第16話


 ガタガタ、と揺れる馬車に乗っている間、気が気じゃなかった。


 私の前に座っている旦那様をちらり、と盗み見る。

 終始無言で外を見ている姿もまぁ、絵になるけど、空気が重い。


 執念深い令嬢がいるパーティーに行かなきゃいけないのだから、当然よね。

 それに私も――貴族に出戻っての初陣だから、緊張がすごい。

 ドッドッドッ、と早まる鼓動に耳を澄ましていると、ヒヒーンっという鳴き声と共に動きが止まった。


 少ししてから扉が開かれると、彼は真っ先に降りて手を差し出す。

 まるで、歌劇の役者のようにスマートで様になっている姿には感嘆してしまう。


 この人に恋した人が私の立場だったら、叫び上げてるんじゃないかしら――なんて、こと考えるけれど、それは品がないから貴族の意地でしないかもしれない。

 うっとりした表情を浮かべて手を握るだけかも。



「どうした?」

「い、いえ……ありがとうございます」



 なかなか、手を取ろうとしない私を不思議そうに首を傾げる旦那様に、ハッと我に返った。呆けてる場合じゃない、と慌てて手を取り、馬車から降りると彼から腕を差し出される。


 女性が苦手――もしくは、嫌い……そうなのに随分と手慣れていることに驚きつつも、腕に手を乗せて、歩き出した。



「……大丈夫か?」



 気を抜いたら、食われるような肉食動物のような人たちがいるはず――ここは言わば、敵陣。

 気を引き締めなきゃ、と静かに息を吐くと上から声が掛かった。


 ふ、と視線を上げれば、どことなく心配そうな視線がこちらを向いている。なんだかんだ、人を気遣うこの人は根から冷たいわけじゃないんでしょう。

 まるで、わざと突き放すようにしているように感じるけれど、今はそれは置いておこう。



「ええ、行きましょう! 戦場いくさばに……!」



 旦那様にふさわしいお飾り夫人としての初仕事を努めなければ! と気を引き締める。

 私の意気込みに、「その表現はどうなんだ」と言いたそうな視線を感じたけれど、無視して、光り輝くパーティー会場へと入った。


 きらびやかな会場に優雅な演奏が流れ、紳士淑女はワインに食事にと舌鼓を打ちながら、談話を楽しんでいる。

 爵位が上の者から声をかけるのがルールだからか、誰も声をかけようとはしない。けれど、ちらちらとこちらに視線を送っている人達がいるのは感じ取れた。



「アンダーソン伯爵」

「おぉ! ローレンス公爵!」



 慣れっこなのか旦那様は気にも留めず、迷いない足取りで進んでは、ほどよくふくよかな男性に声をかけた。

 誰かと話していたアンダーソン伯爵――このパーティーの主催者はこちらをチラッとみて、嬉々として近寄ってくる。



「お招きいただき、ありがとうございます」

「いやいや、こちらこそ来てくださり、ありがとうございます。もしかして、こちらの方は――」

「ああ、妻のアリシアです」



 にこり、と穏やかな笑みを浮かべる旦那様はいつもより声音が少し高い。声の高さにも驚いたけれど、仏頂面の彼が愛想を振りまいていることに衝撃を受けた。

 これも貴族の処世術なのかもしれない――なんて、観察しているとアンダーソン伯爵の視線が紹介して欲しいと言わんばかりにこちらに向く。



「なんとなんと! 美しい方ですなぁ! 流石公爵の心を射止めただけありますな」



 バチッと目が合ったことにドキッ、と心臓が跳ね上がるのを抑えて、笑みを返すとアンダーソン伯爵はなんとも否定も肯定もしづらいことを言ってくれる。

 追い込まれてないかしら、と旦那様を心配になるけれど、私が口を挟むわけにもいかないじゃない。



「ええ、まあ」

「!」



 私の心配をよそに、彼は予想外にも腰に手を回した。

 「そんな風に挨拶するなんて、聞いてませんよ! 旦那様!?」と心の中で訴えてみても、伝わるわけもなく。綺麗な笑みをこちらに向ける彼に合わせて、ただ微笑むだけしか出来ない。



「いやぁ、新婚はお熱いですなぁ。ぜひとも我が家のパーティーを夫婦で楽しんでいってください」



 アンダーソン伯爵はハンカチーフで汗を拭いながら、顔を赤くさせる。

 彼の言葉の通りに新婚らしく見えているのであれば、上々だと安心してもいいのかもしれない。


 主催者ということもあって、伯爵は忙しいようでそそくさとどこかへと行ってしまった。



「……旦那様、大丈夫ですか?」

「君は心配しすぎだ」



 きっと、私がいることで旦那様に憧れる令嬢たちへの抑止力に慣れているのか、様子を伺われている。

 見世物のようで居心地が悪いけれど、「新婚夫婦らしく」を嫌そうにしていた彼が、頑張っている姿に声をかけずにはいられなかった。


 こそっと、声をかけるとどことなく、呆れたように――紳士の笑みを絶やすことなく、頷く。プロの貴族意識を目の当たりにして、心の中で拍手を送っていると、流れていた音楽が終わった。



「踊るか」

「……特訓の成果をお見せしますわ」



 ふぅ、と短く息を吐いて、手を差し出す旦那様。

 そこまでやる必要はない気が――と思ったけれど、これは令嬢たちへの無言のアピールのつもりなのかもしれない。


 「察しろ」と言わんばかりの雰囲気と目の奥の冷ややかさに、断りたい気持ちでいっぱいになる。でも、これが彼のお飾り妻になるということなら仕方がない。

 手を取って、挑発的に言ってのけてみせた。


 旦那様の事だから、軽く流されると思っていたのだけれど――



「ああ、見せてもらおう」



 不敵に笑みを浮かべて、ダンスホールへとエスコートされてしまった。

 予想外の反応に戸惑っていると、ワルツ――三拍子でとてもリズムが取りやすい曲が始まる。



「……視線、とっても痛いですわね」

「そうか?」



 羨望や興味、嫉妬――色んな視線がチクチクと刺さって、痛い。


 ダンスに集中したいけれど、そっちの方が気になって仕方なくて、思わず、言葉に出していた。けれど、彼はどってことないみたい。

 何喰わない顔をして、私を上手に引っ張ってくれる。


 貴族だった時、ダンスもあまりしなかったから、まともに踊るのはこれが初めて。

 ステップとか覚えてはいたけれど、きっと、旦那様が上手なんでしょう。考えることなく、身を任せているだけで上手に踊らせてもらっていた。



「私、とても壁の花になりたい気分です」



 ふわりふわり、と軽やかに舞える楽しさを覚えつつも、出てくるのは素直な本音。

 楽しさよりも視線の痛さの方が勝っていたからこそ、なんだけれど。



「それはもったいないだろう」

「あら、旦那様って意外とダンスがお好きなの?」

「いや、いつも断ってる」



 私の気持ちを察してくれているのか、いないのか。なんだかよく読めない彼は、またらしからぬことを言う。

 ダンスより読書――否、仕事の方が好きそうなイメージが崩されそうと思ったけれど、違うみたい。



「だったら、どうしてもったいないなんて――」

「こんなに綺麗な壁の花はもったいないだろう?」



 小首をひねる私に、何が言いたいのか分かったらしい。さらりと何でもないように告げて、ターンした。


 驚きの余りに躓きそうになる足を、頑張ってあげてついて行く。

 ちらり、と顔を盗み見ても、彼は素知らぬ顔だ。



「……ひとつ聞きますけど、旦那さまって天然タラシだったりしませんよね?」



 この間もさらりととんでもないこと言って、今もまた爆弾を投下する。


 眉根を寄せてしまいそうになるのを何とか堪えて、笑顔の仮面をつけるけれど、実は――なんてことがあるんじゃないかと思って、確認せずにはいられなかった。



「女性は苦手だ」

「……読めない人ですね」



 またターンをして、私の質問には答えてくれるけれど、矛盾が生じている気がしてならない。

 苦手なのに、そんなことを口から出せるのは――ああ、演じているからかと、一瞬、納得してみる。でも、あんなに念押ししてた人がこんなことを何ともなさそうに言うのかしら、と疑問は晴れない。

 結論が出ることはなくて、ぽつりと零れ落としていた。



「それは君もだろう……それより」

「はい?」

「名前で呼んでくれ。怪しまれる」



 ピクッと彼の片眉が不満そうに動いて、反論されるけれど、それは重要じゃないらしい。何か言いたげなそれに顔を見上げて、言葉を待つと深い青と交差する。


 ずっと旦那様と呼んでいて慣れてしまっていたのもあるけれど、指摘されて、初めて気が付いた。

 新婚夫婦らしく、適度にイチャイチャする設定なのに名前で呼んでいないのは、確かにおかしい。


 家族以外で男性の名前を呼ぶことはあまりな――いいえ、ある。あったわ。お客様の名前は普通に呼んでいたもの。

 でも、なんかそれとは違う感覚で、気恥ずかしさがあった。



「――ウ、ウィリアム、様?」

「ああ」



 怪しまれると言われてしまえば、言わざるを得ない訳で。ごくり、と固唾を飲み込んでおずおずと呼んでみる。

 うわぁ、呼んでしまった! という羞恥が心の中で暴れているけれど、彼はどこか満足気に頷いていた。


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