祈り


 私たちが次に来たのは、この時間帯であれば、もっとも『ヴァスティマ』で人が集まっている農業地帯であった。老若男女が各々の畑仕事をしている。


 三百年前の世界は、〈六頭人種〉にとって国の外は魔王の手によって生物兵器へと改造された魔獣たちが蔓延っており、いつ何処で襲われるかも分からない地獄であった。


 そのため〈六頭人種〉の国々は、それぞれの文化に因んだ魔王軍から身を守るための壁を作り上げて、その内々で農作業を行なうのが当たり前となっていた。もっとも、勇者エクレルが現われて状況が好転したさいには、加速度的に畑を増やしていったらしいが。


 ともあれ、畑仕事は『贖罪教』から与えられる仕事の中でも人気だ。曰く没頭しやすくて何も考えずに済むらしい。何人かが私たちに気付いて顔を向けるが、直ぐに仕事へと戻る。ただ、その中に、畑仕事をするために教会に来れなくなった女の子──モニカが居て、久しぶりの再会に手を振り合った。


 ちなみに、ここで育てられた作物は、私たちの日々の糧となるが、中には聖書に記載されていないからと口に入れることができないものは、『アーティア』に輸送される。どのように消費されるかは知らされていない。


「エクレル……大丈夫ですか?」


「あ、ああ……」


 移動距離が長くなるにつれて、エクレルは上の空になっていた。左右に視線を彷徨わせる彼は、まるで見えない何かに脅えている子供のようだ。


「……このでっかい畑も変わっていないな」


 私に気を使ってくれているのか、気を紛らわせたいのか、彼の方から話しかけてきた。


「本当に昔のままだな……本当に……こんなに……こんなに変わらないものか?」


 違和感が強くなっているのか、何かを考えだした。手で顔半分を隠しているのは『ヴァスティマ』と、自分の記憶にあるヴァスティマ帝国を比べているからだろうか。なんにせよ、彼がいま感じて居るであろう恐怖は、想像を絶するものであるのは間違い無い。


「……なあ、聞いてもいいか?」


「なんでもどうぞ」


「その、もしかしたらだが300年経って──魔王が復活したのか?」


「いいえ、魔王は貴方によって討伐されて以降、現れていません」


 彼は、感じる気持ち悪さの正体を魔王が復活したから、300年前と似たような事になっていると予測したらしいが、魔王は勇者エクレルに倒されてから、その姿を現わした事はないとされている。


「……だったら〈七災魔族〉が復活──」


「していません。勇者が倒した魔王とその配下は300年の中で蘇ったことはないと聞いています」


「じゃあ、あの魔獣の多さはなんだ? 出会った場所の周辺だけでも千は超えていたぞ?」


「……自然に数が増えたものだと聞いています」


「生殖機能があるから、増えはするが……対策とか何もしなかったのかよ」


 魔獣に関する他国の対策は知らないが、『ヴァスティマ』周辺は、特に魔獣に関して何かしたとは聞き及んでいない。私が知らないだけで『贖罪教』が、どうにかしていると思っていたが、あの森の現状からして、長年放置していたのは確かだろう。


 ──『贖罪教』の怠惰から来るものか、あるいは私たちが外に逃げても生きられないようにするための手段なのか、どっちにしろ『ヴァスティマ』の外に魔獣が跋扈する理由は碌なものではなさそうだ。


 しかし、見えていなかったが、あの場にアレだけの魔獣が居たのか──だったら、置いて来た騎士と御者は、勇者でも現れない限り助からなさそうだなと、自分でも驚くほど冷たく思った。


「エクレル。すこし、畑をぐるっと回ってみませんか?」

「あ、ああ……」


 そうやって彼の思考を打ち切って、目的も決めずに麦が育つ広大な畑の道を歩き始める。しかし、今度は彼の気を逸らせるに至れなかったようだ。


「三百年だぞ……こんなにも……」


 大きい、されど弱々しい独り言。彼は明らかに憔悴していた。


 なんにしても、彼が真実を把握しきることはできないだろう。勇者エクレルが残した“反省しろ”という言葉と真摯に向き合った結果、『贖罪教』という団体が生まれて、世界はそのひと言によって再構築されて、そしてここヴァスティマ帝国だった場所は、反省の意思を見せる装置へと成り下がったのだと気づける筈がない。


 答えの出ない気持ち悪さに、彼は今にも倒れそうだ。その姿は到底勇者とは思えず、エクレルという一人の〈人間〉であることを強くつき付けられる。


 ──もう帰りましょうか、出しかけた言葉を飲み込む。やはり彼が言ってくれたように私自身を理由に外へと出て、何も知らずに暮らすのが絶対にいい。


 でも彼は勇者なのだ、優しい人なのだ、不老なのだ。長い時の中で何処かで遠くで暮らしていたとしても、きっといつかは私たちの無礼に触れてしまうのは、思い過ごしではないはずだ。


 ああ、どうして私は〈六頭人種〉の中でも後20年も生きれば老人となり、40年ほどで寿命を迎えてしまう<人間>なのだろうか? どうして最初に出会ってしまったのがプリカティアである私なのだろうか? どうして私はプリカティアになってしまったのか。


 ──どうして、貴方からは恨みも怒りも感じないのだろうか? ほんの少しでも、あれば私は直ぐにでも全てを打ち明けたのに。そんな事を想ってしまう自分も結局は『ヴァスティマ』の民でしかないのだとも、彼に伝えられるなら伝えたい。


「……プリカ、プリカティア」


「……っ! すいません、ぼーっとしてました。どうかしましたか?」


 意識が深い部分まで潜ってしまったようで、彼にその名を呼ばせてしまったと後悔しつつ、何があったのかを問い返す。


「あれを見てくれ、森の中にいたのと同じ服装だが関係者か?」


「……そうですね。はい、同じ人たちです」


 エクレルの指を刺す方向を見れば、私の目だとギリギリ判別できるほど遠くに『贖罪教』の騎士が数名居た。エクレルは森の中で私のことを強姦しようとしていた騎士を覚えていたらしい。


「もしかして、俺たちを探しにきたのか?」


「いえ、あれは畑仕事をしている人たちの見張りですね」


 私たちを探している様子は無く、口元をニヤけさせながら談笑している様子から、捜索隊ではなく、畑で働く人々の見張り番であると判断する。


「見張り……? わざわざ畑仕事にか?」


「そうですね。ちゃんとしているのか見ているんです」


 あの騎士たちが見張っているのは、畑の具合ではなく、畑で働く『ヴァスティマ』の民たちが、自身たちが聖書を元に定めた人生を逸脱していないかの確認である。


 こちらに気づいている様子はない。どうやら、畑担当の騎士たちも怠けきっているようで、正直いまはそんな彼らの仕事態度が有り難かった。


「どうする?」


「流石に見つかるのはちょっと……この場を離れましょう」


 私がというかは、まだエクレルに『贖罪教』を教えることが踏ん切りつかず。見つかる前に、この場を後にしようとする。


「……」


「……エクレル?」


 エクレルが、じっと騎士のほうを見ている、もしかして見つかったのかと私も確認すると、騎士の傍に偶然通りかかったであろう、私に手を振ってくれた女の子──モニカが彼らに絡まれていた。


「そんな……」


 モニカは、まだ子供が産めないほど、小さな子だ。私の時のようにならないとは思うが、明らかに騎士たちの顔はイタズラをしようと言ったようだった。


「……最悪な奴らだ」


 今まで聞いたことのない、鋭く低い声が隣から聞こえた。そうだ、エクレルは数キロ先の声を聞けるのだ。


「エクレル、あの騎士がどのような言葉をあの子に話しているのか教えてください」


 勇者は望みを叶えてくれる事はなく、押し黙ってしまう。つまりはそういう事なのだろう。


「──エクレル。お願いがあります」


「……いいのか? できるだけバレないようにはするが、国内で騒動を起こせば厄介なことになるかもしれないぞ?」


「構いません」


 気にかけてくれるエクレルに、私は断言した。


「あの子はモニカ、私の生徒です。だからお願いします。助けてあげてください」


 ──返事はなかった。気がつけばバチっという音と黒い稲妻が迸ったと思えば、彼は消えていた。


 直ぐにモニカが居る場所に再び目を向けると、文字通り勇者がモニカを助けてくれたようで、騎士たちの姿はどこにも居なかった。


 急に自分だけとなったモニカは何があったのかと、唖然とした様子で周囲をキョロキョロと見ている。その後、何かに思い当たったようで、この距離でも分かるほどパアっと明るい顔になると、両手を合わせて目を瞑った。


 ──────。


 そして、モニカが発したひと言は、私の耳には届かなかったが、なんであるかハッキリと分かった。


 ──ごめんなさい。勇者様、ごめんなさい。


 聖書に何度も何度も書かれている勇者への謝罪の言葉。モニカは、どうして勇者に謝罪しなければならないのか、あまり理解できていない筈で、もしかしたらという言葉の意味を間違えている可能性がある。


 そんなモニカは、勇者が助けてくれたのだろうと思ったようで、祈りを口にする。


「……エクレル」


 戻ってきていたエクレルに気付いて声を掛ける。その顔は死人のようだ。


「──さっきから、ずっとこの国のどこかしらで、色んな奴が勇者に謝る」


 聖書曰く、勇者エクレルは、彼の唯一無二の魔法である[雷化]の応用によって、数キロ先の声を聞くことができる。ただ範囲が広いために、ある特定の言葉のみが聞けるように調整をしているとの事だ。


「様々な声で、勇者様ごめんなさいって、ごめんなさいって、ずっと聞こえてくる」


 彼が、当たりをキョロキョロと見回していたのは周辺を気にしていたからではなく、という言葉に続く謝罪が聞こえる方向を見ていたようだ。畑に来て回数が多くなったのは、お昼の祈りによるものだったのかもしれない。


「勇者様、ごめんなさいって……お前たちはどうして謝ってる? 何で謝っているんだ!?」


 三百年後、どこから聞こえる自分に対しての謝罪の言葉は、どれほど恐怖で負担が掛かっていたのか、私には想像できない。


「お前は……お前たちはなんだ!?」


 ──もう、充分なのでしょう。これ以上は耐えられない。


「──エクレル、これから『贖罪教』の教会にある、教室へと向かいます」

「贖罪……教? ……じゃあこの、ってのは……」


 ──これはきっと、私情でしかない。エクレル、私は全てを知った貴方に──。


「そこで、三百年後の『ヴァスティマ』をお教えします」


 ──貴方に怒って欲しいと思っている。

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