第10話


 あれからメアリーとはぐれることなく、屋敷中を見れて、ある程度は分かってきたと思う。

 たぶん、きっと、もう迷子にはならないはず――と、ひとり寂しいディナーを食べた。まだ慣れないひとりじゃないお風呂に入って、ちょっぴりめんどうくさいお肌のケアをメアリーに促されるままされた。

 あとはもう寝るだけ――と少し解放された気分になったタイミングでコンコン、とノックの音がした。


 何かしら――と思って、メアリーに目を向けるけれど、彼女も分からないらしい。小さく首を横に振っている。



「……どうぞ」



 寝着の上からガウンをかけてもらい、仕方なしに入室許可を出すと、これまた意外な人物が訪ねていらっしゃった。



「夜分遅くにすまない」

「いいえ、どうなさったんですか?」

「君に頼みがある」



 どことなく、顔色が優れない。

 仕事が上手くいかなかったのかしら。それとも仕事が忙しすぎて疲れているのかしら――と少し心配になる。

 そんな状態になってまでここに来た理由が見当たらなくて、首を傾げると彼の喉が上下に動く。



「私に……旦那様が、ですか?」



 仏頂面のイメージが強い旦那様なのだけれど、目の前の彼は表情が強張っている。何か大事件でも起きたのか――と恐怖心が込み上げてきた。

 だって、命令すればいいところを頼んでくるなんて相当の事としか思えないもの。



「ひと月後にアンダーソン伯爵家のパーティーがある」

「ああ……それに同伴しろということですね」



 スッと出された一つの封筒を受け取って中身を見れば、夜会の招待状だ。


 言わんとしていることがやっとわかった。

 想像していたよりも大したことではなくて、肩の力が抜ける。



「マナーやダンスの講師はセバスチャンに頼んで手配しておいた。パーティーまでに貴族としての振る舞いを思い出してくれ」

「はい、わかりました」



 いつもより異様に早い言葉たちは怒涛のように降りかかる。

 私がパーティで浮かないように配慮してくれたのか、それとも公爵家の品位を損なわないためなのか――多分、後者よね。


 それでも細やかな気配りをしてくれることへの感謝は変わらない。

 とうとう本格的な仕事が舞い込んだことに気を引き締め、深く頷いた。



「奥様、ドレスは如何なさいますか?」



 二人の会話がなくなり、少しの間が空くと柔らかくも芯のある声が後ろから響く。

 ちらりと振り返れば、メアリーが私の返事を待ちながら、目を輝かせていた。



「え? まだ袖を通してないのが――」

「新しく仕立てましょうか?」



 まだまだ切れていないドレスがあるというのに仕立てるなんて、もったいなさすぎる。

 期待している彼女には申し訳ないけれど、断ろうと口を開く。けれど、それは最後まで言わせてもらえず、食い気味でまた問いかけられてしまった。



「え、あ、……うん? だから、まだ――」

「手配いたしますね。そうと決まれば、手配して参りますので失礼いたします」



 何のやり取りなのかしら――と困惑する。

 パチパチと瞬きを繰り返し、小首をひねってはもう一度、口を開いてみるけれど、また遮られた。



「メアリー、私のも彼女に合わせて頼む」

「かしこまりました」



 仕立てないという選択肢を与えないような早口にポカンとしていると、ふむ、と顎に手を当てている旦那様がとんでもないことをおっしゃる。


 確かに新婚夫婦ですから、問題はない。

 でも、そういう男女で衣装を合わせるというのは、初めての経験だから……、ちょっと、いいえ、とっても、動揺してしまう。


 旦那様の一言にメアリーはパアッ、とまるで花が咲いたような雰囲気を醸し出す。

 それはとても新鮮――というよりも初めて見た。


 なんだか楽しそうだから、いっか――と置いてけぼりになりながらも、ルンルンと部屋を出ていく彼女の背中を見送った。



「……」



 導いてもいないのに旦那様は勝手にソファに座って、腕を組む。

 まだここに居座るとは思わなくて、ぽかんとしていると唐突な質問が鼓膜を揺らした。



「――使用人に何をした」



 悪いことをしたかのような――そう、まるで問い詰められているかのような言い方に思わず、目が丸くなる。


 なんか面倒事を起こしたから――と、今日一日の自分の動きを思い出す。特に何も――あ、アンナとミリーを泣かしたことかしら。

 それはワザとではないし、本人たちも許してくれた。何も問題なく思える。

 もし、それが旦那様の耳に入ったとしたら、わざわざ回りくどい聞き方なんてしないだろう。



「……何をした、とは?」



 思い当たる節がなくて、首をこてんと倒した。



「たった一日で懐柔しただろ」

「なんというか……人聞き悪い」

「どうしてアイツらが君を受け入れてるんだ」



 懐柔って、珍獣を相手にしてるかのような言い方に呆れてしまう。

 それに賄賂でも渡したのか、と疑っているような目にもやぁっとする。


 いくらなんでも、ひどすぎる……でも、直接そう言われた訳じゃないから、本当のところどう思ってるのかは分からないけど、なんかもう少し、こう……言い方があると思うのよ。


 あからさまにプクッと頬を膨らませて、態度に表にしてみるけど、彼は気にしていない。

 ただ、屋敷の使用人たちが私への態度を変えたことだけが、気になるらしい。



「う~ん、警戒心を解いてくれたんですかね?」

「どうやってだ」



 仕方なしに旦那様の追及に協力しようと、顎に指を添えて考えてみる。でも、それ以外何かをしたわけじゃあない。懐柔という言葉とは似つかわしくない

 自分でもわからない――と、聞き返して終わりにしようと思ったけれど、旦那様にそれは通用しなかった。


 取り調べをされているような雰囲気で気分は良くない。けれど、目の前の彼は真剣に答えを求めていて、ないがしろにするには流石に申し訳なさがある。

 もう一度、ぐるぐる考えてみても、本当に特別なことはなくて、今日の過ごし方を伝えるしかなかった。



「どやってって言われても……、ただ散策して、会った使用人と話したぐらいですけれど」

「それだけ?」

「ええ、そうですよ」



 意外な答えだったのか、旦那様の切れ長の目が真ん丸になる。

 それ以上でも以下でもないから、頷くしかなかった。



「何を話した」



 私に興味はないから好きにしていい――と仰っていたのに、何故こんなに聞いてくるのかしら。その疑問が口から飛び出しそうになるけれど、我慢。

 ぐつぐつと湧く感情を鎮めるように目を閉じて、ゆっくり息を吐き出す。すると新しい空気が身体を巡っているようで少しばかり、溜飲りゅういんは下がった気がした。


 きっと旦那様も二人が魔法を使えることは知っているはずから、ミリーとアンナの件は話した方がいいのかもしれない。だけど、魔法がバレたというだけで身体を震わせ、恐れていた二人の姿が脳裏に浮かぶ。


 これはデリケートな問題だ。

 雇用主にそんなことがあったと知られることを良く思わないかもしれない――と、思うと私からそれを旦那様に告げるのは気が引けた。



「ええ、と……お礼とか世間話とか」

「礼?」

「お料理や掃除、洗濯、仕入れ、屋敷管理、お庭の手入れとかたくさんのことをやって下さっているんですもの。感謝しかありません」



 どもりながら、ぽつりと零したそれに旦那様の眉がピクリと動く。


 ふと、視線を合わせれば、よどみない青色と交わる。彼にとって当然で、当たり前のことだからか、意味が分からない――といった具合だ。

 令嬢だった時も、他の令嬢が使用人にお礼を言っている姿は見なかった。

 きっと貴族にとってはそれが普通――正しいのかもしれない。



「だから、屋敷を散策してる時に会った方にお礼を言ったりしてただけです」



 迷子にならないように――という思いは優先していたけれど、この心に嘘偽りはない。

 旦那様は只何も言わず、呆然としていた。



「どうしてそんな過ごし方を?」

「お飾りだし、三年しかいませんけど……せっかくなら笑顔で過ごしたいじゃないですか」



 私の過ごし方に文句がある――というよりは、理解できないという感覚なんだろう。小首をひねる彼に、力を抜いて肩を竦めた。



「――――笑顔で過ごすため、に?」



 長い、長い沈黙。

 何かしらのアクションが欲しいと願った瞬間、彼の思い口が開き、瞳が微かに揺れる。



「誰かの笑顔を見たり、自分がその顔を引き出した時って胸がポカポカしませんか?」

「いや……」



 さっきからこの人のこういう顔しか見てない――なんて失礼な考えを頭の隅に追いやって、首を傾げた。


 目を伏せがちに答えるところを見ると、旦那様にはない考えなのでしょう。

 また考え込むように口元に手を添えている。



「なんてもったいない……!」

「……どうしてそこまで笑顔にこだわってる?」



 極力引っ込ませているはずだった本音がまた顔を出してしまった。

 慌てて、口を手で覆ってみるけれど、もう遅い。


 この癖をなんとか直したい――と密かに嘆いていると彼は理解できないと言わんばかりに眉根のシワを寄せた。



「――笑顔は人を幸せにするんです」

「幸せ?」



 笑顔の力を知らないんだと気づいてしまった。

 この、身体があたたまるようで、力が湧くような感覚を知らないのはとても切なくて、なんだか泣きそうになってしまう。


 息を吸って優しく、柔らかく――どうか伝わりますように、と願いを込めて紡ぐ。

 また疑問が返ってきた。



「ええ! 目の前にいる人の笑顔が見れたときは本当に嬉しいんですよ……!」

「君は、……幸せ、なのか」



 分からないなりに理解しようと努力している姿に大きく頷く。


 お店で依頼の品物を手渡す時に見るお客様の笑顔を思い出すと溢れてくる高揚感に嬉しくなって、力説してしまった。

 暴走してしまったんじゃあないか、と旦那様の顔を見て我に返る。不思議そうな顔をしているけれど、私の言いたいことは汲んでくれているみたい。



「はい! 笑顔を見るのが大好きなんです!」



 ビジネスには信頼が必要不可欠――リオン兄さんがよく言っていた言葉。

 契約結婚で興味がないと言われようとも、信頼関係を築けたらいいと思っていた。


 初めて会った時、昨日呼び出された時のような冷たく張りつめた空気はなくて、どことなく、今まで見た彼の顔の中で穏やかに見える。

 私は初めて、彼を前にして自然に笑えた気がした。


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