でよくそんなことを聞けるな」



 しばらく話し込んでいるだろうし、彼の耳に届く範囲の騒ぎになっているとは思っていなくて、戻ってきたことに驚きが隠せない。

 パチパチ、と瞬きを繰り返して、率直な疑問を投げかけただけなのだけれど、旦那様は力が抜けたような顔をしていた。


 こんな状況――というのは、全身ワインに濡れていることなのかしら。それとも、平手打ちを食らいそうになっていたことなのかしら。

 いいえきっと、その両方なのかもしれない。でも、なんだか私の事を心配しているような顔に思わず、笑みが零れた。



「……ふふ、大丈夫ですから」

「全く、何が大丈夫なんだか」

「あ、の……公爵様、これは、その、あの……」



 なんとなく、想像はしていたから、別に傷ついてはいない。恋愛小説とかによくある展開が、現実になったというだけ。

 安心させるように笑いかけてみるけれど、呆れたようなため息が返ってきてしまった。


 旦那様は上着を脱いで、私を包むように羽織らせてくれる。

 ふわりと鼻腔を擽る香りとぬくもりにほっと息ができるような気がした。


 慌てふためくカナリア嬢は顔をサーッと青くさせている。

 何かを言おうとしているけれど、出てくる言葉がないみたいだ。



「妻がこんな状態ではいられないので失礼する」



 いくら待てども謝罪がないからか、それとも鼻から彼女の言い訳を聞く気もないのか。カナリア嬢を見る目の鋭さも増していて、肩を抱く手の力が強い。

 痛くはないけれど、ぎゅっと掴まれると促されるように歩かされた。


 見世物になっていたから、この場を離れられるのは少し安堵する。でも、心配かけてしまったクリスティーヌ嬢に何もお礼も謝罪も出来ていない。

 それだけが心残りで、ちらりと彼女へ視線を向ける。


 それに気が付いてくれた彼女は、首を横に振って、柔らかい笑みを浮かべてくれていた。なんて出来た令嬢なんだろう――と感動さえ覚える。

 クリスティーヌ嬢の心配りに今は甘えることにして、ペコッと頭を下げた。



「まって、待ってください……! 公爵様!!」



 背中越しに聞こえる叫びは必死だ。

 好いた人に誤解される――いいえ、誤解じゃないけど、見られたくはなかったはずの姿を見られてしまったのだから、仕方ないかもしれない。


 悲痛な訴えはまだ続いていても、足は止まらずに前へと進んでいく。

 隣にいる旦那様へ視線を向けるけれど、彼は変わらず険しい顔をしたままだった。




◇◇◇




 ガタガタと揺れる馬車の中は、静寂だった。

 窓から見える空を見上げれば、星々がキラキラと輝いている。夜会の煌びやかさと違って、柔らかくて優しい。


 とことん、貴族に向いていない――と苦笑してしまう。



「――傍にいられなくて悪かった」

「旦那様が謝ることは何もありません。それに助けてもらいました」



 馬車の音と、虫の鳴く音に耳を傾け、ちょっびりお尻の心配をしていると、突然、声が飛んでくる。

 外に向けていた視線を戻せば、旦那様は眉根を寄せて、深い青と交わった。


 少し落ち込んでいるようにも見えて、クスッと笑ってしまう。

 首を横に振ってみるものの、旦那様は腑に落ちていなさそうだ。


 あの場で怒っていたら、「品位がない」と見なされて、何も言わずに受け入れていたら、「所詮平民上がりだ」と罵られるだけ。

 どっちにしろ社交界の笑い者になり、見下される。だから、惚けて彼女の身を案じることにした。


 もし、あそこで旦那様が現れなかったら更に大事になっていただろうから、約束通り守ってもらったと言っていい。

 だから、彼に落ち度は何処にもない。



「……大丈夫か」

「大丈夫ですよ」

「そうは見えないが」



 ジッと見つめる瞳は私を探っている。

 何の確認か分からない問いに笑って見せるけれど、彼はそれも不満そうだ。



「……ちょっと、嘘です」



 上手に隠せていると思ったのに、隠せていなかったみたい。

 実は結構、お腹の方にふつふつとした感情が湧いてきていて、それをなんとか内に秘め続けていた。


 やっぱり、と言わんばかりに息を深く吐き出す彼に言わずには言われなかった。



「せっかくメアリーたちが綺麗にしてくれたのに申し訳ないのと、」



 ドレスは色が濃い色だったから、あんまり目立ってはいないかもしれない。でも、それでも今日の日のために一生懸命考え、作ってくれて、着飾ってくれた彼女たちの思いを考えると、胸が痛い。

 それに――



「ワインの匂いで酔いそうです」



 元々、そんなにお酒は強くないのに、頭から被ってる。

 ハンカチーフで拭いているからといって、匂いはこびりついていて取れる気配はないしで散々よ。



「……ははっ! 君は呑気だな!」



 ふわふわっとしている頭の感覚に、頬を膨らますと彼は目を真ん丸にさせていた。次第にふるふると震え、声を上げて笑う。まるで、子供ように無邪気な笑顔をしていた。



「っ!」



 人の笑顔は好き。だから、公爵家の人達の笑顔を見れるようになれたらいいな――とは常に思っている。

 でも、旦那様のそんな顔を見れるとは思っていなくて、びっくりしすぎて息を飲んだ。


 ツボに入ってしまったのか、笑いが止まらない彼はクックックッと喉を鳴らしている。

 何が楽しいのかは全く分からないけれど、楽しそうならいいか、と静かに息を吐いた。


 まだ嫁いで一ヶ月ちょっと。たいして旦那様を知らないし、知っているとは言えない。

 けれど、仏頂面でちょっとつまんなそうで、冷たい顔。社交界で常に張り付けていた笑顔の仮面なんかより――



「そうやって笑ってる方がずっといいですよ」

「…………」



 ただでさえ、素敵な人なんだから、笑っていた方がもっといい。旦那様はいつもどことなく、張りつめているから余計そう、思う。

 ポロっと出たそれに彼はピタリと笑い声を止めて、目を見開いてこちらを見た。



「――うん、そっちの方が旦那様に似合ってます」



 あら、残念。笑顔が消えてしまうことを言ってしまったのかもしれないと名残惜しく思いながら、先ほどの笑顔を脳裏に思い起こす。

 きっと何度自問自答しても思うことはやっぱり同じで、彼の心中など知りもせずに、私はひとりで納得するように笑った。



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なってみせましょう!旦那様の理想のお飾り夫人に! 水月蓮葵 @Waterdrag0n

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