ありがとう (終)
「──ごめんなさい」
『ヴァスティマ』の民は、三百年の時を経て、勇者に反省の意思を示し、許しを得た。
その翌日、日が昇り始めて、空に色が付き始めた早朝。私は地下酒場へと来ていた。灯は付いておらず真っ暗闇で、空間にある物の輪郭すら見えない。
「プリカティアとなった私にとって、ここだけが毎日自由に来る事のできる店でした」
プリカティアとして過ごす一日は、殆どが教会への行き帰りと授業によって、消費されてしまい。夕方となれば殆どの店が閉まっており、夜でもやってる店で、出入りできるのは、この地下酒場のみであった。
「だから、自然と両親を無くした、私にとって甘えられる大人は、貴方しかいなかったのです」
自分の記憶を振り返れば、来た当初こそお互いが楽しくなるような話をしていた。それが何時しか、『贖罪教』や『ヴァスティマ』の愚痴が中心になってしまったのは何時だったか。最初からだったのかもしれない。ただ、時が経つに連れて、私は声を大きくしてしまった。
「そんな貴方に、私は甘えてしまいました」
──『ヴァスティマ』の事を知り、子供たちに聖書の読み聞かせを行なう度に積もっていくストレスを吐き出す先に選んでしまったのは私の勝手ゆえだ。
「貴方なら告発しないと、好き勝手に言い過ぎました」
それは信頼と呼べるものではなく、はっきりと言ってしまえば、彼は気弱で、臆病で、自己主張が控えめな性格だったため、私が何を言ったところで大丈夫だろうという、狡い考えによるものだった。
「貴方は何も悪くないのに、重い罰を受けるかもしれない、そんな不安に苛まれる立場に置いたのは私です──本当にごめんなさい」
だから、彼が『贖罪教』へと私の言動を告発したのは、当然の帰結だ。話を聞いただけで罰を受けるかもしれない恐怖を背負って日々を過ごすのは、本来あってはならない。そうでなければ聖書に記された〈六頭人種〉の罪に対しての罰も、おかしくなってくる。
「──そして、歴代のプリカティアたちの時も、私と同じように貴方は当たり前の自己防衛を行使しただけなのでしょう」
──だが、話はそう簡単に行かない。彼が単なる被害者でしかなかったとしても。
ガタッと暗闇の中で何かが動く音がしたが、それ以降は再びシンと静まり返る。
「……ずっと不思議に思っていました。先代プリカティアが私と同じく生贄の刑を受けたと聞いた時、彼女の言動は、どこから『贖罪教』に知られる事となったのかと」
先代の授業や教会で話した記憶を辿れば、子供相手に時折迂闊な発言をしてしまう私とは違い、少なからず目立った所で批判的な言動をするような人ではなかった。
そして、プリカティアである以上、その生活圏内は狭い。朝から夕方に掛けて教会に居る事が殆どで、そのため『ヴァスティマ』自体に馴染める所はあまりなく、自然と夕方以降で、自由に行ける開店している店に限られてくる。
だから、歴代のプリカティアは、私と同じように過ごしたはずだ。朝から夕方に掛けて殆ど教会で過ごし、そして夜には限られた店へと赴く、そんな日々を。
「──マスター。貴方は何人のプリカティアを告発したのですか?」
人の名前すら与えられなかった地下酒場の老いたマスターは、定められた決まりを犯している者に巻き込まれた被害者でしかない。それは間違いない。
だけど、彼の行動によって先代を含めた何人かのプリカティアが、私と同じ刑を、そうでなくても、碌でもない終わりを迎えたのは確かだ。
──ガタガタガタと恐らくテーブルが揺れる音が鳴り始めた。彼は昨日、潰れた教会の前に現われなかった。どこのタイミングでかは分からないが、勇者が帰ってきたと気付いてから、ずっとこの暗闇の空間でテーブルの下に隠れていたに違いない。
「……先代は、生贄の刑を受けただけではなく……『贖罪教』の騎士に乱暴されたようです。この事を勇者に知られたら……」
わざと言葉を区切る。それらの事実が、もしもエクレルの耳に入ってしまったら。どうなるのか想像が付かない……いや、本当の所は、どうするか容易く想像が付いた。
エクレルなら、怒りを感じたとしても客観的に視点で物事を考えて、マスターに同情の余地ありと判断を下し、もう三百年前と同じ事をしたくないという想いから、どんなに強烈な溜飲が襲い掛かろうとも、全てを飲み込んでしまうのは簡単に想像できた。
許さなかったとしても、何もせずに耐えてしまう事がハッキリと目に見える──それに耐えられないのは私の方だ。
「私は、この事をエクレルに教えるつもりはありません……、それだけは言いに来ました」
そして、この事実を語ったとして、やってくる未来は誰もが望まない事だ。『ヴァスティマ』の民も、私も、マスターも、サクリ枢機卿も、エクレルも。何よりも一番傷つくのは結局、彼だ。
「……では、お世話になりました──本当に今まで、ごめんなさい」
プリカティアとなって、心の拠り所であった地下酒場に、もう自らは足を踏み入れないと、
「──僕は、僕はただ! 痛い事がいやで……! 死にたくなかっただけだ!! それだけなんだよ!! それだけ──」
扉を通って聞こえてきた声は、階段を上がっていく最中で届かなくなった。
+++
──自分に、マスターを責める資格はない。そんなのは分かっている。でも、言うべきだと思った、それが、他者から見れば、どれだけ自分勝手なものであっても。
言おうが言うまいが、勇者が帰って来たいま、マスターは残りの生涯を彼に怯えて暮らす事になるだろう。客観的な事実として、愛した女性の名を冠した人を、何人も惨い死に方をさせてきたのは彼の告発によるものだ。
私が口にしてきた批判的な意見に対して、常に嫌な想像をして脅えていたマスターが、その事実を勇者に知られたさいに、どうなるのか、そんな想像をしないのは考えがたい。
彼は今後エクレルが存命する限り、己の想像に苛まれ続けるのだろう。私が今日指摘しようがしまいが、これは変わらなかった事柄の筈だ。
──それを分かりながら、私は自分の意思を実行した。この変わらざるを得なくなった世界で、私はきっと、これからも、こんな風に生きるのだと、それだけは確信を持って言えた。
「──ほら! はやくしろよ!」
「ああもう、分かったから走らないでよ!」
「まって~」
鈍りのように重い足取りで、プリカティアの家へと戻る中、子供たちの声が聞こえてきた。
「あ、先生! おはようございます!」
「おはようございます!」
「おはようです!」
「──はい、おはようございます」
通り過ぎるさいに挨拶をしてくれた彼らに、私も挨拶を仕返すが、早々に走って、どこかへと行ってしまった。
──子供たちが、この時間、この場所に居るのは昨日まであり得なかったことだ。彼らは直ぐに自由になった事を受け入れて、街中を駆け回っているのだろう。その表情はとても晴れ晴れとしており、開放感に満ちあふれていた。
勇者に許された今、彼らが
しかしそれは同時に、これからの事を自分たちが決めなければならないという、本物の人生の始まりを意味する。
『ヴァスティマ』という舞台の上で生きてきたからこそ、私たちが避けられてきた多くの苦労を強いられるのだろう、なにもかもから解放された私たちが、今後どうやって生きるのか、誰にも分からない。
──とはいえ、子供たちとは違い、窓の隙間から外を覗くだけで、外に出ようとしない大人たちを見る限り、生活を変える者は、ほとんど現われない気がした。
「──あ」
無意識に、プリカティアの家の通り道にある教会があったとされる空き地に、目を向けた。すると其処には見覚えのある黒一色の背中が見えて、思わず声が出た。
「ん? ……よっ、おはよう」
「あ、おはようございます……」
──エクレルは昨日までの事が、まるで夢だったように振り向いて気さくに朝の挨拶をしてきた。私は、なんとか両脚を動かして彼の傍まで移動する。
「……眠れましたか?」
「どうだろうな、気付いたら朝だったって感じだ。プリカティアは?」
「私も、似たようなものです。なので散歩していました。エクレルがここに居たのも?」
「まあ、そんな感じだ……色々とな」
声の調子は、今までと比べれば、とても軽い。されど見えないほどの深い何かが感じられる。気のせいでなければ自分が孤独になった事を自覚して、誰かを求めているようだった。
「ここに来ると色んな事を思い出す……その中には大切な思い出も沢山あったんだ……それを思いだしてた」
「……プリカティアさんとの思い出ですか?」
「ああ、それも有るけど、教会の中は溜まり場みたいになっててな、年月が経つにつれて増えたり……減ったり……とにかく、色んな奴が住んだりもして……そいつらとの思い出もな」
「……戦いの最中で親しくなった仲間はヴァスティマ帝国へと移り住み、とある拠点で共同生活を送ったと記されていましたが、プリカティアさんの教会だったんですね」
拠点の明確な描写は無く、どこに有ったか正確な場所が分からなかった、勇者一同の拠点。それが、ここだったと今初めて聞いた。
「……〈六頭人種〉は……いえ、サクリ枢機卿はどうして、そんな大事な教会を再現しなかったのでしょうか?」
この国は、エクレルが全く一緒って評するほど三百年前のヴァスティマ帝国を再現している。だけど、エクレルにとって最も思い出深いとも言える教会を建てなかったのは、どうしてなのか。
「ここには教会に隣接する形で孤児院もあったんだ。だからあいつは、ここを自分の故郷だって度々言ってた……多分、俺が考えるに、それが理由だと思ってる」
「……そうなのですね」
ここはエクレルだけではなく、サクリ枢機卿にとっても思い出深い場所であった。もしかしたら歪んでいく『ヴァスティマ』の中で、たったひとつ変えたくない場所だったのかもしれない。
答え合わせをする事はできないが、私にとってもまた、それが一番納得の行く理由であった。
「──プリカ。あの時、ありがとな」
──唐突な感謝の言葉に、私は一瞬固まった。
「──あの時……?」
「俺に、助けてって言ってくれただろ? ……あれが無かったら、後悔しかできなかったと思う」
サクリ枢機卿が【
「……お礼を言うべきなのは私の方です。それに……私が助けてと言った所為で……」
三百年越しに再会できた弟分の命を奪わせてしまった。それを彼の前で懺悔すること事態が許されない行為であるような気がして、言葉を途中で切ってしまう。
「それだけじゃない。おかげでサクリの声も聞けた……アイツも、プリカティアのあの言葉に報われたって言ってたんだ」
「サクリ枢機卿がですか?」
──それでも、間違っていたのは〈
私の結論を口にした時の、サクリ枢機卿の雰囲気が変わったのは感じていたが、まさか、そんな風に思っていたなんて。
「……サクリは『ヴァスティマ』だけを破壊するつもりだったが、外の様子を一切感じ取れていなかった。もし、あのまま【
「……こちらの声は……」
「無理だった。それに、あの魔族化する秘宝は、たぶん二度と人間に戻れないものだ……ああするしかなかった」
そんな惨いものを『贖罪教』は、サクリ枢機卿に植え付けたというのか? どんな事情があるにしても、認められるものではない。なんだって、こんな物を作ったのか──考えれば思い当たるものは直ぐに出てきたが、考えることすら嫌で、すぐに思考を止めた。
「だから、止められて良かったんだ。この『ヴァスティマ』を破壊する前に……プリカティア、俺に助けてって言ってくれて──ありがとう」
「エクレル……はい、それなら良かったです」
──私は、彼からの感謝を受け入れる。謝罪を受け入れてくれたように。
「──俺は、サクリとの別れを納得してるよ」
──そして、やっぱり私はどこまでも自分勝手なのだろう。そのひと言に、胸から込み上げてくるものがあった。
「────本当に良かった」
「ああ、これで良かったんだ」
瞼から雫が落ちている私の瞳を、エクレルは真剣な瞳で見つめてきた。
「──プリカティア、俺は、この三百年後の世界を見ていこうと思う」
「……理由を聞いてもよろしいですか?」
「あの魔神の欠片を秘宝にした奴が、まだ他にあるなら放ってはおけない……それに、まだ謝るのを待っている人が居るなら……会いに言って許してやらないといけない……勝手な話だが、そう思うんだ……」
──現代の〈六頭人種〉は、サクリ枢機卿が言うには酷く凄惨に歪んでしまったという。『贖罪教』は、その対応に追われて、自分たちが生まれた理由である勇者を段階的に忘れる方針をとったという。
外の世界が、どうなっているのか、私は知るよしもない。でも、エクレルにとって辛い現実が待ち受けている事だけは確かだ。
だからできれば、この国に、大人たちはともかく、子供たちはエクレルの事を勇者様だと受け入れてくれるだろう。ちょっとずつ貴方に暮らしやすい場所に変えていきながら、あの家で、今度こそ平和な世界を穏やかに暮らして欲しいと思う。
「……そうしなければ、納得できないのですね」
──涙を拭いて、問い掛ける私に、エクレルは迷い無く頷いた。
「それが、貴方の望みなら、私にできる事ならどんな事も手伝います」
「ああ……だったら、プリカティア……あー、もう緊張するな……」
頭を掻いて、独り言を零す。私は黙って彼の言葉を待った。
「俺と……なんだ……共に来てくれないか? 俺だけだと色々とダメだと思うから……プリカティアに付いてきて欲しいんだ」
ひどく遠慮がちな旅に同行してほしいという、エクレルのお願いに、私は瞳を閉じて、少し考えたあと、返事を口にする。
「──私は、行けません」
「……っ!」
「明日なら多分良くなると思いますが……」
「は?」
目を開く、後になって盛大に言葉並びを間違えた事に気付く。どうやら私も緊張していたようだ。
「いえその……実は昨日、人生で一番走った影響か、全身が痛くてですね──た、旅に出られる状況ではなく……なんなら、もう一歩も体を動かすのも辛い状況です……だから、その……今日は旅立てないという意味だったんです……!」
「──はっ、ははは! なにがって思ったら筋肉痛かよ……! なんだよそれっ……!」
呆気にとられたかと思えば、腹の底から笑い出すエクレルに、私もまた釣られて笑みを零した。まあ出来たのは申し訳なさから混じった苦笑になってしまったが。
「……あー、悪い、マジで笑っちまった」
「いえ、そもそも下手な事をしてしまったのは私なので……はい」
──私たちはもう、一緒にはなれないのかもしれない。でも、こうやって笑い合う事ができるなら、まだ私にも彼に何かできるものがあるかもしれないと、そう思えた。
「なら、今日は家で休もうか」
「はい……ですがその、いま気付いたのですが……体が限界で、動けません」
「あー……そうか、じゃあ、ほら──」
エクレルは私の前で背中を見せてしゃがみ込み、両手を後ろへと伸ばした。直で見るのは初めての体勢であるが、これもまた聖書に記されており、なんであるか知っている私は彼の背中に体を預けた。
「……重くないですか?」
私を背負って立ち上がり、歩き出したエクレルに遠慮がちに尋ねる。
「むしろ軽すぎるぐらいだな……というかマジで軽すぎるな。栄養足りてるのか?」
「……『ヴァスティマ』では、こんなものだと思いますよ」
「その目元の隈とか見た目ダウナー状態なのは違うだろ?」
「ダウナーの意味自体は分かりませんが、エクレルも大差ないのではありませんか?」
「あー、じゃあお揃いだな……お互い、ちゃんと寝ないとな……」
「そうですね……お揃いですか……」
「なにか言ったか?」
「いえ、なんでもありません」
背負われながら私は、この時間がずっと続けばいいな、なんて勝手な事を想う。
「……そういえば朝飯もまだだったな……よし、俺が作るか」
「作れるんですか?」
「そこら辺については聖書に書いてなかったのか? これでも、このせか……あー、ともかくマヨネーズを開発したのは俺なんだが?」
「マヨネーズ……! 確か、一部では神の信仰に匹敵するほど愛好者がでるほどの調味料だと記されていました、あのマヨネーズを作ってくれるのですか?」
「誇張表現が過ぎる……まあ材料があればな……あるかな……」
「私も材料探し、お手伝いします!」
「それを本末転倒って言うんだよ……」
──他愛もない話を続ける。明日か、それとも明後日か、始まる旅の中で、後悔が積み重なり、苦しみ溢れて、傷だらけになろうとも、こんな風に話し合えたらいいなと思う。そして──
「──エクレル」
「ん? どうした?」
──最後には貴方が納得できる未来を、私は願います
――――――――
これにて、この作品は一旦完結となります。ごめんなさい。
よろしければ応援やレビューをして頂けると幸いです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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