第5話
メアリーの足音が聞こえなくなるとルーカスの腕を引っ張り、隅っこにある仕事部屋へと足を向ける。
バンッと扉を開ければ、使い古された味のあるテーブル。
その上には山のような書類と色とりどりのガラス玉が、ひとつずつ丁寧に仕切られた箱があった。
「なんだよ、ねーさん」
そっと掴んでいた手を離し、振り返ると眉根を寄せ、怪訝そうにルーカスがこちらを見る。
「ルーカス。あれじゃあ、敵を作るわよ?」
「事実を言っただけだろ」
ここはひとつ、姉として注意しなければ――なんて使命感で伝えてみるものの、あまり効果はない。
ルーカスは私の言いたいことを気にも留めることなく、ボロボロのソファにドカッと座り、ガラス玉を宙に浮かせてこね始めた。
「だからってね――もう少し言葉を選んだ方がいいわよ」
いくら彼の言い分が正しかろうと言葉ひとつで受け取り方は違う。
相手をおもんばかるいい方だって出来るはずなのに、そうすることなく、思ったことをそのまま言うのは――……人のことは言えないけど、でも、わざわざ敵を作る必要はないはず。
「あのなぁ、ねーさんは危機感が薄すぎるんだよ」
「失礼ね」
こちらを見ることなく、作業を止めずに言い放つそれは苛立ちを隠していなかった。
反抗期が来たのかもしれない。それでも姉としての威厳を保ちたいからこそ、跳ね返すが、「なんだか貶されてる?」という疑問にムッとした。
「ねーさんのギフトは良くも悪くも使える――利用されることもあるんだよ。 分かってんの?」
ギフト――それは神様から贈り物と言われている世界の人間に与えられた祝福。
そうは言っても、全ての人に与えられるモノではなく、貴族に生まれた人が受け取ることが多い特殊能力みたいなもの。
ギフトの能力は、トーク力やカリスマ性、触れたものを浮かせたり、作物を育てたり、雨を降らせたりと様々だ。
私もその恩恵を受けている。
手は止めずにジッとこちらを見るルーカスは反抗期――ではなく、ただ私の心配をしているだけらしい。
「分かってるわよ」
「いーや、分かってないね。分かってんなら人に知られる状況を作るような真似しないだろ」
肩を竦めて言い返すけれど、全然信用してくれない。刺々しい小言を漏らすルーカスはまるで、私よりしっかりしている年上のようで、なんだか複雑な気分だ。
「まあまあ、……ルーカスの言うことは正論だけど、な?」
「それは……もちろん、分かってるわ」
いつの間にここに来ていたのだろう。書類片手にリオン兄さんは仲裁に入るけれど、悲しいことに私の味方をしてくれるわけではなかった。
私のギフトは人に知られてはいけない。それだけ希少で、大きな力を頂いていることは言われるまでもなく、分かってる。
幼い子供をなだめるように優しい口調で私の顔を覗き込むリオン兄さんには勝てない。
この物腰柔らかい言い方のおかげで、素直に受け止められてしまう。
「もちろん、アリシアの気持ちも分かってるよ。自分は働きに来てるくせに人の仕事を取りたくなかったんだろう?」
俯いていたからか、落ち込んでると思ったのかもしれない。ポンッと私の頭に手を置いて、投げかけてくれた。
リオン兄さんは人の気持ちを汲むのが本当に上手だ。理解してくれるってすごく救われるから、感謝しかない。
手のあたたかさにこくりと頷けば、「にーさんは甘いんだよ」と小さな声が聞こえたけど、聞こえなかったことにしよう。
「でも、お前はもう嫁いだ身だ。しばらくはここに来ない方がいい」
ふと笑ったかと思えば、リオン兄さんの表情が真剣になる。開かれた口から告げられるそれはもともで、今日ここに来たことを咎めるものだった。
「まあ、お前がいないとこの店は成り立たないから、しばらく来るなとしか言えないのが心苦しいけどな」
「……お店はどうするのよ」
肩を竦めて茶目っ気たっぷりに言うのは、私のためを思ってだということが痛いほど、伝わる。
私の心配はそれだ。
お店が成り立たなければ、暮らしていくこともままならない。それなのに私の心配をする兄妹に眉根を下げた。
「お前のおかげで借金もなくなったし、やりくりできるよ。ルーカスと新しく商売するって決めたし、なんとかなるだろう」
リオン兄さんは胸を張って自信ありげに問題ないと言ってくれるけど、そんな簡単なことじゃないことくらい、馬鹿でも分かる。
確かに公爵家に借金を返済してもらったから、毎日を生きるためのお金があれば大丈夫なのかもしれない。でも、私とルーカスで作っていたものが売り上げのメインだったのだから、それがなくなれば、余裕ある生活が出来るかと言われれば、難しいはずだ。
「でも……!」
「じゃあ、この分だけでもやってよ」
引けずにいる私の目の前に飛んできたのは紙の束。
驚きの余りに、肩を揺らして身を引けば、ソファの方から声が飛んでくる。
ルーカスはぷかぷかと浮かぶそれらを指差していた。
「これは……?」
「お貴族様案件なんだけど、弾んでくれるんだって。ねーさんがこれをやってくれれば、当面は大丈夫だから」
まじまじと見る私に、へっと小生意気に言って宙に浮かんだガラスをこねる作業に戻る。
「でも、それだけじゃあ、いつまでも続かないでしょう?」
「お前は公爵夫人になったんだ。まずは家のことに目を向けなさい。毎日毎日、実家に構っていたら、公爵様になんて言われるか分からないだろう」
「大丈夫だ思うけど……」
ご依頼内容と金額が書かれたそれに目を通せば、嘘じゃないことは分かる。当面っていっても、依頼料から材料費とか色々引かれるわけで。そこからの利益で生活費とかになるんだから、安泰かと聞かれたら、違う気がする。
このご時世、何が起きるか分からないんだから、貯金とかへそくりとか考えた方がいい。
こっちに来て仕事をしたいという意思を滲ませるけど、譲ってはくれなかった。
もちろん、私を思ってなんだけど、その心配は無用だ。兄弟には黙っているけど、私はお飾り夫人だし。
「公爵様にそう言われたのか?」
「……好きにしていいとしか、言われてない」
勝手な解釈をしただけとしか言えない。
目を逸らして、ぽつりと呟くと二人から深いため息が聞こえる。そんなに呆れなくても、と上目遣いで様子を伺えば、リオン兄さんのデコピンが額にクリーンヒットした。
「いたっ!」
「お前の趣味がこの仕事だって分かってる。またやりたいなら、まずは許可をもらってこい。話はそれからだ」
鈍い音がすると地味に痛さが皮膚から広がる。ジンジンする額に手を添えて、涙目で訴えると、人差し指が私に向いていた。
「それにさー、看板娘は嫁に行ったって知られてるから表に顔は出せないよ」
「嘘!?」
「ついてどーすんだよ」
ルーカスは付け足すように、新しい事実を告げる。
流石にそこまで手を打たれているとは思ってなくて、声がひっくり返った。けれど、ルーカスはどこまでもマイペースで、小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「仕事はしばらく休む。だから、お前はまず、公爵様と話し合ってこい」
「…………」
念を押すリオン兄さんに、素直に頷く気にはなれなくて。
最後の悪あがきをしてみたけれど、それは甘かった。
「アリシア、いいな?」
「……はあい」
ぐいっと顔を寄せられる。金色の髪から覗くグリーンの瞳が細められ、それはもう素敵な笑顔がこちらを見ている。
もう言うことを聞くしかないと悟った私は、「こんなことなら仕事のことも契約に盛り込めば良かった」と後悔しながら、不満たっぷりの返事をした。
「じゃ、がんばれぇ。その宝の山ぁ~」
宙に浮かぶこねられる大きな塊はルーカスの手に合わせて、分裂してビー玉になっていく。ふわり、ふわりと浮かびながら、ルーカスの後を追う姿はまるで、親鳥について行く雛鳥のよう。
それらに気に留めることなく、ルーカスは歌いながら、部屋を出ていった。
なんて呑気な歌だろう。いいや、歌――なんていいものではなく、ただ言いたいことを適当に音程取っているだけ。
なんだか気が抜ける背中をしり目に、まだ目の前にいるリオン兄さんに対峙した。
「これ、急ぎで頼めるか」
「やっぱり急ぎ案件があったのね」
「ははは……恰好つかなくて悪いな」
書類はいつの間に宙から作業デスクへと場所を変えて、大人しく鎮座している。
その中から一枚選が差し出された。
嫁いでたった一日。
その間に急ぎの案件が来ていることにも驚いたけれど、私に心配かけないようにと隠そうとしていたリオン兄さんにもため息が出る。
その当人は憎めない笑みを浮かべてるから、質が悪い。
「……これはまた……随分特殊ね」
「まあ、本人からしたら死活問題なんだろう」
急ぎというワードが気になって、字の海を流し読みするとある個所でピタリと目が止まった。ピクピクと頬が動くのを感じ、思ったことがそのまま口から出る。
リオン兄さんも思ったことだったのか、深く息を吐き出している。けれど、それはどこか違和感を覚えた。
「一応確認だけど、本人依頼か、お使いの人とかなのよね?」
「いや……」
「リオン兄さん?」
フェリーチェが受ける依頼は本人依頼のみで、第三者が許されるとしたら、お貴族様の使いである従者やメイドだけ。
ジッと視線だけ見上げれば、リオン兄さんは静かに首を振った。
いつもなら依頼を受ける前に断るはずなのに、していない。その違和感に眉根が寄る。
こてん、と首を傾げれば、深い、深いため息が聞こえてきた。
「……どうやら、深刻な問題らしい」
「それなら、本人が依頼するものじゃない?」
重い息と共に紡がれるそれにますます、疑問が浮かぶ。
周りがあれこれと動くくらいなら、自分で依頼してきた方がいいはずだ。
「まあ、おそらく……お節介って奴だ」
「なぁるほどね」
リオン兄さんだって、こんなことを言いたくて言ってる訳じゃあない。
フェリーチェの商いは特殊だ。信じるか、信じないかは人それぞれだ――と言ってしまえば、それまで。
だからこそ、そう言われてしまうのも分かる。
「出来そうか?」
悲しくも納得できてしまうそれにしみじみと頷いていると影がかかった。
見上げれば、柔らかいミルクティー色の髪が端整な顔にぱさりとかかる。まじまじ見ても、リオン兄さんは美男子だなぁ、という感想しか出てこない。
ふっ、と少しだけ飛ばしていた意識を引き戻すように名前を呼ばれると、不安そうな菫色の瞳と合った。
「こんなことやったことないんだから、分からないわ。……そもそも、人の心を左右する依頼は受けて欲しくなかったわ」
「悪いとは思ってるが、相手が相手だけに断れなくてな」
普段しっかりしているくせに、こういう姿を見せられると怒るに怒れない。もどかしい気持ちを上手く消化できずに、ため息とともに本音まで吐き出していた。
私の指摘に、うっ――、と息を詰まらせるリオン兄さんは眉を八の字にして、肩を竦める。
例え相手がお貴族様でも案件によっては、懇切丁寧にお断りする。
罵声を浴びせられても、罵られても、色仕掛けされても、対人スキルで上手くかわしてきたこの兄が、断れないというのが、引っかかった。
「どんなお貴族様よ」
あはは、と明後日の方向を見て冷や汗を流し、そそくさと部屋から逃げ出す背中に肩の力が抜け、作業デスクに仕舞われたイスを引き出し、腰を深くかけた。
「……」
イスの背もたれに思いきり寄りかかって、天を仰ぐようにして依頼書に目を向けた。
人の心をどうこうするまじないの依頼は受けない――それが、フェリーチェの信条。
誰かの安全や健康を願うものなら問題ない。けれど、誰かを自分のものにしたい――というのは話が別だ。
でも、特定の誰かの心を、というわけでもない。よろしくない欲求のために心を弄びたい、というわけでもない。
「それにしても、女性が好意を寄せてこないまじない、ねぇ……」
上手く法をかいくぐったかのような依頼に、またため息が出た。
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