第5話 ギャンブル依存症
肇といちかは、本当に付き合うようになったのは、高校三年生になってからだった。それまで二人は、
「感情的なSMの関係」
だと自分たちで思っていた。
高校二年生の時に二人は初めて身体を重ね、お互いに初体験だったのだが、ぎこちない中であったが、処女と童貞を捨てることに成功した。
その時のお互いの気持ちは、
「相手がこの人でよかった」
という気持ちであった。
しかし、この気持ちは同時に、お互いをSMの関係のように思っていたのが、実は違ったということを示しているような気がした。
というのは、自分をMだと思っていたいちかは、身体を重ねると、どこかわがままだった。Sだと思っている肇は、そんないちかを容認したのだが、容認する自分に対し、本当にSなのかと感じたのだ。
しかし、考えてみれば、Mの女の子だから、わがままなものであり、それを容認できる男性こそ、信頼関係上Sだといってもいいのではないだろうか。その時には、信頼関係こそがSMの原点だということが分かっていなかった二人には、自分たちが、
「感情的なSMの関係」
ということにしか感じないと思ったのだった。
そのため、初体験を済ませたことで、
「これでやっと恋人同士だ」
と思えるだろうと感じていたにも関わらず、身体を重ねたことでお互いの距離が少し離れてしまった気がした。
少しの間、二人にはぎこちない期間があったが、それはまわりにも、そのぎこちなさを感じさせ、二人の間だけではない不穏な空気がまわりを包んだため、クラス全体が微妙な空気に包まれることになった。
しかし、この空気の出所がどこなのか、誰にも分らなかった。
もちろん、出所である本人たちにも自覚がなかったのだから、始末に悪い。しかし、二人の間のぎこちない関係が少しずつよくなってくると、クラスの雰囲気も修復されていくようだった。
そのことに気づいたのは肇だったが、そのことを決して誰にも言おうとは思わなかった。それだけ、肇は小心者だったのかも知れない。
「それにしても、二人の関係がクラスの雰囲気を変えてしまうほど、まわりに影響力があるなんて、思ってもみなかった」
と、肇は考えた。
しかも、そのことをまわりが誰一人として気づかないのだ。しかも、相手のいちかも気づいていない。それだけ、今まで自分たちの関係がクラスに与えていた影響がどこから来るのかを考えたが、
「やはり、SMの関係からなのではないか?」
というところであった。
二人がまわりに与える影響とはどういうものなのか、
「それは、自分たちの関係を見守るという意味になるのか、それとも、二人のそれぞれの性格が、まわりの人にいかに気を遣わせるのかということになるのか」
ということではないかと思った。
そもそも、二人が、自分たちのことを、
「SMの関係なんだ」
と思っていること自体が、まわりに気を遣わせる原因になったのだとすれば、まわりも同じように二人を、
「SMの関係なんだ」
と思って見ていれば、本当は、気を遣っているわけではなく、一線を画しているように感じていたとしても、結局は、気を遣っていることになる。
そんな気遣いを認めたくないという思いから、ぎこちなくなった二人を見ていると、見ている方が、余計な気遣いをしているのではないかと思うことで、まわりを見る目を、自分たち自身で、その気持ちに曖昧さを感じてしまうのではあるまいか。
そう思うことで、肇は自分といちかがあまりまわりに影響を与えないようにするには、お互いに距離を置くしかないと思ったのだ。
だが、それこそまわりを戸惑わせることになるとは、その時に思ってもいなかった。
付き合い始めた二人だったが、二人とも成績は学年でもトップクラスだった。しかも、二人とも将来は、
「医学関係に進みたい」
という思いがあったようで、いちかの方は、最初、真剣に女医を目指していたようだった。
だが、最近は女医を目指すというよりも、看護婦を目指しているようで、その気持ちを知ってか知らずか、肇の方が、医者を目指すようになった。
二人とも、意識の中には、鈴村院長のことが頭にあったようで、肇の方は、
「あんな医者になりたい」
という気持ちを、実は子供の頃から抱いていたのだが、それを口にしたことはなかっただけだ。
いちかの方は、
「おじいちゃんの病院を守りたい」
という気持ちから、自分が女医になって、跡を継ぐという意識だったのだが、途中から自分の力量に気づいたようで、最初はショックだったが、すぐに切り替えて、それならばという思いから、看護婦を目指すようになった。
もう一つの理由は、せっかく跡を継ごうと思っていた肝心の病院を、おじいちゃんが畳んでしまったことで、目標を失ったということがあった。ショックだったというのは、自分の力量に気づかされたということよりも、病院を畳んでしまったということの方が大きかったのだろう。
自分のことをMだと思っていたいちかだったので、その性格から、自分の力量を見極めることができたのだろう。
Mの人間というのは、意外とノーマルな人間に比べて、何か特殊な能力を持っているものだといちかは思っていたようで、その意味でも自分がMではないかという風に思っていたようだった。
いや、Mであってほしいと思っていたのだろう。自分の中に特殊な能力を持っているのだと感じたかったからである。
しかも、いちかが考える、
「特殊能力を持ったM」
というのは、
「わがままなM」
だと考えていた
わがままというのは、まわりが見てそう感じるだけで、実際の相手にわがままだという感覚を与えずに、自分もわがままだと思うことなく、二人だけの特殊な感覚を持つことで、それが、
「真のSMの関係になるのではないか?」
と思うようになったのだった。
いちかにとって、肇とはそういう関係になれる相手だと思っていたので、二人の関係がSMではないように感じた時、自分の考えが甘かったということを感じたが、それでも、肇を好きだという気持ちに変わりがないと感じるまで、そんなに長くはかからなかったのだ。
では、肇にとってはどうだろう?
肇は、そんなにSMの関係について、こだわりを持っていたわけでもない。ただ。二人の関係を自分なりに分析して、
「SMの関係だ」
という思いを結構強く持っていたので、その見る目というのが違ったことに対して、ショックだっただけである。
どちらかというと自信過剰なところがあり、それが自分で気を強くしているように思えてしまい、その感覚が自分をSだと思わせていたのだから、二人の関係を勘違いしていただけだと思うことで、ぎこちない時期がそんなに長くなっているようには思えなかった。
そのせいなのか、まわりが二人に気を遣っているせいもあってか、ぎこちない時期が結構長かったように、まわりから見れば見えたかも知れないが、二人の間に存在する感覚では、さほどぎこちない時間は長かったわけではなかった。
そもそも、二人のぎこちなくなった時期と、まわりが気を遣い始めた時期に、時間差があり、それがタイムラグとなってしまったせいで、二人が正常な関係になっても、まわりは気を遣っていたというだけのことである。
すべては、タイムラグであり、二人とも、まわりが自分たちに対して、何か気を遣っているように感じることができたのは、このタイムラグがあったからではないだろうか。
二人の間で、それまでのぎこちなさが、何か茶番のように感じられるようになっていたが、そのおかげで二人が別れることはなかったのだといっても過言ではないだろう。
二人はそれぞれ、大学に進学した。
肇は、地元の国立大学の医学部に進み、いちかの方は、地元の看護学校に進んだ。お互いに地元の学校なので、会おうと思えばいつでも会えたのだが、学校の方が忙しくなると、なかなか会うこともままならなくなっていったのだが、それぞれに充実した台がk生活を送っていたようで、落ちこぼれることもなく、就学できていた。
卒業するまでに、肇はある実験を行っていて、その研究の成果を論文にして学会に提出すると、それが認められたようで、学会から一目置かれるようになった。
一時期、マスコミからの取材もあったようで、少しだけだが、テレビに出演もして、
「時の人」
となっていた。
しかし、しょせんは医学界で一部有名になっただけで、別に世間一般で注目を受けたわけではなかった。
それでも、注目を受けたことで、就活の時期になると、病院側からのオファーも多く、引く手あまただったのだ。
そんな肇だったが、その時の研究というのが、
「体内にあるものの研究」
というテーマだった。
テーマのタイトルは難しいものであったが、内容は、まるでミステリー小説に出てくるような鑑識的な話も織り交ぜていて、つまりは、
「体内にあるものの中には、毒素のあるものも含まれていて。それらを使用すると、鑑識の目をごまかせることになるので、気を付けなければいけない」
というものであった。
これは、完全犯罪をもくろんでいる人がいれば、そんな連中に使われる可能性もあり、または、逆の立場の鑑識の人間にも、喚起を促すという意味もあった。
ただ、さすがに学会用の論文なので、一般に公開されるべきものではないので、公開されることはなかった。
公開に問題のない論文は、科学雑誌に載せたりしてもかまわないだろうが、この手の犯罪が絡んできそうな題材を扱ったものは、正直に、
「この論文には、犯罪に利用されては困る趣旨の内容が絡んでいるので、公開を控えさせていただきます」
と書いておけば、ちゃんとした非公開理由になるので、別に差支えのないことだった。
実際に、注目された論文の中には、このような犯罪に絡むものも少なくなく、本当に明らかにされないものも少なくなったのだ。
ちなみに、体内に入っても、もともと体内にあるものなので、鑑識で見抜かれにくいというものに、カリウムなどがあるということは知られていたが、それらを踏まえて、肇は研究したのだろう。それを公開できないのが残念であるが、これは致し方がない。
学会で有名になり、石橋肇という学生が脚光を浴びたのは事実だったのだ。
ただ、このことがその後すぐに、問題になってしまうとは誰が想像したであろうか?
その時は、本当に鑑識が出した結論は、
「自然死であり、事件性のないものとして、扱われた」
ということであった。
しかし、状況からは、限りなく「クロ」に近いものがあった。
動機としては、遺産相続が絡んでいて、しかも相続をした相手がかなりの借金を抱えていて、それで首が回らない状態になっていたことは事実だった。
しかも。それだけ切羽詰まっている中で、本人は、
「まもなく、お金のめどがつきそうだ」
と言って、見た目にも余裕があるようだったという、身近な人間の証言もあったくらいだ。
しかし、後から調べたところ、遺産相続をする以外に、彼に借金を返す当てなどなかった。
もし返すことができるとすれば、
「ミラクルでしかない」
と言われていて、それこそ、本人が事故にでも遭って死なない限り、返済の保証はなかった。
死亡保険で、何とか賄えるほどの大金だったので、本人も一度くらいは、そのことが頭をちらつかせたのかも知れない。それくらいの覚悟がなければ、払えないほどの借金だった。
借金の出所は、ギャンブルだった。普段から金銭的には厳しい人だと言われていた人間ほど、一度ギャンブルにはまってしまうと、その感覚が一気にマヒしてしまい、
「これくらいなら大丈夫だろう」
などと言って、どうしようもなくなってしまうようである。
「まるで麻薬のようだ」
というのが、いわゆる、
「ギャンブル依存症」
と呼ばれるものである。
令和の今ではパチンコ屋でもそのあたりをカウンセリングしたりするような仕組みもあるようだが、しょせん、最後は本人の意思によることになるのだろう。
逆にそうでなければ、うまくいくわけもなく、パチンコ屋に設置されている、キャッシュコーナーのATMでは、
「一日の引き出しが、三万円以上はできない」
というようになっていたりする。
しかし、本当に嵌っている人は、そんなことに関係なく、近くの金融機関であったり、コンビニで引き出してでもやるだろうから、ちょっとした抑止にはなったとしても、完全に防波堤になるわけではないのだ。
もっとも、本人の意思が脆弱だからこそ、
「ギャンブル依存症」
なのであって、買い物依存症と並んで、
「ギャンブルや買い物という楽しみがなければ、何もやる気が起きない」
ということであれば、依存症を必要悪と考えるべきではないかという考えもあることだろう。
しかし、それも、どのあたりがその境目になるかということが重要で、その人の感情だけに任せておけないと考えるのか、やはり本人の意識改革しかないと考えるのかではないだろうか。
柔軟な考えとして、どちらかに絞るのではなく、どちらの考え方を取り入れるというのも大切で、そのあたりを考え始めている機関もあるのではないだろうか。
実際に詳しいところまでは分からないが、肇としては、柔軟な考えが必要であると思っているようだった。
そんなギャンブルによって作った借金だが、最初のまだ借金が少なかった頃は、
「ギャンブルを続けていれば、そのうちに、稼げるようになる」
という考えのもとだったのかも知れない。
それはそのうちに、返せるどころか、雪だるま式に増えていくと、金銭感覚がマヒしてきてしまって、次第に借金を返すということよりも、ギャンブル自体が毎日のルーティンになってしまい、自分でも気づかないうちに、
「ギャンブル依存症」
と言われるようになっているのだ。
だから、借金が表面化し、まわりに迷惑が掛かってくるようになると、まわりが、弁護士などに相談すると、
「ギャンブル依存症ですね。典型的な」
と言われるのは目に見えている。
しかし、それを聞いて、一番意外な気がするのは、きっと、本人であろう。
「俺がギャンブル依存症?」
という表情をすることで、まわりはあきれてしまう。
「そうだよ、それ以外の何だっていうんだ。お前、まさか自覚がないなんていうんじゃないだろうな?」
と言われて、
「ああ、ギャンブル依存症なんて、言葉は聞いたことがあるけど、まさか自分がなるなんて思ってもみないさ」
というので、
「何言ってるんだ。ギャンブル依存症の他にないじゃないか。ギャンブルに嵌って謝金をこさえて。しかも、それをさらに繰り返す。典型的なギャンブル依存症の症状ではないか」
と言われてしまい、さすがにそこまで言われると、図星だということに気づいた本人が初めて自覚するというのが、ギャンブル依存症の人にありがちなことであろう。
とにかく厄介なのは、借金を抱えたうえで、ギャンブル依存症の治療に入らなければいけないということだ。
薬物依存であれば、本人の問題がほとんどなのだが、借金が絡んでくると、そうもいかない。絶対に誰かに迷惑がかかるのは間違いないからである。
迷惑がかかるのは家族であって、迷惑をかけられた家族はたまったものではない。自分たちが生活をしていくだけでも大変なのに、なぜ、家族とはいえ、他人の借金まで抱え込まなければいけないのか。こんな理不尽なことはないだろう。
そんなある日、そのギャンブル依存症になっていた男性の変死体が発見されたという。
その男は一人暮らしで、部屋は閉め切っていたというのだが、発見された時には、近所の人がいうには、
「ここ最近、見た記憶がない」
というものだった。
確かに、この人は近所づきあいが苦手で、近所づきあいというよりも、借金取りへの恐怖から、家にいる時もあまり、目立たないようにしていたので、誰も彼のことを気にする人もいなかった。
そもそも、アパートに住んでいる人は、隣に誰が住んでいるかなど気にする人はいない。近所づきあいなど皆無であり、警察も聞き取りの時に、
「どうせ、近所の人から、有力な情報が得られるとは思っていない」
と考えられていたのだ。
実際に近所からの情報は得られなかったが、この人が普段からあまり家にいなかったことは分かっているようだった。
それが、電気メーターであった。
クーラーのいる時期に、ほとんど電気代がかかっていないことを考えると、冷房の必要な時間、表にいたことになる、じゃあ、どこにいたのあというと、そう、ギャンブル依存症の人がクーラーのある場所を求めるとすると、考えられるのは、
「パチンコ屋」
ということになるだろう。
ほぼ毎日のようにパチンコ屋に入り浸っているようだった。
開店時間の十時から、夕方くらいまでパチンコ屋にいるという。
勝っている時は、ずっとパチンコ台の前にいるのだが、負け始めると、気分転換に、待合室にいることが多かった。
待合室には漫画や雑誌が置いてあることが多いので、涼むにはちょうどいい。喫煙者である彼にとっても、タバコが吸える場所ということで、それほど苦痛ではなかったのだ。
そんな毎日を過ごしていた彼も、パチンコでは、さほど大きな負けはなかったようだ。
別に釘が見れるというような特殊能力があるわけでも、台の特性が分かるわけでもなく、パチプロではないので、負けが込んでこないのは、ただの偶然なのだろうが、それだけに、なかなかやめられないというものあった。
そんな彼だったが、最近では馴染みのパチンコ屋の店員からも、
「ああ、あの人、ここ一週間くらい来てないですね」
という話だった。
パチンコ好きの人は、毎日でも言っていると、店員とそれなりに顔なじみになるようだ。
と言っても、店員から情報を得ることはない。詳しい情報は店長しか知らないということだからである。
この男が発見されたのは、
「あの人の様子がおかしい」
と言って警察に話をしたのは、借金取りだったというから皮肉なものだ。
催促のつもりで、部屋の呼び鈴を鳴らしたり、扉をノックしてみたりしたが、何も返事がない。
それはいつものことなのだが、気になったのは、郵便受けに新聞や手紙が膨れ上がっていたことだった。
その中には、自分たちの会社からの督促状も入っていたのが見えた時、
「様子がおかしい」
と思ったのだ。
居留守を使ったとしても、扉にある郵便受けが、溢れるくらいになっているということもおかしいだろう。
まずは、借金取りが警察に通報し、さらに新聞の集金の人も、気にしていたようだったので、警察も放っておけなくなり、大家さんに操舵したところ、中を開けてもらえることになったのだ。
合鍵を使い、大家さん立ち合いの元、最寄りの交番の警官が、中に入ってみると、万年床が見えたようで、名前を呼びながら中に入ってみると、そこには眠っている部屋主の男性がいたのだ。
声をかけてみたが、返事がない。呼吸をしている感覚がないと大家がいうので、警官も眠っている人の顔を覗き込むと、明らかに顔色が異常であり、土色をした顔色に、血の気はないようで、眠っているように見えたその顔は、眠っているわけではなく、
「死んでいる様子」
だったのだ。
すぐに所轄に連絡を入れると、刑事と鑑識がやってきた。見た目に、外傷はなく、自然死に思えたが、変死である以上、司法解剖もやむなしであった。しかも、借金を抱えているという情報があったので、当然のことであった。
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