第14話


 綺麗なメロディーが終止符を打つ。

 転ぶこともなく、旦那様の足を踏み潰すこともなく、踊りきれたことに胸が撫で下りた。



「この短期間でよく頑張ったな」

「セバスチャンのおかげですね」

「まあ! ローレンス公爵様ぁ!」



 私がここまで踊れるとは思っていなかったのか、賞賛を受ける。それは純粋に努力を認めてくれたようで、自然に頬が緩んだ。

 そんな私たちの背後――というより、旦那様の後ろの方から、聞き慣れない女性の猫撫で声が聞こえてくる。



「……」



 目の前にいる旦那様はビシッという音が聞こえそうなほど、身体を固め、顔を強張らせている。

 チラリ、と旦那様の肩越しに覗き見れば、薄く綺麗な桃色の髪を結い上げ、体のラインを強調した赤いドレスを身に纏う女性がそこにいた。


 彼の反応から見るにこの方が噂の人なのだろう、と察したけれど、なんだかもったいなさを覚える。

 これだけ綺麗な顔立ちなのに――愛憎劇の悪役のような方だなんて、身のこなしの使い方を間違えてしまっているようで……いいえ、だからこそ、向いているのかしら? なんてしみじみ考えていると、ジロリ、と蛇のように睨まれた。

 きっと、たぶん、気のせいじゃない。



「っ、……ああ、カナリア嬢」



 ごくり、と固唾を飲み込んでくるりと振り返る旦那様は表情を取り繕った。



「まだ紹介していませんでしたね。こちらが妻のアリシアです」

「初めまして。アリシア・ローレンスと申します。どうぞ、仲良くしてくださいまし」



 旦那様から紹介してもらったけれど、どんな反応が来るか想像つかない。

 仕草のひとつひとつを丁寧に、優雅に――そして、公爵夫人らしく、を意識して笑みを浮かべた。



「……こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」



 彼女の出方を見ていたら、素っ気ない返事。

 私とカナリア嬢は今日が初対面だ。名乗ったら、名乗り返すべきだ。

 それをしないということは仲良くする気がない――と、表明しているのも同じ。


 いきなり、バチバチのケンカを売られてしまって、どうしましょう――と困惑する。けれど、小説の主人公だったら、こんな感じかしら、となんだか楽しくなってしまっている私も、いた。



「……」



 元男爵令嬢で元庶民――それが事実だったとしても、今は公爵夫人。それを見下すと言うのは、伯爵令嬢の彼女には許されることではない。

 元庶民であることを引け目に思う必要はないからこそ、堂々とすることは何も間違っていない。


 ここで声を荒げて、私を傷付けたいとしても。無視をし続けたいとしても。

 カナリア嬢の目の前にいるのは私だけではなく、旦那様もいる。

 彼の前で醜い姿は見せないはず――。



「――わたくしは名乗りましてよ?」



 持っていた扇を閉じて、口元へと添えて、首を傾げる。

 穏やかに、にこやかにただ微笑んで見せると、彼女の眉がピクリッと微かに動いた。



「まあ、私ったら、……カナリア・アンダーソンですわ。驚きの余りに失礼してしまい申し訳ありません」



 案の定、申し訳なさそうに自身の恥を反省するかのよう頬に手を添え、名乗っている。

 内心、ふつふつと抱くマグマのような嫉妬心を押し殺して私に笑みを向けているのかしら――と、思うと賞賛してしまう。


 昔から貴族の女性たちは裏と表を使いのこなす――いわば、役者だ。

 だからこそ、目の前にいる彼女は相当の腕をお持ちだと、思わずにはいられない。



「わたくしも社交の場は久しぶりなのでお互い様ですわ」



 きっと、この一言はカナリア嬢のプライドを傷つけるだろう。

 だって、私は元庶民――そういう目で見ているのなら、傷つかずにはいられないはず。



「っ、……! ローレンス公爵様ぁ。次は私とダンスを――」

「申し訳ないが、妻としか踊るつもりはないので」



 「私に許された」というのが、やっぱり気に障ったらしい。目の鋭さが増したけれど、それもほんの一瞬だ。

 旦那様の視線に気が付き、我に返るとターゲットが私から彼へと移る。


 頬を赤らめて、愛らしく自身の手をギュッと握って願い乞おうとしたけれど、それは残念なことに最後まで言わせてもらえることはなかった。

 なんて切れ味なのだろう――と、思えるほどバッサリ切り捨てる旦那様は、私の腰に手を回し、ぴったりとくっついてる。


 今こそ、私が役に立つときだから、なされるがままになってみる。けれど、やっぱり慣れない近さと体温に恥ずかしさで心の中が荒れるのは、……秘密よ。



「そ、それなら……!」

「挨拶があるのでこれで失礼」



 旦那様と一緒に居られる理由を探そうとする彼女は、いじらしく見える。真実を知らなければ――という、補足は必要になるけれど。

 でも、彼はカナリア嬢のしつこさを身に染みて知っているからこそ、容赦なかった。


 グイッと引っ張られるまま、旦那様の導く方へと足を進めるけれど、後ろが気になってちらりと盗み見る。

 追いかけてくると思っていた彼女は存外諦めが良くて、立ち止まっていた。



「あの、旦那様……?」

「名前」

「あ、ウィリアム様……聞いていたより押しが弱くないですか? というか、おひとりで対処できてません?」



 少なからず、動揺していたのでしょう。つい、いつもの癖が出て、指摘されてしまった。


 いけない、いけない――と、扇で口を軽く押さえて、反省。言い直して、気になっていたことを尋ねる。

 前情報では執念深いと聞いていたのに、あっさりしているのだから、気になっても仕方ない。



「ああ、いつもより引き下がるのが早い」

「え、」

「……それが恐ろしい」



 ジッと見上げて、返事を待っていると思いのほか、あっさり頷かれてしまう。

 私の気のせいじゃあなかったことにも驚きだけれど、彼の呟きにごくりと喉が上下に動いた。


 常日頃、警戒しているであろう旦那様が恐怖を抱いている。それだけで何か企んでいるんだろうか、と勝手に考えを巡らせてしまう。

 でも、当然のことながら、答えなんてでない。


 もし、例えを言うのだとしたら、それは――そう、これだ。



「まあ、……まるで、嵐の前の静けさですね」

「本当に君は……、恐ろしいことしか言わないな」



 出てきた言葉がなんとも不吉で、おっと――と口を塞ぐけれど、もう遅い。

 頬をヒクヒクと刺せながら、呟く旦那様が目に入る。



「お、オホホホホ……」



 どことなく顔色が悪い彼に申し訳なさを覚えつつも、笑って誤魔化すと、横から声がかかった。



「やあ、ウィリアム」

「……! お前はまた――」



 そちらに目を向ければ、紺色の長髪を一結びにした男性が、片手にワインを携えながら、手を上げている。


 旦那様は怪訝そうに眉根を寄せていると、何かに気が付いたらしい。大きく目を見開いた。

 珍しく声を荒げる彼にぽかんと、見上げるけれど、お相手の方は鬱陶しそうに目を閉じている。耳に人差し指を差して、適当に流した。そして、バチッと髪色と同じ瞳と交わう。



「まあまあ、小言はまた今度聞く。それより隣のご婦人を紹介して欲しいな」

「……妻のアリシアだ」

「初めまして。アリシア・ローレンスです」



 はぁ、とこめかみに指を添えてる旦那様は今までで一番雑に、私を紹介する。取り繕わずにこんな態度を取る彼に新鮮さを感じる。それだけ親しい仲なのだと言うのだけは伺えた。

 内心驚きつつも、にこりと笑みを向けてドレスの裾を持ち上げる。



「ヒュー♪ 女嫌いのお前が身を固めたなんてなぁ」

「うるさい」



 旦那様を見る目は、面白がっている。軽快な口笛が響かせるとポンッと肩に乗せた。

 それに旦那様は不服そうにパシッと手を払いのける。


「それなのにあの令嬢は変わらずか」

「……ああ」

「お前は女運がないねぇ」



 旦那様の知り合いの視線の先には、先ほど挨拶した令嬢たちに囲まれ談笑しているカナリア嬢の姿がいた。彼は呆れたような、感心しているような感情が見え隠れした。

 痛く同意しているのか、しみじみと深く頷く旦那様に同情しているのか、肩を竦める姿はなんだかひょうきんだ。



「アリシアちゃんさぁ、どう?」

「ど、どう……とは?」

「この仏頂面男!」



 いてて、と払われた手を左右に振ると男性は、グイッと顔を寄せる。急に来る圧力に戸惑いを隠せなかった。その問いかけも意味が分からない。

 ニッと笑って、懲りずに旦那様を指差す。


 実に的を得ているその表現に、はぁ……と、零れる。


 どう――と、聞かれてもとても答えづらい。

 公爵家に嫁いで知ったウィリアム・ローレンスという人を探ってみるけれど、ほとんど関わってなさすぎる。


 ここに来て最難関に当たると思っていなくって、背筋にツゥーと冷たいものが走る。でも、顔には出さない。朗らかな笑みを浮かべて、目を細めた。



「とても、……誠実な方だと思います」

「……」

「――は、この冷血漢が……?」



 口から出た言葉に、二人とも目を丸くする。

 そんなに意外だっただろうか、と小首をひねらせると旦那様の知人は旦那様に指を差したまま、もう一度、問いかけた。


 ひどい言われように眉が八の字になってしまう。

 確かに旦那様は素っ気ないし、感情が豊かではない――いや、女性がらみになると一層豊かにはなるけれど、きっと彼が言っている意味はそういう意味ではないだろう。

 だったとしても、優しい心を持たない男――というのは、不釣り合いに思えた。



「冷血漢――は、よく分かりませんけれど、屋敷の使用人たちにも慕われていますし、私とも夫婦として対等に見てくださいます」

「へぇ……」

「もういいだろ」



 軽く首を横に振って微笑めば、まじまじと私の顔に穴が開くほど見ると、今度は旦那様へと視線を向ける。

 本当に遠慮がない人――それが、旦那様の知人に持った印象だ。

 旦那様は鬱陶しそうに彼の顔をペシッと手のひらを押し付け、物理的に近かった距離を離す。



「ったく、君の旦那は余程俺を関わらせたくないらしいな」

「ふふふ」

「では、レディ。また機会があったらダンスのお相手を」



 いてて、と自身の頬に手を当てて、困ったように笑うその顔は少年のようだ。愛嬌があって、人の心を開かせるのが上手なタイプに見えて、笑いを堪えきれず、口元を手で覆う。


 私を笑わせたことに満足したのか、旦那様の知人はスッと私の手を取り、手の甲に口づけをしてきた。

 旦那様の知り合いにしては、女性慣れをしている方らしい。



「さっさとあっちへ行け」

「……ははっ! じゃあまたな」



 旦那様はパシッと私の手を取って、ハンカチーフで手の甲を拭く。まるで、汚物をふき取るかのようにごしごしとするから、ポカンとしてしまう。

 怪訝そうにその場から追い出そうとする旦那様に、彼は嬉しそうに笑って、去っていった。




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