第6話


 平坦な道などなく、ガタガタと土と石の上を転がる馬車。

 ローレンス公爵家の家紋が入ったハイグレードのものではなく、民間のものなのだけれど、何とも痛い。痛いというのは、もちろん、おしりが。


 わがまま言うつもりはないけれど、これに何時間も揺れていたら、腰を悪くしそうだなっと、思う。


 ふう、と息を吐き捨てて見上げる空は青空が広がってる。天気の良さで気を紛らわしていると、対面から視線が刺さることに気がついた。



「お、奥様……どちらに――」



 ちらり、と目を向ければ、私の専属メイド――メアリーが困惑していた。

 確かに、嫁いで二日目――しかも、早朝に出かけるなんて貴族夫人の有るまじき行動だろう。有るまじき……は言い過ぎかな。

 ただ、そんな機敏な夫人はなかなかお目にかからないってだけかもしれない。 



「実家よ」

「……な、何故でしょうか」



 ニッコリ微笑んでこの馬車の行き先を答えれば、メアリーの目がまん丸になる。ピクピクと眉がかすかに動いてるところを見ると、奇想天外の行動だと思ってるのは分かった。

 嫁いだ身が朝早くに実家へ行く理由なんて、本来ならないもの。気持ちはわかるわ。



「ふふ、お仕事に行くのよ!」

「おし、ごと……ですか?」



 ビシッと人差し指を天に指して、答えれば、メアリーはキョトンとしている。

 ガタンゴトン、と小石に乗り上げた音を聞き終えたあと、彼女は可愛らしく首を傾げた。



「ええ!」



 元気よく返事をすると商人通りの手前で馬車が止まる。

 ありがとうと御者に少し多めのお金を渡して通りを歩けば、シーンとした店通りが出迎えてくれる。こんなに早い時間にこの通りを歩くことなんてないから、新鮮で楽しい。


 奥へ奥へ――と、早足で進めば、見慣れたお店の裏に回って、コン、ココンっと独特なノックを合図に戸を開けた。



「おはよう! リオン兄さん、ルーカス」



 きっと、今頃営業準備してるはずと胸に期待を含まらして、声をかけると――想像通りの二人が出迎えてくれた。けれど、私が来ることは予想もしてなかったらしくてピタッと動きを止めている。

 時間が止まったかのように固まっているのが、なんだか面白い。



「あ、アリシア!?」

「はよー、ねーさん……ってか、いいの?」



 呼吸を止めてたのかしら――と思うくらい、大袈裟に我に返ったリオン兄さんは私を呼ぶ。

 手に持っていた大量の書類が崩れ落ちそうになったのを慌てて、整える姿を見るとサプライズは成功したみたい。


 眠そうな目をこちらに向けるルーカスは空中で練っていたガラスを机に置き、首を傾げていた。



「何が?」

「何がって……今やねーさんは公爵夫人だよ? こーんな商人街で働いてて貴族に文句言われない?」



 ジトーっと伺うような視線が突き刺さるけれど、何が言いたいのかが分からない。ルーカスと同じようにこてんと、首を倒すと呆れたような深いため息が聞こえてきた。

 呆れたような――じゃなく、呆れてた。グサグサと刺さる疑問はあまりにも正論で、逃げたくなったけど、私にも言い分はあるわけですよ。



「でも、……旦那様に許可いただいたし」



 ――そう、それよ。だって、好きにしていいって言われたんだから、働いてもいいってことになるじゃない。


 目を逸らして反論すれば、メアリーが「えっ!」と驚いた声を上げると、妙に店の裏方を響かせ、シーンと静かにした。



「……」

「その割にその隣の人が状況に付いていけてないみたいだけど?」



 メアリーにも詳しくは話してなかったということを今更ながらに思い出し、冷や汗が出る。これじゃ、私が嘘をついているような状況になっちゃう。

 どうしたらいいのかしら、と頭をフル回転させれば、生意気な顔をしたルーカスがクイッと顎を上げて、口角を上げた。



「ちょ、ちょっと待って!! 本当に――」 

「どうせ、アリシアのことだから、何も話さずここまで来たんだろう」



 解釈は違うかもしれないけど、許可は本当に貰っていると弁明しようとしたら、その先はリオン兄さんに遮られてしまった。

 しかもそれが、ぐうの音も出ないほどピッタリ言いてられてしまって、何も言えない。



「アンタもねーさんに振り回されて大変だね」

「あ、はい……い、いえ……」



 図星をつかれて何も言えない私を他所にルーカスはメアリーに同情するのよ。

 突然話しかけられたことに驚いたのか、無意識に返事をしてるけれど、それは私を蔑むような返答に感じたらしい。慌てて、首を横に振った。



「もー、二人とも酷いわ」

「だって……」

「本当のことだしなぁ」



 あまりにも酷い言いようにぷっくり頬を含まらす。けれど、兄弟二人は仲良く眉を八の字にしていた。



「それで、今日の仕事――」

「ああ、一応裏方は企業秘密なんだ。悪いけど、ねーさんのお付の人は出てってもらえる?」



 ごほんっと咳払いしてその場な空気を変えてみるけど、微妙な感じがする。両手を合わせて、いっそのこと話題を変えちゃえと逸らそうとした瞬間、それは遮られちゃった。

 でも、ルーカスの言い放つ言葉はあまりにもぶっきらぼうで、冷たい。まるで、ケンカを売っているかのようで、ギョッとする。



「奥様は公爵夫人です。外でお傍を離れる訳にはいきません」



 投げかけられたメアリーもそういう風に捉えたらしく、不満そうにピクリと眉が動く。ただでさえ、正しく美しく伸ばされた背筋をピンと伸ばして、反論した。

 彼女の言い分は最ものこと。実家と言えども、ここは外の世界。仕えている主人の側を離れるなんて、職務をおざなりにすることと同じ。つまり、お仕事を取り上げるという事になっちゃう。


 お仕事したくて、早朝から飛び出して実家に来てる私にそれをしろとは言えない立場。

 何かいい方法はないかしら――とぐるぐる考えを巡らせるとピンと閃いた。



「……メアリーって、お料理出来る?」



 そう、お料理。実家ではずっと私が作っていたから、二人の食生活は不安だったのよ。

 もし、メアリーが引き受けてくれるなら、私も仕事ができるし、メアリーも職務怠慢なんてことにはならない。全て上手くまとまるはず。


 名案だと目を輝かせて、問いかけると戸惑いの表情がこちらを向く。



「ええ……出来ますが……」

「それじゃ、私がお仕事してる間、二人の夕飯をお願いしてもいいかしら?」

「しかし、」



 もしかして、お料理できないのかしら――なんて、思ったけれどそんなことはなかった。流石は公爵家のメイドさん。何でもできるのねと感心と喜びを胸に彼女の手をギュッと握って、首を傾げる。

 けれど、そばを離れる――ということが納得いかないのか、メアリーはなかなか首を縦に振ってくれなかった。



「今日は裏方になると思うから、大丈夫よ。この建物から出ないわ。もし、外に出るような時はちゃんと声をかけるわ」



 主人思い!! ……なーんて、感動しちゃったけれど、まだ彼女と関係を深く築けていないのだから、違うわよね。

 きっと仕事熱心なんだわ、と真面目な彼女に心打たれ、握っていた手を持ち上げて、強く握りしめた。


 ね、お願い――と目で訴えてみれば、メアリーは少し長めの息を吐く。



「かしこまりました。そのお言葉を忘れないでくださいね?」

「ええ! 約束は守るわ!」



 私のわがままに折れてくれたらしい。渋々といった顔をしているけれど、どこか表情は柔らかく見えて、少し垣間見れた彼女の人柄に、嬉しくなって元気良く返事をした。


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