第3話


「断る気だったのか」

「あ、ごめんなさい。本音が零れてしまいました」

「……」



 私の独り言が耳に届いたらしく、切れ長の瞳が微かに開く。不敬だ――なんて、言われたらもう終わりの状況だ。

 災いになりかねない口を手で隠して、素直に謝罪してみると、何とも神妙な面持ちでこちらを見てくる。

 

 そんな、珍獣を見るような目を向けないで頂きたい……穴が空いてしまいそうです。

 本当に穴が空いたら、死んじゃうんですけどね。

 

 なーんて、心の内でふざけてみるものの、その視線は理由を求めているような気がして、こほんっと咳払いする。



「えーっと、あーと、……で、でも、借金返さないといけないので、夫人になってる暇はな……ごほんっ、お、お断りしたいです」

「借金は私が返そう」

「へ、」



 グルグルと脳をフル回転させて、理由らしいものを探すと、こんなのしか出てこない。

 また素直な口は余計なことを言いそうになるけど、今度は最後まで言い終わることなく、なんとか止められた。

 

 誤魔化して、笑みを浮かべてみるけれど、とても表情筋が硬いのが分かる。

 ちゃんと笑えてるかな、と不安に囚われていると思ってもみない言葉が返ってきて、また素っ頓狂な声が出た。



「無茶な条件を突きつけてる自覚はあるからな」

「……なるほど」



 難易度の高い話をしている自覚があるのもビックリだけど、それより借金を肩代わりしてくれる――という事実に思考が止まる。

 

 昔、令嬢だった時に「借金肩代わりする代わりに結婚する令嬢」とかはちらほら聞いたことあった。

 私には関係ない話だと、右から左へと聞き流してたけど、確かにそうだ。そうだった。

 

 ついつい納得するけれど、断る理由を失い、どうやったら逃げ切れるのかという方に考えにどうしても走る。

 何か、チャンスはないのかしらとぽかんとした顔をして公爵様を見る私はとても、間抜けな顔をしてる気がする。

 

 そんな心情に気がつくことなく、彼の真剣な眼差しは私を射抜いた。



「三年間、円満な夫婦を装い、女性避けになるお飾り夫人になってくれれば、借金を肩代わりし、好きなこともやらせる」

「三年?」



 少しずつ解禁される情報に、ふむふむと自分の中に落とし込む。

 案外悪い条件ではない。庶民に対してと、考えるならば、この上ないほど優遇されている話だ。けれど、気になるワードが出てくる。


 妙にリアルな数字に、永遠に続く話ではないということが分かる。

 でも、女性避けになって欲しいからこその契約結婚なのにそんな短い期間でいいのかしら、という謎が浮かぶ。



「三年後、離縁してもらう」

「離縁するなら、最初から結婚しなくていいですよね?」



 さらりと告げられるそれは私の疑問を打ち消してくれた。

 メリットがあるんだかないんだか分からない――矛盾しているかのようにも感じられる最後の条件に思わず、また本音が顔を出す。



「あちこちから見合いばかり持ちかけられているから、踏み切ったんだ。離縁した後は性に合わないとでも言っておけば、再婚話も上がらないはずだ」

「……なるほど」

「離縁後、生活に困らないように十分な報酬金も払うと約束しよう」



 縁談の話が余程舞い込んでいるのか、整った造形が険しい。

 その時のことを思い出して苛立っているように腕を組みながら、人差し指をトントンっと、腕の上でリズムを刻んでいた。


 地位もあって、顔も整っている――何もかも揃いに揃っている人間は大変だ、と他人事のように同情する傍ら、期限ある婚姻のメリットに合点が行く。

 

 ふぅー、と深く息を吐き出して溜飲を下げる彼は落ち着きを取り戻したらしい。

 さらに私に美味しい話を持ちかけられるけれど、あまり頭の良くない私には一旦、整理が必要だ。



「えーっと、まとめると……愛することなく、愛されることも望まないを信条に、円満夫婦を装い、女性避けになれば、好きなことをしてもいいし、借金を肩代わりしてくれて三年後離縁して報酬金を下さる、と?」

「そういうことになるな」



 こめかみに人差し指を添えて、公爵様から出された条件をひとつひとつ思い出しながら、反応を見る。

 相違はないらしく、彼はハーブティーに口をつけて、こくりと頷いた。


 改めて口にしてみても、なんとも酷い結婚条件だ。普通の令嬢なら、借金の肩代わりだったとしたても受けたくな――いや、受けたいかもしれない。

 

 愛されなくても美男子の近くにいられるなら、いいと思う人もいるだろう。でも、そういう女の子には務まらない。

 だって、いつか彼への愛を育んでしまう可能性があるのだから。

 

 彼が妙に「愛されることも望まず、愛することは無いだろう」と信頼を寄せられている私は果たして、それを守れるのだろう――と、自問してみる。

 答えは――――Yesだ。


 そもそも、どんな人なのか知らないのに見た目だけで好きになるなんて、私にはできない。

 もし、結婚したとしても愛のない夫婦生活なら、お互いを知る機会もないだろうから、恋慕を抱く可能性が低いはずだ。

 

 極めつけ、この契約結婚を持ち出された時点でない。

 そして、恋愛の「れ」の字も知らない私――約束を守れる自信がある。

 

 借金を返してくれて、報奨金もくれるなら、割に合わない話ではない。

 ずっと私と弟を守り続けてくれたリオン兄さんに恩返しできるし、弟にだってやりたいことをやらせてあげられるもの。

 むしろ、メリットしかない。



「……分かりました。あなたのお飾り妻になりましょう!」



 意を決した私は高らかにそう宣言した。


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