第9話 大団円

 昭和の逆に、

「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」

 というフレーズがあったのを覚えている人、後から聞いてセンセーショナルなイメージを抱いて、同調した人も少なくはないだろう。

 この感覚を、

「集団意識のなせる業」

 と言われる。

 恐ろしいことであっても、自分だけではないと思うと、なんでもできてしまうということでもあり、マインドコントロールを行うにはちょうどいいともいえるだろう。

 そういう意味で、前述の、

「自爆テロや神風特攻隊」

 であったり、

「集団自決や、玉砕」

 といった発想が出てくるのである。

 これは、やはり宗教的背景が強いのかも知れないが、

「自分たちのような神を信じている人間が団結すれば、怖いものはない」

 という発想であったり、以前、どこかの国にある、

「世界終末論」

 というものが信じられていた。

 それは、まるで、

「ノストラダムスの大予言」

 のようなもので、

「〇〇年〇月〇日、地球が滅亡する」

 ということを、その国の国民の一部の人に信じられているというものだった。

 宗教的なものから出てきたのではないのかも知れないが、その話が宗教と深く絡んできたのが、深く信じている連中に対し、宗教団体が言葉巧みに近寄って、

「この世で善行をすれば、あの世で救われる」

 という、どの宗教でも変わらないことを唱えている宗教があったが、いかにもウソ臭いということを、部外者であれば分かったことだろうが、信じた人たちは、やつらのいうこととして、

「あの世に召されれば、現世で持っているお金は役に立たない。したがって、お布施をするというよいことをすれば、救われて、極楽で幸せに暮らしていける」

 というのだった。

 冷静に考えれば、詐欺であることは子供でも分かるだろう。

「宗教団体だって、みんなが滅んでしまうのだから、お金があったって、同じことではないか」

 ということだ。

 つまりは、

「世界最終説を一番信じていないのが、宗教団体の連中で、信仰を信じてる連中は、カモでしかない」

 と思っている証拠ではないか。

 ただ、宗教団体が間抜けだったのは、自分たちだって信用していない世界の滅亡伝説。世界が滅亡しなければ、お金をだまし取った連中も生き残ることになる。すると自分たちが訴えられるのは、歴然とした事実。それが分かっているのに、どうしてこのようなあからさまな詐欺をしたのだろう?

「信者が勝手にお布施をした」

 と言って逃れるつもりか?

 逃れられたとしても、信用はまったくないわけで、

「人の弱みにつけこんで、金をだまし取った卑劣な団体」

 として言われ続けることになるのは分かっていることだ。

 それでも、詐欺を行ったということは、それらのマイナスを全部差し引いてもプラスになるだけの巨額の金をだまし取ったということだろうか?

 比較できるものではないが、

「すべての名誉や社会的な立場を犠牲にしてでも、その代償となる金額というのがいくらなのか?」

 ということをあの連中には分かることなのだろうか?

 いちかは、それを考えると、あの別荘に遊びにきてくれた少年がどうなったのかが気になるところであった。

 あの少年は、いちかが別荘に招いた次の日から出会うことができなかった。

 どこかに引っ越したのか、いちかの前に現れることができない何かのっぴきならない理由ができたのか、いちかには分からなかった。

 ウワサというのは、無責任に流れるものなのに、その少年がいなくなったことをウワサする人は誰もいなかった。

 大人の人も、どこかの一家が急に引っ越していったとしても、ウワサくらいにはなりそうなものだし、何も言わずに引っ越していったのなら、なおさら、ウワサがどんどん増えてくるというものである。

 それなのに、何もなかったかのように静まり返っているというのを、執事も気にしていたようだ。

 奇妙ではあったが、執事も敢えて彼のことや、彼の家族について触れることもなかった。しかも、独自に調査してみようともまったく考えていないようで、

「我が家とは関係がなかったんだ」

 あるいは、

「あのような男の子は存在していなかったんだ」

 ということで、言い方は悪いが、隠蔽を考えているといってもよかっただろう。

 しかし、忘れた頃のことであったが、

「この間、不思議なものを見たんだ」

 という人がいたという。

 その人は、どうやら、

「幽霊を見た」

 と言っているようなのだが、その幽霊というのが、家に招いたあの少年のことのようだと、執事は言っていた。

「どういうことなの?」

 と聞いてみると、

「幽霊を見たというのは、実は、もうこの世にいない人を見たということのようなんです。半年前に病気で死んだ男の子がいたんですが、その子が、砂浜にいたと言っているんです。その子は他の見たことのない女の子と楽しそうに遊んでいて、その女の子が白いドレスを着ていたというんです。その男の子というのは、男の子なんだけど、実は女の子が好きで、自分のことを本当は女の子だったんじゃないかと思っていたというんです。たぶん、前世が女の子だったのではないかと言いたかったんでしょうが、大人たちはそこまで分かっていなかったというか、そもそも男の子が女の子だったなんていうことを言い出すことが信じられないと思っているんでしょうね」

 と言っていた。

 令和の時代であれば、

「性同一性症候群」

 というものがあり、男性が、

「自分の本質は女性だったのではないか?」

 と感じて思い悩むということである。

 今の時代でも、カミングアウトと言われるほど、告白するのに、かなりの勇気を有するのに、昭和のお堅い時代であれば、そんなことを口に出してしまうと、まともな人間扱いされることはないだろう。

 一種の差別になるのだが、当時の同和教育であったり、差別問題に関しては、まだまだ発展途上というよりも、後進だったのだ。

 ただ、いちかには彼の気持ちがわかる気がした。見た目には、線も細く、女の子という雰囲気も漂っていた。

 自分が男の子だったら、気持ち悪いとしか思わないかも知れないが、女性の立場から見ると、そうでもなかった。ただ、思春期になっていないというだけのことなんだろうが、そういう意味で思春期というものの存在は、かなり自分の性格に多大なる影響を与えるものなのだろう。

「あの子は、白いドレスに憧れていて、よく家で、母親の白いドレスを身にまとって鏡に映して見ていたみたいなんです。ひょっとすると、彼の女の子に対する願望は、母親の影響があったのかも知れませんね」

「お母さんか……」

 といちかが呟くと、

「彼のお母さんも、実は、二年前に亡くなっているようなんです。かなりのショックだったようで、自分もどうせ助からないのだろうから、せめて、お母さんのところに行けるように願うだけだ」

 と言っていたようだ。

 それを聞いて、いちかは、何も言えなくなった。

 何を言えばいいのか分からない。こんな時に発する言葉が思いつかない。そんなことを考えていると、彼がかわいそうに思出てきた。

 自分を女の子だと思う気持ちはよく分からない。しかも、それが死んだ母親への気持ちから来ているもので、母親とはもう二度と会えない存在であるということも分かる気がした。

 しかし、彼はすでにもうこの世にはいないという。だったら、自分が出会ったのは誰だったのだ?

 こんな非科学的な話を信じろというのか? 信じられるわけもなく、逆になせ自分が今このやるせない気持ちにさせられなければならないのか?

 そう思うと、

「私が何か悪いことでもしたというの?」

 という思いに駆られてしまった。

 いちかは、別に何も悪いことをしたわけではない。彼が自分のところに来たのは、自分が悪いことをしたことによる何かの戒めではないと思いたい。

 その証拠に彼は優しかったではないか。あんなに楽しそうにしていた。少なくとも執事の話を聞く限り、自分の前での彼は、他の人に見せたことのないような、楽しそうな笑顔を見せていたのではないだろうか。

 その思いをどう表現していいか分からない。

「いや、表現する必要なんかないんだ」

 と感じた。

 その少年のことを考えていると、肇のことが頭に浮かんできた。

「ひょっとすると、彼は私に肇さんのことを意識させるために、わざわざ出てきてくれたのかしら?」

 という思いに駆られた。

 普通に考えれば、そんなことはないのだろうが、そう思ってしまうと、状況がオカルトっぽいことなので、それ以外を考えられなくなった。

 一途な思いから彼が自分の前に出てきてくれたのだとすれば、その思いにどう答えていいのか分からない。

 だとすると、自分は猪突猛進で思いついたことを真実なのだと思い込んで、前だけを向いていくしかないと思ったのだ。

 これが、いちかにとっての、長所であり、短所でもあったのだ。

 執事もそのことをよくわかっているので、それ以上は何も言わない。変に何か言ってもいちかを迷わせるだけだし、何を言っていいのか、正直思いつかない。

 今までの執事は、いちかのことをよくわかっていて、いちかにその時最適な言葉をかけられる人間だと自分でも思っていた。

「最適な言葉をかけられないのであれば、中途半端に何か言ったりしない方がいいんだ」

 と思っていたのだ。

 いちかは、その時のことを、

「まるで夢だったんだ」

 と感じる。

 そして、

「彼が一体どこに行ったのか?」

 ということを考えてみると、必要以上に余計なことを考えてはいけないと思うのだった。

 ただ一つ夢の中で覚えているのは、彼がもう一度どこかで生まれていて、自分と出会うことができるということだった。

 その思いをずっと抱いたまま、肇と仲良くなった。付き合っているのか、どうなのか、いちかにはハッキリとは分からない。なかなか彼の気持ちが分からなかったからだ。

 だが、彼は医者になろうと頑張っていた。論文も頑張って書いているようだし、何やら研究もしているようだ。

「体内にあるものは、摂取しても分からない」

 というようなことを研究していて、それがまるで完全犯罪をもくろんでいるかのようにも感じたが、決してそうではなかった。

 どうやら、彼は自分が医者になる第一歩として、この発想に駆られたのだ。普通なら自分だけの胸にしまっておきそうなことなのに、彼はいちかに対してこの話をした。

「そうなんだ、身体の中にあるものって、毒にもなるけど、薬にだってなるんだと思うんだよ。クスリと言っていながら、毒のようなものだってあるじゃないか。麻薬のようにね。だから、身体の中にあるものは、同じものであっても、時と場合によっては、毒にもなれば薬にもなるというものもあるんだ。それをしっかり見極めることで、死ななくてもいい人が一人でも助かれば、それだけで研究する意味があると思ってね」

 と言っていた。

 そして彼はさらに、

「それは、皆がすべてそうだとは思わないが、特に精神的に疾患を持っている人には特にこの傾向があると自分的には信じている。だから今はその路線を踏襲する形で研究をこれからも続けていきたいんだ」

 と言っていた。

 いちかも、看護学校で、薬学も少し勉強していて、特に、精神疾患に関して興味を持ち始めている時であっただけに、肇の話には共感できた。

 しかも、貸別荘での、あのオカルトっぽい話をまたしても思い出していた。

「あの時、私は何もできなかったけど、あれはあれでよかったと思っている」

 と、感じながら、たまに思い出すのは、やはり、彼が夢に出てくるからなのだろう。

「俺のことを忘れないでほしい」

 という思いからなのか、彼はまだ中学生のままだった。

 夢を見ている時の自分は、その時々で違っていた。子供の頃を思い出すように見ている夢だったり、自分は大人になっているにも関わらず、少年には自分があの時と同じ少女に見えていると感じる時、さらには、大人になっている自分と対等に接しているくせに、いちかを大人だと意識しているという、どこか矛盾はしているが、夢の想定内ということである夢、どれも本当であり、夢なのだ。

「世の中、集団意識というものがあって、自分が悪いと思っていることでも、皆がするからということで、言い訳がましくしている人だっているよね。でも、集団意識というものがどれほど怖いかを大人になれば知ることができるんだ。僕にはできないんだけどね……」

 と言って、寂しそうな笑顔を浮かべた。

 悲しそうな笑顔なのか、それとも、笑顔が寂しいのか、いちかには分からなかった。だが、言葉を区切っているということは、悲しそうにしか見えないので、悲しさが先にくるような気がした。

 そう思うと、たまに見せる肇の悲しそうな顔を見るたび、自分が無意識にあの少年と肇を比較していることに気づかされる。

「やっぱり、オカルトっぽさが抜けないのは、肇にもオカルトっぽさを感じているからなのかしら?」

 といちかは考えた。

 身体の中にあるものが、永遠の命をはぐくむものだとすれば、少年が死んでいるにも関わらず、いちかの前に現れたことを、科学的な照明はできないが、自分なりに解釈できるようになりたいと思うのだった。

 いちかと肇はそれぞれ、医者と看護婦として働き始めてから、三十歳になる少し前に結婚した。

 肇の研究は、最初は誰からの見向きもされていなかったが、次第に注目を受けるようになり、医者としての仕事よりも、

「難病をなくす、特効薬」

 としての効果を買われ、そちらの研究にも携わるようになっていった。

 いちかはというと、主任クラスになり、相変わらず忙しい毎日を過ごすようになっていた。

 夜勤もこなしながらの主任というのは、後輩の指導もあり、皆の勤務予定を組んだりするなど、実際の看護婦としての看護の仕事より、他の仕事の方が忙しいくらいだった。

 それでも、苦痛に感じることはなかった。頭の中で別荘近くの海であった少年のことがまたあったからだ。

「毎日のように、夢に見ているような気がする」

 と思っていたが、覚えているのはその少ししかない。

 内容もほとんど忘れて行っているのだが、それも仕方のないことのように思えていたのだった。

 いちかは、結婚してから、一年が経った頃に懐妊した。

「赤ちゃんができたみたい」

 といちかが言った。

「そうかそうか、きっとかわいい男の子だぞ」

 と肇がいうので、

「まだ分からないわよ」

 と言って笑って見せたが、実は、いちかも男の子だという確信めいたものがあったのだ。

「やっと会える気がするんだよな」

 といちかは思っていた。

 その証拠に、最近では、仮別荘で一緒に食事を摂った時の思い出が、頻繁に夢に出てくるのだ。

「また、会おうね」

 と言って最後に別れたあの日、それから遭えなくなるとは思ってもいなかったが、時間が経つにつれて、分かっていたように思えてならなかった。

 ただ、それには、かなりの時間が経過しなければいけないという意識は強かった。それがどれほどの期間なのかは分からなかったが、

「近づいてくるにしたがって、自分で分かってくるはずだ」

 と感じていたのだ。

 確かに肇の言う通り、そして自分が確信した通りの男の子だった。

 生まれてきた子に対して、医者が面白いことを言っていた。

「この子は、本来身体の中にあってしかるべきものがないんですよ。でも、それはないと困るものでもなければ、逆にない方がいい場合もあるものなので、別にそれが問題になるということはないですよ。気にすることはないです」

 と言われた。

 それを、肇に話すと、

「そうなんだ」

 と、それほどビックリしている様子もない。

 確かに医者からは問題はないと言われたが、自分の子供のことなので、気にならない方がウソである。

 しかし、肇は、

「どうも、俺はこの子とは初めて会ったわけではないような気がするんだよ。前に遭っていたような気がするんだが、これって変なのかな?」

「いつ頃のこと?」

「身体の中にある気づきにくいものが、難病の特効薬になるんじゃないかと思った時くらいに出会ったような気がするんだ。俺の人生のターニングポイントにだね」

 と言われて、

「私も、あれは中学生くらいの時だったかしら」

 というと、いちかはふとした考えが頭をよぎった。

「この子は親の人生のターニングポイントに現れてくれたんだわ」

 と感じ、これは自分たちだけに起こることなのか? と思ったが、肇が、

「今回のこのことが、また身体の中にある気づかれにくいものを暗示させてくれているような気がする。きっと、人が生まれる時って、親を選べないというけど、本当はかなり前から決まっていて、親のターニングポイントに現れるのかも知れない。だから、親は子供のためならなんだってできると思うんじゃないかな?」

 と肇が言ったが。

「まさにその通りだわ」

 といちかも感じ、このことが、肇の研究に大いに役立つことになることを確信したいちかだったのだ。


               (  完  )

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回帰のターニングポイント 森本 晃次 @kakku

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