第9話


 鼻歌交じりで、迷路のような庭を抜けた。それはまるで、子供の冒険が成功してわき上がる喜びが、胸を満たしている。

 やっと花の洞窟から抜けたわね――と、メアリーに笑いかけようとしたら、いない。



「……あら?」



 くるり、と日傘を回して零した一言は空気に響く。でも、拾ってくれる人は誰もいない。

 一人で屋敷内を歩いていたら、迷子になる自信はあったけれど、まさかあんなに近くにいたメアリーとすら、はぐれた――その事実に冷や汗が背筋を流れた。


 焦る気持ちを落ち着かせたくて、誰かと出会わないか――と歩くけれど、会わない。

 今自分がどこにいるかすら、わかってないけど、会うまではもう止まれない――と、早歩きしていると、微かに女性の声が聞こえた。



「――!」



 神の救いとはこのことかもしれない。希望の光が見えて、じわりと目頭が熱くなる。

 声のする方へと足を進めた。


 少し心に余裕が生まれたのか、空を見上げられる。燦々と輝く太陽に見守られ、青々とした空の中を雲が悠々と泳ぐ。



「……洗濯日和ね」



 石鹸の匂いとほかほかになった洗い物を想像すると、自然と口角が上がる。

 だんだんと近くなっていく声が、言葉としての輪郭を露わにしていた。



「水気飛ばしたから、干しちゃって~!」

「はいよ~!」



 元気な選択担当の使用人の声。でも、なんだか違和感がある。

 「洗ったから、急いで干しちゃおう」とかじゃなくて、「水気を飛ばしたから、干しちゃって」とはいったい、どういうことなのだろう。


 水気を飛ばすって、しぼりにしぼって水気がないということなのだろうか。それだとしたら、とてつもなく力が強いということになる。

 しかも、投げられた言葉を当たり前のように受け取っている同僚の返事がよりいっそう、謎を深める。


 いったいどういうことだろう――と、一歩、二歩と前へと出た。



「――!」



 洗濯物に片手をかざし、もう片方の手の人差し指を振っている。それに合わせて、洗濯物が、バサッと音を立てて、シワを伸ばす。

 まるで、それらに意思があるかのように物干しロープに自らかかっていく姿に目を見開いた。



「っ! お、奥様……!?」



 バサッと日傘を落とした音にメイドの一人――アンナが振り返り、顔を真っ青にさせる。



「あ、の……これは、その」



 洗濯物に手をかざしていたミリーは口をパクパクさせて、何かを説明しようとしているけれど、言葉に詰まっている。

 目を泳がせて、肩まで震わせていたけれど、胸の高鳴りを抑えられなかった。



「――素晴らしいわ!」

「……え」

「今の魔法でしょう!? ミリーは風魔法が使えるの?」



 なんて夢みたいで、素敵な光景なんだろう――と、興奮する私に相対して二人は戸惑っている。でも、止められない期待に目を輝かして問いかけた。



「……奥様、は……卑下しないのです、か」

「どうして?」

「……魔法は、神から見放された証です」



 ミリーはぎゅっと両手を握って、様子を伺うような目をこちらに向ける。

 彼女を卑下する理由はどこにもない。私だって、お飾り夫人だし、三年後にはここから出ていく身だ。それを知っているのは旦那様とクロードだけ。

 もし、その事実を知ったら、間違いなく蔑まれるのは私の方だ。だからこそ、首を傾げる。


 ミリーは口を開けては閉じて、を繰り返すと小さな声で、そう告げた。


 魔法――基本は火・水・木・土・風で成り立っている不思議な力。それはギフトを授かれずに神が見放した烙印とまで言われている。

 実際はどうかは誰にも分からない。でも、教典にはそう書かれていて、そのせいで魔法が使えるものたちは迫害を受けて来たという歴史がある。

 それゆえに、神から授かったギフトを神の使いと、上位のように見る過激派もいるらしい。



「私はね、魔法をそうは思ってないの」

「……」



 罪深い歴史に胸を痛めながら、ゆっくり極めて優しい声で声をかけるけれど、二人の表情は暗いままだ。

 もしかしたら、似たようなことを言われて裏切られてきたのかもしれない。期待して裏切られるのは、すごくつらいし苦しい。

 だったら、人を疑って、信じない方が楽だと思うのも、分かる――分かっているつもりだ。



「魔法は自然の力を借りられる――自然の声を聞ける力だと思ってるの。だから、あなたの力はすごいのよ。誇っていいの」



 これは本心――ギフトも魔法も素晴らしい力だと思う。どちらも良くも悪くも使おうと思えば、使える。言ってしまえば、使う人の天秤にかかっている。


 魔法は本当に神の烙印なのか――という疑問を持たざるを得ない。

 だって、属性は全て自然からなっているのだから。


 じわり、と目の淵から流れる涙を拭って微笑めば、ミリーは声を殺して泣いた。

 その背をアンナが摩っていたけれど、彼女もまた頬を濡らしている。


 泣いている二人に内心慌てふためく。泣かすつもりなんか全くなかった。

 ただそんな差別を当たり前のように享受している目の前の人に、そうじゃないと伝えたかっただけ。


 どうしよう――と眉を八の字にして天を仰げば、「奥様!?」という声が響き渡った。



「……メアリー!」



 聞き覚えのある声にバッと後ろを振り返れば、肩を上下に揺らして息を整えるメアリーの姿。

 数十分前にはぐれた彼女との再会――そして、この状況を何とかしてくれそうという希望にパアッと表情を明るくした。



「……あの、この状況は?」

「あは、は……泣かせるつもりはなかったんだけど、泣いちゃった」



 ふぅ、と息を吐き出したメアリーはちらっと目を配らせる。


 助けを求めるような私とその後ろで泣いて支え合ってるメイドが二人。

 傍から見たら、使用人いじめした女主人に見えなくもない。悪役になっちゃうかもしれない、という不安から頬が引き攣った。



「奥様は悪くありません」

「嬉しかっただけなのです……奥様」

「な、なに?」



 私とミリーとアンナを交互に見るメアリーは困惑した表情を浮かべているとアンナは背筋を伸ばし、首を軽く横に振るう。

 ミリーはぐずっと鼻を啜って、涙を拭いながら、私を呼んだ。


 気持ちが落ち着いたのに少しほっとしつつも、なんと言われるのかが分からなくて。

 どきまぎしながら、首を傾げる。



「私たちを肯定して下さり、ありがとうございます」



 二人は横に並んで、深く頭を下げた。

 少しは信頼してくれたと思ってもいい気がして、二人の手を取る。その行動に驚いたのか、こちらを見る目は真ん丸としていた。


 きっと新参者の私がどこから現れるか分からないのに魔法を使うのはすごく気を使っただろう。

 だから、お礼を言うのはこちらの方だ。



「……こちらこそ、洗濯をしてくれてありがとう。これからもよろしくね」

「……はい!」



 感謝の気持ちを込めて、微笑むと二人はぎゅっと握り返して、可愛らしい笑顔を見せてくれた。



―――――――――――――――――――――



改稿 2024.07.07


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