第4話
平坦な道などなく、ガタガタと土と石の上を転がる馬車。
ローレンス公爵家の家紋が入ったハイグレードのものではなく、民間の者なのだけれど、何とも痛い。痛いというのは、もちろん、おしりが。
わがままを言うつもりはないけれど、これに何時間も揺れていたら、腰を悪くしそうだなっと、思う。
ふう、と息を吐き捨てて見上げる空は青空が広がっている。
天気の良さで気を紛らわしていると、対面から視線が刺さることに気が付いた。
「お、奥様……どちらに――」
ちらり、と目を向ければ、私の専属メイド――メアリーが困惑した表情をしていた。
確かに、嫁いで二日目――しかも、早朝に出かけるなんて貴族夫人のあるまじき行動だろう。あるまじき……は、言いすぎかな。
ただ、そんな機敏な夫人はなかなかお目にかからないってだけかもしれない。
「実家よ」
「な、何故でしょうか」
にっこり微笑んで行き先を答えれば、メアリーの目が真ん丸になる。ピクピクと眉が微かに動いているところを見ると、奇想天外の行動だと思ってるのは分かった。
嫁いだ身で朝早くに実家へ行く理由なんて、本来ならないもの。気持ちは分かるわ。
「ふふ、お仕事に行くのよ!」
「おし、ごと……ですか?」
ビシッと人差し指を点に向ければ、メアリーはきょとんとしている。
が単語トン、と小石に乗り上げた音を聞き終えたあと、彼女は可愛らしく首を傾げた。
「ええ!」
元気よく返事をすると商人街通りの手前で馬車が泊まる。
ありがとう、と業者に少し多めの駄賃を渡して通りを歩けば、シーンとした店通りが出迎えた。こんなに早い時間にこの通りを歩くことなんてないから、新鮮で楽しい。
奥へ奥へ――と、早足で進めれば、見慣れたお店が見える。その裏に回って、コン、ココンッと独特なノックを合図に戸を開けた。
「おはよう! リオン兄さん、ルーカス」
きっと、今頃営業準備してるはず。胸に期待を膨らまして声をかけると、想像通りの二人がいた。けれど、私が来ることは予想もしていなかったらしくて、ピタッと動きを止めている。
時間が止まったかのように固まっているのが、なんだか面白い。
「あ、アリシア!?」
「はよー、ねーさん……てか、いいの?」
我に返ったリオン兄さんは大げさに叫ぶ。
手に持っていた大量の書類が崩れそうになったのを慌てて、整える姿を見るにサプライズは成功したらしい。
眠そうな目をこちらに向けるルーカスは空中で練っていたガラスを机に置き、首を傾げた。
「何が?」
「何がって……今やねーさんは公爵夫人だよ? こーんなとこに来てお貴族様に文句言われない?」
じとーっと伺うような視線が突き刺さるけれど、何を言いたいのか分からない。ルーカスと同じようにこてん、と首を足すと深いため息が聞こえてきた。
ぐさぐさと刺さる疑問はあまりにも正論で、逃げたしたくなる。
「でも、……旦那様に許可いただいたし」
好きにしていいって言われたんだから、働いてもいいってことになるじゃない。
目を逸らして反論すれば、メアリーが「えっ!」と声を上げる。それが妙に店の裏方を響かせて、シーンと静かになった。
「その割にその隣の人が状況についていけてないみたいだけど?」
メアリーにも詳しくは話していなかったということを今更ながらに思い出し、冷や汗が出る。これじゃあ、私が嘘をついているみたいじゃない。
頭をフル回転させれば、生意気な顔をしたルーカスが顎でメアリーを名指し、口角を上げた。
「ちょ、ちょっと待って! 本当に――」
「どうせ、アリシアの事だから何も話さずここまで来たんだろう」
解釈は違うかもしれないけど、許可は本当にもらっている――と、弁明しようとしたら、その先はリオン兄さんに遮られてしまった。
しかもそれが、ぐうの音も出ないほどぴったり言い当てられてしまって、何も言えない。
「アンタもねーさんに振り回されて大変だね」
「あ、はい……い、いえ……!」
図星を付かれて何も言えない私を他所にルーカスはメアリーに憐みの目を向け、リオン兄さんはそれに頷いた。
突然話しかけられたことに驚いたのか、無意識に返事をしているけれど、それは私を
「もー、二人とも酷いわ」
「だって……」
「本当のことだしなぁ」
あまりにも酷い言いようにぷっくり頬を膨らます。けれど、兄弟二人は仲良く眉を八の字にしていた。
「それで、今日の仕事――」
「ああ、一応裏方は企業秘密なんだ。悪いけど、ねーさんのお付きの人は出てってもらえる?」
ゴホンッと咳払いしてその場の空気を変えてみるけど、微妙な感じがする。両手を合わせて、いっそのこと話題を変えちゃえと逸らそうと瞬間、遮られちゃった。でも、ルーカスの言い放つそれはあまりにもぶっきらぼうで、冷たい。
まるで、ケンカを売っているかのようで、ギョッとする。
「奥様は公爵夫人です。外でお傍を離れるわけにはいきません」
投げかけられたメアリーもそういう風に捉えたらしく、不満そうにピクリと眉が動く。ただでさえ、正しく美しく伸ばされた背筋をピンッと伸ばして、反論する。
彼女の言い分は最ものこと。実家と言えども、此処は外の世界。仕えている主人の傍を離れるなんて、職務をおざなりにすることと同じ。つまり、お仕事を取り上げることになっちゃう。
お仕事がしたくて、早朝から飛び出して実家に来ている私にそれをしろ、とは言えない。
何かいい方法はないかしら――とぐるぐる考えを巡らせ、ピンと閃く。
「……メアリーってお料理できるかしら?」
もし、メアリーが引き受けてくれるなら、私も仕事に集中できるし、メアリーも職務
名案、と目を輝かせて問いかければ、戸惑ってる瞳がこちらを向く。
「ええ、それは出来ますが……」
「それじゃあ、私がお仕事してる間に二人の夕飯をお願いしてもいいかしら?」
「しかし、」
流石は公爵家のメイドさん、何でもできるらしい。関心と喜びを胸にギュッと彼女の手を握って、首を傾げる。
結局私が言っていることは傍を離れるということ。それを分かっているからこそ、なかなか首を縦に振ってはくれない。
「裏方作業だから、大丈夫よ。外に出る時はちゃんと声をかけるわ」
主人思い! ――なんて、感動したかったけれど、まだ彼女と信頼関係を深く築けている訳ではないから、違うわよね。
きっと仕事熱心なんだわ、と真面目さんなメアリーに心打たれて、握っていた手を持ち上げ、強く握りしめた。
ね、お願い――と目で訴えれば、メアリーは少し長めの息を吐き出す。
「かしこまりました。そのお言葉を忘れないでくださいね?」
「ええ! 約束は守るわ!」
渋々といった顔をしているけれど、どこか柔らかい。
少し垣間見れた彼女の人柄に、嬉しくなって元気よく返事をした。
―――――――――――――――――――――
改稿 2024.07.07
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます