第3話 町医者の娘
今のように政府が腐敗していたわけでもなく、社会福祉も充実していたことで、医療費は、被保険者であれば、初診料だけという時代もあったくらいだ。そして、その家族には一割負担、老人は、ハッキリと覚えていないが、負担なしではなかっただろうか?
今の令和の時代においては、義務教育未満が、二割、義務教育以上から六十九歳までが三割負担で、七十五歳までが、二割、それ以上が一割負担となっている。
「ちょっと待て!」
と言いたいだろう、
「年金にしてもそうであるが、ほとんどの会社が定年が六十歳までなのに、なぜ年金の支給が六十五歳からで、三割負担が七十歳くらいまでなのか?」
という疑問である。
やはり今までの政府の怠慢と、腐敗が招いたものではないのだろうか。
何といっても、今から十数年くらい前に、大きな問題があったのを、いまだに消えない記憶として残っている人はたくさんいるだろう。
そう、
「消えた年金問題」
であった。
厚生労働省の怠慢により、かなりの人の年金が分からなくなってしまっていたという。
「せっかく、毎月しっかりと納税していたのに、何をしてくれているんだ」
という国民の怒りはごもっともというもので、そのせいもあってか、それまで、五十年以上も続いてきた「一党独裁」の時代が政権交代という形で身を結んだのだった。
だが、変わった政党もまともな政党ではなく、次の選挙では大敗し、元の一党独裁の時代に戻ってしまった。
国民は、年金を消されたことよりも、当時の政権に見切りをつけて、せっかく野党第一党に掛けたのに、その裏切られ方もハンパではなかったことでの再度の政権交代となったのだ。
政権が後退して、再度政府となった当時の首相は、以前にも一度総理になっていて、その時は、都合が悪くなると、
「持病が悪化した」
と言って、病院に逃げ込んで政権を投げ出した人物だったのだ。
しかも、そいつが、またしても、いけしゃーしゃーと、ソーリになるのだから、この国は腐敗しているのもいいところだった。
それまで散々言われてきた政府の悪口を、地で行っているようなソーリで、「もりかけさくら」と言われた問題を抱え込んで、
「これでもか」
と言われるほどに、疑惑が浮上してきたのだ。
そして、自分を守るために、隠蔽、偽証、問題のすり替えなどを駆使して、何とかソーリの座にしがみついていた。
「どうしてこんなやつが首相に?」
ということなのだろうが、その理由は、
「他にいい人がいないから」
という消去法によるものだった。
他の人にやらせると、選挙で議席を失ってしまう可能性が高いということで、しょせん、政府与党も、自己保身しか考えていないのだった。
それを思うと、さすがに、一度やらせた野党第一党がここまでひどいとは思ってもいなかったのだというのが明るみに出たわけだが、与野党を通じて、
「他に適任者がいない」
ということだったのだろう。
極めつけは、この男は自分が刑事事件に晒された時、守ってくれる検察庁のお偉いさんが、定年が近づいてくるということで、
「法律の改正」
を言い出したのだ。
「自己保身だけのために、法改正までしようとした」
ということで世論はかなり沸き立っていたが、その渦中の検察の人間が、何と、
「駆けマージャン」
という内容でスクープされたことで、首になるという茶番を演じたのは、実に愉快でありながら、憤りすら感じることであった。
さらに悪いことに、政府はその処分を、訓告程度に済ませたのだ、本来であれば、懲戒解雇も免れないことだからである。
警察沙汰になった人間なので、本人は、退任することにしたようだが、退職金が出るという訓告に、
「そんなやつのために税金が使われるのは納得がいかない」
という世論の声を無視したのだ。
そしてさらに政府の言い訳がひどかった。
「掛け金もテンピンという妥当な線なので、そこまでの処分には当たらない」
ということだったのだ。
「掛け金の問題ではなく、賭け事をお金を掛けてやったということが問題なんじゃないのか?」
というのが、世論の声であったが、まさにその通りだとテレビのコメンテイターも言っていた。
普段はあまり言葉の信憑性を当てにしていないテレビのコメンテーターだが、そこだけはまともなことを言っていた。
そもそも、令和の時代の昼のワイドショーというと、いつからああなってしまったのか、司会者がお笑い芸人なら、コメンテイターもお笑い芸人。まるで、
「食えなくなったお笑い芸人の第二の働き先」
になってしまったかのようだった。
下手な専門家が出てくるのも、政治の影響を受ける可能性があるので、当てにはならないが、だからと言ってお笑いタレントというのは、完全に視聴率狙いではないかということが目に見えている。
昔であれば、昼間の奥様劇場と同じ発想ではないだろうか。
中には真面目に答えている人もいるようだが、どうにも肝心のコメントが、ちゃんとしたデータによるものではなく、思い付きだけで言っていることに違和感を感じる。
そんな連中の言葉を誰が信じるというのか。それであれば、データだけはちゃんと持っている今までのコメンテイターの方がマシだと言えるのではないだろうか。
「だから、最近は、家にテレビがないという人が増えているんだ」
と、スマホかPCがあれば、いくらでも情報は入ってくる。
しかも、テレビのように、政府に忖度したり、視聴率稼ぎのように、お笑いタレントに頼っている番組よりもよほどましで、たくさんの情報があるというものだ。
しかし、逆に多すぎるがゆえに、よほどしっかりした目を持っていなければ、間違った情報に踊らされるということもある。
非常事態であれば、特にそうで、コメントなどを見ると、かなり賛否両論があったりして、情報の錯綜に惑わされないようにしなければいけない。
その状態は、却って混乱を招くであろう。
どうでもいい平時であれば、それほどの問題にならないが、非常事態であれば、自分以外の人の考えが自分に直接影響してくることもある。そういう意味で、情報の錯綜は難しい問題であった。
ただ昔は、まだネットなどもなく、パソコン自体、会社に数台あればいいというくらいのもので、個人で持っているという人は少なかった時代だ。
高度成長期のテレビのようなものだと言ってもいいだろう。
今でこそ、パソコンは一家に一台どこるか。一人一台、いや、二台も三台も持っている人も結構いたりする。
家の中ではデスクトップを使い、表ではノートパソコンを持ち歩いて、どこでもできるようにする。テレワークやノマドと言ったことで、喫茶店にネット環境が繋がるのは当たり前という時代になってきて、さらには、ノマドワーカーのために、レンタルオフィスなどというのもあったりする。
十年くらい前まではネットカフェが主流だったが、綺麗な事務所でできるということでのレンタルオフィスも利用者は多いのかも知れない。
ただ、値段は少しお高めになっているので、なかなか利用も難しい人もいるだろう。
ただ、ネットカフェでは、
「ネットカフェ難民」
と言われたこともあるくらい、ネットカフェで生活している人もいるくらいなので、衛生面では最悪なのかも知れない。
潔癖症の人はネットカフェを利用しないだろうし、緊急事態に陥った時には、特にそうだった。
何といっても、自粛要請として、ネットカフェも入りそうになったくらいだからであった。
さすがに、書いていて怒りがこみあげてきたので、またしても、批判になってしまったが、当時の病院は、今と違って、老人が待合室でたむろできるほど、和気あいあいとした場所でもあった。
個人病院というと、昔からその土地に根ざしたものは、地域医療というもので、医者がどれほど貴重だったのかということを意味している。
なかなか大学病院のような大きなものもなかった時代でもあった。しかも、当時は内科と言っても、ケガを見てくれたりもしたので、
「ケガをしても、風邪を引いても、うちのかかりつけ医院にいく」
という患者が多かったのだ。
病院として畑違いというと、産婦人科と歯科医くらいであろうか。
そんな町医者は、街で何かのイベントがあれば、協力することも多かった。小学校の運動会や、町内会の運動会など、何かあった時に困るということで、出張勤務をしたりしたものだった。
「日曜日に運動会をわざわざやったのは、父兄が見に来れるように考えたんだろうけど、医者が常駐してもらえるようにということも計算していたんじゃないか?」
という人もいたが、まんざらそれも考えられないことではないだろう。
ここでもう一つ余談となるが、
「父兄」
という言葉であるが、この言葉はどういうことなのであろうか?
「父母や保護者ではいけないのだろうか?」
というような違和感を感じたことのある人も多いのではないだろうか。
ちなみに、この父兄という言葉の意味として、
「学校などで、生徒や児童の保護者」
という意味があるらしい。
これは、戦前に言われていたことがそのまま続いてきて、父兄参観などという言葉で使われていたというのが実態のようである。
「戦前でもおかしいのでは?:
と思う人がいるかも知れないが、戦前と戦後で日本はまったく違う国になったと言っても過言ではないだろう。
何しろ、国が、
「大日本帝国から、日本国に変わった」
ということを取ってもそうである。
大日本帝国は、天皇を中心とした憲法に基づいた政治を行うという、
「立憲君主国」
であった。
しかし、今の日本国は、
「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」
というスローガンの憲法を持った、
「民主国家」
なのである。
ちなみに大日本帝国下では、女性の権利はほぼなかったと言ってもいい。選挙権すらない状態で、女性に選挙権が与えられたのは、戦後一年目の昭和二十一年だったのだ。大日本帝国の間に存在した治安警察法がなくなり、女性の結社権が与えられ、権利を主張できるようになった。
この時に国家体制が変わったのは、クーデターでも何でもない。無条件降伏したことで、占領軍による強制的な国家解体と、新しい国の建国であった。だから、日本国としての、建国宣言というのは行われていない。本当の意味での国家の建国というのであれば、アメリカとの間に結ばれた、独立を意味するサンフランシスコ講和王薬からであろう。
そんな日本も今は、男女雇用均等を訴え、法律もでき、女性だけの呼称とされてきたものが変わってきた時代である。
たとえば、
「看護婦を看護師」
「婦警を女性警察官」
「スチュワーデスを、キャビンアテンダント」
などと表現しているが、筆者はそちらの方が違和感を感じるので、かつての呼称を用いるように、過去からの作品では統一してきた(今後もその予定である)。
そういう意味で、最近では父兄という言葉も減ってきていて、父母から、保護者というように変わってきている。ただ、その理由は、女性雇用均等法に言及するものdけではないようで、もう一つ理由があるようだ。
それは、離婚率の高さにあると言われている。
今は、
「結婚した男女の三分の一は離婚している」
と言われる時代であり、離婚など当たり前になってきた。
「バツイチなんて別に恥ずかしくもなんともない」
と、男だけではなく、女性もそう言っている。
しかも、さらにここ十年くらいでは、そもそも結婚率も減少しているというではないか。
つまり、母子家庭というものが増えてきたので、父兄という言葉が当てはまらなくなってきたということである。
昔から学校というところは、なぜか戦前の言い回しをそのまま使う風習のようなものがあり、実に不思議な団体だと言ってもいいだろう。
小学校の頃によく通っていた、
「鈴村医院」
に立ち寄ることはなかったので、中学に入ってから、しばらく、その存在を意識しなくなっていた。
元々が普通の家の佇まいに、看板が立っているだけなので、本当に昔の町医者だった。
すでに近くには総合病院ができていたので、
「鈴村医院も、そう長くもないかも?」
というウワサが流れていた。
そのウワサの根拠としては、
「あそこには、娘がいるんだけど、息子がいないからね。後を継ぐ人もいないのでは、一代限りということかな?」
と言っていた。
息子夫婦も、普通のサラリーマンと主婦なので、病院経営にはまったくのノータッチだった。
同居はしているが、病院をやっているのは院長先生のみで、たまにお嫁さんが経理を見ることがあっても、それは臨時であり、継続性はない。
息子夫婦には、一人女の子がいたのだが、その子のことをウワサしているのだ。
「あの子がもう少し大きくなって、医者と結婚すれば、病院を継いでくれるかもよ?」
というウワサだったが、それも信憑性が薄いということで、あまり当てになるものでもなかった。
娘というのは、肇と同じ年齢で、学校も同じであった。
小学生の頃、よく鈴村医院に行っていたくせに、小学生の頃は知らないことだった。
中学に入って、鈴村医院に行かなくなると、なぜかそんなウワサが聞こえてきて、自分でもビックリだった。
名前を鈴村いちかと言った。
いちかは、おとなしめの子で、小学校も中学校も同じだったのに、中学一年生まで同じクラスになったことはなかった。
「偶然にしても、すごいよな」
と思っていた。
ただ、いちかは、肇のことを知っていたようだ。
二年生になって同じクラスになった時、
「よくうちの病院に来られてましたよね?」
と言われ、
「うん、鈴村医院は罹りつけだからね」
というと、いちかはニッコリと笑って、頷いていた。
その表情は何か楽しそうで、
「よく知っているね?」
と聞くと、
「ええ、たまに、待合室に入って本を読んだりしていたのよ。石橋君は気付かなかったでしょうけどね」
と言われて、そもそも、体調が悪くて病院に行っていて、待合室にいる間は、気持ち悪かったりして、まわりを気にする余裕もなかったというのが事実だろう。
「待合室とか、病人ばかりなんで、あまり長居をすると、病気になっちゃうよ」
というと、
「うん、私はほとんど風邪とか引いたことがなかったの。だから、学校を休むことができなかったので、病気になれば休めるかも? っていう不謹慎なことを考えていたこともあったのよ」
というではないか。
よく体調を崩す肇だったので、この話は少し違和感があった。だが、今はもうそんなに熱も出ないので、そんなに気にすることもなかったのだ。
いちかとは、その時から腐れ縁のようになってしまった。肇は最初の会話で、
「あまり関わらないようにした方がいいかも知れない」
と思ったが、今まで小学校、中学校と同じクラスにならなかったということに不思議な縁を感じたのか、いちかは、肇に興味を持ったようだった。
別に何かあるわけでは、最初はなかったはずなのに、何かを決める時、くじで決めたりする時は、いつも同じグループになることで、余計にいちかは肇を意識するようになっていた。
「石橋君って面白いよね」
と言われて、
「はぁ?」
と、訝し気な表情を浮かべたのに、彼女はそんなことに意を介さずといった感じで、ただ微笑んでいる。
「石橋くんってさあ、私のこと、嫌いなんだよね? 見ていれば分かるわ。だけどね、人間って嫌いと思っている相手と結構結び付くことがあるようなのよ。腐れ縁のような感じなのかな? でもね、腐れ縁と言っても、どちらもが嫌がっていると、腐れ縁もできないと思うの。だから、もし石橋君が私のことを嫌っているのであれば、私が石橋君のことを好きなんだろうし、もし私が石橋君のことを嫌っているとすれば、石橋君は私のことを好きなんじゃないかって思うのよね」
という、いちか独特の考えのようだった。
いちかという女性はそういうところがあった。
相手が何を考えているのか分からないと思うような相手には、必ず自分がマウントを取ろうとするのだ。まるで、猿山のサルのようではないか。二人のうちのどちらがボスザルなのだろうか?
もし、いちかがボスザルだとすれば、自分は完全に配下のサルである。しかし、逆に肇がボスザルだとしても、いちかは配下のサルだとは言えないような気がした。
どちらかというと、ボスザルになろうとして虎視眈々と自分の座を狙っているという雰囲気で、油断すると、とって変わられるというイメージがあるのだった。
「ところで、委員長は元気にしている?」
と、最初に会話した頃、何を話していいのか分からない時のことであった。
そう聞いたのは、やはり話題がなかったからだろう。
「ああ、おじいちゃんね。相変わらず元気に診察しているわよ。でもね、最近は少しボケてきたのかも知れないって、看護婦さんが言っていたわ」
というではないか。
「なるほど、確かにおじいちゃん先生という雰囲気があったもんな。でも、まだまだ達者だというイメージだったけどね」
というと、いちかは、
「そうなのよ。説教している時は怖いくらいなんだけど、それ以外の時は、本当に頼りないと思うくらい、いつもボーっと表を見ていることが多くて、何を考えているんだろう?
ってよく思うのよ」
と言っていた。
「やっぱり病院のことを一生懸命に考えているんじゃないかな? 跡取りがいないんでしょう?」
と聞くと、少し寂しそうになったいちかを見て、余計なことを聞いてしまったのではないかと感じた。
しかし、それでも、すぐにいつもの調子で、
「そうなのよね、口では、あの病院は自分一代で終わりだっていうのよ。それに、これからは、町医者ではやっていけないからなっていうんだけど、その顔が何とも寂しそうな感じがするのよね」
というと、
「それはそうだろうね、一代とはいえ、街のお医者さんとして、ずっと君臨してきたんだから、その自覚だってしっかりしているだろうし、それを思うと、そのまま辞めてしまうのはもったいないんじゃないかな? それを一番分かっているのが、院長先生なんじゃないかって思うんだ」
と肇がいうと、神妙な顔になったいちかが、
「そうなのよね。分かっているんだけど、こればっかりは私ではどうにもならないのよ。今から勉強して医者になるというのも無理だろうしね」
というので、
「今からは、女医さんというのもどんどん出てくるんじゃないかな? 君がお医者さんになったとしても、僕はビックリすることはないよ。成績だって優秀だしね」
と言ったが、実際にいちかの成績はクラスどころか、学年でもトップクラスだったのだ。
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