第13話
「使用人に何をした」
導いてもいないのに旦那様は勝手にソファへと座って、腕を組む。まだここに居座るとは思わなくて、ぽかんとしていると唐突な質問が鼓膜を揺らした。
悪いことをしたかのような――そう、まるで、問い詰められるかのような言い方に思わず、目が丸くなる。
「……何をした、とは?」
何か面倒事を起こしたかしら――と今日一日の自分の動きを思い出そうとしても、特になにもない。
思い当たる節がまったくなくて、困ってしまう。言いたいこともよく分からなくて、首をこてんと倒した。
「たった一日で懐柔しただろ」
「……もう、人聞き悪い」
「どうしてアイツらがお前を受け入れてるんだ」
懐柔って、珍獣を相手にしてるかのような言い方に呆れてしまう。それに賄賂でも渡したのかと疑っているようなその目に、ふつふつと怒りが湧いて来た。
いくらなんでも、ひどすぎる……でも、直接そう言われた訳じゃないから、本当のところどう思ってるのかは分からないけど、なんかもう少し、こう……言い方があると思うのよ。
あからさまにプクッと頬を膨らませて、態度に表してみるけど、彼は気にしていない。
ただ、屋敷の使用人たちが私への態度を変えたことだけが、気になるらしい。
「う~ん、警戒心を解いてくれたんですかね?」
「どうやってだ」
仕方なしに旦那様の追及に協力しようと、顎に指を添えて考えてみるけれど、本当に特に何もないし、していない。
自分でもわからない――という意味を込めて聞き返して終わりにしようと思ったけれど、旦那様にそれは通用しなかった。
「えぇ……、ただ挨拶回りしただけですよ」
「……挨拶回り?」
取り調べをされているような感じがして、気分は良くない。けれど、目の前の彼は親権に答えを求めていて、ないがしろにするには申し訳ない気がした。
もう一度ぐるぐると考えてみても、本当に特別なことはしてなくて、ただ今日の過ごし方を伝えるしかなかった。
意外な答えだったのかもしれないわ。
旦那様の切れ長の目が真ん丸になっていた。
「昨日は挨拶もせずに街へ出かけてしまった申し訳なさもありますけど、これからお世話になるんですもの。それにもう既にお世話になってるからお礼も言いたくて」
「礼……?」
「何故?」と言わんばかりの表情に、「どうして、いちいち教えなきゃいけないんだろう」と言う疑問は正直、浮かんでる。
でも、答えないと部屋から出ていきそうな雰囲気もないから、息を深く静かに吐き出して、返す。
またそれが、彼の中で引っかかるらしい。
そのつぶやきに成人男性に対して、本当に失礼だと思うけど、色んな事に興味を持ち始めた幼い子供のようだと思ってしまった。
「美味しいものを作ってくれたり、屋敷を掃除してくれたり、洗濯、仕入れ、屋敷管理、お庭の手入れとかたくさんの事をみんながやってくれてるんですもの。感謝しかありません」
私に興味がないから好きにしろと仰っていたのに、何故――と言いたいのは私の方だけど、がまんがまん。
噴火しそうな、ぐつぐつと湧く感情を沈めるように目を閉じて、ゆっくり息を吐き、新しい空気を身体に巡らせる。少しばかり、溜飲は下がった気がする。
彼にとっては当然で、当たり前のことなのかもしれない。
いいえ、令嬢だった時も、他の令嬢が使用人にお礼を言っている姿はあまり見なかったから、きっと貴族にとっては――の方が、正しいのかもしれないわ。
「だから、挨拶がてらお礼を言って回っただけです」
「……」
そう告げて真っすぐ前を見れば、呆然とした彼がいた。
「お飾りだからちょっとやり過ぎかなとは思ったんですよ? でも、お仕事はまだ行けないし……それならここで笑顔で過ごすために何かしようって思ったんです」
ふと、我に返ると一人で語りすぎてしまったかしら――という不安がよぎる。だって、旦那様はずっと、黙ったままだもの。
もしかして、何か地雷を踏んでしまったのではないかしら、と思うと口は勝手に動き出す。焦りもあいまって、言い訳がましくなっている気もしてくる。
「……笑顔で過ごすために?」
自分の至らなさとかもさらけ出してしまって、何を言っているんだろうとまた情けなくなる。
この空気に耐えるために、指をツンツンとつつていてそれを見つめてた。
長い長い沈黙のように感じて、「何かしらアクションをちょうだい……!」と思った瞬間、彼の重い口が開いた。
「誰かの笑顔を見たり、自分がその顔を引き出した時って胸がぽかぼかしませんか?」
「いや……そういうことを考えたことはなかった」
そらしていた視線をゆっくり上げれば、驚いているような顔をしている。
さっきからこの人のこういう顔しか見てない――なんて失礼なことを頭の隅に追いやって、小首をひねった。
首を横に振っているところを見ると、旦那様にはない考えなのでしょう。
また考え込むように口元に手を添えて、眉根を寄せている。
「なんてもったいない……!!」
「……どうしてそこまで笑顔に拘っている?」
極力引っ込ませてる本音がまた顔を出してしまった。慌てて、自分の口を手で覆ってみるけれど、もう遅い。
この癖をなんとか直したいわ――と密かに嘆いていると彼は理解できない、と言わんばかりに眉間のシワを寄せてぽつり、と零した。
「――笑顔って人を幸せにするんです」
「幸せ?」
この人は笑顔の力を知らないんだと気づいてしまって、なんだか悲しい気持ちになる。
この、身体があたたまるようで、力が湧くような感覚を知らないのは、とても切なくて、なんだか泣きそうになってしまった。
すぅ、と息を吸って優しく、どうか伝わりますようにという願いを込めて、紡ぐ。すると、また疑問が返ってきた。
「ええ! 常に目の前にいる人の笑顔がみたいと思ってて、その顔が見れた時は本当に嬉しくて……!」
「君は……幸せ、なのか」
分からないなりに理解しようと努力している彼に大きく頷く。
お店で依頼の品物を手渡すときに見るお客様の笑顔を思い出すと溢れてくるワクワクと高揚感に嬉しくなって、力説してしまった。
暴走してしまったと、旦那様の顔を見て我に返る。不思議そうな顔をしているけれど、私の言いたいことは汲んでくれているみたい。
初めて会った時、昨日呼び出された時のような冷たく張りつめた空気はなくて、どことなく、今まで見た彼の顔の中で穏やかに見える。
「はい、笑顔を見るのが大好きなんです」
ビジネスには信頼が必要不可欠ってリオン兄さんが言っていた。だから、契約結婚で興味がないと言われようとも、信頼関係を築けたらいいなと少なからず、思っていたの。
少し芽生え始めたそれに初めて彼を前にして自然と笑えた気がした。
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