夢の跡の話

ただのネコ

夢の跡の話

「そこの浴衣のお嬢さん」

 スーツの男は妙に高いテンションで群衆の一人を指さした。

「あたしかい? お嬢さんだなんて、照れるねぇ」

 指をさされたのは、派手に赤い浴衣を着たおばさんだった。

 一般的にお嬢さんと言われる年は過ぎているが、だからこそ嬉しかったらしい。ニコニコ笑うおばさんに、スーツの男が畳みかける。

「そう、お嬢さん。暑さにまいってる皆をすっと涼しくするような話があったりしませんか?」

「そうだねぇ」

 ちょっと考えた後、おばさんは唇に人差し指を当てた。

「あれは、ちょうど夏の暑くなってきたあたりのことだったんだけど……」


〇〇〇


 そのころ、あたしは仙台の北の方に住んで、そこからもうちょっと山の方の工場で事務の仕事をしてたのね。

 それで、誰が最初に気づいたのかは覚えてないんだけど、夏が近づいたあたりから工場のあちこちで甘い匂いがするようになったのよ。

 花か果物みたいな匂いなんだけど、人工的で強すぎるから、あんまり良い匂いとも言えない感じだったのね。

 社員の一人は、「これ、シンナーの匂いなんじゃね?」なぁんて言い出すし。

 でも、そもそもうちの工場ではシンナーなんて使ってなかったのよね。


 他にも、工場の周りが山だったんだけどね。そこで増えた毛虫が、何故だかうちの工場めがけて集団で押し寄せてきて。あれは本気で悲鳴上げちゃったわ。

 まあそんな感じでなんか妙なことが続いてたのよ。


 盆の前に出荷しろって伝票が溜まってて、残業することになっちゃって。

 何とか終わらせた頃にはもう外は真っ暗でね。でも、最後に残ってた人は工場のあちこちのカギがちゃんとかかってるか確認しなきゃいけないルールなのよ。

 長ーい廊下を歩いてると、またあの甘ぁい匂いがしてきてさ。

 あ、これヤバいなと思ってたら、案の定よ。


 廊下の向こうの方から、白い人影が3人ほど歩いてくるのよ。

 白い服ではあるんだけど全身覆うボディスーツみたいな感じで。頭も被り物してマスク付けてるから、目のところしか見えてない感じ。

 巨大な筒を台車に乗せてガラゴロ押しつつ、なんか雑談して笑ってる感じだったわ。

 ただ、あたしのことは見えてないみたいで、壁に張り付いて避けるあたしのほうは全然見ずに通り過ぎて行ったの。


 だから、ちょっと迷っちゃったのよね。

 逃げ出したいんだけど、害がない幽霊しかいないんなら、鍵はちゃんと閉めた方が良いかなって。

 そう思った時、急に後ろから肩をつかまれたの。

「おい、そんな恰好で中に入るな!」

「すみません!」

 反射的に謝まりつつふり返ったら、そこにいたのはさっきと同じ白装束。

 でも、腰から下がちぎれて、血で真っ赤に染まっていたの。

 

 結局、翌朝に別の社員が来て、倒れてるあたしを見つけてくれたわ。

 後々調べてみたら、あたしが働いてた工場って元は別の会社だったらしいのね。

 大震災から一年ぐらいしたころに、大きな余震でタンクが倒れてシンナー漏れ。

 地震対策で伏せてたところにシンナーの蒸気が来て、何人もが中毒死したって。

 その工場ではクリーンルームっていってホコリが全然ない部屋でものづくりしてて、白いボディスーツはそこでの作業服だったみたい。

 倒れたタンクに潰された人もいたって事だから、あたしに注意した人がその人だったんだろうね。

 事故の後で結局会社はつぶれて、その工場を買い取ったのがうちだった、って事みたい。


 他にも何人か同じ幽霊を見たから、工場長に頼んでお払いした後は出なくなって。

 甘い匂いも毛虫も同時に無くなったから、それも幽霊の一部だったのかな?


〇〇〇


「地震も事故もこわいけど、俺からすりゃ、死んだ後も働いてるって方が怖いなぁ」

 見るからに自由人という感じがあるアロハシャツの若者は、大げさに体を震わせる。

「あたしもそう思うよ。でも、あの人らは結構楽しそうにしてたね。調べた新聞記事でも、世界一の製品を作るんだって言ってたし」

 浴衣のおばさんの方は、どこか遠くを見るような目をしていた。

 スーツの男はおばさんに軽く拍手を送り、場を締める。

「皆で目標を共有出来ていれば、楽しく働けるのかもしれないですね。まあ、もう叶わぬ願いですが。さて次は……」


●鹿の霊の話

https://kakuyomu.jp/works/16817330661714734909/episodes/16817330661714743640

●欠けた鳥居の話

 →https://kakuyomu.jp/works/16817330661747765629/episodes/16817330661747781122

●異国のコインの話

 →https://kakuyomu.jp/works/16817330661747880948/episodes/16817330661747888150

●罪人の黄金の話

 →https://kakuyomu.jp/works/16817330661833283836/episodes/16817330661833299683


●そもそも、なんで怖い話をしてたんだっけ?

 →https://kakuyomu.jp/works/16817330661714569156/episodes/16817330661714599162

●そろそろ、時間じゃないかな

 →https://kakuyomu.jp/works/16817330661714569156/episodes/16817330661714639112

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