第17話


 曲が終わって、胸が撫でおりる。

 転ぶこともなく、旦那様の足を踏み潰すこともなく、踊りきれたことにすごく安心を覚えた。



「この短期間でよくここまで頑張ったな」

「セバスチャンのおかげですね」

「まぁ! ローレンス公爵様!」



 彼も私がここまで踊れるとは思っていなかったみたいで、賞賛してくれた。それは純粋に努力を認めてくれたようで、自然と頬が緩む。

 すると、後ろから聞きなれない女性の声か聞こえてきた。



「っ、……ああ、カナリア嬢」



 目の前にいる旦那様はビシッという音が聞こえそうなほど身体を固め、顔を強張らせている。

 ちらり、と視線を声のする方へと向ければ、薄く綺麗な桃色の髪を結い上げ、体のラインを強調した赤いドレスを身に纏う女性がそこにいた。


 彼の反応を見るからにこの方が噂の人なのだと瞬時に察知するけれど、なんだかもったいなさを覚える。

 これだけ綺麗な顔立ちなのに――愛憎劇の悪役っぽい間者のような方だなんて、使い方を間違えてしまっているようで……いいえ、だからこそ、向いているのかしら? なんて、しみじみ考えていると、じろり、とにらまれた。

 きっと、たぶん、気がするのは気のせいじゃない。



「まだ紹介していませんでしたね。こちらが妻のアリシアです」

「初めまして。仲良くしてくださいまし」



 旦那様から紹介してもらったけれど、どういう反応が返ってくるかは分からない。

 仕草のひとつひとつを丁寧に、優雅に――そして、公爵夫人らしくを意識して笑みを浮かべた。



「……こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」



 彼女の出方を見ていたら、素っ気ない返事をもらってしまった。


 私とカナリア嬢は今日が初対面なのだから、名乗ったら、名乗り返してもいいはず。それなのにしないって言うことは仲良くする気がないってこと――と、態度に表しているのも同じ。

 いきなり、ケンカを売られちゃったわ。どうしよう――なんて、困ってはいるけれど、なんだか楽しくなってしまっている私も、いた。



「――わたくしは名乗りましてよ?」



 元男爵令嬢で元庶民――それが事実だったとしても、今は公爵夫人。それを見下すというのは伯爵令嬢の彼女には許されることではない。

 それを引け目に思う必要もないからこそ、堂々とすることは何も間違ってない。


 持っていた扇を閉じて、口元へと添えて首を傾げる。

 穏やかに、にこやかにただ微笑んで見せると、彼女はピクリッと眉を微かに動かした。



「まあ、私ったら……カナリア・アンダーソンですわ。驚きの余りに失礼してしまい申し訳ありません」



 ここで声を荒げて、私を傷付けたいとしても。無視をし続けたいとしても。カナリア嬢の目の前にいるのは私だけではなく、旦那様もいる。

 彼の前で醜い姿は見せないはず――と踏んでいた。


 案の定、申し訳なさそうに自身の恥を反省しているかのように頬に手を添えて、名乗っている。

 内心、ふつふつと抱くマグマのような嫉妬心を押し殺して私に笑みを向けてくれてるのかしら――と、思うと賞賛してしまう。


 昔から貴族の女性たちは裏と表を使いこなす――いわば、役者のように感じていた。

 だからこそ、目の前にいる彼女は相当の腕をお持ちなのかもしれないと思わずにはいられない。



「わたくしも社交の場は久しぶりなのでお互い様ですわ」



 きっとこの一言はカナリア嬢のプライドを傷つけるだろう。

 だって、私は元平民――そういう目で見ているのなら、傷つかずにはいられないはず。



「っ、……! ローレンス公爵様。次は私とダンスを――」

「申し訳ないが、妻としか躍るつもりはないので」



 「私に許された」というのが、やっぱり気に障ったらしい。目の鋭さが増したけれど、それもほんの一瞬。

 旦那様の視線に気が付き、我に返るとターゲットが私から彼へと移る。


 頬を赤らめて、愛らしく自身の手をギュッと握って願い乞おうとしたけれど、それは残念なことに最後まで言わせてもらえることはなかった。

 なんて切れ味なのだろう――と、思えるほどバッサリ切り捨てる旦那様は、私の腰に手を回し、ぴったりとくっついてる。


 今こそ、私が役に立つときだから、なされるがままになってみる。けれど、やっぱり慣れない近さと体温に恥ずかしさで心の中が荒れてるのは、……秘密よ。



「そ、それなら……!」

「挨拶があるのでこれで失礼」



 旦那様と一緒に居られる理由を探そうとする彼女は、いじらしく見える。真実を知らなければ――という、補足は必要になるけれど。

 でも、彼はカナリア嬢のしつこさを身に染みて知っているからこそ、容赦なかった。


 グイッと引っ張られるまま、旦那様の導く方へと足を進めるけれど、後ろが気になってちらりと盗み見る。

 追いかけてくると思っていた彼女は存外諦めが良くて、立ち止まっていた。



「あの、旦那様……?」

「名前」

「あ、ウィリアム様……聞いていたより押しが弱くないですか? というか、ウィリアム様ひとりで対処できてません?」



 私も少なからず、動揺していたからでしょう。

 つい、いつもの癖がでてしまって、彼に指摘されてしまった。


 いけない、いけない――と扇で口を軽く押さえて、反省。言い直して、気になっていたことを尋ねる。

 執念深いと聞いていた割にあっさりしているのだもの。気になって仕方ない。



「ああ、いつもより引き下がるのが早い」

「え、」

「……それが恐ろしい」



 ジッと見上げて返事を待っていると思いのほか、あっさり頷かれてしまう。

 私の気のせいじゃなかったことにも驚いたけれど、彼の険しい顔にごくりと喉が上下に動いた。


 常日頃、警戒しているであろう旦那様が恐怖を抱いている。それだけで何が起きてしまうんだろうと、勝手に考えを巡らせてしまう。

 でも、当然のことながら、答えなんてでない。


 もし、例えを言うのだとしたら、それは――そう、これだ。



「まあ、……まるで、嵐の前の静けさですね」

「……本当に、君は恐ろしいことしか言わないな」



 出てきた言葉がなんとも不吉なもので、おっと――と口をふさぐけれど、もう遅い。

 頬をひくひくとさせながら、呟く旦那様が目に入る。



「お、オホホホ……」



 どことなく顔色が悪い彼に申し訳なさを覚えつつも、笑って誤魔化してしまった。



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