第14話


「……それで、旦那様。また何か用が?」



 コクコクと時計の針が進んでいく。もう要件が終わったのかと思っていたのに、旦那様はまだソファに深く座っていて、腰を上げる様子はない。


 日にちが変わりそうな時間に眠気は増していくばかり。

 さっさと出て行って欲しいという本音を飲み込んで、首を傾げた。



「ああ、パーティーの件で話が」

「あら、なんでしょう」

「今回行くパーティーなんだが、……」



 こくり、と頷いて背筋を伸ばす彼に、驚きを隠せなかった。まだ、あの続きがあったのに随分と脱線したのね、と感心しながら、話を促す。


 口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す旦那様に異様な空気を感じた。ついには、膝に肘を乗せて、手の甲に額を乗せている。

 これは相当、触れたくない話なのではないか、とこちらも緊張が走る。



「――主催の伯爵家の令嬢が非常にしつこい」

「はい?」



 俯いたまま、黙っているところからして無理に話すことはないわ。

 日を改めることを提案しよう――と思った瞬間、震える唇からとんでもないワードが飛び出してきた。



「自意識過剰と言われても仕方ない。思いを告げられているわけではないが、……明らかに私に好意を持ってる令嬢がいる」



 ふぅ、と嫌なものを吹き飛ばしそうな勢いで息を吐き出して、ゆっくり顔を上げる彼の顔色は非常に悪い。嫌な冷や汗までかいている。

 いまだに自分自身信じられない、と言わんばかりだけれど、そんなこともない。

 まるで妖精のような透明感のある肌に、艶やかな銀髪、そして、特徴的な青い瞳は人々を魅了するはずだ。それに顔の造形も国の中でもトップレベルだもの。



「その方に多分、会ったことはないと思いますが、自意識過剰なんてことはないかと……」

「そう、か」



 モテる人はモテる人なりに苦労があって、大変――というのを目の当たりにした。でも、一体何がしつこいのかがまだ分からない。

 ただ、言葉にしなくても熱烈にアピールされるということがいかにしんどいかという事が旦那様を見ていて、分かってしまった。だからこそ、同情を禁じ得ない。



「そ、それでどんな方なんです?」

「少し、……いや、大分――かなり、執念深くて情熱的だな」



 私の言葉にまた一層、気を重くしたように肩を落とす彼が居たたまれなくなってきた。

 内心、慌てながらも話題を進めれば、どこか遠くを見つめて、思い出したくなさそうにしている。


 言葉を探して、ぽつり、ぽつりと零すけれど、表現が徐々に大きくなっていく。

 オブラートにしようと思ったのかもしれないけれど、感情はそうもいかず、感じたままを教えてくれている気がした。



「まあ、――愛憎小説に出てくる悪役みたいな方ですね」



 最近流行りの愛憎小説にそんな役どころがあった。読んだことはないけど、街の本屋に行ったときに、流行ってるからとお店の人に勧められたことを思い出す。

 あらすじを聞いて、確かに面白そうとは思ったけど、まさか実際にぴったりな人がいるとは思わず、他人事のように零してしまった。


「私の行くパーティーには必ずいて、煙に巻いてもいつの間にそばにいる令嬢だ」


 ギョッとした顔をしつつも、続ける旦那様の言葉は本当に小説の中の話みたいで現実味がない。

 彼の行動を把握してパーティーに参加するなんて、まるで――



「間者にも向いてそうな方ですね」

「なんてことを言うんだ」



 これは口に出すつもりがなかった。なかったのに、出ていたそれに旦那様はサーッと顔を青くする。

 しまった。怖がらせてしまった――と、反省するけど、やっぱりその言葉が妙にしっくり来てしまう。



「だって、気が付かせないくらい気配を消すのが上手な方なのでしょう?」



 遠回しの表現をしていたけれど、結局言いたいことと言うのは、そういうこと。確認するように首を傾げれば、うっ、と詰まらせているから、言いたいことは合ってる。



「よく今まで薬を盛られたりせずに無事でいられましたね」



 公爵家となれば、それなりに護身術とか習っていそうだけれど、気を抜いていないのに気取らせない令嬢を相手にするのは、骨が折れそう。


 一歩間違えたら、犯罪紛いのことをしそうなほど、一直線な方――というイメージがついてきたところで、またふと頭の中に浮かんだ発想を口にしていた。

 ビクッ、と旦那様の肩が大きく揺れるのと同時に、少しマシになった顔色がまた悪くなる。



「え、もしかして盛られました?」

「君は……そういうことを恥じらいもなく聞くのはやめてくれ」



 小説じゃあるまいし――と冗談にしようとしたら、この反応。流石に信じられなくて、ひくひくと口角が動く。

 自分がされたことじゃないのに、された側の気持ちになってしまって、サァーッと血の気が引くのを感じた。


 確認したくないけど、せずにはいられない問題に問いかければ、旦那様はガクッと頭を垂らす。



「あ……あはは、ごめんなさい。庶民なもので?」

「身の危険はあることは合っても、防いできた。でも、だからこそ……その、その場だけは新婚らしく円満夫婦を振舞って欲しい」



 確かに貴婦人にしては恥じらいなさすぎるドストレートな表現だったとハッとする。

 でも、目の前にいるの旦那様だけ。契約相手だし、貴族らしい振る舞いをする必要も感じなくて、笑って誤魔化してしまった。


 緊張感のない私に、無駄な力が抜けてきたのかもしれない。肩の力を脱力させて、顔を上げる彼はどことなく、疲弊している。

 はぁ、と力ないため息が聞こえてくると、真剣な表情になった彼に頼まれてしまった。



「えーと、その伯爵令嬢がドン引きして諦めるくらいイチャイチャしてる演技をすればいいんですか?」

「……ドン引きするほど溺愛する演技をする自信なんてないが、君は抵抗ないのか」



 旦那様は遠回しに伝えるクセでも持っているのかしら――なんて、疑問が浮かぶ。けれど、用は問題の令嬢を諦めさせれば言い訳だ。

 お互いの解釈に間違いがないかを確認しなければ、と聞き返すといぶかしげな顔をしていた。



「服を脱げと言われてる訳じゃないですし……そもそもそういう契約ですし」

「そのたとえはやめろ。セクハラみたいだろ」

「旦那様は今からそれで大丈夫ですか?」

「ひとりでも群がる女性が減るなら、やる意味はある」



 もしかして、実は惚れてしまっているのではないかと警戒しているのかもしれない。じぃと針を穴に通すような鋭い視線が刺さる。

 正直、イチャイチャするってどうやればいいのか分からないし、私だって恥ずかしさはある。でも、約束は約束だもの。

 さらり、となんてことないように流す私の表現に彼は頭を抱えていた。


 疲れとストレスが相まって顔が土色――そう、まるで死人のようでいささか心配になる。

 指の合間を抜けて、ちらりと倦怠感のある視線がこちらへと向けられる。私にまったく、その気がない・・・・・・という事が伝わったのかもしれない。


 何度目か分からない深いため息とともに意思の強い声が返ってきた。



「私って平凡な顔なので貴族令嬢とかご婦人に釣り合ってないって言われそうですけど、頑張りますね」

「安心しろ。君は綺麗だ」




 ひとつ心配していることがあるとすれば、女性陣に見下されそうということ。髪なんて赤茶色だし、瞳の色なんて――珍しいストロベリーピンクだ。容姿を気にする彼女たちと戦うのは、今からちょっぴし、……ううん、だいぶ憂鬱。

 女は度胸。気合を入れるように両手をグッと握れば、予想外な言葉が降りかかる。


 何気なく、まるで当たり前――と言わんばかりに迷いも、偽りもなさそうな目で言われた。あの冷たさの塊のような旦那様の口から、出てくるとは思いもしなくて、目を大きく見開く。

 それこそ、目がそのままぽろりと落ちてしまうんじゃないかというほどに。



「――――あり、がとうござい、ます」



 意外過ぎる誉め言葉に、息を止めていたのに気が付いたのは、肺が苦しいと思った時。

 ハッ、と息を吸いこんで我に返るけど、彼は不思議そうに首を傾げていた。


 自分が何を言ったのか、この人は分かっているんだろうかという疑問が頭の中でグルグルと駆け巡る。けれど、褒められたのには違いないと、震えない喉を無理矢理動かした。



「もし、危害を加えられそうになったら助けに入る。当日は頼む」



 彼の中の話は終わったらしい。ホッとしたようにそう告げ、腰を上げた。

 それに合わせて、私も立ち上がり、旦那様の数歩後ろを歩く。いわゆるお見送りというやつ。



「……」

「――おやすみなさい」



 どこまで付いて来るんだと言わんばかりの目が向けられ、それは警戒してる野良猫のそれに近い。

 足を止めて、安心させるように手を振って微笑んだ。その姿を見て、納得したのだろう。彼はパタン、と扉を閉めて暗い廊下へと消えていく。



「……なんなの。あの人」



 どんどん足音が遠ざかり、いつしか聞こえなくなって部屋はシーンとした静けさを取り戻し、やっと、私一人だけの空間になって、ずっと胸に留めていた言葉を吐き出す。


 君は綺麗だ――なんて、真剣な顔で告げられたら、流石の私もドキッとした。惚れてはないけど、驚いた。だって、あの旦那様の口から出るとは思わないじゃない。

 でも、あれは誤解してしまう女性はいるはずよ。ただ冷たくて女性が嫌いな人――という彼の印象が分からなくなる。



「女性に好かれるのは旦那様の振る舞いに原因があるんじゃないの?」



 ぽつん、と突っ立ったままでいた私の肩から羽織っていたカーディガンがずるり、と下がった。


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