第2話 昭和の町医者
鈴村医院と呼ばれたその小児科は、本当の町医者という感じだった。令和の今にはそんな病院があるのだろうか?
と思うようなところで、その病院は自宅の一部を改装した屋敷内に、病院があるのだった。
「鈴村医院」
と書かれた看板が、まるで、昔の駅のホームにあった、上から吊るす系ではない、まるで立札のような白い木に書かれているような看板を思わせた。
そして、数段の小さな階段を上ると入り口があり、中に入ると、左前に受付があり、そのとなりが待合室になっていた。
そこには大きな水槽があり、小さな熱帯魚が泳いでいる。下からブクブクと酸素を送る機会があり、見ていると目が離せなくなるほどだが、本当なら、熱がない時に見たいくらいのものであった。
さらに、その横に鳥かごがあり、黒い身体をして、喉のあたりがオレンジ色という手乗りくらいの小さな鳥が、そこにはいた。
「こんにちは、きゅーちゃん」
と言う、何か機械ででも作ったような声が聞こえてくる。
そう、この鳥は九官鳥だったのだ。
名前を、
「九ちゃん」
というらしく、自分で、
「きゅーちゃん」
と呼んでいた。
肇少年も、こんにちはと言われると、
「こんにちは」
と言って返す。
その声に嬉しそうに鳥かごを行ったり来たりしているように見えるのは、返事を返してくれたということを分かっているからだろう。
九官鳥は、結構頭がいいらしい。待合室に、熱帯魚と、九官鳥。これらがいるというのは、いかにも小児科という感じだった。
待合室に熱帯魚というと、いずれ結婚して子供を授かった時、同伴で定期健診に産婦人科の待合室でその光景を見た時、すぐに、鈴村医院の待合室を思い出したほどだった。
九官鳥は、モノマネをしながら、声もその人に似てくるという、やはり相当賢いものなのではないだろうか。熱帯魚もそうだが、九官鳥も見ていて飽きない。熱があってきつい状態で、待合室で待たされているというのは、とても辛いものだ。
しかし、九官鳥や熱帯魚に癒してもらっていると、それほど時間を感じずに済むだろう。
それでも、さすがに病院の待合室というのは、後になって思い出すと、思い出しただけで、頭痛がしてくるような感覚で、九官鳥や熱帯魚もその空間にいたわけだから、同じ光景を目の当たりにすれば、頭痛の要因に十分になることであろう、
いつも、二、三人の患者が、母親に連れられて待合室にいるのだが、自分も母親に連れられてきているという感覚はそれほどなかった。
低学年の頃は病室に母親と一緒に入っていたが、高学年になると、病院に付き添ってはくれるが、病室に入ってくることはなかった。
それが当たり前なのだと肇少年は感じ、
「本当なら病院にも一人で来るべきなのではないか?」
とまで思うようになっていた。
ただ、普段と違って、熱が三十八度以上の時が多く、ほぼ毎回、解熱剤を打ってもらっていたという意識がある。
二の腕の静脈注射であれば、それほど痛みは感じないが、肩に打つ筋肉注射は嫌だった。最初の頃は怖くて打つ瞬間を見たことがなかったが、ある時見ると、驚愕だった。
何と、腕に対して、垂直に打っているではないか。見た瞬間にゾッとしたものだ。
「腕が痺れないですか?」
といつも言われていたが、なぜそんなことを聞くのが疑問だったが、そうやらそれが、注射を垂直に打つということが原因であると思うと、意味もなく納得できたのだった。
注射の液が入っていく時の痛みは、腕に痺れはないのだが、力が入らない気がした。
垂直に打っているのを見てから、さらに腕に力が入らないことは分かっていて、針が刺さっている時間は、ほとんど一瞬だっただろうと思うが、実際にはかなりの時間がかかったような気がした。
最初にチクっとした時には、徐々に痛みを感じていったが、針を抜く時は、一気に抜かれ、またその瞬間、だるさを感じるのだった。
すかさず、看護婦が肩に四角い小さな白い絆創膏を張り、打った部分を手で押さえて、そのまま揉んでいるのだった。
「この部分をしばらく揉んでくださいね。そうしないと、硬くなって腕が痛くなりますからね」
と言われていた。
最初の頃は、それほど揉んだことはなかったので、看護婦さんの言う通り、確かに打ってから数時間経った頃から、だるさと痛みが襲ってきて、腕が上がらないくらいになってくる。肩を触ってみると、硬くなっていて、痛みを伴っているのが、たまらなかった。
おかげで熱はだいぶ下がってきていたが、腕の痛みがなかなか取れないことが辛くて、次からは、看護婦さんに言われた通り、必死に揉むようにした。
気のせいなのか、それとも、本当にそうなのか、心なしか痛みが和らいだような気がする。だが、どんなに揉んでも痛みが完全に消えるまでには、少し時間がかかった。そのうちに、
「この痛みを含めたところでの病気なんだ」
と思うようになり、必要以上の痛みを感じなくなっていた。
最近の筋肉注射は、、昔と違って、
「揉んだりしないでください」
と言われている。
それは病気の時の解熱剤ではなく、予防接種やワクチン注射の時で、
「どうしてなんですか? 昔は痛くなるから、あれだけ揉んでくださいって言われているのにですよ。僕なんか必死で揉みましたよ」
という人もいた。
看護婦とすれば、
「昔はよく分からないですが、今は揉んでも揉まなくても、痛みが残るのは残るようで、だから揉まないということが主流になっていますね。却って揉むというのはよくないことだと言われているようです。きっと、医学が進歩したんじゃないでしょうかね?」
と言っているようだ、
患者の中には、
「だったら、痛みのない筋肉注射を開発してくれればいいのに」
といい、さらには、
「わざわざ筋肉注射にしなくても、静脈注射でいいレベルに開発してもらいたいものだ」
と愚痴をこぼしている患者もいる。
とにかく、病院で打たれる注射というのは、あまり気分のいいものではないと思っていたが、高校生の頃から行っていた献血は、嫌ではなかった。
静脈に打つ針は、一瞬チクッと来るが、針が入ってしまえば、漏れていない限りは、その後痛みを感じない。
薬が入ってくるわけでもなく、自分の体調が悪いわけでもない。痛みを感じる要素などどこにもないのだった。
子供の頃に、熱があって病院に行くのだから、ただでさえ、寒気は身体の痛み、そして頭のボーっとした感覚は辛いものがある。それだけに注射が痛いのは当たり前で、身体に持っている熱の中に冷たい薬の液体が注入されるのだから、それだけでも痛いと感じるのは当たり前のことだった。
風邪や発熱のメカニズムについても、鈴村先生が優しく教えてくれた。
先生は、もうかなりの年のようで、
「おじいさん先生」
と呼ばれていた。
看護婦一人に先生一人という、完全な個人病院であり、看護婦さんもどこかの主婦なのだろう。子供がいてもしかるべきという感じだった。
さて、先生がしてくれた病気のメカニズムだが、
まず話として、
「熱が出るのは、悪いことではない。それは、身体に入った菌に対して、身体が反応して、追い出そうとしているからだよ。つまり、身体が病気と闘っている時に熱が出るのさ。例えばテレビを見ていると、テレビなどは暑くなっているだろう? それは電気と同じで、電圧というものが掛かっていることで、熱を持つのと、身体が病気と闘っているので熱を持つことと同じだと思ってくれればいい」
と言っている。
さらに先生は続ける。
「だから、その間は、熱というものは上がり続けるものであって、本当は無理に下げたりしない方がいいんだ。でも、あまり熱が高くなると、きつくなるので、解熱剤を使う。すると楽になるからね」
と言われて、肇少年は納得したのか、
「うんうん」
と言って、しきりに頷いていた。
「だから、熱というのは、上り切るまで冷やしてはいけないんだよ。身体がせっかく菌と戦っているのに、それを邪魔してはいかない。辛いだろうけど、熱が上がり切るまで、むしろ、身体を暖める方がいいんだ。本人は分かっていないかも知れないけど、実は熱が上がっている間は、寒気のようなものがあるかのように、身体が震えていたりするんだよ」
と先生はいう。
「じゃあ、熱が上がり切ったというのは、どうすれば分かるんですか? ずっと体温計で図っているというのもですね」
というと、
「大丈夫、熱が上がり切ってしまうと、そこから先は、身体から放出しようとするんだよ。熱をね。それまでは、身体の中に熱がこもってしまっていて、触ると身体中が火鉢のように熱くなっていると言われるだろう? それは熱が身体の中に籠るからで、熱が上がり切ると、一気にその熱が汗になって噴き出してくるのさ。そうすると、身体からだるさや頭痛、気持ち悪さが抜けていき、まだ熱がある状態でも、治ったのではないかと思うようになるんだよ」
と先生に言われた。
「なるほど、そういうことなんですね?」
「ああ、そうだよ、だかあら、熱がある時は、身体を冷やすのではなく、暖めなければいけない。そして、解熱剤が効いてきたりして熱が下がり出すと、汗が滴るようになるので、下着をこまめに着替えたりするんだよ」
と言われて、
「そういえば、いつも汗でドロドロになって、下着を着替えていたような気がします」
というと、
「そうだろう。それが熱が下がりつつあることで、汗と一緒に、菌の毒素も身体の外に放出されるということなんだよ」
というではないか。
「よく分かりました。そういえば、父親が、熱がある時、首にタオルを巻いていたんだけど、あれでは却って身体に熱が籠って、苦しいだけではないかと思っていたんだけど、医学的にはそれが正しいということですね?」
と聞くと、
「そういうことになるね。君のお父さんはよく知っているようだね?」
と聞かれたので、
「ええ、お父さんは、健康には厳しい人で、おいしくもないと思えるものを好んで食べていたので聞いてみると、これは皆身体にいいものなんだよと言われたのを覚えています」
という。
「確かに、健康オタクのようだね。君もお父さんから、それを食するように言われなかったかい?」
と医者に聞かれ、
「ええ、言われましたけど、僕にはどうも」
と言って、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まあ、そこまで子供に要求するのもとは思うけど、そんなお父さんからの遺伝があれば、いずれ君も健康には留意するようになるだろうね」
と言われた。
本当は先生は、
「お父さんは、かつて何かの病気をした時があって、その時に健康食品に目覚めたのかも知れないね」
と言いたかったのだろうが、敢えて言わなかったようである。
熱がでるメカニズムを知っていることで、
「熱が出るということも、本当に悪いことではない」
ということが分かってくると、少々熱が高くても不安ではなくなっていた。
熱が出るメカニズムが分からなければ、熱が上がっている時は体調同様に、精神的な不安が募ってきて、寝ているだけで、何か悪いことをしているかのような錯覚に陥るのだった。
元気な時は、風邪を引いて寝込んでしまい、学校を休んでいる人がいれば、不謹慎にも羨ましく感じたり、出てきてからは病み上がりできついだろうと思っているはずなのに、
「何日も休んだんだから、それだけのことをしてもらわないと」
と、その人に仕事を押しつけてしまいそうになる自分を感じていた。
自分だって病気に頻繁になっているのだから、病気になった人の気持ちが分かるはずなのに、なぜこんなに休んでいる人のことを、偏見で見てしまうのだろうか。
一つには、
「きつかった時のことは、その時にしか分からない」
と思っているからであろうか。それとも、
「学校という場所が特殊で、そこから離れると、学校にいる間と見えているものがまったく違っているからであろうか?」
という思いが錯綜しているのであった。
夏と冬とでは、病気になった時は症状がまったく違う。風邪一つとっても同じことで、
「重症化しやすいのは冬であり、熱のわりに、異変が起こっている部分が多岐にわたっていて、きつさはどちらかというと夏も方があるような気がする。夏というのは、熱が低いだけに、すぐに治るとまわりから思われるが、冬は、なかなか治らないと思われる。あれだけきついのに、早く治ると思われる方がプレッシャーで、治るものも治らないという感覚に陥ってしまったようだ」
だからと言って、冬の方が楽というわけではない。
冬には一気に熱が上がって、三十九度を越えるなどザラであったが、さすがにそこまで熱が出てくると、意識は朦朧としてしまい、起きることができないくらいになっていることだろう。
頭がボーっとしてきて、食欲もなく、頭痛と吐き気もあるのに、熱のせいで、意識が頭に通じないのか、いろいろ感覚がマヒしてしまっているように感じるのだった。
今までにインフルエンザに罹ったこともあったが、あれは中学の頃だっただろうか。
元々扁桃腺持ちなので、高熱には慣れているつもりだったが、さすがにインフルエンザはそう簡単にいかなかった。
不安な気分は、普通の風邪の時よりもかなりあり、
「普通、ここまで熱が上がれば、後は汗を掻いて、熱を下げるだけだ」
と思うものだが、肝心の汗が出てきてくれない。
頑張って病院に行って、解熱剤を打ってもらうか、座薬を入れてもらったりすると、数時間で汗が噴き出してきて。次第に身体のきつさが解消されていく。
感覚がマヒしてきたというよりも、スーッと楽になるのであって。
「もう熱も下がったかな?」
と思って体温を測ると、まだ実際には三十八度以上の熱があったりする。
しかし、熱が上がりかけの三十八度と、下り坂の途中の三十八度とでは天と地ほどの差があり、熱が上がっている時は、
「どこまで上がるんだろう?」
という不安のみで、逆に下がりかけの時は、
「これですっかり熱が下がるはずだ」
という確証めいたものがあるのだった。
要するに、病気に対しての不安度がまったく違っているのだった。
たとえば、平屋建ての建物の二階に上った時、上から見るのと下から見上げるのでは、まったく違った感覚になるというものだ。
上から見下ろす時は、二階であるにも関わらず、三階くらいの高さから見下ろしているように感じ、高所恐怖症の人であれば、眩暈を起こすレベルであろう。
さらに、その少し高いところから、二階に佇んで下を見ている人を見るとすれば、二階までの距離と一階までの距離が同じはずなのに、二階までの距離が一階までと変わらないくらいに感じられ、二階にいる人が、さらに、
「落ちるのではないか?」
と思えてきて、恐ろしく感じられるくらいであった。
そんな錯覚を感じるのは、当然、高所恐怖症であるということが原因だが、上から見下ろした時、自分の下にいる中途半端な高さの人間に対して恐怖心を感じるというのは、どういう心境であろうか?
つまりは、恐怖を感じるのをどの時点で感じるかということと、どちらの方向に向かって感じうかということになるのだろう。
高所恐怖症と、病気による発熱とを、単純に比較というのはできないとは思うが、意識がどのように違ってくるかということで、参考にはなると思うのだった。
自分が熱にうなされている間、身体にいろいろ弊害が出てくる。喉の痛みと発熱から、口の中は酷い状態になり、熱が上がり切る前から、口内炎がいくつもできて、解熱剤が効いてきて、熱が下がり始めても、口内炎は消えてはくれない。
口内炎がひとたびで来てしまうと、今までの経験から、一週間から十日は、口の中で蔓延ってしまう。酷い時には口の中で増殖し、いくつもの小さな口内炎ができるのだが、それが近かったりすると、大きくなっていく間に、二つのものが融合して一つの大きな口内炎になってしまうことも結構あったりした。
口内炎の薬も、飲み薬から軟膏までいろいろあるが、実際にいろいろ使用してみたが、効き目はいまいちだった。
しかも、軟膏などの塗り薬になると、患部に指で塗り込む形になるので、涙が出てきそうなくらいに痛いものだ。
熱がある時にそんなことはできないので我慢していると、元々喉がカラカラに乾いているところに持ってきての直接患部に触るのだから、これほど痛いものはないと言えるのではないだろうか。
口内炎というのは、栄養のバランスが崩れている時や、胃が悪い時になったりするものだと言われているが、
「布団をかぶって寝た時などのように、身体に熱を持ったり、のぼせた時などによく起こるものだ」
という話を聞いた。
そういう意味では、身体に熱が籠っている時、のぼせたようになった状態になった時、口内炎ができるというのも無理もないことに違いはないだろう。
口内炎ができるようになったのは、中学時代からであろうか? まだその頃までは、年に何度か扁桃腺の影響で高熱を出していたことだったので、その影響で口内炎ができるのだと思うようになっていた。
しかし、高校に入る頃には、そんなに頻繁に扁桃腺の熱でうなされることはなくなっていた。
まったく発熱がないというわけではなかったが、頻度がそこまで頻繁ではなくなっていた。
「少し身体が強くなったのかな?」
とも思ったが、そうでもないようで、風邪だけは相変わらず引いていて、それまでの、冬に高熱が出るということよりも、夏風邪をひくことが多くなった。
それまでは、新年早々、病院に行かなければならないというのが、毎年の恒例であり、当番医であるため、待合室でかなりの時間待たされるということを何度余儀なくされたことだっただろう。
中学生になると、さすがに小児科というわけにもいかず、鈴村医院に行くことはなくなり、別の内科で治療を受けることが多かった。
しかし、年末年始は当番医制なので、結構外科が多かった。
しかも、大学病院のような大きなところの病院で、それまではほとんどが個人病院だったので、結構広い待合室に、人が密集しているように見えたことで、それだけで、圧倒されてしまっていたのだ。
看護婦は忙しく立ち回っていて、医者も数人しかいないので、当然、大変なのは分かっていた。
「年始に当番で出なければいけない医者というのは、貧乏くじなんだろうな」
と思えた。
病院の待合室というと、あの頃は、
「老人のたまり場」
になっていた。
一人のおじいさんに、もう一人のおじいさんが、
「最近は、見かけなかったけど」
と声を掛けると、
「いやぁ、体調を崩していてね。やっと元気になったから、来れるようになったんだよ」
と答えていた。
笑い話の一つなのだが、病院にいるのに、
「体調がよくなったから」
というのは、矛盾しているというものだ。
「体調を崩したから、病院に行くんじゃないのか?」
と突っ込みたくなるのだが、その当時は、老人が暇つぶしに病院に来て、待合室はさながら井戸端会議と化していたのだ。
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