第2話



「あ、あのぉ……今、なんておっしゃいまし――」



 真剣な目と交わるけれど、言葉の意味を上手く飲み込むことはいまだに出来ていない。

 だって、噂に聞く月の女神の眷属とまで囃し立てられている公爵――ウィリアム・ローレンス様からの口から出たものだとは信じられない。


 咳払いひとつして、自分の手を重ね合わせながら、確認しようと口を開いたけれど、それは最後まで言わせてもらうことは叶わなかった。



「だから、結婚して欲しい」



 残念なことに、聞き間違いじゃあありませんでした。


 彼の妻になりたい令嬢はごまんといるはず。

 それこそ、国内外問わずいるはずなのに、わざわざ没落した元男爵令嬢である私の元に訪れたのか、分からない。変わらなすぎて眉間にシワが寄る。


 もし、眉間にシワの跡でもできていたとしたら、彼のせいだ――と、遠くに飛ばしていた意識を戻した。



「え、え、えぇ……あの、失礼を承知で伺いますけど、分かってます? 私は庶民ですよ?」



 胸に手を添えて、正気かと問いてみるけれど、冗談を言っている様子はない。



「私に興味を持たなかった令嬢は君だけだった」

「……もう、令嬢ではないんですけど」

「認めたな」



 庶民になった私を無理矢理令嬢扱いする彼にはほとほと呆れる。求婚とその理由があまりにも矛盾していて、肩の力も抜けた。

 その一瞬の気のゆるみを待っていたと言わんばかりに公爵様の口角が薄っすら上がる。


 しまった――と気が付いてももう遅い。どんなに時を戻したくても、戻せるわけがないのだから。

 ハメられたような気もするけれど、ここまできて誤魔化すのは無理がある。自分の間抜けさに苛立ち、眉が吊り上がるのが分かる。

 溜飲りゅういんを下げるために深く、静かに息を吐き出す。でも、全然下がる気配はない。



「……どうして、私なんでしょうか」

「条件に当てはまるのは君しかいないからだ」

「条件、ですか?」



 しおらしく聞くつもりが声を上手くコントロールできてなくて、刺々しくなってしまった。


 変な依頼ではあるけれど、彼はお客様だ。嫌悪感を抱かれて、店のイメージを悪くするのだけは避けたい。

 ちらり、と顔色を伺ってみるけれど、全くそんな様子はなさそう。それにホッと胸を撫で下すと艶やかな唇から紡がれるそれにまた、困惑させられた。



「ああ。いろいろあるが、一番の問題は私を愛さず、私に愛されることを望まない……それを守れる令嬢を探していた」

「どこぞの物語の一節のセリフですか?」

「期待に応えられなくて悪いが、作り話フィクションではなく、現実だ」



 足を組み、そのうえで手を組んで背もたれに寄りかかる姿は優雅で流石としかいいようがない。

 そんな彼の口から発せられた言葉はあまりにも斜め上で思ったことがそのまま口から飛び出していた。


 おっと、不敬――と口元に手を添えてみるけれど、時すでに遅し。

 見逃してもらえるような言葉使いじゃないと内心焦ったけど、どうやら公爵様は心が広いみたい。

 気にするそぶりを見せることなく、私の疑問に答えをくれる。でも、現実逃避したい私に突きつけられるそれは鋭く感じる。



「……つまり、『公爵様に興味を持ってない女性』に当てはまっちゃった、ということですか?」

「そういうことだ」



 散りばめられた謎の輪郭がはっきりしてきた。けれど、なんだろう。いきなり目が乾燥してきて、地味に痛い。


 実に特殊で個性的で、愉快な結婚条件に当てはまってしまったから、彼は今、私の目の前にいるらしい。


 国内外で公爵様に興味ない令嬢&元令嬢を探していた――となれば、多大なる労力が言ったのではないかしら。

 貴族といえども、女性は大勢いる。それこそ、星の数ほどいるはず。その膨大な女性たちを精査していて見つけたのが、私なんて気の毒で仕方ないと、同情すらする。

 でも、この話を受けるか――と問われれば考えてしまう。


 確かに私も今年で二十三歳。

 庶民では結婚適齢期で、貴族で言うとそろそろ結婚していないと何を言われるか分からない歳だ。


 庶民の暮らしをすることになった時にした我が家の借金が残っていて、結婚なんて考えたこともなかったから、衝撃は大きい。しかも、この店は私ありきで成り立っているから、困ってしまう。

 困ってしまうのだけれど、求婚を受ける受けない以前の問題だ、と気づいてしまった。


 そもそも私は庶民で、彼は公爵様――身分の差は歴然。



「――え、断れなくない?」



 それと同時に心の中で自問するつもりの言葉は空気に溶けていた。



「断る気だったのか」

「あ、ごめんなさい。本音が零れてしまいました」



 私の独り言が耳に届いていたらしい。切れ長の瞳が微かに開く。

 不敬だ――なんて、言われたらもう終わりの状況だ。災いになりかねない口を隠して、素直に謝罪してみると何とも神妙な面持ちでこちらを見てくる。


 そんな珍獣を見るような目を向けないでいただきたい……穴どころか風穴が空いてしまいそうです。

 本当に空いたら、死んじゃうんですけどね――と心の内でふざけてみるものの、その視線は変わらず、刺してくる。

 理由を求められているような気がして、いたたまれずに咳払いをひとつした。



「えーっと、あーと、……借金を返さないといけないので夫人になってる暇はな――ゴホンッ、お、お断りしたいのです!」

「借金は私が返そう」

「へ、」



 グルグルと脳をフル回転させても、こんなのしか出てこない。

 また余計なことを言いそうになる素直な口をなんとか制止し、笑みを浮かべてみる。とても表情筋が硬いのが分かる。

 ちゃんと笑えてるかな、と不安に問われていると思ってもみない言葉が返ってきて、また素っ頓狂な声が出た。



「無茶な条件を突き付けてる自覚はあるからな」

「は、はあ……」



 難易度の高い話をいている自覚があるのもびっくりだけど、借金を肩代わりしてくれる――ということについていけない。


 借金の肩代わりに結婚する令嬢とかはちらほら聞いたことがあった。

 まだ借金を背負う前の私には関係ない話だと、右から左へと聞き流してたけど、確かにそうだ。そうだった。


 断る理由を失っても、どうやったら逃げ切れるのか、という考えにどうしても走ってしまう。

 何か、チャンスはないかしら――とぽかんとした顔をして公爵様を見る私は、きっととても間抜けな顔をしているでしょう。


 そんな心情に気が付くこともなく、彼の真剣な眼差しは私を射貫いた。



「三年間、円満な夫婦を装い、女性避け――名ばかりの夫人になってくれれば、借金を肩代わりし、好きに過ごしていい」

「三年?」



 少しずつ解禁される情報に、ふむふむと自分の中に落とし込む。

 案外悪い条件ではない。庶民に対して、と考えるならば、この上ないほど優遇されている話だ。けれど、気になるワードが出てくる。


 妙にリアルな数字に、永遠に続く話ではないということが分かる。でも、女性避けになって欲しいからこその契約結婚なのにそんな短い期間でいいのかしら、と謎が浮かぶ。



「三年後、離縁してもらう」

「離縁するなら、最初から結婚しなくていいですよね?」



 さらりと告げられるそれは疑問を打ち消してくれた。

 メリットがあるんだかないんだか分からない――矛盾しているかのようにも感じられる最後の条件に思わず、また本音が顔を出す。



「あちこちから見合い話ばかり持ちかけられて困ってるから、踏み切ったんだ。離縁後は結婚は性に合わないとでも言っておけば、再婚話も上がらないはずだ」

「……なるほどぉ」

「離縁後、生活に困らないように十分な報酬金も払うと約束しよう」



 縁談の話が余程舞い込んでいるのか、整った造詣が険しい。

 その時のことを思い出して苛立っているのか、腕を組みながら、人差し指をトントンッと、腕の上でリズムを刻んでいた。


 地位もあって、顔も整っている――何もかも揃いにそろっている人間は大変だ、と他人事のように同情する傍ら、起源がある婚姻のメリットに合点がいく。


 ふぅ、と深く息を吐き出して溜飲りゅういんを下げる彼は落ち着きを取り戻したらしい。

 さらにおいしい話を持ち掛けられるけれど、あまり頭の良くない私にはいったん、整理が必要だ。



「えーっと、公爵様を愛することなく、公爵様に愛されることも望まず、円満夫婦を装い、女性避けのお飾り夫人になれば、好きなことをしていいし、借金も肩代わりしてくれて、三年後に離縁して報酬金を下さる、と?」

「そういうことになるな」



 こめかみに人差し指を添えて、公爵様から出された条件をひとつひとつ思い出す。

 お互いの解釈に相違はなく、彼はハーブティーに口を付けて、コクリと頷いた。


 改めて口に出してみても、なんとも酷い結婚条件だ。

 普通の令嬢なら、借金の肩代わりだったとしても受けたくな――いや、受けたいかもしれない。相手はなんたって、ウィリアム・ローレンス公爵だ。


 愛されなくても美男子の近くに居られるなら、いいと思う人もいるだろう。でも、そういう女の子には務まらない。

 だって、いつか彼への愛を育んでしまう可能性があるのだから。


 彼が妙に「愛することもなく、愛されることも望まないだろう」と信頼を寄せられている私は果たして、それを守れるのだろうか――と、自問してみる。

 答えは――――YESだ。


 そもそも、目の前の人の噂は聞いたことがあったとしても、実際はどんな人なのかは知らない。現時点では、身分による差別をしないいい人ぐらいの認識だ。

 もし、結婚したとしても愛のない夫婦生活なら、お互いを知る機会もないだろうから、恋慕を抱く可能性も低いはず。

 極めつけこの契約結婚を持ち出された時点で、ない。


 借金の肩代わりをしてくれて、報奨金もくれるのなら、割に合わない話じゃあない。

 ずっと私と弟を守り続けてくれたリオン兄さんに恩返しできるし、弟にだってやりたいことをやらせてあげられるもの。

 むしろ、メリットしかない。



「分かりました。なってみせましょう! あなたの理想のお飾り夫人に!!」



 高らかにそう、宣言した私は一週間後――なんとも早い嫁入りを果たした。


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