第11話


「――それで、旦那様。まだ何か用が?」



 時計の針がコクコクと進んでいく。

 もう要件が終わったのかと思っていたのに、旦那様はまだソファに深く座っていて、腰を上げる様子はない。


 日にちが変わりそうな時間に眠気は増していくばかり。

 さっさと出て行って欲しいという本音を飲み込んで、首を傾げた。



「ああ、パーティーの件で話が」

「あら、なんでしょう」

「……今回行くパーティーなんだが、」



 こくり、と頷いて背筋を伸ばす彼に、驚きを隠せなかった。

 まだあの続きがあったのに、随分と話が脱線していたことに感心しながら、促す。


 口を開いては閉じ、開いては閉じ――を繰り返す旦那様に異様な空気を感じた。

 ついには、膝に肘を乗せて、手の甲に額を乗せている。これは相当、触れたくない話なのではないか、とこちらも緊張が走った。



「――主催の公爵家の令嬢が非常にしつこい」

「はい?」



 頷いたまま、黙っているところからして無理に話すことはない。

 日を改めることを提案しようとした瞬間、震える唇からとんでもないワードが飛び出してきた。



「自意識過剰と言われても仕方ない。思いを告げられているわけではないが、……明らかに好意を寄せてる令嬢がいる」



 嫌なものを吹き飛ばそうな勢いで息を吐き出して、ゆっくり顔を上げる彼の顔色は非常に悪い。嫌な冷や汗までかいている。


 いまだに自分自身信じられない、と言わんばかりだけれど、そんなこともない。


 まるで、妖精のような透明感のある肌に、艶やかな銀髪。そして、特徴的な青い瞳は人々を魅了するはずだ。

 それに顔の造形も国の中でもトップレベルだもの。納得してしまう。



「その方に多分、会ったことはないと思いますが、自意識過剰なんてことはないかと――」

「そう、か」



 モテる人はモテる人なりに苦労が合って大変――というのを目の当たりにした。でも、一体何がしつこいのかが、まだ分からない。

 ただ、言葉にしなくても、熱烈にアピールされるという事がいかにしんどいかということが、旦那様の表情を視ていて分かってしまった。同情を禁じ得ない。



「そ、それで……どんな方なんです?」

「少し、……いや、だいぶ――かなり、、執念深くて情熱的だな」



 私の問いにまた一層、気を重くしたように肩を落とす彼が居たたまれなくなってきた。

 どこか遠くを見つめて、思い出したくなさそうにしている。


 言葉を探して、ぽつりと呟くけれど、表現が徐々に大きくなっていく。

 オブラートにしようという建前が働くけれど、感情はそうもいかず、感じたままを教えてくれた。



「まあ、――愛憎小説に出てくる悪役みたいな方ですね」



 最近流行りの愛憎小説にそんな役どころがあった。

 読んだことはないけれど、街の本屋に行ったときに、流行っているとお店の人に勧められたことを思い出す。


 あらすじを聞いて確かに面白そうとは思ったけれど、まさか実際にぴったりな人がいるとは思わず、他人事のように零してしまった。



「私の行くパーティーには必ずいて、煙に巻いてもいつの間にかそばにいる令嬢だ」



 ギョッとした顔をしつつも続ける旦那様の口から語られるそれは、本当に小説のようで現実味がない。


 彼の行動を把握して、パーティーに参加するなんて、まるで――



「間者にも向いてそうな方ですね」

「なんてことを言うんだ」



 これは口に出すつもりがなかった。なかったのに、出てしまったそれに旦那様はサーッと顔を青くする。


 しまった、怖がらせてしまった――と、反省はする。でも、やっぱりその言葉が妙にしっくりきてしまう。



「だって、気が付かせないくらい気配を消すのが上手な方なのでしょう?」



 遠回しの表現をしていたけれど、結局言いたいことはそういうこと。

 確認するように首を傾げれば、うっ、と詰まらせているのだから、合ってる。



「よく今まで薬を盛られたりせずに無事でいられましたね」



 公爵家となれば、それなりに護身術とか習っているはず。

 気を抜かず、張りつめているのに気取らせない令嬢を相手にしなければならない――というのは、骨が折れそう。


 一歩間違えたら、犯罪紛いのことをしそうなほど、一直線な方――というイメージが付いてきたところで、またふと、頭の中に浮かんだ言葉が口から出ていた。


 ビクッ、と旦那様の肩が大きく揺れるのと同時に、少しマシになった顔色がまた悪くなる。



「――え、もしかして盛られました?」

「君は……そういうこと・・・・・・を恥じらいもなく聞くのはやめてくれ」



 小説じゃあるまいし――と、冗談にしようとしたら、この反応。流石に信じられなくて、ひくひくと口角が動く。

 自分がされたことじゃないのに、された側の気持ちになってしまって、サァーッと血の気が引くのを感じた。


 確認したくないけど、せずにはいられない問題に問いかければ、旦那様はガクッと頭を垂らす。



「あ……あはは、ごめんなさい。庶民なもので?」

「……身の危険はあっても、防いできた。だからこそ……その場だけは新婚らしい円満夫婦を振る舞って欲しい」



 確かに貴婦人にしては恥じらいがなさすぎるドストレートな表現だったとハッとする。

 でも、目の前にいるのは旦那様だけ。契約相手だし、貴族らしい振る舞いをする必要も感じなくて、笑って誤魔化してしまった。


 緊張感のない私に、無駄な力が抜けてきたのかもしれない。肩の力を脱力させて、顔を上げる彼はどことなく、疲弊している。

 はあ、と力ないため息が聞こえてくると、真剣な表情になった彼に頼まれてしまった。



「えーっと、その伯爵令嬢がドン引きして諦めるくらいイチャイチャしてる演技をすればいいんですか?」

「……ドン引きするほど溺愛する演技をする自信なんてないが、君は抵抗ないのか」



 旦那様は遠回しに伝えるクセでも持っているのかしら――と疑問が浮かぶ。けれど、ようは問題の令嬢を諦めさせればいいわけだ。

 お互いの解釈に間違いがないかを確認しなければ、と聞き返すといぶかしげな顔がこちらを向く。



「服を脱げと言われている訳じゃないですし……そもそもそういう契約ですし」

「その例えはやめろ。セクハラみたいじゃないか」

「旦那様は今からそれで大丈夫ですか?」

「ひとりでも群がる女性が減るなら、やる意味はある」



 もしかして、実は惚れてしまっているのではないか――と警戒しているかもしれない。じぃと針を穴に通すような鋭い視線が刺さる。

 正直、イチャイチャするってどうやればいいのか、分からないし、私だって羞恥心はある。でも、約束は約束だもの。

 さらり、となんてことないように流す私の表現に彼は頭を抱えていた。


 疲れとストレスが相まって顔が土色――そう、まるで死人のようでいささか心配になる。指の合間を抜けて、チラリと倦怠感のある視線と合った。

 私にはまったく、その気がないということが伝わったのかもしれない。


 何度目か分からない深いため息とともに意志の強い声が返ってきた。



「平凡な顔立ちなので貴族令嬢とかご婦人に釣り合ってないって言われそうですけれど、……頑張りますね」



 ひとつ心配していることがあるとすれば、女性陣に見下されそうということ。

 髪は赤茶色。瞳の色なんて――珍しいストロベリーピンクだ。容姿を気にする彼女たちと戦うのは、今からちょっぴし、……ううん、だいぶ憂鬱。

 女は度胸――と、気合を入れるように両手をグッと握れば、予想外な言葉が降りかかる。



「安心しろ。君は綺麗だ」



 何気なく、まるで当たり前――と言わんばかりに迷いも、偽りもなさそうな目で言われた。あの冷たさの塊のような旦那様の口から、出てくるとは思いもしなくて、目を大きく見開く。

 それこそ、目がそのまま、ぽろりと落ちてしまうんじゃないかというほどに。



「――――あり、がとう……ござい、ます」



 意外過ぎる誉め言葉に、息を止めていたのに気が付いたのは、肺が苦しいと思った時。

 ハッ、と息を吸いこんで我に返るけれど、彼は不思議そうに首を傾げていた。


 自分が何を言ったのか、この人は分かっているんだろうか――という疑問が頭の中でグルグルと駆け巡る。けれど、褒められたのには違いないと、震えない喉を無理矢理動かした。



「もし、危害を加えられそうになったら助けに入る。当日は頼む」



 気を張り詰めていた話が終わったらしい。ホッとしたようにそう告げ、腰を上げた。

 私も立ち上がって、お見送りしようと旦那様の数歩後ろを歩く。



「……」

「――おやすみなさい」



 どこまで付いて来るんだ、といわんばかりの目が向けられた。警戒している野良猫のそれに近い。

 足を止めて、安心させるように手を振って微笑んだ。その姿を見て、納得したのだろう。彼はパタン、と扉を閉めて暗い廊下へと消えていく。



「……なんなの。あの人」



 どんどん遠ざかる足音が、いつしか聞こえなくなる。部屋はシーンとした静けさを取り戻した。

 やっと、私一人だけの空間になって、ずっと胸に留めていた言葉を吐き出す。


 君は綺麗だ――なんて、真剣な顔で告げられたら、流石の私もドキッとした。惚れてはいないけれど、驚いた。だって、あの旦那様の口から出ると思わないじゃない。

 でも、あれは誤解してしまう女性はいるはず。ただ冷たくて女性が嫌いな人――という印象が分からなくなる。



「女性に好かれるのは旦那様の振る舞いに原因があるんじゃないの?」



 ぽつん、と突っ立ったままでいた私の肩から羽織っていたガウンがずるり、と下がった。



―――――――――――――――――――――



改稿 2024.07.07


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