第8話 島の少年の失踪

 矛盾について、いろいろ考えていると、頭の中を駆け巡るものはいくつもあった。

 ただ、身近なこととしては、実際には結構ある。一つ一つ考えていくと、理不尽で怒りがこみあげてくることもあるのだった。

 令和における最近感じたこととして思い浮かんだことは、昭和の時代と違って、今はかなり禁煙が盛んになってきていて、禁煙という言葉よりも、喫煙という言葉の方がインパクトがあるようになってきている。

 つまり、昭和の頃のように、どこでもタバコが吸えて、禁煙ルームや禁煙車両ができてきたことを、

「ありがたい」

 と感じる時代だったのだ。

 昭和の頃は、本当にどこでもタバコが吸えた。

 会社の事務所、会議中、または、ランチタイムの食堂であったり、喫茶店、さらには、病院でもタバコが吸えた時代だった。今ではありえないことである。

 やはり、喫煙者が多かったのには、刑事ドラマのワンシーンの影響が大きかったのではないかと思う。

 ダンディな俳優が刑事を演じていて、歩きながら煙草を吸っている。おもむろに吸っていたタバコを路上に捨てて、足で揉み消す。

 そんなシーンが格好良く描かれているというシーンに、若者は感動した。

「あんな風に格好良くなりたいものだ」

 と憧れたものだった。

 だが、時代の流れは止めることができず、今ではそんなことをすれば、まわりから白い目で見られるというものである。

 これが、当時は当たり前のことであった。喫煙者が幅を利かせて、禁煙者は肩身の狭い思いをしていたのだ。

 だが、昭和の終盤になると、やっと禁煙者が、

「副流煙」

 という言葉を持ち出してきて、禁煙者の権利が主張されるようになってきた。

 副流煙とは、

「煙草による害は、吸っている本人よりもまわりにいる人が喫煙者が吐き出す煙によって被る害の方が大きい」

 というものであった。

 つまり、喫煙者がガンになるよりも、禁煙者なのに、そばにいるだけで、煙を吸ってしまう人間の方がガンになる可能性が高いという研究結果が出たことで、それまで黙っていた禁煙者が自分たちを主張し始めたのだ。

 そこまでくれば、さすがに世間も黙っているわけにはいかない。世間の声が社会問題となり、禁煙者の主張が少しずつ認められるようになる。

 それまでは、禁煙者が、

「すみません、タバコの煙が……」

 などと、申し訳なさそうにでも勇気を出して、喫煙者に抗議をしたとしても、

「あぁん? 何言ってんだよ。別に法律違反してるわけでもないんだ。嫌なら、他いけよ」

 と言われるのがオチだった。

 まるで因縁を吹っ掛ける連中のようだ。

 だが、そのうちに、禁煙車両ができてきたり、禁煙ルームができてきたりと、徐々に分煙が形になってきた。

 しかも、強制的な禁煙場所が増えてくる。

 特に、公共交通機関などは顕著で、電車関係であれば、禁煙車両はもちろんのこと、そのうちに、駅のホームでの喫煙ができなくなり、さらには、禁煙車両が四両編成であれば、一両が禁煙車両だったが、そのうちに逆転した。

 四両は基本的に禁煙になり、一両だけが、喫煙車両ということになり、前述の、

「禁煙という言葉よりも、喫煙という言葉の方をたくさん聞くようになる」

 という、それまでとは、状況がまったく変わってきたのだ。

 当然、法整備も進んできていたが、まだまだ行き届いていないところがあるからか、路上喫煙など、ほとんどの人がしなくなったが、法律で禁止されているわけではなく、都心部では禁煙エリアというものがあるが、それも、都道府県の条例というレベルでしかなかったりする。それを思うと、

「法整備の遅れ」

 が問題ではないかと思い、またしても、政府に怒りがこみあげてくるようだった。

 そんな副流煙の研究を大学時代にしていたのが、肇だった。

 大学では医学部に通っていて、そこで医学の勉強をしていたが、副流煙に関しては多いの興味を抱いていた。それは、いちかが昔から感じていたことであり、一時期、子供の頃からの持病でもあった喘息が、副流煙の影響で深刻になることがあった。

「なるべく環境のいいところで静養をさせた方がいい」

 ということで、中学生の頃は、休み中など、よく静養地に行っていたりしたものだった。

 海の近くがいいだろうということで、選ばれたのが、岡山県と広島県の県境のあたりだった。

 なぜ、あのあたりなのかは詳しい理由は知らなかったが、

「瀬戸内なので、海も荒いことはないので、静養するにはいいかも知れない」

 ということであった。

 瀬戸内の狭い範囲に、たくさんの島があり、よく島に渡ったりもした、運動不足にならないようにと、尾道に行ったりしたりした。

 あの街は坂道が多いので、適度な運動にはちょうどいい。なるべく環境にいいところということで、一つの島に滞在することが多かったが、そこにはちょうど別荘が貸し出されていて、その別荘を借りることができたのは、幸運だったようだ。

 そこに、いちかと世話をするおじいさんがついてきてくれた。母親方のおじいさんで、最近、おばあさんを亡くし、一人きりになったところで、少し寂しさから立ち直ってきたおじいさんが、いちかの面倒を見るということで名乗りを上げたのだ。

 しかし、さすがにおじいさんと中学生の娘だけでは心もとないということで、もう一人、こちらはホームヘルパーの会社に連絡を入れ、派遣という形で来てもらうことにした。当時は、まだ珍しい派遣であったが、何とか探し当てたことで、いちかの静養が実ったといってもいいだろう。

 いちかは、その島で、まるでどこかの国の女王様という雰囲気のいでたちに、佇まいであった。

 島には、数百人が暮らしているようで、規模としては決して小さな島ではなかったようだ。

 高い山はなかったが、小高い丘のようなところがあって、その丘の中腹くらいのところにいちかが住むことになる、貸別荘があった。

 島全体を見渡せるほどの絶景であり、その向こうには、本土が見えた。岡山県になるのだろうだが、当時はまだ瀬戸大橋なども当然なかった時期、交通の主要は船だった。

 じっと見ていると、大証の船が何台も行き交っている。見えている船の後ろにできている波が、末広がりに広がっているようで、見ていて飽きることはなかった。

 実際に朝起きて三十分ほど、完全に目が覚めるまで、海に浮かんだ船を見ているのが恒例となっていたのだ。

 中には、ポンポン線もあり、船から発せられるポンポンという音を聞いていると、実際に潮の匂いがしてくるようで、落ち着いた気分になれたのだ。

 夕方になってある程度、涼しい時間になってくると、浜辺に出かけて、海を実際に見ていた。

 いつも白いドレスに白い帽子をかぶって出かけていたので。本当に、

「女王様」

 の佇まいに見えたことだろう。

 そこで、結構島に来て早い時期に、島の少年と知り合った。

 その子はいかにも島育ちの少年で、シャツに半ズボン、帽子は麦わら帽子という恰好をしていて、砂浜で何かを探しているようだった。

「何してるの?」

 と、いちかはその少年が一生懸命に何かを探しているのを不思議そうに眺めていた。

 その様子を見た少年は、まるで、想像上のお嬢様が降臨したのではないかと、自分の目を疑うほどであったが、その顔を見て、ちょうど逆行だったせいもあって、まるでのっぺらぼうのように思えた。しかも、後ろのまぶしさから、彼が顔をしかめていたので、自分がどうしてそんな顔をされなければならないのか、疑問に感じたのだ。

 少年とすれば、のっぺらぼうに見える女の子の声が、思ったよりも落ち着いていて、それでいて、あどけなさを含んだ可愛らしさが感じられたことで、一瞬、夢見心地となり、同時に金縛りに遭ったかのように、動けなくなっていたのだった。

「ああ、ここでね、貝殻を探しているんだよ」

 という少年に対して、

「貝殻というのは?」

 といういちかの言葉を聞いて、

「ここの貝殻は、結構巻貝が多いんだ。耳を当てると、結構いい音が聞こえてくるんだぜ。君もそんな貝殻を探してみれば、僕が何をしているか、分かるというものだ」

 と言われて、いちかも、一緒になって貝殻を探して、巻貝であれば、それを耳に当ててみていた。

「どうだい、何か聞こえるかい?」

 と聞かれたが、正直に、

「ううん」

 と言って、寂しそうに首を横に振ると、楽しそうな表情になったその少年が、

「そっか、見つからないか。でも、君は素直な女の子なんだね?」

 と言われて、ビックリしたいちかは、再度彼の顔を見つめた。

 その表情はあどけなさからなのか、それともなんでも知りたいという探求心によるものなのか、純粋な表情に少年も楽しそうだったのだ、

「ありがとう。私、素直な女の子って言われるのが一番嬉しいの」

 といちかは言った。

 都会にいる頃は、ずっと目立たない女の子で、たまに近所のおばさんが話しかけてくれた時、

「いちかちゃんは、素直な女の子だからね」

 と言われていたのを思い出した。

 いつも目立たない女の子なので、たまに声をかけられて、

「素直な女の子だ」

 と言われるのだから、嫌であるわけはない。

 ひょっとすると嫌味だったのかも知れないが、いちかにはそんな素振りはまったく見せなかったのだ。

 そのおばさんの顔を思い出そうとその時に思ったが、なぜか思い出せなかった。それは、ちょうど今、いちかが自分のことをのっぺらぼうのように感じているのと同じような感じだったが、その時の二人にこの偶然が分かるわけもなかったのだ。

 いちかと少年は、すぐに仲良くなった。

 耳に当てると、波の音が聞こえてきて、波の音とともに、嗅覚が刺激されるのか、潮の香りまでしてくることが嬉しくて、ずっと耳に当てているくらいだった。

 少年は、いちかの眩しさが気になっていて、いちかは、彼ののっぺらぼうに見えたその時の顔が忘れられなかったから、きっと仲良くなれたのだろう。

 いちかは、のっぺらぼうだった彼の表情を、後から勝手にイメージで想像して、どんな表情だったのかを勝手に作りあげていた。

 少年はいちかがそんなことをしているなど、想像もしていなかったが、少年がいちかに憧れているのだろうということは想像がついた。

 いちかとしては、自分が本当に女王様にでもなったような気がして嬉しかった。ただ、いちかにはSっ気はなかったので、女王様として君臨しているような意識はあったが、相手を支配しようという意識はまったくなかったといってもいい。

 だから、少年は憧れることができたのだろう。もし、いちかが少しでも、少年のことを目下のように見ていたとすれば、その砂浜に少年が二度とくることはなかっただろう。

 いちかは、夏休みの間、いつも少年とこの砂浜で会っていた。待ち合わせをしていたわけではないが、どちらともなく、毎日、

「自分の方が先に見つけるんだ」

 と思っていたようで、

「今日は私が先に見つけたのよ」

 と、いつの間にか、どちらが先に見つけるかということが、会ってすぐの会話になっているのだった。

 いちかは、少年を別荘に招くことを計画していた。

 おじいさんもその少年のことは知っていて、話をしたことはないが、いちかの付き添いで砂浜に来ていた時、その様子を少し離れたところから垣間見ていたのだ。

 少年がおじいさんの存在を知っていたのかどうか、その時は知らなかったが、どうやら知っていたようで、いちかが別荘に彼を招き入れた時、おじいさんの顔を見て、彼は安心したような表情になったことで、いちかには、

「彼には、おじいさん存在が分かっていたんだわ」

 と感じたのだった。

 おじいさんも、前から、

「あの子は素直な少年のようですね」

 といちかに話していて、いちかがそれを誇らしげに笑顔を浮かべたことから、おじいさんも、

「この娘は、ちゃんとわかっている」

 と感じたのだった。

 いちかが少年を別荘に招いたのは、お盆も過ぎた頃のことだった。暑さもピークを越えていたので、日が暮れる頃にはだいぶ涼しくなってきていて、

「それまでのあの暑さはどこに行ったのだ?」

 と思うほどであったが、一番の原因として、

「暑さの原因は、湿気にあるのではないか?」

 と感じたことだった。

 海が近いせいか、湿気はかなりのものである。そういえば、友達の中に、

「夏の海に行くと、帰ってきてから、決まって高熱を出して寝込んでしまうので、私はあまり夏には海に行きたくない」

 と言っている人がいたが、その理由がいちかにも分かった気がした。

 湿気の強さが身体の毛穴を塞いでしまうことで、熱が身体の中に籠ってしまって、発散させることができなくなり、呼吸困難を引き起こし、そのせいで、籠った熱が秒と結びついて、高熱を出してしまうんだろうと思えてきたのだ。

 夏の暑さが身に染みている時は、砂浜を歩いているだけで意識が朦朧としてきた。靴を履いているのに、熱のために、足の感覚がマヒしてくると思えるほどの暑さは、足からだけではなかった。

 照り返しの熱が下からどんどんと溢れてくるようで、まずは顔が火照ってくるのを感じ、その後、背中や首筋に汗が滲んでくるのを感じた。

 しかし、それ以外の場所はどんなに暑くとも汗を掻くことはなかった。普段なら、背中や顔よりも先に汗を掻くはずのわきの下に汗を掻いたという感じがしないのだ。

 砂浜の照り返しの熱は身体の中に熱を籠らせるという力を持っているようだ。そして、意識を朦朧とさせ、自分がどこにいて、何をしているのかすら、曖昧にさせるのだから、大したものである。

 いちかがいつも白いドレスを着ているのは、お嬢様のいでたちというだけではなく。太陽の照り付けを少しでも逃がそうという意図があるのだった。

「白い色は、光を反射させる」

 という効果があるのは知っていた。

 だからこそ、夏の暑い時期にはみんな白い服を着て、冬になると、黒っぽい服を着るのである。

 皆は無意識に着ていたのだが、いちかの場合は意識してのことだった。

 そんないちかが夏は苦手なはずなのに、わざわざ海を選んだのは、

「体に熱が籠るのが一番いけないことなので、身体の代謝をよくしないといけない。つまりは、汗をいっぱい掻いて、血の巡りをよくするのがいいかも知れない、サウナと同じ理屈だよ」

 と、いちかの体調を定期的に見てくれている先生からの助言だった。

 その意見にはおじいちゃん先生も賛成してくれて、いちかも、

「少し最初はきついかも知れないけど、やってみようかな?」

 ということで、海に来ることに決まったのだ。

 だから、白いドレスを着るというのも、最初から決めていたことで、それが少しでも楽になるというのと、身体に一気に熱がたまるというのも、悪影響だと感じたからだった。

 別荘の外壁もすべて白い色を基調にしている。さらに通気性を最優先に考えているので、部屋の中にいても、そこまで暑いとは思わなかった。

 当時としては一部屋に一台のクーラーというのは贅沢だったが、この屋敷にはついていた。

 しかし、クーラーがあっても、扇風機で賄える時は扇風機を使っていた。それだけ風通しをよくするように設計されていたのだ。そもそもが避暑地としての別荘なので、基本的には冬に利用するようには設計されていない。ただ、冬はこの島自体がそれほど寒くないので、冬仕様にしておく必要もなかったのだ。

 それでも、応接間には昔ながらの暖炉があり、マントルピースとしてのイメージとして、実際にはあまり使用する予定のないもののように思われた。

「そういえば、この別荘は、大体何人くらいで利用するような設計になっているのかしら?」

 と、おじいさんに聞いてみると、

「そうですね、イメージとしてしては、多くても五人くらいではないでしょうか? 前にお使いになっていた方は、三人だったそうです。ご主人様は小説家の先生で、アシスタント兼マネージャーの方と、身の回りの世話をする、執事のような方がおられたようですよ?」

 と言っていた。

「小説家の先生というのは、この別荘を使うのには、ピッタリな気がするわね。じゃあ、このあたりを舞台にした小説が多いのかしら?」

 と聞いてみると、

「そうでもないようですよ。むしろ山だったり、都会のど真ん中で起こる事件をテーマにしたミステリー作家のようですからね」

 というので、

「へえ、そうなんだ。私はてっきり、この別荘をテーマにしたメルヘンチックな恋愛物語かと思ったけど、それだったら、私にも書けそうな気がするわ」

 と笑いながらいうと、

「そうかも知れませんよ。お嬢様は、時折奇抜な発想をなさいますからね」

 とニッコリと笑っていうので、

「そうかしら? 自分ではそうは思わないけど」

 と口ではそう言ったはが、こういう時のいちかは、顔が笑っていない。

 そんな時の心境は、冗談ではないということだった。それだけまんざらでもないということであろう。

 実はその言葉を聞いた時から、いちかは、密かに自分でも物語を書いてみようと思っていた。小学生なので、奇抜な話を書くことはできないので、作文の延長のような気持ちだった。

 最初は、背伸びして、

「結構難しい話も書けるかも知れないわ」

 と思っていたが、実際には書けるはずもない。

「小説というのは、フィクションであっても、経験したことでなければ書けない気がするわ。それは、ウソを書きたくないという自分なりの正当性を持っているからなのかも知れない」

 というような気持ちにいちかがなっていたからだろう。

 いちかは、小学生でありながら、その発想は大人顔負けの奇抜さであった。

 それが学校の成績に結びついてこないのは残念であったが、元々両親もおじいちゃんも、

「学校の成績だけがすべてではない」

 と思っていたので、いちかも伸び伸びとできたのだった。

 それでも、勉強は嫌いではなかった。成績が結びつかないだけで、その分、好奇心は他の子よりも旺盛だったのだ。

 いちかの想像力は、小学生でありながら奇抜であったが、子供の心を失ってはいなかっただけに、発想の幅も広かったのだ。

 女の子であり、少女であるいちかの作り上げる物語は、やはりメルヘンチックなものであった。小さかった頃に聞いた、イソップやグリム、アンデルセン童話のような話が基本になっている。

 ちょうど、日曜日のゴールデンタイムには、

「世界名作劇場」

 と銘打って、童話でも有名な話をアニメにして三十分番組でやっていたりした時代だったので、想像することは容易にできた。

 発想はオリジナルだが、元になるようなエピソードなどは、アニメの影響が大きかったのだ。

 童話には、必ずしも、ハッピーエンドになる話ばかりではない、むしろ、悲しい物語の方が多かった。

 アニメの題材になった話の中には、最後に主人公が死んでしまうという話も少なくはなかった。

 しかし、さすが宗教が絡んでいるのか、魂が肉体を離れて、妖精に空に連れて行ってもらうというような話で結ばれていたりする。

「いかにもメルヘンだ」

 と言えるのではないだろうか。

 空に召された主人公がどうなったのかは分からないが、死んでしまったということをハッキリと謡ったうえで、この話を見せられると、

「死というのは、恐ろしいものではない」

 ということを印象付けるようなものではないかと思わされたのだ。

 この発想は、考え方によっては、恐ろしいものである。

 その頃、まだ子供だったいちかには分からなかったが、

「死ぬことは、恐ろしいことではない」

 という意識を植え付けることになり、この発想が、かつての大日本帝国が行っていた、

「生きて虜囚の辱めを受けず」

 という言葉にあるように、自決や玉砕を正当化する言葉となっていたように、

「生きて恥を受けることを思えば、潔く日本男児として死を選ぶこと」

 ということであり、それが、いわゆる、

「戦陣訓」

 と呼ばれるものだ。

 その戦陣訓に似た言葉は、大日本帝国から始まったものではなく、戦国時代くらいから、家訓として言われていたことがルーツだとされる。

 同じ大日本帝国においても、日清戦争の時、陸軍元帥であった、山形有朋が、当時の清国の捕虜にたいしての扱いのひどさに、

「囚われて、ひどい拷問を受けることを考えれば、潔く日本男児として、自らの命を断つということを考えてほしい」

 という形で行ったのだった。

 明治の頃も、戦陣訓ができた頃というのも、時代が時代であり、いくら、

「ハーグ陸戦協定の条文」

 があるとはいえ、実際に捕虜になってしまうと、相手にどんな残虐な目に遭わされるか分からないというものだった。

 特に中華民国下の中国人は、偏見といえるほどの反日感情を抱いており、その虐殺行為は、すでに周知のことだったのだ。

 かつての南京大虐殺が、某新聞社の謀略だったという事実と、南京制圧の前に、北京での通州における、

「通州事件」

 という残虐極まりない事件を引き起こした中国人というのが、どれほどのものだったのかというのは、今ではネットで調べればすぐに分かることだった。

 南京事件に比べて、

「規模が小さかった」

 ということであったり、戦勝国と、敗戦国との言い分の違いということを差し引いて考えれば、南京事件を今さらながらに問題にできないことくらいは明白であろう。

 これは過去の歴史のお話であるが、それだけではなく、現在でも、玉砕ではないが、自爆テロというものが実際に横行している。

 やっていることは、まるで旧日本軍の、

「神風特攻隊」

 のようであるが、発想が違っている。

 神風特攻隊は、

「日本の国を守るため、天皇陛下の御ために、自らの命を犠牲にしするという、家族は国家を守る」

 ということが先決である。

 自爆テロの場合は、

「自分たちは侵略者から、自らの命を犠牲にして、より多くの侵略者たちを葬り去るという意味で、自分たちが死んでも、その先には、神の国があり永遠の幸せが待っている」

 というようなものではないだろうか。

 つまりは、宗教に基づいた考え方であり、死ぬことを、

「神に召させる」

 という考えだ。

 ここでは、国家や個人、家族は関係ない。本人と神との間のことであるのだ。

 日本の神風特攻隊の考え方は、国家があり、そして神様である天皇のために命を捧げるという意味で、正当性という意味では、どちらが正義だというのだろうか?

「どちらも正義であり、どちらも正義ではない」

 と言えるような気がする。

 それを決めるのは誰かということである。

「神が本当に存在し、それを決めるのが神だというのであれば、正義なのかも知れないが、神が存在しなかったり、存在しても、神にその決定権がなかったりすれば、その行為に正義はない」

 と言えるのではないだろうか。

 そういう意味で、話としては似てはいるが、その根底にあるものはまったく違うというのが、大日本帝国における、

「神風特攻隊」

 と、イスラム世界などによくある、

「自爆テロ」

 との考え方というのではないだろうか。

 逆に日本という国が、キリスト、イスラムなどの宗教の勢力圏にあれば、果たして、

「神風特攻隊」

 なるものが存在しただろうか?

 あくまでも民族性の違いでもあり、日本人は、島国育ちでもあるので、やはり考え方の違いは如何ともしがたく、自爆テロを行うような国ではなかったかも知れない。

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