第7話 安楽死と細川ガラシャ

 関東大震災では、何といっても、かなりの広範囲に及んでいた。東京府だけではなく、神奈川県、静岡県、埼玉県、千葉県などがかなり被災したのではないだろうか。

 東京でいえば、文明の象徴とも言われた、浅草十二階が倒壊したなどと、かなりの被害であった。

 しかも、昼食時だったということもあり、火を使っていた時間ということもあり、大規模な火災に見舞われた。火に巻き込まれて死んだ人も多いことだろう。

 さらに、こういう天災が襲ってくると、デマが飛び交うというのは、昔から言われていることで、

「朝鮮人が暗躍した」

 などというデマが流れて、朝鮮人の虐殺があったという。

 都市部は壊滅したということで、市民のほとんどは地方に移り住むという状況も生まれた。東京市では、焦土の煙と臭いがずっと残ってしまっていたので、ほとんどの人がマスクをしていたというが、今の令和三年と同じ状態だったのだろうか。

 それでも、必死の復興活動のおかげで、帝都は復活し、市民も戻ってくる。そんな時代を乗り越えて、日本は昭和という新しい時代を迎え、関東軍の勢いと、満州での反日運動により、満蒙問題の解決は急務となった。

 さらに、世界を巻き込んだ大恐慌であったり、東北地方の不作による食糧問題から、増え続ける日本の人口に食料や物資が足らなくなってきたのだ。

 そのために、関東軍は満州を死守することで、ソ連の脅威を取り除くとともに、日本における人口問題を一気に解決しようと考えたのだろう。

 満州では、関東軍の策略で満州事変が起こった。

 なんといっても、満州における中国の張学良や蒋介石による反日運動から端を発した、虐殺事件や、土地を売ってはいけないなどという法律のせいで、居留民ですら、まともに生活ができない状態になった。

 満州でのクーデターは、いろいろな問題を一挙に解決するために、絶対に必要だったことであろう。

 しかし、中国政府は、国際連盟に訴えたことで、リットン調査団による調査が行われ、

「満州国不承認」

 という結果が出て、最終的に日本が国際連盟を脱退し、孤立の道を歩むことになるのだった。

 日本は、満州を植民地にしようとしたわけではない。あくまでも満州国は独立国家である。

 ただ、関東軍の承認が得られなえれば何も決められないという傀儡であって、国務総理であるにも関わらず、議会では一言も発言できないということであった。

 そうではあるが、国際連盟加盟の主要国である欧米列強は、自分たちが支配する国を植民地として、自分たちに有利な条約を結んでいるではないか。まだ傀儡とはいえ、独立国としての体裁を守っているだけいいのではないだろうか。

 そんな満州が国際連盟で否決されるというのはおかしな話で、日本が国際連盟を脱退するという行為も何が悪いというのだろうか。

 さらに、その後に起こった、

「大東亜戦争」

 であるが、これはあくまでも、

「東亜を欧米列強の植民地から解放して、東アジアに、大東亜共栄圏を確立し、侵略から守ろう」

 というスローガンであったはずだ。

 それを、戦後、このスローガンではまずい、アメリカを中心とした戦勝国が、強引に大東亜戦争と呼ばずに、太平洋戦争と名付けたのが、今に至っているわけである。閣議で、

「先のシナ事変を含めたところで、大東亜戦争とする」

 と決まったのであって、しかも戦線は太平洋のみならず、インドを含む中央アジアにまで及んでいるのだ。太平洋戦争というのは、あまりにも狭い範囲だと言えないだろうか。まるで相手がアメリカだけだったようではないか。

 そんな時代を潜り抜けてきた教授だから、その時の苦労も分かっている。

 たぶん、あの時代を知らない人にいくら諭しても分かるものではないと思っているに違いない。

 もちろん、知らないのは事実だし、自分たちも分からないのは当たり前のことであった。

何といっても、目の前で手の施しようもなく人がどんどん死んでいくのだ。今のように特効薬が十分な時代ではない頃のこと。しかも、栄養失調の人に薬を与えても同じであり、一番与えるべき、栄養のある食物が供給されていないのであるから、本当にどうしようもない。。

「明日は我が身」

 だと、当時の人は思っていたことだろう。

 しかも病気にかかったら、誰も助けてくれない苦しみ、正直、昭和五十年代後半ではわかるはずもないだろう。

 ただ、

「時代は巡る」

 というべきか、令和元年の年末くらいから流行り出した伝染病が全世界に猛威を振るっていた時、日本でも類に漏れず、大流行した。

 欧米に比べれば、患者の割合はそれほどでもなかったにも関わらず、日本独特の考え方というのか、そんな他国から、

「感染者が少ない国だ」

 と言われているにも関わらず、医療崩壊を各地で起こしていた。

 なんといっても、救急車を呼んでもなかなか来なかったり、呼吸困難に陥り、人工呼吸器が必要なのに、十分に行き渡らなったり、さらには、人工呼吸器を必要としないというだけで、呼吸困難に陥っていて、熱も高熱でうなされているのに、入院もできず、自宅療養を余儀なくされるのだ。

 そのため、自宅で容体が急変して救急車を呼んでも、受け入れてくれる病院がないために、何時間も救急車で待たされて、中にはそのまま死んでいくということもあった。

 さらには、自宅で急変し、救急車を呼ぶこともできず、人知れず死んでしまっていて、数日経ってから、安否確認が取れないということで自宅に行ってみると、一人で死んでいたということだったりするのだ、

 戦後の混乱であればまだしも、今の令和の時代にそんなことが起こるのだ。

 しかも、感染症にも関わらず、隔離をすることもなく、自宅療養である。家族は放っておくわけにもいかないので、誰かが看護することになる。

 当然、介護している人が感染する可能性は高く、そこで家庭内感染を起こし、それが市中に広まっていくということになる。

 いくら未知のウイルスによる感染ということであっても、政府は、コロコロ話を変えるし、マスゴミは自分たちの記事を売るのが仕事だという正当性をひけらかして、世間や世論をあおり、必要以上の混乱を巻き起こすことになっている。

 政府は、オタオタするだけで、マスゴミのプロパガンダに騙されたり、逆にマスゴミを使って、政府のやり方を世間に言い聞かせるような感じになってしまう。

 口では、

「要請やお願い」

 と言っておきながら、それは自分たちが金を払いたくないから、世間に対して厳しくもできない。

 つまりは、

「保証をキチンとできないから、命令もできない」

 と言って、それが日本の仕組みだと言って、世間に吹聴しているのだ。

「保証さえキチンとしていれば、罰則を伴った命令を出したとしても、逆らう人はほとんどいないだろう」

 と言われる。

 確かに政府に金のないことは分かるが、まずは、感染を抑えるのが一番の問題で、そのためには、みんなが一致団結しなければいけないのに、業種によって不公平があったりして、従わない人も出てくるのは仕方のないことだろう。

 また、

「日本は、平和ボケをしている」

 と言われている。

 日本には、

「戦争のない平和憲法」

 というものが存在する。

 つまり、日本に有事はなく、戒厳令というのが、法制化されていないのだ。しかし、戒厳令は別に戦争やクーデターだけではない。災害時にも発令されるものだ。それが整備されていないから、阪神大震災の時も、東日本大震災の時も、初動が遅れることになったのだ。

 日本の国には、軍隊はないが、自営地がある。自衛隊の主たる存在目的は専守防衛と、災害時における救援活動などである。災害が起これば、被災地における自治体の長が、国に自衛隊出動の要請をお願いし、首相が出動を決定する。

 阪神大震災の時などは、兵庫県から自衛隊の出動要請がかなり遅れた。知事が行っていなかったことや、他の議員が連絡を行い、出動要請の手配をしても、なかなか中央政府も実際の状況を知らずに、

「大げさだ」

 などと言って、初動対処に重大な遅れをもたらした、

 それだけ日本は、平和ボケをしているということだ。

「神戸を中心とする阪神間に、地震のようなものは起こらない」

 などというおごりと、もう一つは、当時は、村谷首相を中心とした社会党政権だったということである。

 当時の社会党は、二大政党の一つで、それまでの自民党政権から政権交代を行い、打ち立てた政権であった。

 しかも、社会党というと、そのスローガンに、

「自衛隊反対」

 という左翼的思想があった。

 そのため、自衛隊にはなるべく頼りたくないというのがあったということで、自衛隊が出動できないという弊害があった。

 このことは、世界のメディアにも伝えられ、かなりの批判を浴びることになる。

 なんといっても、

「平和ボケ」

 と、

「左翼的思想」

 という政治的意図によって、

「助かる命を助けられなかった」

 という事実は、なんともまともに口にできないほどの話ではないだろうか。

 ただ、問題はそれだけではない。

「被災地の知事から出動要請がなければならない」

 という当時の法律が大きな足かせになったのだ、

 兵庫県知事が出動要請をしなかったのは何を考えてなのか分からない、少なくとも、自分のところには、すべての情報が流れてきていたはずだ。本当にやり切れないとは、このことではないだろうか。

 そういう意味で、

「生きたいと思っても、生きられなかった人もいる」

 というのが、災害被害者ではないだろうか。

 戦争においての、被害者も同じで、線上に赴いた兵士であったり、空襲によって死んでいった一般市民であったり、どれだけ無念であっただろう。

 それを思うと、前述の安楽死という問題がさらに複雑な問題になってくる。

 特に、日本は、いや、当時は世界中の人がというべきであるが、相当な人間が、

「生きたくても生きられなかった」

 という目に遭ってきているということを知っているということで、簡単に安楽死を認めるというわけにもいかなかっただろう。

 特に、子供が食事の好き嫌いをいうと、いつ頃までか、

「昔は食べたくても食べれない時代があったんだ。嫌いなものは食べれないというのは贅沢だ」

 という発想があった。

 確かに、

「お百姓さんが一生懸命に作った農作物を食べないなんて、もったいない」

 という言葉と一緒に言われてきた。

 食料の危機的で絶望的な不足から、

「栄養失調で、町に行き倒れた人が何体もしたいとなって溢れている」

 というような地獄絵図を、今の人は誰も知らないだろう。

 今では後期恒例の人であっても、ギリギリ子供の頃の記憶があるかどうか。なんといっても、終戦の年に生まれた人は、令和三年では、七十歳後半という、いわゆる、

「後期高齢者」

 ということになるのだ。

 やはっり、戦時中の話は、経験者が伝えてきた一代で、その次の代にはなかなか伝わらないだろう。なんといっても、経験がないからである。

 さすがに安楽死と、被災によっての死というものを同じ高さで比較するというのは、違うのかも知れない。

 ただ、死とものを考える時、その正対するという意味での、

「命」

 という言葉を考えると、

「生殺与奪の権利というのは、誰にあるだろうか?」

 と考えてしまう。

 宗教によっては、倫理として、

「人を殺めてはいけない」

 と言われる。

 これは宗教がどこであろうが変わりはないだろう。そして、ここでいう人というのは、他人でけではなく自分にも言えることであり、

「自殺は許されない」

 ということも言っているのと同じである。

 そういう意味で、戦国時代、石田三成が関ヶ原の戦いを起こそうとし、上杉征伐に向かった各大名の家族を人質にとって、自分につかせようとたくらんだことがあったが、その時、細川忠興の妻であった、細川たま(ガラシャ)はキリシタンであった。

 ちなみに彼女は、明智光秀の娘であったため、信長を討ったのが父親だということで、亭主に対して、負い目もあっただろう。

 そのようなこともあり、自分が生き残ったことで、

「旦那に迷惑がかかってはいけない」

 と考えるのだが、キリシタンである彼女は、

「自殺は許されない」

 ということで、どうしたかというと、

「自分の家来に自分を殺させた」

 というのである。

 これは美談のように思えるが、果たしてそうなのだろうか?

 時代が時代だったと言えばそれまでなのだが、

「人を殺めてはいけない」

 という前提があるのに、家来に自分を殺させるというのは、ありなのだろうか?

 それを考えた時、

「家来はキリシタンではないので、殺してもかまわない」

 と思ったのか。

 そもそも、家来は彼女を守護する兵士である。それまでに何人も戦で殺めているかも知れない。

 また、このようなことになれば、当然戦うだろうから、自分が殺されないようにするには、そして細川家を守るには、むざむざ殺されることをせずに、戦うに違いない。

 そこまで考えて、家来に自分を殺させたというのか。

 しかし、キリスト教の考え方(ほかの宗教でも同じのが多いが)では、

「人を殺めたものは、地獄行きが決定で、決して極楽にはいけない」

 というのに、ガラシャはそれを分かっていて、自分を殺させたのだとすれば、罪は重いだろう。

 確かに、自殺はいけないという教えではあるだろうが、だからと言って、他人を巻き込んで自分を殺させるというのが、キリスト教的に正しいのだろうか?

 もし、これが正しい行動だったのだとすれば、筆者は納得できないことが結構ある。そう考えると、

「人を殺めてはいけない」

 という十戒に書かれている内容を、拡大解釈して、

「自殺も許されない」

 と考えるのは、矛盾していることではないだろうか。

 そうなると、安楽死も同じことではないかと思うのは、発想が違っているのだろうか。

 安楽死というのは、本来であれば、自殺をしようにも、本人にできないということで、医者が患者の気持ちを推し量って、手を下すということであり、もちろん、家族の同意も得ていることが大前提である。

 しかし、安楽死をダメだという発想は、自らを他の人に殺させた細川ガラシャの行動を、

「許されないことだ」

 というのと同じではないだろうか。

 安楽死にキリスト教は関係ないというのだから、安楽死と細川ガラシャのケースは根本から違っているともいえるが、簡単に切り離して考えられないという思いが実際にはあったりする。

 ただ、細川ガラシャの覚悟は本物だっただろう。そういう意味で、すべてを否定するのはおかしな気がする。そもそも今と時代も違うので、主君と家来との関係がどのようなものであったのかということを、想像するのは無理なことであろう。

 もしできるとすれば、他の事例から分析して、その前後関係を考えた時に、そこに矛盾がなければ、想像できたと言えるのではないだろうか。だが、人には、

「人それぞれ」

 という感覚もあり、すべての人間がロボットのように、いくつかのパターンで振り分けられるのであれば、想像をするということは、まるで、交わることのない平行線を交わらせるようなものだと言ってもいいのではないだろうか。

「人を殺めてはいけない」

 という言葉は、他の何かと一緒に考えた時、矛盾をはらんでしまうという危険性を持っている。

 だから、強引に理解しようとすると、まわりから攻めていくことになるのだが、人間の身体も頭も一つしかない。

 例えば、左右の手で、それぞれ別のことをしようとして、それを意識してしまうと、なかなかできないというのと同じではないだろうか。

 無意識に本能から身体が動くのだから、できているのであって、条件反射のようなものが無意識につながっていかなければ、きっとできないことなのだろう。

「だから、楽器のできる人と、できない人に分かれてしまうんだ」

 と考えたことがあったが、これは楽器に限ったことではない。

 単純に考えて、何かをできるできないの境界線がそこにあって、

「克服できれば、できりと言え、克服できなければ、できないと言える」

 と考えることができる。

 ただ、これは本当に単純な考えで、これをそのまま鵜呑みにして考えることが、本当に正しいのかと考えてしまうのだった。

 だが、世の中理屈で割り切れないことが山ほどある。理屈で考えられないから、余計に難しく考えてしまうのだろうが、逆に単純に考えることもできないのだろうか? ということであった。

 実際に単純に考えてみると、

「何だ。考えすぎだったんじゃないかな?」

 と言って、難しく考えていた自分がバカにタイに思えるくらいであった。

 元々が曖昧な言葉であるものを、他の何かと一緒に考えようとするから難しいのだ。曖昧なものをまず、理解できる曖昧ではなく、説明のできる言葉にかみ砕いたところで、他の何かと一緒に考えれば、理屈が矛盾にならないことになるはずなのに、それができないということは、曖昧なことを、無意識に、

「曖昧だ」

 と自分で思っているからなのかも知れない。

 考えすぎる人というのは、すべてのことに、裏表を考えてしまう。だから、裏表を考えた時点で、

「そのことに対してすべてを自分は理解したんだ」

 と感じてしまい、その思いが、少し大きな場面で見えているはずの、裏表に気づかないことで、矛盾として片付けようとしてしまうのではないだろうか。

 そういう意味では、矛盾という言葉、曖昧であり、曖昧なだけに、難しいとも言える。

 ただ、矛盾という言葉、マイナス面が大きいと言えるが、矛盾があることで、その先を考えてしまい、暗闇の中で必死で光を見つけようとするあまり、ちょっとした光に惑わされて、

「そこが出口なんだ」

 と勝手な思い込みから、騙されてしまうという結果に結びつきかねないと言ってもいいのではないだろうか。

「出口を探す必要なんて、本当にあったのだろうか?」

 と考えた。

 それは、出口に矛盾を解消できるものがあり、そこから先は、今までの世界なのか、それとも新しい世界なのかと考える。

 本当は元に戻りたいのだが、それは、時間としての、

「元の時間」

 であり、経過したはずの時間の先という、本来なら戻るべき場所を怖がってしまっているということになるとすれば、元に戻ったところで、すでに、そこには自分を知っている人はいないかも知れない。いや、そこにはもう一人の自分がいた世界だともいえる。

 タイムパラドックス的にも、これ以上の矛盾はないだろう。

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